“早期教育”という言葉があります。
時に肯定的に、時に否定的に語られる分野ですが、
小児科医の私に入ってくる情報は、
どちらかというと“意味がない”という雰囲気があります。
ノーベル賞経済学者ジェームズ・J・ヘックマン(James J. Heckman)氏による、
“早期教育”に対するインタビュー記事が目に留まりました。
別の分野の専門家がどんなことを語るのか、
興味深く読んでみました。
<ポイント>
・早期教育(生後6か月~5歳)の「内部収益率(IRR)」は13.7%と推定され、3~4歳児を対象としていた就学前プログラムによる7~10%よりも大幅に高い。
・ヘックマン氏は、人生でその人なりの成功を収めるうえで、「ケイパビリティ(能力)」を高めることの重要性を指摘している。ケイパビリティ、すなわち『能力』は、人生のさまざまな局面で自ら行動を起こしていく時に必要な、いろいろな能力を指す。すなわちケイパビリティは、スキルだ。言い換えると、人が社会の構造の中で効果的にその『機能』を果たしていける能力だ。われわれが『知性』という時には、特定のタスクに耐え抜く能力も含むが、それも重要な能力の1つだ。
・能力は、IQ(知能指数)で測れるわけではない。IQは知能の一部を測り、抽象的な問題を解く能力を示す。能力は、(経済力など)資源の制約、情報量と周囲からの期待、両親の情報と期待、そして本人の選好、という4つの要因から影響を受ける『非認知スキル』を含む。
・幼少期にきちんと認知・社会的な介入を受けていれば、30代になったときのIQが平均してより高くなり、その後も高いままであり続ける。…影響はIQだけではなかった。より学校の出席率や大学進学率が高く、スキルの必要な仕事に就いている比率も高く、10代で親になっている比率が低かった。犯罪行為に手を染める比率も減った。介入は単にIQだけでなく、誠実さや自己抑制力、すなわち能力も高めていた。
・幼児期の発達において最も収益率が高いのは、不利な立場にある家庭に対して、出生から5歳までのできるだけ早い時期に投資する場合だ。3歳や4歳で始めるのでは遅すぎる。最大の効率と効果を得るには、最初の数年間に集中する必要がある。
・大学入学や進学の遅れにおける格差のほとんどは、初期の家庭要因により決定される。ライフサイクルの後半における補習的または代償的な介入のリターンは低い。
・IQが示すようなテストを解く能力は、人生の諸問題を解決する能力と同じではない。現実に直面する試練は、多くの異なる特徴を併せ持っているからだ。だからこそそこで、IQでは測れない忍耐強さや自己抑制力、誠実さが重要な役割を果たす。高いIQが必ずしもより良い人生をもたらすわけではなく、一番重要なのは『誠実さ』だ。心理学者のアンジェラ・リー・ダックワース氏はこうした力をグリットと呼んだ。
・脳の前頭前皮質は、成熟するのが大変遅い。前頭前皮質は行動を制御し、意思決定をつかさどる部分だ。青少年はここが未成熟でかつ情報不足だから、分別を持った意思決定ができない。一方で発達が遅いゆえに変化の途上にあることから、(青少年に対して)導き、メンタリングをすることで変化を生産的に促すことも可能で、これは私が研究を続けようとしている、とても有望なテーマでもある。子供の発達には2つの生産的なステージがある。幼少期と思春期だ。
・親自身が働いていて思うように働きかけに時間を割けないようであれば、できる限り時間を割きながらも、部分的に何らかの『助っ人』を頼んで、時間不足を補えばいい。かえって親の力量では与えられないような刺激を与えることにもなり、それは本人にも、社会にも良いだろう。
しばらく前にNHKの教育バラエティ番組「チコちゃんに叱られる!」で、
「頭がいいってどういうこと?」
をテーマにしていました。
答えは「周囲の変化に柔軟に対応できること」でした。
わかったようなわからないような・・・
つまり、わかりやすいIQ(知能指数)で評価するものではない、
と言いたかったのかもしれません。
IQは“抽象的な概念を処理する能力”と私はとらえています。
しかし現実の社会生活では、純粋に処理能力だけでは生きていけません。
自分に必要なもの・役に立つものを取捨選択し、
前に進んでいく能力も必要です。
結局、「頭がいい」=「生存競争に勝ち抜く能力」なのではないか、
と思います。
それは、時に残虐かもしれません。
しかし、戦争で生き残った民族は“勝者”なのです。
消え去った人々を「頭がよかった」と評価しても無意味です。
▢ ノーベル賞ヘックマン氏「『生き抜く力』は5歳までに決まる」
広野 彩子:日経ビジネス副編集長(慶応義塾大学特別招聘教授)
