“子ども”を取り巻く諸問題

育児・親子・家族・発達障害・・・気になる情報を書き留めました(本棚4)。

不登校は、見守るだけでは解決しない。

2024年09月20日 06時39分01秒 | 教育
「学校へ行きたくない」
とこどもが言ったとき、親はどうすべきか?

この問いに、現代の専門家の答えは、
「よし、わかった」
と言うだけよい。

子どもが「学校へ行きたくない」と言ったタイミングは、
始まりではなく終わりである、
子どもはずっとつらい思いをしてきて、
それを言いたくても言えずに来て、
やっと「イヤだ」と言えたのだから、
その気持ちを受け止め寄り添う・・・そういう考えです。

私はこの対応に頷きながらも、少し疑問も持ってきました。
私自身、学校へ生きたくない経験は中学高校を通してなかったわけではありません。
当然、当時の親はそれを叱責しました。
そしてなんだかんだありながらも、結局学校へ行きました。

はて、最適解は何?

そんなところに以下の記事が目に留まりました。
「不登校は見守るだけでは解決しない」
という意見。
興味深く読みました。

「究極の目標は子どもの人権を守ること、そのために何をするか?」
が問われていると感じました。

<ポイント>

・不登校の子どもへの支援は、寄り添う“見守り型”が主流だが、それが問題を長引かせている。大事なのは子供自身が問題に向き合い、それをサポートすることではないか。

・不登校の子供たちの支援は「見守りましょう」とか「子どものエネルギーが溜まるまで待ちましょう」という考え方に基づいたカウンセリングなどが一般的。これはロジャーズというアメリカの心理学者が始めた「来談者中心療法」というカウンセリング手法の考えに基づいている。とにかくその方の意見を聞きましょう、否定はしてはいけない、とにかく傾聴して、アドバイスをしてはいけない、という考え方。今の日本の心理カウンセリングの世界ではこの考え方が広く受け入れられており、それが不登校のお子さんへの支援においても主流になっている。

・もちろん大事なことではある一方で、「ずっと家にいたい」「勉強はしたくない」「ゲームをしていたい」という子どもたちの声を聞くべきだという、行き過ぎた解釈がされがちだという点が問題である。

・しかし「来談者中心療法」から一歩踏み込もうとすると拒否に会い、再登校へ結びつけられないジレンマがある。「来談者中心療法」は現在、日本以外では行われなくなりつつあり、それに代わり認知行動療法や応用行動分析が世界の潮流となっている。不登校であれ他の精神疾患であれ、ただただ見守るだけでは解決しない、今の日本の心理学は世界について行けていない。

・「来談者中心療法」では不登校が悪化していくケースが多い。何が悪化するかと言うと、生活習慣がどんどん乱れていったり、スマホやゲームへの依存が加速したり。そうすると運動不足にもなるし、生活習慣が乱れれば体調不良にもなるしメンタル的にも不安定になる。悪循環がたくさん起きてしまう。

・最終目標を「自立すること」に置くなら「学校に戻る」ことが第一の選択肢と考えるべきである。普通にやれば元の学校に戻れる子を、わざわざ別の環境に行かせる必要はない。フリースクールや通信制高校では学校と同レベルの生活習慣や学力がつかない。学校に行くことによって、1日の生活リズムや睡眠のリズムを整えるとか、人としてのあるべき当たり前のことができるようになる。実際問題として掛け算もできなければ漢字も読めないとなったら、仕事をすることはできない。

・「そもそも学校なんて行かなくてもいい」という考えは、必要最小限の学力があることが前提。学校には行かない、でも学力は身につけなければならないけれど、1人でそれができるかと言えば難しい。

・フリースクールの中には、子どもたちにとっては好きなことを好きなだけできる、という環境も多い。その環境に1度慣れてしまってから、朝から放課後まで授業がある学校に戻れるかって言うとかなり難しい。

・自由には責任が伴う。だから「学校なんて行かなくてもいい」と主張するのであれば、学校に行かない場合のメリットとデメリットをちゃんと理解した上でなければならない。


■ だから「学校に行かない子」が増え続ける…SNSで広がる「無理して行かなくてもいい」論に抱く"強烈な違和感"見守り、寄り添うだけでは問題が長引くだけ
小川 涼太郎:株式会社スダチ代表取締役(著書
2024.9.12:PRESIDENT Online)より抜粋(下線は私が引きました);

