“子ども”を取り巻く諸問題

育児・親子・家族・発達障害・・・気になる情報を書き留めました(本棚4)。

親ガチャ、教育虐待、毒親…

2024年12月16日 06時54分11秒 | 教育
私の両親は戦争中に生まれて育ちました。
青春も夢も、戦争に奪われた世代です。
その親は、自分が果たせなかった夢を私に託しました。

そこそこ成績のよかった私は、
親の期待に応えるよう勉強に精を出しました。
初めは喜んでくれる親の顔を見るのがうれしかったのですが、
成績が悪いと両親は不機嫌になるので、
できない自分は認められていない、と感じるようになりました。

それを繰り返すうちに、自分の中で何かが変わっていきました。

思春期にさしかかると、親の期待が重荷に感じるようになりました。
でも、結果を残すと自分でも楽しいので努力は続けました。
親が喜ぶと「あなたが頑張ったのではない、頑張ったのは私だ」
と心の中でつぶやくようになっていました。

高校生になり、進路を決める際、
私は文化人類学や民俗学に興味があったので文系を志望しました。
しかし父親は「医学部でなければ学費は出さない」と言いました。

悩んだあげく、最終的に私は医学部を受験・進学しました。
葛藤を抱えながらも、あの頃はまだ「親の悲しがる顔を見たくない」という気持ちが勝ったのです。

あれから40年が経過しました。
還暦を過ぎた今、自分の人生を振り返ると、
「これは自分の人生なんだろうか?」とふと思うことがあります。
宮本常一のように日本中を巡り、古層文化を掘り起こしたり、
ジャレド・ダイヤモンドのように世界中フィールドワークで巡り世界の文化を比較したり、
そんな人生を夢想してしまいます。

近年「毒親」という単語が生まれました。
「親の思い通りに子どもを操ろうとする親」
「子どもの人権を認めない親」
時代背景もありますが、私の両親にもその要素があったと感じます。

こんな記事が目に留まりました。
本の制作に関わる編集長の壮絶な人生談です。

虐待を受けていた子どもが学校へ行くと熱が出て保健室登校、
病院へ行くと「自律神経失調症」と診断され、
親は「甘ったれ病」と解釈…
現在とちっとも変わりませんね。


▢ 教育虐待で15歳で家出し、セックスを対価に男の家で食いつないできた70歳の私が「毒親育ち」に言いたいこと〜それでも自分を「かわいそうな子供」とは思わない
原田 純(径書房代表)
2024/12/15:PRESIDENT Online)より一部抜粋(下線は私が引きました);

「毒親」や「親ガチャ」という言葉が聞かれるようになって久しい。親の負の側面を受けて育った子供は、どうすれば生きづらさから抜け出せるのか。厳格な父に反発して高校を中退し、15歳で家出した径書房代表の原田純さんが、自身の壮絶な半生を書く――。

▶ 自分の思い通りに育てようとした父
キックボクシングを習い始めた。週に2回、グローブを着けてサンドバッグを叩いたり蹴ったりしている。
70歳の私が健康維持のために始めるなら、もっと年齢にあったエクササイズを選ぶのが普通かもしれない。だけど私は、もの心ついたときから負けん気が強く、後先を考えずに突進する乱暴者だった。
子どものころから、行くなと言われればますます行きたくなって、一人で遠くまで行っては迷子になっていた。男の子数人を相手に取っ組み合いの大喧嘩をしたり、230メートルの薄暗い電車専用トンネルを一人でこっそり歩いて抜けてみたり。勝ち目があろうがなかろうが、怖いと思えば思うほど突き進むタイプ。はっきり言ってバカである。
これは、そんな私を自分の思い通りの娘に育てようとした親と、それに逆らい続けたじゃじゃ馬な私の、壮絶な戦いの物語である。
私の父は、当時ちょっと名の知れた編集者だった。ことあるごとに反戦平和・自由・平等を口にする、いわゆる「良心的左翼文化人」とされていた人だ。

▶ テレビは禁止、クラシックとピアノと絵の習い事…
ところが、父が好んだのは禁止と管理。テレビは下劣で下品。あんなものを観ていたらバカになると言って禁止。クラッシック以外は音楽ではないと言って、歌謡曲も洋楽も禁止。文化的素養を身に付けさせようとしたのか、ピアノや絵を習わせた。習い事をしている子どもなど、まだほとんどいない時代だ。父は私を、利発な優等生にしたかったのだ。
けれども私は、大人しく親の言うことを聞くような子どもではなかった。東京郊外の、多摩丘陵を宅地化した新興住宅地。まわりは里山。私は、近所の男の子たちと丘陵を駆け回って木に登り、茣蓙ござを尻の下に敷いて急斜面を滑り降り、藪に分け入ってキイチゴを採ったりキノコを採ったり、田んぼでは泥だらけになってタニシやザリガニを採っていた。自由奔放、お転婆のかぎりをつくしていたのだ。

▶ 筆者提供小学3年生のとき
さっさとあきらめてくれればよかったのだ。だが父は、そんな私をますます厳しく調教しようとして、門限を決め、ピアノのお稽古は毎日1時間と決めた。おかげで、私はますます叱られることばかりするようになった。父に内緒でテレビを盗み見たり、友だちと遊びたくて門限を破ったり、お稽古をさぼったり。バレたら怒られるので、嘘をついたり、ごまかしたり。友だちみんなが持っているのに、絶対に買ってもらえない匂い消しゴムや紙石鹸を万引きしたり。

▶ 「ブタ野郎。出て行け。今すぐ死ね!」
子どもだった私の悪事はすぐにバレる。黙って見逃せば父に厳しく叱責される母は、私の悪事を余すことなく父に報告。おかげで私は、毎日のように父に怒鳴られ、しまいには、叩かれたり蹴られたりが日常となった。
学校に行くと熱が出て、保健室に入りびたりになったのはこのころだ。連れて行かれた東京女子医大での診断は「自律神経失調症」。そんな病名、当時は誰も知らなかった。父と母は、それを「甘ったれのわがまま病」と解釈。娘の根性を叩き直すしかないと思ったのだろう。私に対する父の「しつけ」は苛烈さを極めていく。
初めは防御する一方だったが、いつしか私は、父に殴られると応戦するようになっていた。殴り合いの大喧嘩である。どんどん厄介なことになっていく。
業を煮やした父は、「ブタ野郎。出て行け。死ね。いますぐ死ね!」と絶叫して、私を玄関のたたきに蹴落としたりする。家から出されても行くところなどない。しかもまだ中学生だった私は無一文。何度も、夜の住宅地をさまよいながら泣いた。悲しかったし悔しかった。しばらくすると、父が探しに来て私の腕をつかんで連れ戻す。「一人で生きられもしないくせに」とあざ笑う父。私は、歯噛みをするような屈辱感を味わっていた。

▶ 父の欺瞞に気づくことができなかった
「学校の成績などで人の価値は測れない」と言う父は、私の成績が下がるたびに「怠けている」と言って私を責める人でもあった。成績など重要ではないと言うくせに、娘の成績が下がることは許せない。まだ中学生だった私は、父の欺瞞に気づくことができず、成績が下がるたびに、背筋が凍るような恐怖を感じていた。「父の言う通り、私は怠け者のブタ野郎かもしれない」という、自分に対する疑いを打ち消すことができなかったからだ。
・・・
そんな私の唯一の逃げ場が本だった。本さえ読んでいれば、成績が悪くても大丈夫だと思っていた。父が編集者だったから、家には腐るほど本があった。片っ端から読んだ。意味がわからなくても読んだ。活字を追っていれば、すべてを忘れることができた。
中学3年になったころ、大学で始まった大学紛争に同調する若者たちが、燦々囂々集まって、新宿駅西口広場で反戦歌や革命歌を歌っていた。フォーク集会である。
私が産まれたとき、両親はともに共産党員だった。その後、2人とも共産党から抜け、当時、父は「ベトナムに平和を!市民連合=べ平連」の運動に参加していた。好むと好まざるとにかかわらず、私は、左翼思想にどっぷり浸かって育ったのだ。