ノーベル賞経済学者である米シカゴ大学経済学部特別教授のジェームズ・J・ヘックマン氏は長年、幼少期の「教育的な介入」が人生に与える影響について調べる研究に携わってきた。介入を受けた人々の人生を定期的にたどり、ランダム化比較実験(RCT)を用いて因果関係を分析するものである。
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人生を成功に導く教育的な介入とはどのようなものか。親はどのような気構えで育児に関わればよいのか。大人になって人生の選択を迫られた時、どう生き抜けばいいのか。本稿はそうした問いへのヒントになるに違いない。
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◆「成功するスキルが身に付く環境」とは
計量分析手法を発展させる
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ヘックマン氏は、「選択性と離散選択に関する計量分析手法を発展させた実績」で2000年、米カリフォルニア大学バークレー校名誉教授のダニエル・L・マクファーデン氏とノーベル経済学賞を共同受賞した。ヘックマン氏の受賞理由としては、計量分析における「選択的サンプル分析に関する理論とメソッドの開発」が挙げられている。とりわけ、「教育、職業訓練や労働市場の分析における一般均衡の重要性などにおいて、政策立案者に新しい洞察を与えている」と評されている。
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◆ スキルを身につけられる環境とは
ノーベル経済学賞受賞後のヘックマン氏は、子供の早期教育プログラムの研究に携わってきた。・・・早期に認知・社会的な刺激を与えた子供たちが、その後の人生でどのような「結果」を残してきたかを研究した。そのためには、人の成育過程で出合う数多くの影響をすべてコントロールし、1つのプログラムによる影響に特化して分析する必要がある。
研究に取り組むことになった動機についてヘックマン氏は、「私は、現代経済において人々が成功するためのスキルを身に付けることができる環境に関心がある」と述べている*3。つまり、人が人生で成功するカギの1つが幼児期の刺激にあると考えている様子であり、実際、本稿で紹介する筆者のインタビューでもそれは明白に語っていた。
ヘックマン氏は2020年、早期教育プログラムで教育を受けた子供たちの人生を30年間追跡した研究を完成させ、共著論文で発表した。子供に対する早期教育プログラムによりもたらされた人的資本による複数の「生涯利益」を測定し集計したのである。その結果、早期教育の「内部収益率(IRR)」を13.7%と推定している。
内部収益率とは、投資によって見込まれる収益率のことであり、プロジェクト投資や不動産投資でよく耳にする身近な指標である。投資の時間的な価値を考慮した利回りだ。IRR13.7%はかなり高い数字なのではないだろうか。
この早期教育プログラムは、1970年代から米ノースカロライナ州で実施されてきた「カロライナ・アベセダリアンプロジェクト(ABC)」と「カロライナ・アプローチ・トゥ・レスポンシブ教育(CARE)」の2つである。参加者は生後8カ月からプログラムをスタートし、5歳まで継続的に参加した。参加者の親(主に母親)は無料の保育を受けられたため、母親の雇用と成人教育を促進させる効果もあった。そしてプログラムが終了した後、参加者は30代半ばまで追跡調査をされた。そしてヘックマン氏らはこの2つのプロジェクトの調査結果について、RCT(ランダム化比較実験)による評価に取り組んでいた。
またこの研究は、後の政策や研究手法に大きな影響をもたらしている。とりわけ、アフリカ系米国人の子供など社会的に不利な集団に実施すれば、社会階層の移動につながると提唱している*4。そしてこのプログラムにより形成される人的資本は、3~4歳児を対象としていた就学前プログラムによる7~10%の内部収益率よりも大幅に内部収益率が高い、としている*5。
◆ 幼児教育への公的介入が格差の改善に
・・・日本では少子化に伴い、未就学児の幼児教育から受験まで、教育産業の囲い込み競争が過熱している。日本の将来を考えるうえで大きなヒントがあるのではないかと考えた。
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話の中では、アベセダリアンプロジェクトの紹介だけでなく、中学校の数学教師出身である心理学者アンジェラ・ダックワース氏の「グリット(GRIT、やり抜く力*8)」に対する論評や、インタビューの前日、2014年10月7日に開催されたセミナーの会場、慶応義塾大学にちなむ福沢諭吉の言葉の引用までが飛び出し、大変学びの深いインタビューになった。