なぜ学校に通わない子供が増えているのか。不登校の子がいる家庭に有料の支援サービスを提供するスダチ代表・小川涼太郎さんは「不登校の子どもへの支援は、寄り添う“見守り型”が主流だが、それが問題を長引かせている。大事なのは子供自身が問題に向き合い、それをサポートすることではないか」という――。

▶ 不登校支援の主流は「見守り・寄り添い」
――文部科学省の調査によると、不登校の小・中学生は推計30万人に上っています。不登校の子供たちにどんな支援がおこなわれているのでしょうか。
「見守りましょう」とか「子どものエネルギーが溜まるまで待ちましょう」という考え方に基づいたカウンセリングなどが一般的だと思います。
これはロジャーズさんというアメリカの心理学者の方が始めた「来談者中心療法」というカウンセリング手法の考えに基づいています。とにかくその方の意見を聞きましょう、否定はしてはいけない、とにかく傾聴して、アドバイスをしてはいけない、という考え方です。
今の日本の心理カウンセリングの世界ではこの考え方が広く受け入れられているという現状があるのですが、それが不登校のお子さんへの支援においても主流になっているように思います。
――カウンセリングの手法が、そのまま不登校の子どもへの支援に結びついたという感じでしょうか。
それに加えて、「子どもたちの意見を尊重しましょう」とか「子どもの人権を大事にしましょう」といったことが叫ばれるようになった今の風潮も、背景にあると思います。
それはもちろん大事なことではあるのですが、問題は行き過ぎた解釈がされがちだという点です。そのせいで「ずっと家にいたい」「勉強はしたくない」「ゲームをしていたい」という子どもたちの声を聞くべきだという考え方がかなり広がっているんですね。
それを聞いてしまうと不登校も認める方向になってしまうのだけれど、一方で、子どもの人権を守るという考え方にはうまくフィットします。それで「そういう考え方もありだよね、分かった」と受け入れられてしまうのかなと思っています。要は、どこまで子どもたちの「○○したい」「したくない」という意見を認めるべきかという線引きが難しくなっているんです。

▶ 寄り添いではうまくいかなかった
――スダチでは再登校を目指して、子どもが問題に向き合う力を引き出すことを重視しているとうかがいました。
いきなりこの考えにたどり着いたわけではもちろんありません。不登校の子どもの支援について勉強し始めた時は、私も子どもを見守り寄り添うものだとばかり思っていました。不登校の子どもの支援に関する本にはそういう手法ばかりが書かれていて、そうするしかないのかなと思ったのです。
当時私は「メンタルフレンド」という不登校の子どもへのボランティア活動をやっていました。不登校のお子さんの家に行って、一緒に遊んで、話をたくさん聞くという、要は寄り添いですね。仲良くなって子どもたちが元気になれば、いずれは社会に出られるようになるだろうという考え方です。これは私が所属していた団体だけがやっていることではなく、自治体などいろいろなところでも行われている活動です。
ところがこのメンタルフレンドが、全くうまく行きませんでした。最終的に、そのお子さんから会いたくないと言われてしまったんです。
――どうしてそうなってしまったんでしょう。
初めの頃はゲームを一緒にやったり、いろんな話もしました。でも、「これをいつまで続けるんだろう」みたいな葛藤があったんです。で、ちょっと踏み込んだんですね。
相手のお子さんは小学5年生ぐらいから不登校だった男の子で、当時は高校1年生でした。そこで「僕も普通に社会で活動しているけれど、もともとそうだったわけじゃなくて、全然勉強しない時期もあれば、ダメダメだった時期もあった。でも紆余曲折あって今に至っているわけで、まだ高校1年生の○○君だったら全然大丈夫だし、絶対に活躍できるようになる」みたいなことを、言ったんです。それが苦しいとかうざいみたいな感じになってしまって。
寄り添うところから一歩踏み込んだ時に難しくなるんです。踏み込んだ結果「もう嫌だ」と言われたら、われわれはそれ以上支援できなくなる。
これは別に僕ひとりの話ではなくて、当時所属していた団体には、メンタルフレンドをやっている学生が10人くらいいました。そのメンバー同士でたまに会って話をしたりしていたんですが、皆さん本当にお子さんのためを思って、一生懸命努力されている方ばかりだったのに、再登校に導けたという話を聞くことはなかったんです「2年間通っていても何も変わらない」といった話もいろいろ聞いたし、僕だけならとにかく、他のメンバーもうまく行かないと言っている。それで、このやり方で支援をするのはかなり難しいのではないかと思ったわけです。
そこから他の手段をいろいろ探す中で、たまたま今のメソッドに繋がる考え方を持ってる専門家の方と出会いました。その方の考え方を聞いた時に「従来のやり方とは全く逆だけれど、これこそが答えなんじゃないか」というのが自分の中で見えたんですね。それが、今のメソッドで不登校の子どもへの支援を始めるに至ったきっかけです。

