“子ども”を取り巻く諸問題

育児・親子・家族・発達障害・・・気になる情報を書き留めました(本棚4)。

“生きづらさ”の正体

2024年10月11日 13時51分42秒 | 家族
 親が好きになれない・・・という悩みを抱えているヒトはたくさんいると思います。
 なぜなんだろう?
 その答えの一つに「愛着障害」があるようです。

 自分自身の子ども時代を振り返ると・・・

 私は虚弱体質ながらも負けず嫌いで、
 負けを認めることが苦手、
 勝つまでコツコツ努力するタイプでした。

 そのせいか、勉強も運動もそれなりの結果を残せました。
 親の喜ぶ顔を見て私もうれしくなりました。

 親はそんな私を見て、
 果たせなかった自分の夢を私に託すようになりました。

 私の親は、戦争に青春も将来の夢も奪われた世代。
 学校の成績もそこそこだったようですが、
 家庭の事情で大学進学は諦めざるを得なかった・・・

 そして“努力して結果を出し続けること“が私のルーチンになりました。
 楽しいけど苦しい、そんな思春期が始まりました。

 しかしそれが続くと徐々に、
 「努力しなければ親に認めてもらえない」
 「結果を出さなければ親に認めてもらえない」
 という窮屈な状況に陥っていきました。

 親の期待が喜びから負担に変わったのです。

 ただ生きているだけでは自分には価値がない、
 努力して結果を出さなければ認めてもらえない・・・
 私には疲れた時に受け止めてくれる「心の安全基地」がありませんでした。

 いや、当時つき合っていた女の子が受け止めてくれました。
 しかし私が親の希望に沿って医学部に入学し、
 遠方の大学へ行くことで最愛の彼女を失ってしまいました。

 私は医師になり、彼らの夢を叶えました。
 同時に親と距離を取りたくなりました。
 「もういいだろう?勘弁してくれ」
 自分の心がつぶれてしまいそうでした。

 親は私にたくさんの愛情を注いでくれましたが、
 同時に大きな期待をしてがんじがらめに絡め取り、
 私の自由を奪ったとも言えます。

 長男である私は結婚後に実家に戻り、
 両親の面倒を見ています。
 親と離れて暮らす選択もありましたが、
 それを実行する私を許せない自分もいます。
 昭和的な考えかもしれませんが・・・

 というわけで、今でも「楽しいけど苦しい」生活が続いています。
 これが私の“生きづらさ”です。


<ポイント>
・母親との不安定な愛着を示す子どもは、人口の3割程度かそれ以上にも及び、そうした傾向は、大人になっても解消されず、多くの人が引きずっている。
・愛着障害を抱えた人は、一見「発達障害」に似た特徴を示すことも多く、「発達障害」と診断されることも少なくない。
 ✓ 対人関係、とくに親密な対人関係において困難が強まりやすい。
 ✓ 自己肯定感の低下や心身の不調をともないやすい。
 ✓ 基本的な安心感の乏しさや他者に対する信頼感が弱い。
 ✓ 周囲の反応におびえ、傷つきやすい傾向を抱えるか、
 周囲にはなにも期待せず、無関心な態度を身につけるか、
 どちらかになることで、状況に適応しようとする。
 ✓ ストレスを受けやすく、健康面のリスクも高まりやすい。
 ✓ 不安定な愛着は心身の健康状態だけでなく、平均余命にも影響する。
・愛着障害は、本来「安全基地」として無条件の愛情と世話で子どもを守ってくれる養育者(通常は母親)が、「安全基地」としての役割をうまくはたせないことによって生じる。
・愛着が形成される期間は限られており、概ね1歳半までが、もっとも重要な時期とされる。それ以降でも、愛着の形成は可能だが、それまでの時期に安定した愛着が形成されなかった子には、深刻な影響が残りやすい。
・愛着形成の核は1歳半までが臨界期とされるが、その時点で安定した愛着が形成されていた場合でも、その後の要因によって、不安定な愛着に変わってしまうことがある。虐待やネグレクト、心理的な支配とともに、親の精神疾患や離婚、家庭内葛藤なども、子どもの愛着を不安定なものに変えてしまう。
・愛着というしくみは、本人の安心を守るだけでなく、生命を守る根幹となるしくみであり、それがうまく機能しなくなるとき、人は窮地に陥る。
・愛着は単なる心理学的なしくみではなく、生理学的な現象に基づいた生物学的なしくみであり、哺乳類に共通するものである。哺乳類として受け継いできたこのしくみが危機的状況に陥り、機能不全を起こしているのが「愛着障害」という状態なのである。


▢ 「人口の3割超?」愛着障害は平均余命に影響する概ね1歳半までが愛着形成に重要な時期
岡田 尊司 : 精神科医、作家
2024/10/11 :東洋経済オンライン)より一部抜粋(下線は私が引きました);
 長年、発達障害や愛着障害を研究し続け、豊富な臨床経験を持つ精神科医・岡田尊司さんの最新刊『愛着障害と複雑性PTSD』より、現代人の生きづらさの原因を紐解きます。