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ヘックマン氏らの研究の主たる着眼点は、恵まれない子供を対象としたさまざまな幼児期の介入プログラムを実現すれば、大きな格差緩和につながる可能性があるのではないか、ということである。
第6章に登場したリスト氏のフィールド実験でも、シカゴハイツで早期から教育的に介入した子供から教育介入のなかった子供への好ましいスピルオーバー、副次的な効果が見られていた。この結果は、ヘックマン氏らの早期の研究により裏付けられていたものである。そのように、回り回って社会階層の移動につながるというメリットも期待できる。厳しい格差社会である米国だからこそ、とりわけ不利な立場にある子供たちに対する早期教育に、より注目が集まるのかもしれない。
◆ 人生を決定付けるのは「ケイパビリティ(能力)」
ヘックマン氏は、人生でその人なりの成功を収めるうえで、「ケイパビリティ(能力)」を高めることの重要性を指摘している。ケイパビリティはもともと、1998年に「福祉の経済学」における貢献でノーベル経済学賞を受賞したインド・ベンガル地方出身の経済学者、アマルティア・セン米ハーバード大学教授が、より幅広い意味で定義したものだ。
セン氏は、人の「『ケイパビリティ(能力)』は、心身の特徴のみならず社会的な機会や社会的な影響に依存する」としている*9・10。ヘックマン氏は社会制度よりむしろ、スキルに注目し続けている。
「ケイパビリティの意味は、セン氏の定義に基づくものだ。ケイパビリティ、すなわち『能力』は、人生のさまざまな局面で自ら行動を起こしていく時に必要な、いろいろな能力を指す。すなわちケイパビリティは、スキルだ。言い換えると、人が社会の構造の中で効果的にその『機能』を果たしていける能力だ。われわれが『知性』という時には、特定のタスクに耐え抜く能力も含むが、それも重要な能力の1つだ。例えば発明家トーマス・エジソンは『天才は1%の才能と99%の努力だ』と言ったが、タスクを継続する能力は、その『努力』に当たる部分だ。(タスク継続につながる)忍耐強さや自己抑制力、そして誠実さは重要な能力だ」
自己抑制力への働きかけは、第2章のリチャード・セイラー教授が行動経済学から探究し、ノーベル経済学賞を受賞したテーマの1つであった。
「能力は、IQ(知能指数)で測れるわけではない。能力は、(経済力など)資源の制約、情報量と周囲からの期待、両親の情報と期待、そして本人の選好、という4つの要因から影響を受ける『非認知スキル』を含む」
ではIQは何を測っていると言えるのだろうか。
「IQは知能の一部を測り、抽象的な問題を解く能力を示す。30歳の人のIQを変えるのはきわめて難しいが、生後3カ月からであれば変えることができる。
1972年に米国で実施された『カロライナ・アベセダリアンプロジェクト(ABC)』という、平均生後4・4カ月のアフリカ系米国人の、貧しく、家庭に問題を抱えた子供約100人を対象にした研究があった(「概説」参照)。子供たちを2つのグループに分け、一方には介入をせず、一方のグループだけに継続的に、最新の心理学理論に基づいたゲームスタイルの教育的な介入を施した。このグループは5歳まで週に5日、保育施設で一緒に介入を受けた。健康管理や行政のサービスは、介入を受けないグループも同じように提供された。
幼児期にこうした介入をした人たちの追跡調査を続けてきて分かったことは、幼少期にきちんと認知・社会的な介入を受けていれば、30代になったときのIQが平均してより高くなり、その後も高いままであり続けるということだ。
さらに重要なのは、影響がIQだけではなかったことだ。より学校の出席率や大学進学率が高く、スキルの必要な仕事に就いている比率も高く、10代で親になっている比率が低かった。犯罪行為に手を染める比率も減った」
つまり介入は単にIQだけでなく、誠実さや自己抑制力、すなわち能力も高めていたということだろうか。もう少し成長してから介入しても効果があるのだろうか。
◆ 人生に一番大切なのは「誠実さ」
「20代で集中的な教育を施しても、幼児期ほどIQを高めることはできない。とはいえ問題に真剣に取り組む力や周囲とうまくやっていくスキル、やり続けられる持続力などの能力は高められるかもしれない」