▶ 14歳で新宿にたむろするように
初めて一人で新宿へ行った。西口広場は若者であふれていた。知らない人たちに囲まれて、私は大声で反戦歌や革命家を歌った。連れて行かれたメーデーや、家に来る父の仲間たちが歌っていたから、どの歌もよく知っていた。「いくつ?」と聞かれ、「14」と答える。みな驚いたような顔をする。自尊心をくすぐられた。
何度か新宿に足を運び、知り合った中学生から、「全国中学生共闘会議」を立ち上げるからと言って誘われた。当然、参加すると答えた。家庭にも学校にも馴染なじめなかった私は、初めて仲間と呼べる人たちと出会えたような気がしていた。
・・・
高校受験。私は、公立高校の入学試験に落ちた。補欠だったと嘘をついた。すぐにバレた。母は泣いていた。結局、私はランクが下がる私立高校に入ることになった。入学金が高かったせいで、父と母は「お前のためにいくら金を使ったと思っているんだ」と言って、ことあるごとに私をなじった。情けなかった。
入学したのは、「自由や自主性を重んじる」が謳うたい文句の高校。私服通学が許されていた。だが私は、唯々諾々、喜んで私服を着て行く気になれず、中学のときに着ていた制服を着て入学式に出た。どこまでも反抗的なへそ曲がりである。

▶ 高校を中退し、15歳で家出
高校は電車で一駅のところにあったが、私は、多摩丘陵の林のなかを一時間ほど歩いて通うことにした。途中、牛がいたり花が咲いていたりする。そのたびに私は立ち止まり、牛を眺めたり、花の匂いを嗅いだりする。当然、遅刻。
入学して15日目。私はとうとう高校に行かなくなった。ぐずぐず歩き、始業時間よりかなり遅れて高校に着くと、そのまま校舎の前を通り過ぎ、隣接する大学の学食に行く。そこで時間を潰し、夕方になるとまた林のなかを歩き、何食わぬ顔をして帰宅した。当然、バレる。出席日数15日。一学期の終わりに渡された通知表には、赤ペンで書かれた「無評価」という文字が並んでいた。
父は、「学校に行かないなら家を出て、一人で生きろ」と言った。本当に出て行くとは思っていなかったのかもしれない。だが私はさっさと家出。新宿で知り合った学生から教えられた大学の寮に転がり込んだ。そのころ、大学の寮は出入り自由。誰からも咎められることはなかった。投げ出されていた汚い布団に包まり、空き瓶を拾い集めて金に換え、180円のアジフライ定食を食べて数カ月を過ごした。
そこで私は初めてセックスをした。相手の男が好きだったわけではない。怖気づいていると思われたくなかったのだ。男の体の下で「セックスなんてたいしたことではない」という顔をしていた。15歳だった私は、そうやって自分を守っていた。
あとになって、相手の男が「あいつはマグロだ」と言っていると聞き、そうか、ああいうときは、感じたふりをしなければいけないのかと知った。それぐらい無知だった。

▶ セックスは寝床の対価だった
それからも、家に帰りたくない一心で、声をかけてきた男のアパートに転がり込んだりした。食べさせてもらい泊めてもらう。セックスはその対価。これで貸し借りなしだと思っていた。馴れ馴れしくしてくる男の手を振りほどき、「私にかまわないで」と言う。男はとたんに不機嫌になって「そんな女だとは思わなかったよ」と吐き捨てる。「どんな女だと思ってたのよ」と言いながら、私は唇をひん曲げて笑う。体を投げ捨てるようなセックス。二度と会うこともない男たち。たがいに軽蔑を見せつけることで、脆弱な自尊心を保っていた。
「……遊郭をひやかす。写真を見てもみな頗る醜悪なり。格子の奥にタバコを吹かす女、あたかも白粉樽にころがる半腐爛の豚のごとし。路地にも肥料のごとき異臭あり」
これは、山田風太郎の『戦中派不戦日記』のなかの一節。私の祖父が経営する「久保田楼」という女郎屋は、山田がひやかしたこの遊郭のなかにあった。父はここで青年時代を過ごし、赤線が廃止になったあとも家業を深く恥じていた。
その反動だろう。父は、自分の家庭に性的な匂いが入り込むことを極端に嫌った。母には、化粧をすることも半袖を着ることも許さず、ミニスカートを履いた私を、ものすごい勢いで殴りつけた。修道院のような家庭にしたかったのだ。
・・・
▶ ついにたった一人になってしまった
それなのに、娘の私は高校を中退して家出。不敵な顔をして不純異性交遊だ。これもまた、私なりの父への反動だったのだろう。反動から反動へと極端に揺れ動く。父と私はよく似ていた
だが父は、そんなふうには考えなかった。「お前は人間じゃない。メス犬だ。お前とは親子の縁を切る。お前は、お前が生きるに相応しい場所へ行け」と言って、新宿の「風林火山」という店の場所を私に教えた。その店の周辺は、当時、売春婦が立ちんぼをしていることで知られていた。父の言葉を冷めた思いで聞きながら、私はここでもまた、唇をひん曲げて笑っていた。
全国中学生共闘会議の流れで知った、ノンセクトの高校生グループ「暫定フラクション」の集会や勉強会に参加した。けれども私は、革命など起きたら真っ先に粛清されるような人間だ。リーダーから「これはお遊びじゃないんだぞ。真面目に革命を目指す気がないなら出ていけ」と言われてパージ。追放である。おっしゃる通り。社会に対する不満はあったが、革命なんて絵空事だと思っていた。
それでも私は、このとき、帰属するものも友だちもすべて失った。完全に孤立。誰にも頼れない私は、優しくしてくれる男だけに頼るようになった。

▶ ゴールデン街で一番酒癖の悪い女
相手の男は何回か変わったが、男のアパートに転がり込んでなんとか食いつなぐ生活から抜け出したのは、17歳になった直後だった。「アルバイトをしないか」と声をかけてくれたスナックのマスターが、アパートを借りる金を貸してくれたのだ。なにもないアパートの畳の上で、大の字になって解放感に浸った。やっと一人で生きて行ける。心底、嬉しかった。
男との縁は切れたが、アルコールに溺れた。毎日、浴びるように飲んだ。酔うと大泣きすると店のマスターが教えてくれたが、記憶はなかった。その店を皮切りに、バーやクラブを転々とし、最後は銀座のバーに勤めた。22歳になっていた。
銀座に移ってからも、酒はやめられなかった。店がはねてから、毎晩、新宿のゴールデン街に行く。一人で何軒も梯子して、へべれけになるまで飲む。それが日課だった。
一人で飲んでいると、いろいろな男が声をかけてくる。ゴールデン街のママやマスターが「純に触るな!」と言ってくれるが、それでもしつこい男がいる。かまわれたくない私は、突然、激高し、ビール瓶をたたき割って相手の男に突きつける。「ゴールデン街で一番酒癖の悪い女」と言われるようになっていた。
・・・
▶ ある日、アメリカ旅行に誘われ…
そんな私にも、店をやらないかと言ってくれる人がいる。なぜかわからないが、水商売に向いていると言われた。だが、店をやる気にはなれなかった。山椒魚のように、一生、カウンターの中から出られなくなりそうな気がしていた。
ある晩、店の客が、「アメリカ行きのツアーに突然キャンセルが出て困っている」と言って駆け込んできた。「格安にするから。行き帰りだけで、あとは自由にしていいから」と言われ、その気になった。景勝地や観光地には興味がなかった。人間が見たいと思ってニューヨークに行った。
といっても、昼間から酒を飲んで、ニューヨークの街をふらふら歩いていただけだ。奇抜な服を着た人や、ボロボロの服を着た浮浪者みたいな人が行き交っている街は、どこか自由で肌に馴染んだ。それでも、強く印象に残るものはなにもなかった。まあ、面白かったという程度の感想で、帰りの飛行機に乗り込んだ。
ところが、飛行機が離陸を始めたとき、突然、「もう一度、ここに来なければならない」と強く思った。自分でも驚いた。理由がまったくわからなかったからだ。それでも、久しぶりに目的というものをもった私は、理由がわからないまま、それを「天啓」と名付け、1年後、再びニューヨークに降り立った。

▶ それは、帰りの飛行機の中で起きた
なぜ、もう一度ここへ来なければならないと思ったのか。自問しながら、1年前に歩いた道を残らず歩いた。この街にあったなにかが、私を強く惹きつけたはずだ。それはなんだったのか。いくら歩いても、いくら考えてもわからなかった。大事なものをつかみ損ねたという失望を抱え、再び帰りの飛行機に乗った。成田までの直行便だった。
3カ月近くアメリカにいて、そればかり穿いていたので、私のジーンズはボロボロだった。臀部が大きく破れ、下着が見えていた。それでもニューヨークには、眉をひそめる人も、じろじろ見る人もいない。だから私は、下着が見えていることなどほとんど忘れて、そのままの恰好で飛行機に乗り込んだ。
・・・
ニューヨークを発った飛行機は、どんどん日本に近づいていく。あと数時間で日本に着くというとき、私の心に奇妙な変化が起きた。下着を見せて歩いていることが、急に恥ずかしくなったのだ。
乗客は、ニューヨークから成田までずっと一緒だった。搭乗したときは少しも恥ずかしくなかったのに、なぜ私は恥ずかしくなったのだろう。ここにはなにかある。考えなければならないなにかがある。そう思いながら私は、ジーンズの破れを隠すため、上着を腰に巻き付けて日本に戻った。