▶ 生きづらさの正体
 「愛着障害」という言葉が、一般にも広く知られるようになったのは、ここ10年ほどのことである。40年ほど前に、この言葉が最初に公式に用いられたとき、その意味するところは、深刻な虐待やネグレクトを受け、心身の発達や社会性に困難をきたした、極めて悲惨な子どもたちの状態を指し、その頻度は、非常に稀なものとされていた。
 ところが、その後の研究で、そうしたケース以外にも、母親との不安定な愛着を示す子どもは、人口の3割程度かそれ以上にも及び、そうした傾向は、大人になっても解消されず、多くの人が引きずっていることがわかってきた。
 こうした「不安定型愛着スタイル」のケースも含めて、「愛着障害」として理解されるようになってきた。愛着障害を抱えた人は、一見「発達障害」に似た特徴を示すことも多く、対人関係、とくに親密な対人関係において困難が強まりやすい
 また、自己肯定感の低下や心身の不調をともないやすいこともわかってきた。こうした人たちは、「発達障害」と診断されることも少なくないが、なにかしっくりといかないものを感じ、発達障害としての治療もあまり奏功せず、もやもやした状況が続くことも多い。
 愛着障害は、本来「安全基地」として無条件の愛情と世話で子どもを守ってくれる養育者(通常は母親)が、「安全基地」としての役割をうまくはたせないことによって生じる愛着が形成される期間は限られており、概ね1歳半までが、もっとも重要な時期とされる
 それ以降でも、愛着の形成は可能だが、それまでの時期に安定した愛着が形成されなかった子には、深刻な影響が残りやすい基本的な安心感の乏しさや他者に対する信頼感が弱いといったことは、その代表的な特徴である。
 周囲の反応におびえ、傷つきやすい傾向を抱えるか、周囲にはなにも期待せず、無関心な態度を身につけるか、どちらかになることで、状況に適応しようとする
 どちらにしても、ストレスを受けやすく、健康面のリスクも高まりやすい。実際、不安定な愛着は心身の健康状態だけでなく、平均余命にも影響するのである。

▶ 安心感のよりどころとなる存在
 愛着形成の核は1歳半までが臨界期とされるが、その時点で安定した愛着が形成されていた場合でも、その後の要因によって、不安定な愛着に変わってしまうことがある
 虐待やネグレクト、心理的な支配とともに、親の精神疾患や離婚、家庭内葛藤なども、子どもの愛着を不安定なものに変えてしまう。それ以外にも、きょうだいからの虐待や学校でのイジメなども深刻な影響を及ぼしうる。
 物心がついて以降に起きた出来事は、子どもの心に完全には同化されないまま、トラウマとなって残ることになる。未解決型愛着と呼ばれるタイプは、ある程度、年齢が上がってから起きた出来事(たとえば、親の離婚やイジメ)によって、安全基地が奪われることで愛着のしくみ(「愛着システム」とも呼ばれる)がダメージを受け、回復しないままになった状態だと考えられる。
 それに対して、もっと幼いころに起きた養育環境の問題は、子どものなかに同化されてしまい、愛着スタイルとして自分自身の一部として一体化してしまうため、通常はトラウマとして意識されることはない。
 成人してからは、恋人やパートナーとの関係が、本人にとって安全基地となるかどうかが、愛着の安定性に影響する。それ以外にも、職場において居場所を失うことや、上司との折り合いの悪さといったことも影響することがある。

▶ 哺乳類として受け継いできた生物学的なしくみ
 愛着が安定したものとして機能するためには、「安全基地」と呼ばれる安心感のよりどころとなる存在との関係が重要とされる。その人の所属する集団に、一人でもそうした存在がいれば、愛着システムが、大きなダメージを負うことは免れやすい。
 逆に、家庭にも学校や職場にも安全基地となる存在がいない状況に置かれることは、愛着システムの機能不全を引き起こし、心身に支障を生じやすくなる。
 愛着というしくみは、本人の安心を守るだけでなく、生命を守る根幹となるしくみと考えられ、それがうまく機能しなくなるとき、人は窮地に陥る
 愛着は、単なる心理学的なしくみではない。それは、生理学的な現象に基づいた生物学的なしくみであり、哺乳類に共通するものである。
 哺乳類として受け継いできたこのしくみが危機的状況に陥り、機能不全を起こしているのが、「愛着障害」という状態なのである。それが広まっているということの意味を考えたとき、それは地球環境の破壊と同レベルか、それ以上の深刻な事態が進行していることに気づかされることになる。

▶ トラウマで苦しむ人の増加
 愛着障害とともに、今日多くの人が苦しむ、身近な問題となりつつあるのが、トラウマの問題である。トラウマという言葉は、一般にも広く認知されるようになり、心が傷を受けたあと、その状況がなくなっているにもかかわらず、長期間にわたってさまざまな後遺症に苦しむ「PTSD心的外傷後ストレス障害)」という状態も知られるようになった。
 トラウマという言葉は、もともと「ケガ」という意味であるが、心のケガである「心的外傷」と訳されることが多い。医学的にトラウマという語が用いられたのは、大地震や戦争、生死にかかわる事故、犯罪被害といった突発的で、生命が危険にさらされるような出来事に遭遇する場合であった。
 ところが、近年になって、1回のダメージは生命にかかわるほどではなくても、長期間にわたって、逃れられない状況でダメージを受けつづけると、通常のPTSDに勝るとも劣らない深刻かつ持続的な影響が生じることがわかってきて、「複雑性PTSD」と呼ばれるようになった。
 その中核をなす原因が、親からの虐待である。それ以外にも、パートナーからのDVやハラスメント、学校や職場でのイジメなどが挙げられる。いずれもほかに助けを求めにくい、逃げられない状況において起きやすい。
 なかでも、とりわけ深刻な事態となりやすいのは、親からの虐待である。身体的、性的虐待だけでなく、心理的虐待や支配も原因となりうる。
 本来、だれよりもその子を愛し、守ってくれるはずの存在から傷つけられつづけることは、その人しか頼ることのできない幼い子どもにとっては、逃れようのない事態であり、もっとも信頼すべきものが信頼できない危険な存在であるという、絶望的な状況に子どもを陥れる。
 「近代化」という名の社会の崩壊と人々の孤立化にともなって、豊かになったはずの社会で、そうした状況が起きやすくなっている。