ヘックマン氏は「幼児期の発達において最も収益率が高いのは、不利な立場にある家庭に対して、出生から5歳までのできるだけ早い時期に投資する場合だ。3歳や4歳で始めるのでは遅すぎる。スキルは相互に補完的で、ダイナミックにさらなるスキルを生む。早期に『投資』した人々は、その後もより良い投資をする。最大の効率と効果を得るには、最初の数年間に集中する必要がある」としている*11。
第6章でリスト氏が、小学生レベルの学力だった高校生の学力を施策により後から引き上げることに対して、否定的なコメントをしていた。ヘックマン氏は「大学入学や進学の遅れにおける格差のほとんどは、初期の家庭要因により決定される。(中略)学校教育や大学進学の格差をなくすために、授業料対策や世帯への所得補填が果たせる役割はごく限られている」、「ライフサイクルの後半における補習的または代償的な介入のリターンは低い」とも分析している*12。リスト氏のコメントは、こうしたエビデンスを反映している。
「IQが示すようなテストを解く能力は、人生の諸問題を解決する能力と同じではない。現実に直面する試練は、多くの異なる特徴を併せ持っているからだ。だからこそそこで、IQでは測れない忍耐強さや自己抑制力、誠実さが重要な役割を果たす。高いIQが必ずしもより良い人生をもたらすわけではなく、一番重要なのは『誠実さ』だと私は思う。コンサルティングの仕事を辞めてニューヨークの公立学校で数学を教えた心理学者のアンジェラ・リー・ダックワース氏はこうした力をグリットと呼んだ。人生において重要な特性だと思う」
5歳までの環境で育て得る特性とは、どのようなものか。
「人生の最初の数年はとても重要な役割を果たす。幼児期の適切な教育は、能力の基盤を広げるのだ。・・・事実としてとりわけ若者にはこうした『可能性の富』がある。その人が望み、実現し得る最高の機会を、(社会が)きちんと与えることができる。それが私の追究しているテーマなのだ。
ある人は優れた数学者になれる可能性があるのに、芸術家や金融業者になりたいかもしれない。しかし、そうした本人の最終的な選択は問題ではない。一番人生が開花する可能性があり、自ら望み得る生き方の選択肢をできるだけたくさん与えることはできないだろうか、という話だ。
若ければ若いほど、さまざまな『能力』をつくることが容易だ。能力は互いに少しずつ積み上がっていく。いったん基礎的なスキルを身に付ければ、次のスキル、またその次のスキル、とスキル向上のためにさらに『投資』していくことが容易になる」
・・・
ヘックマン氏は、貧富の差を教育の有無に求める考え方には異を唱える。来日講演で訪れた慶応義塾大学にちなみ、創立者・福澤諭吉の言葉を引用しながら次のように述べた。
「幅広い能力を創るのは、さまざまな要素の『組み合わせ』なのだ。福沢諭吉は、『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』、『賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり』、『ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり』などと賢人と愚者、富める者と貧しい者の差を教育に帰していた。(市場に重きを置く)アダム・スミスは福沢諭吉に賛成しただろう。
(能力の差を)すべて遺伝に帰する考え方もある。確かに、人はそれぞれ、違った素質を持って生まれてくる。だからといって『親からの遺伝、才能がすべてだ』と言うのも考えものだ。結局はこれまで触れたような要素、全部の要因の組み合わせなのである」
では、どの組み合わせが一番能力に影響するのだろうか。遺伝とどれかだと考える人間も多いのではないだろうか。
◆ 経験を通じて脳の働き方が変化
「遺伝子も不変ではない。現代の遺伝子学では、たとえ一卵性双生児のDNAであっても、遺伝情報の発現(expression)が異なるとされている。
つまり、たとえ一卵性双生児で同じ遺伝情報がある場合でも、違う『経験』をした結果、違う発現になるわけだ。これまで考えられていた『遺伝』も、その意味が変わってきたのだ。神経精神医学者のエリック・カンデル米コロンビア大学教授が2000年にノーベル賞を受賞*13したが、彼はその研究で、経験がいかに脳を変化させ得るかを示した。
カンデル教授は海産巻き貝の一種、アメフラシ目アプリシアを研究した。そしてこのシンプルな動物の探究で、経験を通じて、記憶の形成・保持などをつかさどる脳の働き方が変わったことを実証した。生物の体に『経験』がどのように取り込まれていくのかについては、ますます研究が盛んになっている」