▶ 私を軽蔑する目は、父母の目だと思っていたが…
それから数日、私は、そのことを考え続けた。突然、わかった。
目だ! 私はベッドの上で起き上がり、ここ数日、考えていたことを復唱した。「飛行機の乗客は、ニューヨークから成田までずっと一緒だった。だから私が恥ずかしくなったのは、乗客の視線が原因ではない」。それから私は、おもむろに付け足した。「私が恥ずかしくなったのは、私を見る、私の目が変化したからだ
私を見る目。私はそれを、ずっと自分の外にあるものと思っていた。私を非難し、断罪し、軽蔑する目。それは父の目であり、母の目であり、世間の目だと思っていた。違う。私のなかに、私を見る目がある私を非難し、断罪し、軽蔑する目は、私の中にある私の目だ。
いまならわかる。それは価値観の内面化だ。父や母や世間の価値観。その価値観は、私を問題児と決めつけ、堕落していると決めつけ、まともに生きることができない人間と決めつけていた。反発しているつもりだった。私はそんな人間ではないと、叫んでいるつもりだった。だが、なんのことはない。私は、そのような価値観を内面化し、自分のことを、堕落したどうしようもない人間と決めつけて断罪していたのだ。

▶ 2つの人格が統合され始めた
つきものが落ちたような感じだった。そうだったのか。そういうことだったのか。私は世間や両親の価値観を批判しながらも、それを打ち消すことができずにいた。それなら私は、堕落した人間のクズではないのか。いや、そうではない。私は確かに堕落した人間のクズだった。自分でもそれを知っていたのだ。
私の中で、分裂していた2つの人格が統合され始めていた。私をクズと決めつける世間や親に牙をむき、その価値観を否定しようと躍起になって抗っていた自分と、「お前はクズだ。生きる価値などない」と、誰よりも厳しい声で私を責めたてるもう一人の自分。この2人の激しい抗争が、私を破滅へと導いていた。対立する2人の自分の狭間で、私は自分を見失い、自分がなにを望んでいるのか、なにがしたいのか、まるでわからなくなっていた。
命を奪いかねない勢いで対立していた2人の自分が統合されていく先で、私は、どのような自分に、どのような人間になっていくのだろうか。そのときはまだ、なにもわかっていなかった。
・・・
▶ 私は「かわいそうな子ども」だったのか?
私の両親のような者は、最近「毒親」と呼ばれているらしい。そんな親に育てられた私のような子どもは「アダルトチルドレン」と呼ばれたりもする。
だが私は、これらの言葉が好きではない。これらの言葉は、親を加害者、子どもを被害者と規定している。そのことに間違いはない。だが、被害者は弱者である。そこには「かわいそうな者」というニュアンスがある。アダルトチルドレンは、「かわいそうな子ども」だ。
私は自分が、かわいそうな子どもだったとは思わない。親のせいでひどい目にあったことは確かだし、そのせいで愚行を重ねたことも事実である。だが、私の愚行は、すべて抵抗であった。戦い方がわからなかったので自分を痛めつけ、体にも心にも生涯消えることのない傷を負った。だがその傷は、押し付けられた人生を拒否しようとして、死力を尽くして戦った証である。どれほど愚かしい戦いであろうと、それは「被害者でいることに甘んじるつもりはない」と、もがいた私の足跡である

▶ どんな親の元に産まれようと…
多くの子どもたちが、いまも勝ちが見えない戦いに挑んでいる。その戦いによって、身を亡ほろぼす子どもは少なくない。大人になっても、消えることのない痛みや歪みを抱えて苦しむ者もいる。だが、どんな親の元に産まれようと、被害者であることから抜け出すことをあきらめてはいけない。
親や世間に抗いながら生き延びた私の経験が、生きづらさを抱えて苦悩する多くの者たちにとって、少しでも役に立つことを願っている。
ここまでのことは、『ねじれた家 帰りたくない家』(講談社刊)で詳しく書いた。2003年に出た本なので、もう書店にはない。もしかしたら古書店にはあるかもしれない。読んでやろうと思ってくださる方は、お探しいただければ幸いである。


フィンランドの学校給食はビュッフェ式?

2024年10月29日 04時51分20秒 | 教育
“世界一幸福の国”、フィンランド。
そこの子育て事情は日本と大きく異なるようです。
それが垣間見える記事を読んでみました。

なるほど、と思った点。

日本でも“授業料無償化”が一部で実施される動きがありますが、
そのベースは「少子化対策」という考えです。
しかしフィンランドで実施されている“教育無償化”は、
「子どもの権利を守る」目的。

・・・根本的な思想が違うのですね。

<ポイント>
・フィンランドの教育の原則は平等、子どもの権利、ウェルビーイングの3つに要約できる。
・公的な教育計画には「性別、年齢、民族的出自、国籍、宗教、信条、思想、性的指向、病気、障がいによって異なる扱いをしてはならない」と必ず書かれる。学校が国内的・国際的な正義と繋がっている感覚は日本にはない。
・公的な教育計画には「一人ひとりの子どもは、あるがままでかけがえがない」ことも必ず書かれている。
・教育は無償である。教育無償の目的は、家庭の経済状態や文化資本の優劣にかかわらず、全ての子どもが平等に教育を受けられること、平等な出発点を提供すること。貧困は子どもの可能性を奪い、子どもの教育や進路、将来に影響を与えてしまうことを重視している。
・就学前教育(小学校入学前の1年間)から小中高、大学まで学費は無償。小学校から高校までは教材と給食も無償だ。日本で幼稚園から大学卒業までにかかる子ども一人の教育費は、国公立に進学しても1000万円、全て私立の場合は2000万円と言われる。
・フィンランドでは、公立学校が全体の約98%を占めるの。私立学校は少数あるが、そこでも教育費は無償である。基本教育法第7条によって、私立学校が利潤を得ることは禁じられている。
・日本国憲法第26条第2項は「義務教育は、これを無償とする」と規定しているのだが、全く守られていない。日本では、教育費が高いので進学をあきらめる子どもも多い。日本で無償なのは親と子の勤労活動である。子どもが雑巾やタワシ、箒、チリトリで教室やトイレの掃除をする。母親が雑巾を作って提出し、教室のカーテンを洗い、校庭の掃除をする学校も多い。
・フィンランドでは、学校の掃除や給食の配膳は自治体の仕事だ。掃除は、清掃会社と契約し自治体が出費している。使う道具も現代的だ。給食は教室の自分の机でではなく、食堂でビュッフェスタイルによって提供される。
・日本は、教育費の公的支出がOECD諸国の中で、毎年最低か最低レベルである。
・東京都の「授業料無償化」は少子化対策として発案されているが、フィンランドの教育費無償は少子化対策という行政の狙いによって発案されたのではなく、全ての子どもに対する社会保障とウェルビーイングを目的として始められたもの。
・フィンランドでは、生徒1人あたりの先生の数が特に中学で多く、生徒9人に対し先生1人。日本の中学では依然として、40人以下が標準とされている。
・日本では、髪型や下着の色、靴下の色、スカートの長さまで細かく規定する校則がある。フィンランドの学校に日本のような校則はない。制服はなく、体操服や靴なども学校指定のものはない。18歳以下のタトゥーは禁止されているが、アクセサリーやお化粧なども含めて自由。
・フィンランドでは、学校行事が少ない、入学式も運動会もない、卒業式はあるがその練習はない。日本の学校行事は、集団行動のための鍛錬の意味が大きい。一糸乱れぬ卒業式や運動会を目指して、練習が繰り返される。フィンランドには部活や教員の過重労働もない。


▢ 子供を一列に並ばせる日本と大違い…フィンランドの学校が給食はビュッフェ型、化粧・アクセサリー自由のワケ子供が自分の身体について決定権を持つことは当然
 岩竹 美加子ヘルシンキ大学非常勤教授
PRESIDENT ONLINE:2024/10/25)より一部抜粋(下線は私が引きました);

 世界一幸福な国とされるフィンランドの教育は何が違うか。ヘルシンキ大学非常勤教授の岩竹美加子さんは「教育無償の原則は徹底されており、学校の掃除や給食の配膳は自治体の仕事であるため、食堂でビュッフェスタイルによって提供される。また、日本のような校則もなく、アクセサリーやお化粧なども含めて自由である」という――。