▶ 不登校の子どもが陥る悪循環
――なぜ見守りが再登校につながりにくいのでしょうか。
まず、来談者中心療法の考え方は、今では日本以外の国ではあまり主流ではないのです。科学的根拠に乏しく、実績が出るケースが少ないからです。今は認知行動療法や応用行動分析といった手法の方が主流になりつつあるのが世界の現状だと思います。
不登校であれ他の精神疾患であれ、ただただ見守るだけでは解決しないと思うのですが、今の日本の心理学は世界について行けていないのではないかと思います。
そして、不登校のお子さんを見守った場合にどうなるかと言うと、悪化していくケースが多いです。何が悪化するかと言うと、生活習慣がどんどん乱れていったりとか、スマホやゲームへの依存が加速したりします。そうすると運動不足にもなるし、生活習慣が乱れれば体調不良にもなるしメンタル的にも不安定になる。悪循環がたくさん起きてしまうんです。
見守るということは、言葉通り何もしないことだとたいていの人が解釈すると思いますが、本当に何もしないで不登校問題が解決するなら、そもそも不登校がこんなに大きな問題になってないと思うんですね。不登校が年々、増え続けているというのは、解決できるケースが少ない証拠ではないでしょうか。
――ただ、スダチのメソッドに抵抗を感じる人も少なくないようです。
それはそうですね。世の中のほとんどの人が「見守りましょう」と言っている中で、われわれの主張はなかなか信じてもらえない。われわれの言うことよりも、医師やカウンセラーが言っていることのほうがよっぽど信頼できると思うのは普通だと思います。

▶ フリースクールは解決策になるのか
――今、不登校の生徒児童の数が増える中で、保健室登校やフリースクール、通信制高校など、不登校の子どもの選択肢は増えているように思います。スダチではどのように捉えていますか。
最終的に子どもたちが社会の中で自立できればそれでいい、というのが私たちの前提であり考えです。だから、そうした学校以外の選択肢が子どもたちを自立に導いているのなら、それはそれでいいと思います。
フリースクールも、ちゃんと早起きして朝から通った上で運動も勉強もして、社会性や生活習慣など人として生きる上で当たり前に必要なこともしっかりと身に付けられるのなら、僕はいいと思うんです。ただ一方で、それを学校以外の環境で身に付けるのは現実的に難しいケースが多いと思っています。
例えばフリースクールは、一般的には登校時間も決まっておらず、勉強も別にしなくていいという感じの場所が多いです。いつ来てもいいから子どもは朝起きられなかったりするし、来ても漫画を読んだり、遊んでいるのもOKという場所も多い。先生も教員免許を持っているとは限らない、つまりきちんと勉強を教えられる人が必ずしもいないという現実もある。運動場や体育館もないから、学校と同じような環境で運動をすることも難しい。学校のように同年代の子どもたちと何か一緒にやっていく環境をつくれないところも多く、社会性を育てるのが難しい部分もある。
こういう問題が全てクリアできるようなフリースクールならいいんですが、現実としてはたぶん、難しい場所が多いと思うんですね。僕自身、運営をしていたことがあるのでフリースクールの抱える課題はよく分かります。
通信制高校も同じです。ネットコースだと年に1回くらいしか学校に行かなくていいし、提出物も答えを写して提出したら終わりといった状況もあると聞きます。だから、学力が身につくかについては難しい面があると思います。