普通の人が親を殺す「介護殺人」の悲劇

2017年12月21日 07時47分22秒 | 家族
 この記事を読んで、「介護殺人」と「子ども虐待」は構図が同じであることに気づきました。

■ 介護生活敗戦記・前編 〜普通の人が親を殺す「介護殺人」の悲劇
2017年12月21日:日経ビジネス
■ 介護生活敗戦記・後編 〜「介護殺人」の本と番組に寄せられた意外な反応
 NHK大阪放送局報道部チーフ・プロデューサー 横井秀信氏
2017年12月22日:日経ビジネス


・事を起こすのは「ふつうの人々」で、むしろ真面目で責任感が強い人が追い詰められがち。
・介護する側(子どもを育てる側)の社会的サポートが不十分。
・第三者の介入がポイント。
・社会全体で支えるシステム構築が早急に必要。

 それから「予防医学のパラドックス」の対話部分を興味深く読みました。
 この内容は予防接種にも共通していると感じたからです。

(横井)私、松浦さんの本で、お母様との介護もさることながら、「予防医学のパラドックス」という視点から、社会の分断に対する警鐘を鳴らしているのがものすごく腑に落ちて(『予防医学のパラドックス』が教える認知症対策)。「適者生存」的な考え方は、実はまったく科学的ではないということがよく分かり、すごく勇気というか力を得るというか、あ、こういうことなんだなというのを納得しながら読ませていただきました。

(松浦)ありがとうございます。病気の人に対して集中的に対策を打つより、社会全体がやんわりと努力して対応する方が、ずっと効率がいい。そう考えると、ものすごく評判の悪かったメタボ健診、あれも正しいんですよね。一人ひとりが、太りすぎない、栄養バランスに気をつける、といった小さなことに気をつければ、全体では医療費が大きく圧縮できる。でも、個人ベースに落としこむと「俺が好きな時に好きな飯食っちゃいけないのか」みたいな反応を喰らいがちです。
 よく言う例ですが、社会が禁煙に動けば、周囲の人間を含めて全体の発がんリスクが下がることは間違いない。一方で、タバコを吸ってもがんにならない人がいるし、吸わなくてもがんになる人はいる。社会全体では間違いなく効果があっても、個人にとって、運が良いか悪いかだからです。
 個々の人間が気をつけたら、確実に社会全体で認知症の患者は減る。けれど、特定の個人が発症するかどうかは確率次第で、「努力すれば発症しない」とは絶対に言えない。努力しても確率が下がるだけなので、結果として運が悪いと発症することがあり得る。

(横井)そうですね。でも、困っている人を社会全体で支える、という正論が、きれい事じゃなく、科学的、合理的なんだというところがすごく響いて、「辛い人を生まないために、社会全体が動くのが最もコストが安い」と納得できる。これはとても支えになります。


平和な先進国だけど自殺率の高い日本

2017年10月20日 08時04分23秒 | 家族
 この記事を読んで、女性の自殺率も高いことに驚かされました。
 分析・解説を読んでみたい。

 とにもかくにも、生きづらい日本。
 大人が生きづらいなら子どもの生きづらさも推して知るべし。

■ 日本の自殺率は世界でワースト6位、特に女性はワースト3位
2017.5.30:産経新聞
 政府は30日、平成28年度自殺対策白書を閣議決定した。諸外国における自殺の現状を初めて詳しく分析した項目を加え、世界各国の自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)を比較すると、日本はワースト6位となった。特に女性はワースト3位と高水準だった。各国の自殺率を参考に、今夏に見直しされる「自殺総合対策大綱」に日本の目標値が盛り込まれる。
 白書は自殺対策基本法に基づいて作成され、今年で11回目。自殺率のランキングは、世界保健機関(WHO)が2014年にまとめたリポートを参考に、人口と自殺者が把握できている約90カ国を比較した。
 日本の自殺率は19・5で、ワースト1位はリトアニア30・8。韓国28・5、スリナム24・2、スロベニア20・5、ハンガリー19・5と続く。男女別で、日本の男性はワースト12位(27・7)、女性はワースト3位(11・7)となっている。
 一方、白書に盛り込んだ警察庁の統計では、平成28年の自殺者数は2万1897人で、男性は1万5121人、女性は6776人。15年の3万4427人をピークに減少傾向にある。
 白書ではまた、27年の死因を5歳ごとの年齢階級別に分析したところ、15~39歳の5階級で1位が「自殺」と判明。大綱では学校や行政による若年層の自殺防止対策が検討されている。



<参考>
2015年までの世界の自殺率ランキング(Wikipedia)
日本は○○位! 世界自殺率ランキング〜自殺率上位国で生きるのが苦しい理由(ブログ)

「家族で食事」はやはり大切だった、という医学論文

2016年04月24日 20時55分08秒 | 家族
 私の考える、家族の小さな幸せの指標。
・一緒に食卓を囲むこと。
・日曜日にちびまる子ちゃんとサザエさんを見てみんなで笑うこと。
 これらは、医学的にも正しいらしい・・・(^^;)。