▶ フィンランド教育を支える3つの原則
 フィンランドの教育は、とてもシンプルな原則の上に成り立っている。それは平等、子どもの権利、ウェルビーイングの3つに要約できるだろう。その原則がどういう形となって現れるか、見ていこう。
 教育庁と各自治体の教育計画のはじめに必ず書かれるのは、「性別、年齢、民族的出自、国籍、宗教、信条、思想、性的指向、病気、障がいによって異なる扱いをしてはならない」ということだ。
 「異なる扱いをしてはならない」というのは、平等でなければならないこと。いかなる理由によって、差別をしてはならないということだ。重要なのは、それはフィンランド憲法第6条「公平」の規定、さらに国連の世界人権宣言第2条の規定とも同様であることである。
 こうして、学校が国内的・国際的な正義と繋がっている感覚は日本にはないものだろう。日本の学校では、差別を区別と言い換えて正当化することがあるが、フィンランドの学校では差別は差別であり認められない。
また、教育庁と各自治体の教育計画には「一人ひとりの子どもは、あるがままでかけがえがない」ことも、必ず書かれている。そこにはキリスト教的な感覚があるだろうが、子どもに対する肯定的で温かい眼差しに胸を打たれる。
 平等思想を最も良く表すのは、教育が無償なことである。就学前教育(小学校入学前の1年間)から小中高、大学まで学費は無償。小学校から高校までは教材と給食も無償だ
 2021年までは、高校の教材は保護者が購入していたが、同年に高校まで義務教育化されたことに伴って、教材も無償化された。保育園は収入に応じた費用を払うが、朝食とランチ、おやつが出る。
 無償の小中学校の給食は、戦後間もない1948年に導入された。最近、東京都の小中学校では、給食無償が広がっているが、日本で実現している自治体は多くない。また、公立保育園では、約4割がご飯などの主食を持参させているという。

▶ 「私立学校の教育のほうがきめ細かい」は不平等で不公平
 フィンランドで教育無償の原則は徹底しており、日本の学校にあるような入学金、学級費、教材費、実習材料費、家庭科キット、算数セット、絵具、ハーモニカ、習字道具、遠足費、修学旅行の積立金、卒業アルバムなどの出費も一切ない
 また制服はなく、体操服や靴なども学校指定のものはない。自分の服や持ち物を使っている。日本では、学用品を揃えるために小学校で3~4万円、中学では10万円近い出費が必要とされるという。
 日本で幼稚園から大学卒業までにかかる子ども一人の教育費は、国公立に進学しても1000万円、全て私立の場合は2000万円と言われる。費用の差は教育の質の差でもある。
 一般的に言って、公立学校よりも、私立学校の教育のほうがきめ細かい。それはアメリカやイギリスと同様のシステムだが、フィンランドから見ると、それは不平等で不公平な教育であり、社会である。
 フィンランドでは、公立学校が全体の約98%を占めるのも特徴だ。私立学校は少数あるが、そこでも教育費は無償である。保護者が寄付することはある。基本教育法第7条によって、私立学校が利潤を得ることは禁じられている
 教育無償の目的は、家庭の経済状態や文化資本の優劣にかかわらず、全ての子どもが平等に教育を受けられること、平等な出発点を提供することである。
 貧困が子どもの可能性を奪ってしまうこと、子どもの教育や進路、将来に影響を与えてしまうことをフィンランドはとても嫌う。貧富の差が教育格差を広げ、それが貧困を再生産する連鎖にならないよう配慮されている。
 フィンランドで無償の教育は、1960~70年代以降進められた。18歳以下の子どもの医療費無償と並ぶ、子どもの社会保障政策の柱であり、子どもと親のウェルビーイングを進めようとするものだ。

▶ 給食は食堂でビュッフェスタイル
 一方、日本国憲法第26条第2項は「義務教育は、これを無償とする」と規定しているのだが、全く守られていないのが現状だ。
 日本で無償なのは親と子の勤労活動である。子どもが雑巾やタワシ、箒、チリトリで教室やトイレの掃除をする。母親が雑巾を作って提出し、教室のカーテンを洗い、校庭の掃除をする学校も多い
 子どもには給食当番があり、持ち帰ったエプロンを保護者が洗い、アイロンをかけて学校に持参する。子どもの給食当番では、衛生的な管理と配慮が充分ではないだろうが、母と子の勤労によって行政が負担すべき経費を節約している。
 フィンランドでは、学校の掃除や給食の配膳は自治体の仕事だ。掃除は、清掃会社と契約し自治体が出費している。使う道具も現代的だ。給食は教室の自分の机でではなく、食堂でビュッフェスタイルによって提供される。学校にかける公的費用の差が、こうした違いになっている。
 近年、フィンランドは小中学校校舎の建て替えを進めていて、建築的にも面白いものが多い。一方、日本では校舎の老朽化が進んでいるが、建て替えの動きはない。2021年度には全国の公立小中学校などで、外壁や部品の落下などの問題が計2万2029件あった。学校は物理的にも安全で快適な環境を提供していない。

▶ 大学まで無償の教育を全ての子どもと人に保証
 日本は、教育費の公的支出がOECD諸国の中で、毎年最低か最低レベルである。OECDによると、各国が教育に投資する理由は、それが経済成長を促し、生産力を高め、人と社会の発達に貢献し、不平等を減らすから。日本の教育費の少なさは、こうした側面からも疑問を感じさせるのである。
 日本では、教育費が高いので進学をあきらめる子どもも多い。最近は、自治体が授業料を無償化する話を聞くようになった。例えば東京都は2024年度から「授業料無償化」を始めるという。しかし、高校、都立大学、私立中学などで条件が異なっていて複雑だ。
 つまり、平等の原則はなく条件付きの「授業料無償化」である。また、日本では入学金や制服費、修学旅行費など授業料以外の支出が多いので、実際にどれだけ負担が緩和されるかは疑問のようだ。
 また、「授業料無償化」の制度自体が複雑でわかりにくい上、申請する必要がある。フィンランドでは、大学まで無償の教育が全ての子どもと人に保証されていて、申請する必要がないので楽だ。さらに、無償化の目的も異なる。
 東京都の「授業料無償化」は少子化対策として発案されているが、フィンランドの教育費無償は少子化対策という行政の狙いによって発案されたのではない。前述したように、全ての子どもに対する社会保障とウェルビーイングを目的として始められたものだ。

▶ 生徒9人に対し先生1人
 フィンランドではクラスのサイズが小さく、小学校から高校まで20~25人程度が普通だ。小中学校では1クラスに先生が2人、アシスタントが1人程度ついて、さらに小さなグループに分けて教えることが多い。
 クラスには読書障がいがある、算数が苦手、外国出身でフィンランド語があまりできない等、さまざまな子どもがいる。どういうニーズがあるか、支援が必要かなど一人ひとりについて、親の意見も聞きながら教育計画を作る。そうして、きめ細かい学習支援がされている。こうした支援は「学習のケア」とも呼ばれ、小学1年生から提供される。
 2019年のOECDの報告によると、フィンランドでは、生徒1人あたりの先生の数が特に中学で多く、生徒9人に対し先生1人である。OECD諸国平均では13人なので、その中でも少ない方だ。
 一方、2020年のOECDの報告で、日本の公立小中学校では1学級あたりの生徒数は、最多である。日本の都市部では、少子化によって1クラスの人数は減っているが、制度としては40人学級が続いてきた。最近は、小学校で1クラス35人が段階的に目指され、実現しつつあるようだが、それでも多すぎだろう。また、中学では依然として、40人以下が標準とされている
・・・

▶ 化粧、アクセサリー…装いを通じて自分を表現する
 日本では、髪型や下着の色、靴下の色、スカートの長さまで細かく規定する校則がある。寒くてもコートを着てはいけない、タイツを履いてはいけない、学校から帰宅後、午後4時までは自宅から外出してはいけないなど驚くような校則もある。
 最近は「ブラック校則」として問題化され、生徒が取り組む校則の改訂が話題になる。「全国校則一覧」というサイトが作られ、様々な「ブラック校則」を検索することもできる。
 一方、フィンランドの学校に日本のような校則はない。子どもを一人の人として尊重すること、子どもが自分の身体について決定権を持つことは当然のことだからだ。後で見るが、子どもの権利の視点からも、大人による校則の押し付けは不適当である。
 フィンランドの学校では18歳以下のタトゥーは禁止されているが、アクセサリーやお化粧なども含めて自由だ。様々な装い方を試みること、自分の身体のあり方を経験すること、装いを通じて自分を表現すること。それらは全て、自分であることの一部だ。