▶ 楽な環境に慣れると学校に戻りにくくなる
そういった問題意識があるから、私たちは学校に戻るのが第一の選択肢だと考えているのです。だから、普通にやれば元の学校に戻れる子を、わざわざ別の環境に行かせる必要はないかなと思っているんです。
もちろん、再登校を目指した上でだめだった場合には、フリースクールとか他の選択肢を選んでもいいと思うのですが、今って不登校になった子ども全員に対して「学校に行くのが無理ならそっちに行っていいよ」と簡単に言いすぎるところがあるように思います。出席日数が足らないと成績がつかなくて、例えば高校への進学で苦労するといった問題も現実としてありますし。
――「学校に戻るのが第一の選択肢」なのですね。
フリースクールの中には、子どもたちにとっては好きなことを好きなだけできる、という環境も多いです。その環境に1度慣れてしまってから、朝から放課後まで授業がある学校に戻れるかって言うとかなり難しい部分があります。
それに、元々学校に戻れる状態のお子さんが不登校の状態からフリースクールに行って、そこからさらに学校に戻るとなるとハードルを2回越えなければならない。また、フリースクールを挟むと結果として元の学校に戻るまでの期間が伸びるということもあります。

▶ 「学校なんていかなくていい」論の広がり
――最近では、不登校ユーチューバーやインフルエンサーの影響を受けて、子どもの中でも「そもそも学校なんて行かなくてもいい」という考えが広まっています。この点についてはどう考えられますか。
実際問題として掛け算もできなければ漢字も読めないとなったら、仕事をすることはできないですよね。インフルエンサーが学校に行かなくてもいいと言うのは、そういうところがしっかりできていることが前提での話でしょう。学校には行かない、でも学力は身につけなければならないけれど、1人でそれができるかと言えば難しいですよね。
それに、育ち盛りの子どもなのですから運動だって必要です。インフルエンサーだって「学校なんて行かなくてもいい」とは言っているけれど、「運動しなくていい」とは言ってない。
学校に行くことによって、1日の生活リズムや睡眠のリズムを整えるとか、人としてのあるべき当たり前のことができるようになると僕は思っているんです。それを不登校の状態で、自分の意思だけで生活習慣を保つのは、大人ならとにかく、子どもには現実的に難しいと思います。
家庭のルールを決めるのは親御さんなのだから「そうなんだ、○○さんはそう言っているんだね。でもうちの家庭ではこう考えているから、うちはこのルールで行くよ」と淡々と言えばいいと思います。
子どもは家に住ませてもらって、ご飯を食べさせていただいている立場です。そして親御さんにはお子さんを守る権利がある。だから「私は学校に行くことが○○にとって大事だと思っているから」って言えばいいのです。

▶ 学校に行かないデメリットを考えさせよう
それに、自由には責任が伴います。だから「学校なんて行かなくてもいい」と主張するのであれば、学校に行かない場合のメリットとデメリットをちゃんと理解した上でなければならないと話をしましょう。
仮に、中卒で働くとなった場合にどうするかといったことを現実問題として考えたら、結構きついですよね。だから、あなたは今小学生で、仮にずっと不登校で中卒となった場合どうなるか。今の世の中って、給料を中卒と大卒で比べたら中卒のほうがずっと低いし、選べる仕事も非常に限られてくるよ、といった話をしてみてはどうでしょうか。実際にこのような話をすると、驚いて学校への意識が変わるお子さんは多いです。そのような現実を伝えたうえで、どの選択肢を選ぶかを考えようと問いかけることが大事かなと思います。
通信制の学校にいったとしても、自宅で学校と同じように勉強をできるのかを考えさせる。たぶん子どもたちも「けっこう大変そうだな」みたいな反応になると思うんですね。そういう点を考えたうえで本当に学校なんて行かなくてもいいのかを親子で話し合うのが大事かなと思います。


・・・私が常日頃感じている学校健診での違和感、
「子どもが恥ずかしがるから内科診察は着衣で」
という考えは、
「病気を早期発見し早期治療に結びつける」
とどちらが「子どもの人権を守る」という視点で優先されるべきか?
に共通する問題であるような気がします。