■ 「家族で食事」はやはり大切だった
ケアネット:2015/03/02
 頻繁に家族で食事を取ることは、小児および青年にとって心理社会的によい効果を示し、その効果は女性のほうが大きいことが、カナダ・オタワ大学 Megan E Harrison氏らによって明らかにされた。Canadian Family Physician誌、2015年2月号より掲載報告。
 Harrison氏らは、頻繁に家族で食事を取ることが小児および青年の心理社会的効果に影響を及ぼすかどうか、また、その影響は性別で差があるかどうかを明らかにするため、システマティックレビューを行った。
 調査は、Ovid社のデータベースを使用し、MEDLINE(1948年から2011年6月5週目まで)とPsycINFO(1806年から2011年7月1週目まで)の検索で文献を特定した。単独または組み合わせて使用した見出しとキーワードは、(1)family、 (2)meal、(3)food intake、(4)nutrition、(5)diets、(6)body weight、(7)adolescent attitudes、(8)eating behaviour、(9)feeding behaviour、(10)eating disordersであった。なお、関連する参考論文についても検討を行った。
 検索により得られた1,783編の論文について、以下の基準を満たすことが求められた結果、14編の論文が基準に合致した。なお。調査・分析は2人の独立した調査員によって行われた。
1.査読のある英語論文雑誌に掲載されている
2.小児および青年を含んでいる
3.小児および青年の心理社会的アウトカム(薬物使用、摂食障害、抑うつなど)に対する家族の食事の役割を検討している
4.データ解析の統計方法を含む試験デザインが適切である

 主な結果は以下のとおり。

・頻繁な家族での食事と、青年での摂食障害、飲酒、薬物使用、暴力的な行動、抑うつ、自殺企図は負の相関関係を示した。
・頻繁な家族での食事と、自尊心の向上や学校での成功は正の相関関係を示した。
・男女別の結果には有意差があり、女性のほうがより顕著な結果を示した。


 Harrison氏らはこれらの結果により、「定期的に家族が食事を一緒に取ることのメリットをすべての医療従事者が指導すべきだ」とまとめた。
<原著論文>
Harrison ME, et al. Can Fam Physician. 2015 Feb.

「ぼくが子作りできない訳」

2014年07月10日 07時09分52秒 | 家族
NHK「極私的ドキュメント にっぽんリアル」シリーズで放映された番組です。

NHKのプロデューサーとして活躍する30代後半の夫にスポットライトを当てた内容。
同年代の妻が子どもを欲しがっているが、夫が躊躇しているという図。

妻:「自分に自信がないから子どもを欲しくないんでしょ」
夫:「だって子どもの人生を背負うことになるんだから・・・」

と煮え切らない夫の言葉に業を煮やす妻。

番組は夫が子作りに踏み切れない理由を紐解いていく。
彼の中では、子ども時代の次の3つのエピソードが頭から離れない。

1.両親の離婚
2.新しい父親を受け入れられないエピソード
3.父が起こしたささやかな事件


これらに関して、両親と新しい父親から真実を聞こうと、妻とともに確認の旅に出る。
しかし、面白いほどに各人の言うことが食い違う。
子ども時代の夫の記憶が間違っているのか、彼の父親・母親が嘘をついているのか・・・真実はわからない。
いや、それぞれの言葉が彼らにとっての真実なのかもしれない。
ただ、母親の方が確信犯というか、したたかな印象を受けました(苦笑)。

1.両親の離婚
 子どもをどちらが育てるか、話し合いはあったのかと夫は問う。
母:「そんな話はなかった。父親は育児能力がなかったので成り行きで私が育てるようになった。」
父:「子どもは置いていけと言ったが、母が泣いて抵抗した。」
 自分のことにどれだけ心を砕いてくれていたのか、夫が抱えていた不満・不安が少し解消。

2.新しい父親を受け入れられないエピソード
 離婚後、母親と生活し始めた頃に他の男性が家に来て「ぼくをお父さんと呼んでもいいんだよ」と言われたが、「そんなことできるわけがない」と泣いて抵抗した。
 しかし、その男性も、母親も「そんなことはなかった」とのコメント。
 ん? 離婚の原因は母親の浮気?
 それで知らんぷりしているような・・・。

3.父が起こしたささやかな事件
 離婚後も毎週末になると父親に会いに行った。
 あるとき、「今日は帰るな」と突然父が言った。
 東京の駅で帰りを待っていた母は、予定の電車に子どもが乗っていないことを知ってパニックになる。
 しかし、「そんなことはなかった」と父。
 父は「自分には子育てできない引け目と、子どもに帰って欲しくない気持ちとがあった。そんな気持ちが伝わったのかもしれない。」とコメント。

 夫は、
「離婚した両親は彼ら自身のことだけ考えて、自分のことなど考えてくれなかったのではなかったか?」
「親の愛情をもらえなかった自分が、自分の子どもを持っても愛情を注げないのではないか、幸せにできないのではないか?」
 という深い不安を抱えていたのでした。
 両親の離婚は、事ほど左様に子どもの心にトラウマを残すのですね。
 
 「哺乳類はたくさんの愛情をもらわないと生きていけない動物である」という某生物学者の言葉が思い出されました。

 記憶を確認する旅を終え、自分は愛されていたんだという自信を持つことができた夫。
 夫婦の間の壁がなくなり、一歩前へ進めた瞬間でした。

「『家族』を考える」 by 田下昌明&野口芳宏

2012年01月18日 22時21分34秒 | 家族
 副題:小児科医・教師からの提言
 モラロジー研究所、2009年発行

 タイトルに惹かれて以前購入した本です。年末の掃除で見つけて読んでみました。
 内容は、小児科医の田下氏と小学校の先生の野口氏の講演記録と、お二人のトークセッションが収められています。