▶ 「日本の学校では、よく1列に並ばされた」
 フィンランドの学校のその他の特長として、学校行事が少ない、入学式も運動会もない、卒業式はあるが、その練習はないことも挙げられる。付け加えると、子どもを1列に並ばせることもほぼない。
 これは、実は息子が「日本の学校では、よく1列に並ばされた」と言ったことから気づいたことだ。フィンランドで、子どもはバラバラと集まって、バラバラと居て良い。事あるごとに子どもを1列に並ばせるのは軍隊式だ。
 日本の学校行事は、集団行動のための鍛錬の意味が大きい。一糸乱れぬ卒業式や運動会を目指して、練習が繰り返されるのはそのためだ。また、「小学校学習指導要領」には、学校行事について「厳粛で清新な気分を味わう」と書かれている。どういう感情を味わうかまで規定されているのだ。
 また、フィンランドには部活や教員の過重労働もない。こうして書くと、ないことだらけのように聞こえるが、不要なものが一切ないシンプルさは快適だ。
 日本の学校は、本質的な学びに関わることが少ない一方、子どもに対する介入がとても多い。フィンランドの学校は逆で、学びの質が高い。また些末な事に煩わされ、成長期の貴重な時間や繊細な感情を削られることなく過ごせる場所である。

▶ 専門知識を持たない地域住民が、教育に関わることはない
 日本では文科省以下、行政が「学校、地域、家庭」を標語のように使ってきているが、フィンランドには教育に関して地域という概念はない。教育に関わるのは学校と家庭であり、その2つの協働が重視されている。
 日本の「地域」は、高度経済成長期を経て70年代頃に出現した概念で、「地域の危機と再生」という枠組みで使われてきた。現在は、「地域の意見を聞いて」「地域と協力して」「地域ぐるみで」などの表現をよく聞くが、具体的に地域が意味するのは、隣近所の人や町内会、自治会、PTA、青少年教育委員、コミュニティスクールなどである。
 「地域」は、行政が用意し介入する仕組みであることが多い。日本では、公費を節約しつつ同調圧力を増す「地域」が教育に利用される傾向がある。一方フィンランドでは、教育に関わるのは専門知識を持つ人である。専門知識を持たない地域住民が、教育に関わることはない。


子どもの反発を恐れない“不登校支援”

2024年09月21日 13時02分27秒 | 教育
前項目で「不登校は見守るだけでは解決しない」と書きました。
ではどうすれば解決するのか?
答えはあるのでしょうか・・・。

腫れ物に触るように子どもを見守るのではなく、
まず信頼関係を構築することを提案しています。
そこをはき違えると、将来に苦痕を残すことになる、と。

信頼関係ができれば、親からの「うざい言葉」は「自分のためを思ってくれた言葉」に変わります。

職場の上司からのアドバイスが、
信頼関係がないと「うざい」と感じ、
信頼関係があると「ありがたい」と感じるのと同じですね。

記事の小川氏が主催する「スダチ」では、
「再登校率は90.0%で、平均19日で学校に行ける」
という実績を出しています。

<ポイント>

・不登校を解決するには正しい親子関係を築くとか、子どもの自己肯定感を高めるといった条件を整えることが必要だとが、デジタル機器はそれを阻む大きな壁となる。デジタル機器の利用を制限しない限り、子どもはゲームやインターネットなどのデジタル依存に陥ってしまい、生活習慣も整えられないし、親子の関係もうまく作れない。

・ある程度の反発はあるにせよ、その反発が収まったタイミングで初めて親子でまともなコミュニケーションが取れるようになって、子どもとの関係がよくなっていく。むしろそこからが、親子の関係を作り直す勝負。

・不登校の家庭は、基本的に親子関係が逆転気味になっているケースが多い。お子さんが上の立場になって、親御さんが言いなりになってしまっているパターン。でも子育てにおいてはまず、親御さんが主導権を握らないといけない。

・親子関係を正さないまま、いろんな言葉をかけたところで、全く響かない。親御さんが主導権を握って、リスペクトされるような存在になることで初めて、親御さんの言葉が子どもに届くようになる。そうすれば、子どももやると誓ったことはしっかりやるようになるし、親の褒め言葉も響くようになって、親子関係がよくなっていく。

・今の日本には、寄り添いの沼にはまって親子関係が逆転してしまうという罠がある。いい親になりたいと思って寄り添ってきたことがかえって災いして、子どもから見ると親が頼れる相手でなくなってしまい、不安になってしまう。むしろ毅然として、ダメなものはダメと厳しく言う親の方が、子どもにとっては安心感がある。

・早い段階でお子さんを救ってほしい。学力とか生活習慣とか運動とか、人として身に付いていて当たり前なところがしっかりできているならば不登校のままでいいかもしれないけれど、できていないのなら、社会人として生きていくのは難しくなってしまう。

・いろんな引きこもりの方から聞いた中で1番多かったのが「親が何もしてくれなかった」とか「自分がこうなってしまったのは親のせいだ」という答え。親御さんとしては、お子さんをそんな風にしたかったわけではもちろんないのに、見守り続けた結果、最終的にそんな風に言われると思うと辛い。親の役割は子どもの世話をすることではなく、子どもが自立できるようにすること。


▢ なぜ「不登校の子」の親からおカネをとるのか…批判覚悟で「不登校ビジネス」を立ち上げた30歳経営者の真意「当事者ではない」からできることがある
 小川 涼太郎:株式会社スダチ代表取締役(著書
2024/09/13:PRESIDENT Online)より一部抜粋(下線は私が引きました);

スダチ代表・小川涼太郎さんは、不登校の子がいる家庭に有料の支援サービスを提供している。SNSでは「怪しい」「不登校で金儲けをするな」などと批判的な投稿がされることもある。なぜ再登校支援を「ビジネス」にしたのか。小川さんにその真意を聞いた――。(後編/全2回)。

▶ 子どもの反発を恐れてはいけない
――スダチの不登校支援では、不登校の子どもがスマートフォンやタブレット、テレビを使用することを禁止しています。これに「そんな乱暴なことをしたら親子関係が壊れる」という批判の声があります。どう考えていますか。
 デジタル機器の使用を制限するのはあくまでも、親子の間でコミュニケーションをきちんと取れるようにするための準備です。「制限しさえすればうまくいく」と考えているわけではありません。子どもをたくさんほめて愛情をしっかり注ぐとか、生活習慣を整えるといったことを並行して進めることが大前提です。
僕たちは不登校を解決するには正しい親子関係を築くとか、子どもの自己肯定感を高めるといった条件を整えることが必要だと考えているのですが、デジタル機器はそれを阻む大きな壁です。デジタル機器の利用を制限しない限り、子どもはゲームやインターネットなどのデジタル依存に陥ってしまい、生活習慣も整えられないし、親子の関係もうまく作れないからです。
 たしかに制限したら一時的には関係が悪化したように見えるかもしれません。でも僕らが今まで見てきたケースで言うと、ある程度の反発はあるにせよ、その反発が収まったタイミングで初めて親子でまともなコミュニケーションが取れるようになって、子どもとの関係がよくなっていくんですよね。むしろそこからが、親子の関係を作り直す勝負なんです。
・・・

▶ 不登校の家庭に多い「親子関係の逆転」
――不登校のお子さんのいる家庭の親子関係にはどんな特徴があるのでしょうか。親子関係を作り直すとはどういうことですか。
 不登校のご家庭は、基本的に親子関係が逆転気味になっているケースが多いと思います。お子さんが上の立場になって、親御さんが言いなりになってしまっているパターンですね。
 だからといって親御さんが悪いわけでは全くありません。ただ、お子さんのことを思って寄り添い続けたらそうなってしまったというパターンが多いんです。でも子育てにおいてはまず、親御さんが主導権を握らないといけない
・・・
親子関係を正さないまま、いろんな言葉をかけたところで、全く響かないのが現実です。親御さんが主導権を握って、リスペクトされるような存在になることで初めて、親御さんの言葉が子どもに届くようになる。褒めてもいい立場になれるんです。そうすれば、子どももやると誓ったことはしっかりやるようになるし、親の褒め言葉も響くようになって、親子関係がよくなっていくんです。

