2014年5月5日放映(NHK総合)。
録画してあったモノを1年半経過後に視聴しました。
先日、こんなニュースが目に止まりました。
体育の跳び箱の授業で膝をぶつけてアザができた子どものお母さんが学校に、それも体育の授業中に乗り込んできました。
「この子のケガの責任をどう取ってくれるの?」
「こんな危険な授業即刻やめてください」
一同唖然・・・はじめに口を開いたのは先生ではなく子どもたちでした。
「ぼくは跳び箱を跳べるようになりたい」
「練習しなくちゃ飛べるようにならない」
「ケガを心配してやらないより、練習したい」
モンペのお母さんはスゴスゴと帰りました、とさ。
住宅地にある公園でさえ、「○○○はしてはいけません」「○○○はダメ」と窮屈な規則が多い今日この頃。
子どもたちは家のこもって携帯ゲームにはまりがち。
体を使って汗をかく遊びを経験しにくい環境なのです。
危機感を持った保護者達が、役所に掛け合って紆余曲折を経ながらたどり着いた結果の一つが練馬の「光が丘公園」です。
そこでは、NPOやボランティアが見守ることにより、可能な限り制限なく子どもが遊べるようにしました。
木登りあり、たき火あり・・・すると、子どもたちの目は生き生きと輝いてきます。
注目は、木の上に造る「秘密基地」。
そこには子どもたちが作ったルールが自然発生します。
例えば、木の上の基地で遊ぶためには、「基地造りを手伝う」「自分で登れる」ことが条件。
これは仲間意識と危険排除の条件でもあります。
それを遠くから見守る親たち。
「親」の文字通り「木の陰から見守る」姿を微笑ましく感じました。
振り返ると、自分自身は、親の目の届かないところで「秘密基地造り」に励む子ども時代を過ごしました。
「秘密」は親にヒミツという意味ですから、光が丘公園のモノは厳密には「秘密基地」とは言えませんね(^^;)。
神社の境内に造ったり、田んぼの稲わらを積んだところに造ったり、工場ができる前の埋め立て地に造ったり・・・記憶にある一番の傑作は川の上にせり出す木の上に造った基地でした。あいにく、そこから仲間が川に落ちてしまって親にバレテしまい、残念ながら撤去されてしまいました。
子どもの「やりたい」という冒険心をどこまで許容できるか、それは親の度量であり、社会の度量でもあるのでしょう。
<番組内容>
最近の都会の公園ではボール遊びなどが規制されている。しかし練馬区の光が丘公園のプレーパークではNPOのスタッフが見守り、規制をほとんど取り払い木登りなどが行われている。子どもたちは木の板などで木の上に秘密基地を作って遊んだ。この秘密基地に入るためには、基地づくりを手伝うこと、自力で登れることという2つの掟がある。
大人は立入禁止の秘密基地を小型カメラで撮影。子どもたちはトランプなどをして遊んでいた。
春になりその秘密基地に新人がやってくる。見学に来た久保田公暉くんは秘密基地を見上げ、リーダーの許可を得て秘密基地に登り1時間以上遊んだ。お母さんは公暉くんにそろばんなどを習わせていて引っ込み思案な性格を心配し公園遊びを進めている。
光が丘公園のプレーパークは11年前に誕生した。当初は規制が多く子どもたちが遊ばなくなったことに危機感を覚えた保護者によって生まれ、反対があるなか覚悟を持って運営を続けてきた。
光が丘公園のプレーパークは11年前に誕生した。当初は規制が多く子どもたちが遊ばなくなったことに危機感を覚えた保護者によって生まれ、反対があるなか覚悟を持って運営を続けてきた。
公暉くんはリーダーの慧悟くんたちと秘密基地作りを手伝うことにした。しかし公暉はすぐに投げ出してしまい結局なにも手伝うことができなかった。その姿を見ていた子が公暉くんに厳しい言葉を投げかけ、公暉くんは秘密基地から離れ母親の元へ向かった。
注意した壮一朗くんは、口ばっかの子は嫌だ、そういう性格でいてほしくないと話した。実は壮一朗くんも最初は仲間に入れないでいた、あの日の一言は壮一朗くんなりの思いを込めた言葉だった。公園には様々な子どもたちが集まる。
基地づくりを投げ出した公暉くんはそのことを引きずっていた。4月20日公園では秘密基地作りが行われていた。そこに公暉くんがやってきた。そして仲間の一言で手伝いをし、自力で木に登り、秘密基地作りの仲間になった。壮一朗くんは先週と違うな、仲良くなりたいと話した。公暉くんは外の遊びの方が楽しいと話した。公暉くんは仲間と一緒に大きく成長していく。