 仕事柄というか、お二人の立場の違いによる主張の微妙な違いがコントラストとして反映され、興味深く読ませていただきました。
 田下先生は乳幼児期に安心を与えて子どもに生きる自信をつけ、旅立つ準備として欲しい。
 野口先生は社会性を養う場として学校の役割を強調。

 やはり小児科医である私は、どちらかというと田下先生の発言に共感するのでした。「抱き癖は母子に信頼関係ができたことの証」という文言には目からウロコが落ちました。
 ただ、彼は世代的に「敗戦により日本人が失った自信を取り戻したい」という気持ちも強く、それが暴走すると危険な思想になり得る要素もはらんでいるような気もしました。

備忘録
 自分のためのメモです;

田下氏の講演記録より

子どもを育てることについての3つの問いかけ

1.子どもは誰のものなのか
2.何のために子どもを育てるのか
3.どんな大人になってほしいのか

・・・この3つに答えを出さないと育児方針が決まらずぶれることになります(なお、”正解”はありません)。田下氏自信の答えは、

1.日本の社会のもの:親は日本の社会から、子どもが20歳になるまで委託されて育てている
2.日本が持っている歴史・伝統・文化を余すことなく壊すことなく、さらに発展させて未来につないでいく日本人になってほしい
3.法律を守る日本国民になって欲しい

子育て方法の連鎖
 あなたが子どもに向かって説教をしているとき、(あれ? 今自分が言っていることは親から云われたことと同じだ)と思うことが必ずあるでしょう。それは自分の経験した子育て、つまり自分が子どもだったとき、親がしてくれた子育てと同じことしかできないというのが、育児の特徴です。

自然流産は胎児の自殺ではないか
 それくらい、胎児は母の体調・心理に左右される存在であり、胎教の重要性が叫ばれる所以です。

胎教をしっかり
 胎教は簡単です。
 「おまえを愛しているよ。みんなが待っているよ。しっかり母さんのお腹の中で大きくなって生まれておいで。」「今日はこんなことがあったよ」
 そのようなことを話しかければよいのです。お兄ちゃん、お姉ちゃんがいれば一緒に。胎教に参加させることは、2歳や3歳であっても兄・姉になる自覚ができるからです。

 ちなみに胎児の好む音楽ベスト3は・・・
1.マイウェイ
2.シェルブールの雨傘
3.愛情物語 
 ベートーヴェンは嫌いでモーツアルトが好きという傾向も。

 ・・・ちょっと曲目が古すぎませんか?

数え年の正当性
 生まれたときは0歳ではなく、誕生する前から胎内で人間になって生まれてきたのですから、数え年の1歳の方が満の年齢よりも正しいと思います。

「インプリンティング」のポイント
 人間の場合、インプリンティングの時期は生後6週から始まり6ヶ月で終わります。終わる頃は人見知りをする時期と一致します。
 戦後、東京裁判を契機に日本文化を否定した施策が子育ての中にも入ってきました。
 「抱き癖をつけるな」
 「添い寝をするな」

 と。子どもが自立するのを妨害すると考えられたのです。
 しかし、本当はその逆です。
 抱き癖さえつければ全部うまくいくのです。抱き癖をつけて母子の信頼関係ができれば、いい子に育ちます。

アタッチメントの重要性
 エインズワースという心理学者が「母は子どもに対して安全基地を提供する」と云ったように、一番大事なことは2歳半まで、できれば片時もお母さんは子どもの側を離れない方がいいと云うことです。子どもにとって泣いて帰れる場所がないと子どもの心はうまく育ちません。
 いじめの結果、遺書を書いて自殺する子どもがいます。非常に酷な言い方ですが、遺書を書いて自殺した子ども達は、親が安全基地になっていないということです。泣いて帰るところがなかった、だから自殺したのです。

「抱っこ」はいつまで?
 それは子どもが「もういいよ」と云うまでです。だいたい私の経験では、早い子で小学校4~5年生、遅い子で中学1~2年生ですね。それを見届ける前に「もう大きいんだから」と拒否すると、いつまで経っても抱っこして欲しいという気持ちから卒業できず、逆に自立を妨げることになります。

子育てにおけるお父さんの役割
 子どもが3歳になるくらいまでは、子育てはお母さんが主役で、お父さんはやはり脇役です。お父さんの役割は、子どもとお母さんとの関係がしっかりできるための後ろ盾です。お母さんを励まし、お母さんを大事にして、安心してお母さんが母子関係を成立できるように後押しをすることがお父さんの仕事です。
 もう一つのお父さんの仕事は、子どもと遊ぶことです。いつまで遊ぶかというと、子どもが「お父さん、もう遊んでくれなくてもいい」と言うまでです。だいたい12歳くらいです。この時期(ギャング・エイジ)にはお父さん・お母さんよりも友達を優先するようになります。
 しっかりと本気で子どもと向かい合ってよく遊んだお父さんは、子どもが思春期になって言いたい放題のことを言い始めても、ひるんだりしません。途中をいい加減にしていると、お父さんはひるまざるを得なくなります。お父さんがしっかりやっていると、子どもは善悪と真実の人生を選ぶようになります。

仕事か子育てか・・・お母さんのジレンマ
 「仕事を取るか、育児を取るか」という設問をよく聞きますが、この設問そのものが間違っているので答えはありません。なぜかというと「育児はそのお母さんと子どもの人生の一部」だからです。人生の一部を人に代わってもらうわけにはいきません。
 育児をするならば、仕事は当然できるわけがありません。1時間、2時間の仕事ならば、取り戻すことが可能なのでよいと思います。