▶ 親が主導権を取り戻す方法
――そうは言っても、親がポジションを取り戻すのはなかなか大変です。
 デジタル制限や、家庭のルールを決めて発表することは、親御さんの立場を取り戻すために必要なプロセスです。そこで初めて主導権が親御さんの側に渡ることになる。
 今の日本には、寄り添いの沼にはまって親子関係が逆転してしまうという罠があるんです。いい親になりたいと思って寄り添ってきたことがかえって災いして、子どもから見ると親が頼れる相手でなくなってしまい、不安になってしまうむしろ毅然として、ダメなものはダメと厳しく言う親の方が、子どもにとっては安心感があるんです。

▶ 漢字が読めず掛け算もできない中学生
――内閣府によれば、全国で引きこもりの人は推計146万人。その中には、不登校が長引いてそのまま引きこもりになるというケースも少なくないようです。
 最近も、仙台市が行った調査で、引きこもりになったきっかけとして不登校を挙げた人が22%に上ったというニュースがあり、やはり不登校とひきこもりはつながっているんだなと感じました。
・・・
 その中で話をするなら、僕らがサポートした中には、何年も不登校で、ずっとゲームばかりしていて足の筋肉を動かさなかったものだから、うまく歩けなくなったお子さんもいました。体力がかなり落ちていましたね。
 小学校低学年から6年くらい不登校だったケースで、掛け算などの簡単な計算もできなければ漢字も読めないというお子さんもいました。だから電車も乗れないし、お金の計算もできないんです。小学校の基本的な学力を身につける大事な時期が抜けてしまうと、本当に厳しいんだなというのをその時に感じました。

▶ 「早い段階でお子さんを救ってほしい」
 学力とか生活習慣とか運動とか、人として身に付いていて当たり前なところがしっかりできているならば不登校のままでいいかもしれないけれど、できていないのなら、社会人として生きていくのは難しくなってしまうと思う。それは親御さん自身がたぶん一番分かっていると僕は思うんです。親御さんなら誰しも、それはまずいと思っているし、わが子はこれから社会でやっていけるのかと不安を持っていると思います。
 だから大人になる前のもっと早い段階でお子さんを救ってあげてほしいなと思うんです。

▶ 見守り続けた親は最終的に子どもに恨まれる
スダチには、アメリカで引きこもりについて研究していたスタッフがいるのですが、いろんな引きこもりの方から聞いた中で1番多かったのが「親が何もしてくれなかった」とか「自分がこうなってしまったのは親のせいだ」という答えだったそうです。親御さんとしては、お子さんをそんな風にしたかったわけではもちろんないのに、見守り続けた結果、最終的にそんな風に言われると思うと辛いですよね。
 親の役割は子どもの世話をすることではなく、子どもが自立できるようにすることなのだと思います。
――引きこもりの子をめぐっては「引き出し屋」が知られています。違いはあるのでしょうか。
 僕たちはそもそも、お子さんとは一切会わないんです。再登校できるように環境を整えたり、お子さんにどのように言葉をかけたらいいかをオンライン(zoomによる再登校面談)やメール(再登校サポートメール)で助言しています。サポートする相手は親御さんであり、お子さんには僕らの存在も知られないようにしています。
 でも、引き出し屋は直接家まで行って、そこから子どもを「引き出し」ますよね。親御さんから子どもを強制的に引き離すわけです。僕らはそうではなく、親御さんと子どもの関係をよくしようとするわけで、そこが全然違います。

▶ 不登校支援を有料で行うワケ
――不登校の子どもがいる家庭からお金を取ることに批判の声もあります。小川さんはどう考えていますか。
 確かにNPO(非営利組織)という選択肢もありました。でも最終的に社会問題の解決を目的にすると考えた時に、持続可能であることが必要条件だと思ったんです。
 寄付やボランティア頼みだと規模を拡大するのも難しいし、そもそもずっと続けることすら難しくなる。ちゃんとお金が回る仕組みを作って、中で働いている社員たちがしっかりと稼げるようにした方が、最終的にはより多くの人たちを救えると思ったんです。だから、社会問題の解決とビジネスの両輪を成り立たせることを目標にしてきました。
 また、私自身が不登校を経験していない「当事者でない」ということも批判されることがありますが、一歩引いた冷静な目線でやれるのが、僕らの差別化できている部分かなと思っています。当事者の方はどうしても寄り添いすぎてしまう。子どもたちの気持ちが分かってしまうがゆえに、つらくて踏み込めない部分があると思っています。
 
※ スダチによると、初回相談は無料で、子どもや家庭の状況をヒアリングし、簡単なアドバイスを行っているという。希望者には有料で「再登校面談」を行い、親の接し方などをレクチャーする。ここまででサポートを終了する人は多いが、有料のメールサポートに移行する利用者もいるという。利用者は毎日、子どもの様子やどんな言葉かけを行ったかを報告し、サポーターがそれを踏まえてメールでアドバイスを返す。メール1通につき2000~3000文字程度。料金は4万9500円からになるという。

――料金が高いという意見もあります。
 ありますね。たしかに安くはないと思っています。でも本当に子どもたちが再登校できるということには、何物にも代えがたい価値がありますよね。
 それに私たちは毎日、親御さんの「伴走(相談サポート)」をしています。例えばカウンセラーに毎日相談するとしたら、30日で結構なお金になりますよね。フリースクールも何年も通うと考えると結構なお金になります。そう思うと、そこまで高くないのではないか。
 親御さんには一生使えるメソッドを提供できているという自負もあります。
 スダチの再登校率は90.0%で、平均19日で学校に行けるようになっています。無料だったらこれだけの再登校率は出せていないのではと思っています。有料にしてハードルが少し高くなっていることで、親御さんが「何とかやりきろう」と思うからこそ、これだけの結果が出ているという面もあると思います。

▶ 日本人の幸福度を上げたい
――スダチの活動を始める前は、コンサルティング会社で働いていたそうですね。
 大学生の時に、世の中の職場環境がダメだから日本人の幸福度は低いんだという仮説を僕は立てていて、コンサル会社に入れば世の中のいろんな会社、いろんな職場に対してアドバイスできると思ったんですね。外部から、職場環境をよくするための何かができるんじゃないかって考えたんです。
 3年ぐらい人事のコンサルをやった結果、職場環境ももちろん大事なんですが、それよりもっと教育の方が大事だなと思うようになりました。
 というのも、同じ職場環境でもすごく楽しんで仕事している人もいれば、そうでない人もいる。どれだけ恵まれた環境でも、うつ病になったりする人もいる。だから環境よりも、そこに至るまでに受けてきた教育とか触れてきた思想とか考え方や親の存在といったものの方がよっぽど重要で、それをよくすれば、それだけでどこに行こうが幸せに生きていけるのではないか、という結論に至ったんですね。つまり、幸福度を上げるには教育をよくしなければならない、と。
 教育をよくする手段はいろいろあると思っています。メンタルフレンドをやってみたり、フリースクールを作った経験もあるのですが、当時の私はうまくいきませんでした。教育によって世の中をよくできるという思いから、いろいろな手段がある中で、今は不登校や親子関係という問題に取り組んでいるわけです。
 結果として、僕らのサービスを受けてくださった皆さんには幸せになっていただけていると自分たちとしては思っています。だから、当初やりたかったことはやれているなと思っています。

▶ 子育ては難しいからサポートが必要
――最後に、今後の展望について教えてください。
 小中学生や高校生であれば、学校という戻る場所があるのですが、大人の無職の方だと戻る場所がないんですよね。そこが難しくて、現時点ではサポートの対象は高校生までとしていますが、今後はそういった方々のサポートもやっていきたいという思いはあります。
 それから、今までは再登校したらサポートも終わりというケースが多かったのですが、今後は再登校できた後も継続的に親御さんを支援する「子育てサポート」を、より多くの人たちに提供できればと思っています。再登校ができた後の悩みにも、できる限り答えていきたいと思うからです。
 子育ては本当に難しいのに、悩む親御さんたちが「こうやればいいよ」と教えてもらえる機会が日本では足りないと考えていて、そこを担うことができればいいなと思っています。


不登校は、見守るだけでは解決しない。

2024年09月20日 06時39分01秒 | 教育
「学校へ行きたくない」
とこどもが言ったとき、親はどうすべきか?

この問いに、現代の専門家の答えは、
「よし、わかった」
と言うだけよい。

子どもが「学校へ行きたくない」と言ったタイミングは、
始まりではなく終わりである、
子どもはずっとつらい思いをしてきて、
それを言いたくても言えずに来て、
やっと「イヤだ」と言えたのだから、
その気持ちを受け止め寄り添う・・・そういう考えです。

私はこの対応に頷きながらも、少し疑問も持ってきました。
私自身、学校へ生きたくない経験は中学高校を通してなかったわけではありません。
当然、当時の親はそれを叱責しました。
そしてなんだかんだありながらも、結局学校へ行きました。

はて、最適解は何?