カンデル氏はアプリシアの慣れ・感化・古典的条件付けという3つの基本的な学習形態に関して、細胞・分子レベルのメカニズムを研究。ある特定の行動は、安定した状態で互いに接続した、独特で判別可能な神経細胞でできた神経回路によって説明できると発見した。学習による行動の変化は、神経回路の変化によってではなく、特定のシナプス結合の強さを調節することでもたらされる。カンデル氏は心理学と分子生物学の手法を融合させ、基本的な認知プロセスの解明を進展させた*14。
「脳の前頭前皮質は、成熟するのが大変遅い。前頭前皮質は行動を制御し、意思決定をつかさどる部分だ。青少年はここが未成熟でかつ情報不足だから、分別を持った意思決定ができない。一方で発達が遅いゆえに変化の途上にあることから、(青少年に対して)導き、メンタリングをすることで変化を生産的に促すことも可能で、これは私が研究を続けようとしている、とても有望なテーマでもある。子供の発達には2つの生産的なステージがある。幼少期と思春期だ」
ヘックマン氏自身は具体的にどのような実験をしていたのだろうか。
「3歳から11歳までの子供たちと一緒に研究した。子供たちに毎日来てもらい、課題を与えて、計画・実行させ、最後に仲間と一緒に復習をする実験をした。1日2、3時間、簡単な問題に取り組ませて2年間毎日実施した。追跡調査の結果、この経験がその後の人生において大きなスキル向上につながっていたことが分かった。
ということは、計画して実行し、友達と一緒に復習することを親がきちんと教えられれば、親と子の関係や付き合い方すらも変わるかもしれない。親は大体子供が思春期になるまで子供のそばにい続ける存在のため、与える影響が最も大きい。親も意識を変える必要がある。子供の人生を実り豊かにするうえで、自分がどれほどの大きな力を持っているか、認識すべきだ」
◆ 質の良い保育所が社会を安定させる
2014年当時でも日本では共働きが増えてきていた。ヘックマン氏の滞在中、赤林教授はヘックマン氏を東京・台東区の保育園に案内した。保護者と保育士が毎日やりとりする連絡帳のきめ細かい内容など、日本的ともいえるコミュニケーションの方法に大きな関心を寄せている様子だったという。共働きでは、親が子供たちに毎日しっかりやりとりをするのが時間的に困難な場合もある。親にそうした制約がある場合、どうすればよいのか。
「親自身が働いていて思うように働きかけに時間を割けないようであれば、できる限り時間を割きながらも、部分的に何らかの『助っ人』を頼んで、時間不足を補えばいい。かえって親の力量では与えられないような刺激を与えることにもなり、それは本人にも、社会にも良いだろう。お金は根本的な問題ではない。子供と生産的に向き合わず孤立させるような育て方をしたために、育児に失敗したお金持ちの親は大勢いる。
紹介した実験のように、幼児期のメンタリングと刺激によって、犯罪を減らし、その子たちの人生を予測可能なものにする可能性がある。スキルアップして大人になった子供たちが稼いだお金は、いくらか税収になって将来政府に戻ってくる。
またこれまで紹介したような教育効果により、自分の健康にもより気を付けるようになるので、医療費を削減することにつながり、自己抑制する力や誠実さを育て、社会に安定をもたらす。さらに、投票を含めた社会の多くの場面に、より生産的に関わっていくことだろう。
日本政府だけでなく、世界中の国で、幼児期の人生を担う保育所の質を高めることが今後の社会のためにも大変重要だ。幼児期の刺激は経済成長を促進するだけでなく、政府の負担も軽減することになるのだから」
日本では社会保障費が増え続けており、増税が絶えず議論されている。例えば格差是正や人的資本の開発のため投資できる十分な資金があるとしたら、どこに投資すべきか。そうした問いに、ヘックマン氏はどう答えるか。
◆「『失われた人々』を『高スキルの人々』に」
「コストではなく、価値に焦点を置くべきだ。不平等を解決するためのコストは、経済的・社会的・政治的な観点からするととても困難に思えるかもしれない。だが、実績ある支援プログラムに賢く投資すれば、それは個人の成功につながるだけにとどまらない。社会にとってのより良い経済的・社会的な成果がもたらされる、という大きな見返りがあることを、念頭に置くべきだ*15。日本は、『失われた人々』をよりスキルの高い人々に置き換えていけば、人口減にも対応できるのではないか」
また2016年2月にヘックマン氏は講演で、人の認知能力と性格を、生後から就学までの間、大学教育、そして職業トレーニングで磨くべきだとも強調している*16。人的資本には長期的なリターンがあるとの考えに立てば、子供から大人まで、あらゆる現役世代に対する人的資本への投資が、将来の労働者確保のためだけでなく、格差緩和や国家財政の健全化のためにも重要と言えるだろう。