3歳までテレビを見せてはいけない
 医学的問題を指摘すると、テレビを見ている間は立体視をしていないので、長時間続くと立体視ができなくなる可能性があります。それから、ハイハイやつかまり立ちをするのが遅れるため背筋と腹筋の発達が遅れます。さらに、言葉を覚えるのが遅れます。
 それよりも大きな問題は「家族の時間がテレビによって壊される」ことです。

手に入れたものはすべて失い、与えたものだけが残る
 私が手に入れた僅かな財産など、墓場には持って行けません。つまり、全部失うのです。けれども私がここで、仮にいい講演をして皆さんに感銘を与えたとすれば、それは私が死んでも残るでしょう。
 つまり、人に与えること、人の役に立てること、これこそが人生の本物の大きな喜びなのです。

「震災遺児1500人」by NHK

2011年12月25日 21時56分11秒 | 家族
シリーズ東日本大震災「震災遺児1500人」
(2011年12月11日(日) 午後9時15分~10時04分:総合テレビ)

~番組紹介より~
 東日本大震災は、1500人を超える子どもたちからかけがえのない父や母を奪った。それから9ヶ月がたった被災地の「震災遺児」たち。仮設住宅や親戚の家で落ち着いた生活を取り戻したように見えるものの、さまざまな形で苦しみと向き合っている。母を失った大きな悲しみを残された父と分かち合いながら、前に進もうと必死にもがく少年。両親や姉を失っても明るい笑みを絶やさず、悲しみに暮れる祖父母の生きる支えになっている少女。大切な人を失った子どもたちは、毎日を懸命に生きている。遺児たちを引き取った保護者も同じ被災者。子育てをするには高齢だったり、なかなか仕事が見つからなかったりと将来への大きな不安を抱えている。それでも子どもたちのため、復興が遅々として進まない被災地で一歩ずつ前に進んでいる。その姿をしっかりと見つめながら、子どもたちが希望を持って生きていける社会をどのように築いていけばいいのか考える。


 大変なことが起きている、と感じました。
 神戸大震災の取材経験のある司会者は「神戸大震災と違うところは、東日本大震災では地域が壊滅状態であり、子どもを支えるべき大人達の傷も深いこと」を指摘していました。

 子どものPTSD対策などが話題になりましたが、番組に登場する二人の子どもは賢くて頑張り屋すぎるくらい。

( 例1)小学1年生の女の子
 両親と姉が彼女を学校に迎えに来る途中で津波にさらわれました。
 お母さんの遺骨の前で泣きじゃくってから、人前で涙を見せないようになしました。心配する祖父母に無意識の中で気を遣ってのことです。
 平気な顔して陽気に振る舞う彼女、でも震災で亡くなった家族や津波の話題になると口をつぐみ不機嫌になります。封印している感情をつつかれたくないと言わんばかりに。
 臨時の学校に通う彼女が書いた一枚の絵。月見をしている家族3人と壁を挟んで泣いている女の子が描かれています。
 誰が見ても津波で流された3人の家族と残された彼女。
 しかし、女の子は「なんとなくかいちゃった」と言うのみ。
 震災以降、彼女が涙を流したのは、ペットの愛犬が死んだとき。
 自分の感情を少し出せるようになったのでした。
 そしてポツリポツリ、家族のことを話し始めました。
 「私を迎えにこようとしたからみんな死んじゃった。私のせいだと思ってた。

 涙が出てきました。

(例2)小学校高学年の男の子
 彼を学校に迎えに来た父親とともに助かり、一方避難所に向かった母と弟は津波にのまれました。
 父親が「一緒に行動していれば助かったのに」と自分を責めて涙する日々を横で見てきました。
 「自分が頑張らなければ」と言い聞かせて、涙を見せませんでした。
 父親が親類を頼って東京へ転居しようかと提案した際、彼は拒否しました。
 「弟が生まれた土地を離れることなんかできない。ふるさとを捨てることなんかできない。」と。
 学校の担任の先生が、父親に学校でのできごとを報告してきました;
 「彼は頑張りすぎている様子。頑張り続けなくてもいいのよ、と話しかけるとその場で泣き崩れてしまった。」
 
 なんということでしょう。
 時に大人はもろく、子どもは強い。


「親子という病」by 香山リカ

2010年03月18日 16時52分47秒 | 家族
講談社現代新書(2008年発行)

前回に続き、もう1冊香山さんの著作を読んでみました。
タイトルからしてちょっと引いてしまいますね。
内容も「親子という関係自体が既に病的である」という設定で展開していき、ちょっとやりきれない気分になりました。

最近の親子に関係したできごとに焦点を当て、それを学説に当てはめるという「ガクモン」的手法。
取り上げられた事例は・・・

・「家族の愛」ブーム:「家族は恋人」「生んでくれてありがとう」など、家族間の愛を歌うCDが売れている。

・家族内殺人事件・無差別殺傷事件:近年多発しています。少年・少女が加害者になった例を、彼・彼女のコメントと共に例示します。

■ 森安秀光九段殺害事件(1993年、加害者である息子は12歳)
「パパが死んだのはぼくのせいやない。学校を休んだことでガチャガチャ言うからこうなったんや。あんなに叱られては僕の立場がない。逃げ場がないんや!」

■ 管理人室爆発事件(2005年、両親を刺殺した加害者である息子は15歳)
「父親が僕を馬鹿にしたので殺してやろうと思った。父親に頭を押さえつけられ、『頭が悪い』と言われていた。ゲーム機を壊された。母はいつもハードな仕事をしていてかわいそうだった。母が死にたいと言っていたので殺した。」