録画してあったモノを1年半経過後に視聴しました。
先日、こんなニュースが目に止まりました。
体育の跳び箱の授業で膝をぶつけてアザができた子どものお母さんが学校に、それも体育の授業中に乗り込んできました。
「この子のケガの責任をどう取ってくれるの?」
「こんな危険な授業即刻やめてください」
一同唖然・・・はじめに口を開いたのは先生ではなく子どもたちでした。
「ぼくは跳び箱を跳べるようになりたい」
「練習しなくちゃ飛べるようにならない」
「ケガを心配してやらないより、練習したい」
モンペのお母さんはスゴスゴと帰りました、とさ。
住宅地にある公園でさえ、「○○○はしてはいけません」「○○○はダメ」と窮屈な規則が多い今日この頃。
子どもたちは家のこもって携帯ゲームにはまりがち。
体を使って汗をかく遊びを経験しにくい環境なのです。
危機感を持った保護者達が、役所に掛け合って紆余曲折を経ながらたどり着いた結果の一つが練馬の「光が丘公園」です。
そこでは、NPOやボランティアが見守ることにより、可能な限り制限なく子どもが遊べるようにしました。
木登りあり、たき火あり・・・すると、子どもたちの目は生き生きと輝いてきます。
注目は、木の上に造る「秘密基地」。
そこには子どもたちが作ったルールが自然発生します。
例えば、木の上の基地で遊ぶためには、「基地造りを手伝う」「自分で登れる」ことが条件。
これは仲間意識と危険排除の条件でもあります。
それを遠くから見守る親たち。
「親」の文字通り「木の陰から見守る」姿を微笑ましく感じました。
振り返ると、自分自身は、親の目の届かないところで「秘密基地造り」に励む子ども時代を過ごしました。
「秘密」は親にヒミツという意味ですから、光が丘公園のモノは厳密には「秘密基地」とは言えませんね(^^;)。
神社の境内に造ったり、田んぼの稲わらを積んだところに造ったり、工場ができる前の埋め立て地に造ったり・・・記憶にある一番の傑作は川の上にせり出す木の上に造った基地でした。あいにく、そこから仲間が川に落ちてしまって親にバレテしまい、残念ながら撤去されてしまいました。
子どもの「やりたい」という冒険心をどこまで許容できるか、それは親の度量であり、社会の度量でもあるのでしょう。
<番組内容>
最近の都会の公園ではボール遊びなどが規制されている。しかし練馬区の光が丘公園のプレーパークではNPOのスタッフが見守り、規制をほとんど取り払い木登りなどが行われている。子どもたちは木の板などで木の上に秘密基地を作って遊んだ。この秘密基地に入るためには、基地づくりを手伝うこと、自力で登れることという2つの掟がある。
大人は立入禁止の秘密基地を小型カメラで撮影。子どもたちはトランプなどをして遊んでいた。
春になりその秘密基地に新人がやってくる。見学に来た久保田公暉くんは秘密基地を見上げ、リーダーの許可を得て秘密基地に登り1時間以上遊んだ。お母さんは公暉くんにそろばんなどを習わせていて引っ込み思案な性格を心配し公園遊びを進めている。
光が丘公園のプレーパークは11年前に誕生した。当初は規制が多く子どもたちが遊ばなくなったことに危機感を覚えた保護者によって生まれ、反対があるなか覚悟を持って運営を続けてきた。
光が丘公園のプレーパークは11年前に誕生した。当初は規制が多く子どもたちが遊ばなくなったことに危機感を覚えた保護者によって生まれ、反対があるなか覚悟を持って運営を続けてきた。
公暉くんはリーダーの慧悟くんたちと秘密基地作りを手伝うことにした。しかし公暉はすぐに投げ出してしまい結局なにも手伝うことができなかった。その姿を見ていた子が公暉くんに厳しい言葉を投げかけ、公暉くんは秘密基地から離れ母親の元へ向かった。
注意した壮一朗くんは、口ばっかの子は嫌だ、そういう性格でいてほしくないと話した。実は壮一朗くんも最初は仲間に入れないでいた、あの日の一言は壮一朗くんなりの思いを込めた言葉だった。公園には様々な子どもたちが集まる。
基地づくりを投げ出した公暉くんはそのことを引きずっていた。4月20日公園では秘密基地作りが行われていた。そこに公暉くんがやってきた。そして仲間の一言で手伝いをし、自力で木に登り、秘密基地作りの仲間になった。壮一朗くんは先週と違うな、仲良くなりたいと話した。公暉くんは外の遊びの方が楽しいと話した。公暉くんは仲間と一緒に大きく成長していく。