そんなところに以下の記事が目に留まりました。
「不登校は見守るだけでは解決しない」
という意見。
興味深く読みました。

「究極の目標は子どもの人権を守ること、そのために何をするか?」
が問われていると感じました。

<ポイント>

・不登校の子どもへの支援は、寄り添う“見守り型”が主流だが、それが問題を長引かせている。大事なのは子供自身が問題に向き合い、それをサポートすることではないか。

・不登校の子供たちの支援は「見守りましょう」とか「子どものエネルギーが溜まるまで待ちましょう」という考え方に基づいたカウンセリングなどが一般的。これはロジャーズというアメリカの心理学者が始めた「来談者中心療法」というカウンセリング手法の考えに基づいている。とにかくその方の意見を聞きましょう、否定はしてはいけない、とにかく傾聴して、アドバイスをしてはいけない、という考え方。今の日本の心理カウンセリングの世界ではこの考え方が広く受け入れられており、それが不登校のお子さんへの支援においても主流になっている。

・もちろん大事なことではある一方で、「ずっと家にいたい」「勉強はしたくない」「ゲームをしていたい」という子どもたちの声を聞くべきだという、行き過ぎた解釈がされがちだという点が問題である。

・しかし「来談者中心療法」から一歩踏み込もうとすると拒否に会い、再登校へ結びつけられないジレンマがある。「来談者中心療法」は現在、日本以外では行われなくなりつつあり、それに代わり認知行動療法や応用行動分析が世界の潮流となっている。不登校であれ他の精神疾患であれ、ただただ見守るだけでは解決しない、今の日本の心理学は世界について行けていない。

・「来談者中心療法」では不登校が悪化していくケースが多い。何が悪化するかと言うと、生活習慣がどんどん乱れていったり、スマホやゲームへの依存が加速したり。そうすると運動不足にもなるし、生活習慣が乱れれば体調不良にもなるしメンタル的にも不安定になる。悪循環がたくさん起きてしまう。

・最終目標を「自立すること」に置くなら「学校に戻る」ことが第一の選択肢と考えるべきである。普通にやれば元の学校に戻れる子を、わざわざ別の環境に行かせる必要はない。フリースクールや通信制高校では学校と同レベルの生活習慣や学力がつかない。学校に行くことによって、1日の生活リズムや睡眠のリズムを整えるとか、人としてのあるべき当たり前のことができるようになる。実際問題として掛け算もできなければ漢字も読めないとなったら、仕事をすることはできない。

・「そもそも学校なんて行かなくてもいい」という考えは、必要最小限の学力があることが前提。学校には行かない、でも学力は身につけなければならないけれど、1人でそれができるかと言えば難しい。

・フリースクールの中には、子どもたちにとっては好きなことを好きなだけできる、という環境も多い。その環境に1度慣れてしまってから、朝から放課後まで授業がある学校に戻れるかって言うとかなり難しい。

・自由には責任が伴う。だから「学校なんて行かなくてもいい」と主張するのであれば、学校に行かない場合のメリットとデメリットをちゃんと理解した上でなければならない。


■ だから「学校に行かない子」が増え続ける…SNSで広がる「無理して行かなくてもいい」論に抱く"強烈な違和感"見守り、寄り添うだけでは問題が長引くだけ
小川 涼太郎:株式会社スダチ代表取締役(著書
2024.9.12:PRESIDENT Online)より抜粋(下線は私が引きました);

なぜ学校に通わない子供が増えているのか。不登校の子がいる家庭に有料の支援サービスを提供するスダチ代表・小川涼太郎さんは「不登校の子どもへの支援は、寄り添う“見守り型”が主流だが、それが問題を長引かせている。大事なのは子供自身が問題に向き合い、それをサポートすることではないか」という――。

▶ 不登校支援の主流は「見守り・寄り添い」
――文部科学省の調査によると、不登校の小・中学生は推計30万人に上っています。不登校の子供たちにどんな支援がおこなわれているのでしょうか。
「見守りましょう」とか「子どものエネルギーが溜まるまで待ちましょう」という考え方に基づいたカウンセリングなどが一般的だと思います。
これはロジャーズさんというアメリカの心理学者の方が始めた「来談者中心療法」というカウンセリング手法の考えに基づいています。とにかくその方の意見を聞きましょう、否定はしてはいけない、とにかく傾聴して、アドバイスをしてはいけない、という考え方です。
今の日本の心理カウンセリングの世界ではこの考え方が広く受け入れられているという現状があるのですが、それが不登校のお子さんへの支援においても主流になっているように思います。
――カウンセリングの手法が、そのまま不登校の子どもへの支援に結びついたという感じでしょうか。
それに加えて、「子どもたちの意見を尊重しましょう」とか「子どもの人権を大事にしましょう」といったことが叫ばれるようになった今の風潮も、背景にあると思います。
それはもちろん大事なことではあるのですが、問題は行き過ぎた解釈がされがちだという点です。そのせいで「ずっと家にいたい」「勉強はしたくない」「ゲームをしていたい」という子どもたちの声を聞くべきだという考え方がかなり広がっているんですね。
それを聞いてしまうと不登校も認める方向になってしまうのだけれど、一方で、子どもの人権を守るという考え方にはうまくフィットします。それで「そういう考え方もありだよね、分かった」と受け入れられてしまうのかなと思っています。要は、どこまで子どもたちの「○○したい」「したくない」という意見を認めるべきかという線引きが難しくなっているんです。

▶ 寄り添いではうまくいかなかった
――スダチでは再登校を目指して、子どもが問題に向き合う力を引き出すことを重視しているとうかがいました。
いきなりこの考えにたどり着いたわけではもちろんありません。不登校の子どもの支援について勉強し始めた時は、私も子どもを見守り寄り添うものだとばかり思っていました。不登校の子どもの支援に関する本にはそういう手法ばかりが書かれていて、そうするしかないのかなと思ったのです。
当時私は「メンタルフレンド」という不登校の子どもへのボランティア活動をやっていました。不登校のお子さんの家に行って、一緒に遊んで、話をたくさん聞くという、要は寄り添いですね。仲良くなって子どもたちが元気になれば、いずれは社会に出られるようになるだろうという考え方です。これは私が所属していた団体だけがやっていることではなく、自治体などいろいろなところでも行われている活動です。
ところがこのメンタルフレンドが、全くうまく行きませんでした。最終的に、そのお子さんから会いたくないと言われてしまったんです。
――どうしてそうなってしまったんでしょう。
初めの頃はゲームを一緒にやったり、いろんな話もしました。でも、「これをいつまで続けるんだろう」みたいな葛藤があったんです。で、ちょっと踏み込んだんですね。
相手のお子さんは小学5年生ぐらいから不登校だった男の子で、当時は高校1年生でした。そこで「僕も普通に社会で活動しているけれど、もともとそうだったわけじゃなくて、全然勉強しない時期もあれば、ダメダメだった時期もあった。でも紆余曲折あって今に至っているわけで、まだ高校1年生の○○君だったら全然大丈夫だし、絶対に活躍できるようになる」みたいなことを、言ったんです。それが苦しいとかうざいみたいな感じになってしまって。
寄り添うところから一歩踏み込んだ時に難しくなるんです。踏み込んだ結果「もう嫌だ」と言われたら、われわれはそれ以上支援できなくなる。
これは別に僕ひとりの話ではなくて、当時所属していた団体には、メンタルフレンドをやっている学生が10人くらいいました。そのメンバー同士でたまに会って話をしたりしていたんですが、皆さん本当にお子さんのためを思って、一生懸命努力されている方ばかりだったのに、再登校に導けたという話を聞くことはなかったんです「2年間通っていても何も変わらない」といった話もいろいろ聞いたし、僕だけならとにかく、他のメンバーもうまく行かないと言っている。それで、このやり方で支援をするのはかなり難しいのではないかと思ったわけです。
そこから他の手段をいろいろ探す中で、たまたま今のメソッドに繋がる考え方を持ってる専門家の方と出会いました。その方の考え方を聞いた時に「従来のやり方とは全く逆だけれど、これこそが答えなんじゃないか」というのが自分の中で見えたんですね。それが、今のメソッドで不登校の子どもへの支援を始めるに至ったきっかけです。