■ 京都府警巡査部長殺害事件(2007年、加害者である次女は16歳)
「父親の異性関係が許せなかった。数年前から殺そうと計画していた。」

■ 製薬会社員殺害事件(2008年、加害者である長女は15歳)
 近所では仲の良い家族と評判だったそうですが・・・。
「父とは『勉強しなさい』『はい』という会話しかなかった。」

■ 秋葉原無差別殺傷事件(2008年、20代男性が公道で不特定多数の他人に切りつけた)
「親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ。俺が書いた作文とかは全部親の検閲が入ってたっけ。中学のなった頃には捨てられた。より優秀な弟に両親は鞍替えした。」

→ このコメントに対して香山氏は「若干の問題は認められるが、どこの家庭でにも見られる範囲もの」と記しています。

 私はこの意見に同意できません。
 親が自分の人生で達成できなかったことを子どもに託して実現しようとする・・・その不条理な期待が子どもを追い詰めていることが全ての問題の根っこだと考えるからです。
 香山氏の学説をこねくり回す推論よりも、相田みつを氏・佐々木正人先生共著の『育てたように子は育つ』という本の中に真実があるように思います。そこには以下のような言葉がちりばめられています;

「愛らしい子どもは、愛されているから愛らしい」
「かわいい子どもは、可愛がられているからかわいい」
「子どもらしい子は、子どもらしく扱われているから・・・」
「命を大切にする子どもは、命を大切にされてきたから・・・」

 親の背中を見て子どもは育つ、とは云い古された言葉ですが、その真意は「言葉ではなく行動で教える」ことです。子どもは大人の真似をして成長していきます。決して「こうしなさい」「ああしなさい」「これはダメ!」という言葉では動きません。親がそのような言葉を口にするのは、自分がそれをできていないことの裏返しのことが多いと思います(自分を含めて)。

 殺人事件の加害者となった子ども達は「命の大切さ」を教えられていない、つまり「命を大切にされてこなかった」ということです。殺人事件を起こせば自分の人生もそこで終わりと薄々わかっていてもそれさえブレーキにはならないレベルまで追い詰められていたと思われます。
 思春期に非行へ走る少年少女に「自分を大切にしなさい」と安易に諭す場面がドラマでよく登場しますが、ずっと大切にされてこなかったからそうなったのです。アドバイスひとつで解決するはずがありません。

 「命の大切さを教えない」方法は物理的な虐待だけではありません。これが誤解の元です。
 子どもに過剰な期待をして縛り付けて自由を奪うことが、人間としての自立を妨げていることをもっと強調し啓蒙すべきでしょう。

 拒食症も命に関わる病です。その病気の女児が「食べないことはお母さんへの復讐」とつぶやいた、という手記を読んだことがあります。その根底は「私の命を大切にしてくれなかった」と感じていた幼児期があるのでしょう。

 香山氏の論説は、事件・現象を後付けの理論で分析する傾向があります。
 問題の源流に対する詰めが甘いと感じました。
 解決方法に辿り着くには、もっと多く乳幼児を診る必要があると思います。

■ 八王子無差別殺傷事件(2008年、33歳の男性が加害者)
「仕事のことで相談に乗ってもらおうと思ったが、両親から相手にしてもらえなかった。親を困らせようと思って事件を思いついた。」
 つまり彼は捨て身の方法で、母親に「これでも愛してくれるのか」と試したのだ。

・・・幼児がダダをこねるのと同じ理由ですね。人前でいたづらしたり大泣きして親を困らせますが、「僕に優しくするのはウソじゃないよね? こんなことしても怒らないで僕を愛してくれる?」という投げかけです。


さて、いくつかの学説・概念が出てきますので、整理がてら列挙してみます;

■ エディプス・コンプレックス
 フロイトが用い始めた精神分析の中核的な概念のひとつ。
「異性の親に対する愛着、同性の親への敵意およびそのために処罰されるのではないかという不安(去勢不安)の3点を中心として発展した観念複合体のこと。とくに男児の場合に限ってエディプス・コンプレックスと呼ぶことがある。」

■ ゴスロリ(ゴシック&ロリータ)
 親が顔をしかめるような黒ずくめの服を着て、ドクロやサソリなどのアクセサリーをぶら下げたゴスロリ・ファッションで街を闊歩する少女たち・・・。
 「ある種の憧憬、あるいは意識のあり方なので、それを定義することは困難ですが、多くの場合そこに共通するのは、死・病・苦痛・恐怖・残酷・怪奇・野蛮・暗黒・退廃・異端・耽美等々への志向です。それを裏返してみるならば、失われた純血と無垢への愛、あるいは歪んだナルシシズムと云えなくもありません。そしてその根底には、精神と肉体の間の果てしない葛藤があります。」
 常に完璧なゴスロリ・ファッションを身にまとう作家の雨宮処凜(かりん)氏は「ゴスロリは自分にとって武装だ」と語った。

■ アダルト・チルドレン
 1990年代にブームになりました。第一人者である原宿カウンセリングセンター所長の信田さよ子氏による定義は;
「現在の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人」
 香山氏の記述;信田氏自身は当時、自分の生きづらさの原因や責任が自分自身にではなく親にあることに気づいた人が、本当に必要な「自分の負うべき責任」に目覚められるために、という目的で積極的にこの概念を広げようとしたのだそうだ。ところが、信田氏の目論見に反して「私が悪いんじゃない、親が悪いんだ」と自分を棚に上げて親を責めるところでストップする人が続出し、またマスコミもそのような例ばかりを取り上げた。

■ あなた(親)を選んで生まれてきました
 なぜこの世に生まれてきたのか・・・答えのない永遠の疑問。ひねりを加えた回答が「あなた自身が選んだから」です。
「親が愛してくれているかいないかにかかわらず、自分で親を選んだ責任上、親を愛し感謝しなければならない」という論法。
 親との関係に悩み、出生の問題にまで立ち返っても親の愛が証明できずに苦しむくらいなら、いっそのこと、自分が親を選んで生まれたと思った方が納得がいくのでしょう。

■ 阿闍世コンプレックス
 日本の精神分析の祖と云われる古沢平作氏が創唱し、小此木啓吾氏が広く流布させた概念。
「インド王子の物語にみられる、母の完全な愛に対する期待と、それが裏切られたときの怒り、そして許しの感情」

■ 母性愛神話のウソ
 「太古の昔から親となった女性は母性愛で溢れている」などという考えは、近代以降、家制度を存続させるためにねつ造された概念である」と多くの社会学者が主張している。

・・・そうなんですか。ちょっと悲しい主張ですね。
 私は小児科医なので、日々病気の子どもを抱えたお母さんと対峙していますが、お母さんと子どもが一体化した「母子オーラ」を時々感じます。笑う子ども・泣く子どもを可愛くて仕方ない・心配で仕方ないと抱きしめるお母さん・・・幸せがこちらにもおすそ分けされたような感覚になるのです。
 「母性愛は幻想」とやっきになって否定することはないと思うのですが・・・。

■ 親子という病?
 香山氏の結論;「結局のところ、完全に健全な親子関係などありえないのだ。もっと云えば、あらゆる親子関係は病的なのだ。しかもそれは、子が生まれたときから始まり、永遠に治療不可能な病なのである。」

・・・繰り返しますが、悲しい結論です。

 動物の親子も「病」なのでしょうか?
 そこにヒントが隠されていると思います。
 哺乳類レベルの動物の親子は、子どもが生まれて独り立ちするまではしっかり面倒を見て、自活できるようになると送り出し、その後は一切関与せず、というパターンが多いと思われます。
 人間はこの自然なこと・本能的なことができなくなってしまいました。

 子どもを支配し自立を阻んでしまう親。
 幼児期に「安心」を与えずに「不安」を植え付けてしまう現代社会。
 そういう意味では「病的」かもしれませんね。

 解決策はあるでしょうか?
 現状ではますます悪い方へ向かっているような気がします。


「父親」「母親」「夫婦」

2010年01月17日 13時18分40秒 | 家族
 NHK-BS放送で「Cool Japan」という番組があります。
 世界から注目されている日本文化(武士道~最近はアニメ・マンガ?)のテーマを毎回一つ取り上げ、日本に来日中の外国人(世界各国から8人くらい)がそれをどう評価するか、ディスカッションする内容。
この場合「Cool」と単語は「涼しい」ではなく「カッコいい、イケてる」くらいの意味です。念のため。

先日、タイトルのテーマが3回続きました。
すると、意外な日本人家族像が浮かび上がってきました。

■ 「父親」
 世界各国で「自分の父親を尊敬しているか?」というアンケートを取ったところ、平均70~80%の諸外国に比較して、日本はなんと30%の超低率!
 愕然としました。何故なんだろう?
 ゲスト解説者は「日本には自分の父と対峙して乗り越えていく伝統・家風がある」とおっしゃいますが、ウ~ンそれだけかなあ。
 父親対象に街頭アンケートを行った中で、外国人が一番ショックを受けたのは「家庭より仕事を優先している」という言葉だそうです。
 ここが大きな問題のようですね。
 日本の父親が「Cool」と評価した外国人はなんと「ゼロ」。司会者の鴻上さんも立場なし。

■ 「母親」
 家庭で家事と育児を担当する母親は重労働、その上働いてもいる日本のお母さんは素晴らしい!と高評価。
 ギャルママ・サークルの紹介では「育児も自分も大切にしていて素晴らしい」とこれも高評価。
 日本の母親は全員一致で「Cool」と絶賛されました。

■ 「夫婦」
 街頭アンケートで「夫婦間の不満は?」の質問に、
・「夫→妻」:別にありません・・・が多い。
・「妻→夫」:話し出すと止まらないほど多い。
 という状況でした。
 「最近愛してると相手に言いましたか?」という質問には「記憶にない」との回答が多く外国人は唖然としてました。
 ただ、会話はないけど一緒にいるだけで過ごす老夫婦の以心伝心状態をみて「こんな夫婦関係もあるんだ・・・」「ブラボー!」との感想。外国人は歴史的に周辺多民族との付き合い(戦い?)が長いため「言葉にしなければ伝わらない」という思いが強いようです。

・・・以上、3回連続視聴して感じたこと;

 日本の家族は「父親不在」状態!
 いつからなんだろう、何故こうなってしまったのか?
 敗戦後の復興のために父親が国に取られてしまった、というのが私の考えですが、いかがでしょう。
 戦後ゼロから経済大国と言われるまでに発展した日本を造ったのは家庭を犠牲にして働き続けたお父さんたちですから。
 そろそろ家庭に帰して欲しいけど、深夜まで働く習慣は今でも残っていますね。いや、今更家庭に帰っても居場所がない・・・(涙)。
 近年、それに加えてに母親まで外で働いています。両親不在の家庭では子どもは寂しく満たされない気持ちのまま成長することに・・・大問題です。

 外国では「夕方5時に帰ってきて家族と時間を過ごす」のが普通だそうです。必然と会話も多くなるし、家族の絆も深くなるものと思われます。
 「仕事は夕方5時まで、それ以降仕事があるなら交代制で夜勤を組むべし」という法律でも作らなければ日本の家族は変われないような気がしました。