▶ 不登校の子どもが陥る悪循環
――なぜ見守りが再登校につながりにくいのでしょうか。
まず、来談者中心療法の考え方は、今では日本以外の国ではあまり主流ではないのです。科学的根拠に乏しく、実績が出るケースが少ないからです。今は認知行動療法や応用行動分析といった手法の方が主流になりつつあるのが世界の現状だと思います。
不登校であれ他の精神疾患であれ、ただただ見守るだけでは解決しないと思うのですが、今の日本の心理学は世界について行けていないのではないかと思います。
そして、不登校のお子さんを見守った場合にどうなるかと言うと、悪化していくケースが多いです。何が悪化するかと言うと、生活習慣がどんどん乱れていったりとか、スマホやゲームへの依存が加速したりします。そうすると運動不足にもなるし、生活習慣が乱れれば体調不良にもなるしメンタル的にも不安定になる。悪循環がたくさん起きてしまうんです。
見守るということは、言葉通り何もしないことだとたいていの人が解釈すると思いますが、本当に何もしないで不登校問題が解決するなら、そもそも不登校がこんなに大きな問題になってないと思うんですね。不登校が年々、増え続けているというのは、解決できるケースが少ない証拠ではないでしょうか。
――ただ、スダチのメソッドに抵抗を感じる人も少なくないようです。
それはそうですね。世の中のほとんどの人が「見守りましょう」と言っている中で、われわれの主張はなかなか信じてもらえない。われわれの言うことよりも、医師やカウンセラーが言っていることのほうがよっぽど信頼できると思うのは普通だと思います。

▶ フリースクールは解決策になるのか
――今、不登校の生徒児童の数が増える中で、保健室登校やフリースクール、通信制高校など、不登校の子どもの選択肢は増えているように思います。スダチではどのように捉えていますか。
最終的に子どもたちが社会の中で自立できればそれでいい、というのが私たちの前提であり考えです。だから、そうした学校以外の選択肢が子どもたちを自立に導いているのなら、それはそれでいいと思います。
フリースクールも、ちゃんと早起きして朝から通った上で運動も勉強もして、社会性や生活習慣など人として生きる上で当たり前に必要なこともしっかりと身に付けられるのなら、僕はいいと思うんです。ただ一方で、それを学校以外の環境で身に付けるのは現実的に難しいケースが多いと思っています。
例えばフリースクールは、一般的には登校時間も決まっておらず、勉強も別にしなくていいという感じの場所が多いです。いつ来てもいいから子どもは朝起きられなかったりするし、来ても漫画を読んだり、遊んでいるのもOKという場所も多い。先生も教員免許を持っているとは限らない、つまりきちんと勉強を教えられる人が必ずしもいないという現実もある。運動場や体育館もないから、学校と同じような環境で運動をすることも難しい。学校のように同年代の子どもたちと何か一緒にやっていく環境をつくれないところも多く、社会性を育てるのが難しい部分もある。
こういう問題が全てクリアできるようなフリースクールならいいんですが、現実としてはたぶん、難しい場所が多いと思うんですね。僕自身、運営をしていたことがあるのでフリースクールの抱える課題はよく分かります。
通信制高校も同じです。ネットコースだと年に1回くらいしか学校に行かなくていいし、提出物も答えを写して提出したら終わりといった状況もあると聞きます。だから、学力が身につくかについては難しい面があると思います。

▶ 楽な環境に慣れると学校に戻りにくくなる
そういった問題意識があるから、私たちは学校に戻るのが第一の選択肢だと考えているのです。だから、普通にやれば元の学校に戻れる子を、わざわざ別の環境に行かせる必要はないかなと思っているんです。
もちろん、再登校を目指した上でだめだった場合には、フリースクールとか他の選択肢を選んでもいいと思うのですが、今って不登校になった子ども全員に対して「学校に行くのが無理ならそっちに行っていいよ」と簡単に言いすぎるところがあるように思います。出席日数が足らないと成績がつかなくて、例えば高校への進学で苦労するといった問題も現実としてありますし。
――「学校に戻るのが第一の選択肢」なのですね。
フリースクールの中には、子どもたちにとっては好きなことを好きなだけできる、という環境も多いです。その環境に1度慣れてしまってから、朝から放課後まで授業がある学校に戻れるかって言うとかなり難しい部分があります。
それに、元々学校に戻れる状態のお子さんが不登校の状態からフリースクールに行って、そこからさらに学校に戻るとなるとハードルを2回越えなければならない。また、フリースクールを挟むと結果として元の学校に戻るまでの期間が伸びるということもあります。

▶ 「学校なんていかなくていい」論の広がり
――最近では、不登校ユーチューバーやインフルエンサーの影響を受けて、子どもの中でも「そもそも学校なんて行かなくてもいい」という考えが広まっています。この点についてはどう考えられますか。
実際問題として掛け算もできなければ漢字も読めないとなったら、仕事をすることはできないですよね。インフルエンサーが学校に行かなくてもいいと言うのは、そういうところがしっかりできていることが前提での話でしょう。学校には行かない、でも学力は身につけなければならないけれど、1人でそれができるかと言えば難しいですよね。
それに、育ち盛りの子どもなのですから運動だって必要です。インフルエンサーだって「学校なんて行かなくてもいい」とは言っているけれど、「運動しなくていい」とは言ってない。
学校に行くことによって、1日の生活リズムや睡眠のリズムを整えるとか、人としてのあるべき当たり前のことができるようになると僕は思っているんです。それを不登校の状態で、自分の意思だけで生活習慣を保つのは、大人ならとにかく、子どもには現実的に難しいと思います。
家庭のルールを決めるのは親御さんなのだから「そうなんだ、○○さんはそう言っているんだね。でもうちの家庭ではこう考えているから、うちはこのルールで行くよ」と淡々と言えばいいと思います。
子どもは家に住ませてもらって、ご飯を食べさせていただいている立場です。そして親御さんにはお子さんを守る権利がある。だから「私は学校に行くことが○○にとって大事だと思っているから」って言えばいいのです。

▶ 学校に行かないデメリットを考えさせよう
それに、自由には責任が伴います。だから「学校なんて行かなくてもいい」と主張するのであれば、学校に行かない場合のメリットとデメリットをちゃんと理解した上でなければならないと話をしましょう。
仮に、中卒で働くとなった場合にどうするかといったことを現実問題として考えたら、結構きついですよね。だから、あなたは今小学生で、仮にずっと不登校で中卒となった場合どうなるか。今の世の中って、給料を中卒と大卒で比べたら中卒のほうがずっと低いし、選べる仕事も非常に限られてくるよ、といった話をしてみてはどうでしょうか。実際にこのような話をすると、驚いて学校への意識が変わるお子さんは多いです。そのような現実を伝えたうえで、どの選択肢を選ぶかを考えようと問いかけることが大事かなと思います。
通信制の学校にいったとしても、自宅で学校と同じように勉強をできるのかを考えさせる。たぶん子どもたちも「けっこう大変そうだな」みたいな反応になると思うんですね。そういう点を考えたうえで本当に学校なんて行かなくてもいいのかを親子で話し合うのが大事かなと思います。


・・・私が常日頃感じている学校健診での違和感、
「子どもが恥ずかしがるから内科診察は着衣で」
という考えは、
「病気を早期発見し早期治療に結びつける」
とどちらが「子どもの人権を守る」という視点で優先されるべきか?
に共通する問題であるような気がします。


「こどもはおもしろい」(河合隼雄著)

2012年08月31日 17時49分57秒 | 教育
講談社、1995年発行

ちょっと古い本ですが、尊敬する心理学者の著作です。
晩年は文化庁長官も務めた河合氏は、ユング心理学を日本に紹介し、箱庭療法も導入した先駆者であり、高校教師の経験もあります。

内容は、学校教育としてユニークな取り組みをしている小中高教師たちとの対談集。
指導要領に沿って子どもを’管理’した方が楽な教師稼業、しかしわざわざ苦労して個性的な取り組みをしているのはなぜなのか? ~という問いに対して、各先生は持論を展開します。
子どもと真摯に向き合い育ち合うには、教師側にも腹をくくった強さと多大なエネルギーが必要であることが窺われました。

一番印象に残ったのは、登校拒否児を集めた高校の話。
新任の先生が来校すると、なんと生徒たちに評価させるのです。
「あの先生はあかん、使い物にならへん」と生徒が言えば、その先生はクビになってしまう。
ストレスフルな環境で学校へ行けなくなった子どもたちには、建前だけの大人と本音で勝負できる大人を見分ける嗅覚が備わっているのですね。
それを通してしまう校長先生の腹の据わりようには驚かされました。

おしなべて「教師→ 生徒」の一方通行ではなく、「教師⇔生徒」という双方向のやりとりで信頼関係を築いていく手法が多く紹介されています。
それができる先生は、対談に呼ばれるほど貴重と云うことでしょうか。