“子ども”を取り巻く諸問題

育児・親子・家族・発達障害・・・気になる情報を書き留めました(本棚4)。

「亜由未が教えてくれたこと〜障害者の妹を撮る〜」

2018年11月11日 10時41分10秒 | 障がい児・障がい者
 「障害者は不幸を作ることしかできない」とは、相模原市の障害者殺傷事件の被告の口から放たれた言葉です。
 「それは間違いである、とんでもない」と反論するのは簡単です。
 しかし現在の日本社会で、障害を負って生きている人たち、その周囲の人たちが幸せに暮らせているかと問われると、そうとは言えない現実があると思います。

 この番組は、生後間もなく障害を負った亜由未という名の妹にはじめて向き合おうとした兄(坂川裕野さん)の30日の記録です。
 ほとんど介護の経験のない兄が四苦八苦し、徐々に妹の気持ちを、そして父親・母親・亜由未さんの双子の妹である由里歌さんの気持ちを理解していくさまが描かれています。

 夜昼なく働きづめだった父親は、亜由未さんの介護のために、仕事量を減らせる部署に希望して移動しました。
 裕野さんが父親にどんな気持ちだったか聞きました;
 「同じ部署の社員に迷惑をかけることがつらかった、でも“介護”という仕事はこれからの日本では無視できないことであり、会社も“介護”しやすい労働環境に変化していく必要もあると考え、この選択をした」
 自分の仕事を追求できない無念さもあっただろうに、そのことには全く触れませんでした。
 「亜由美が何かできるようになったから、笑ったからうれしいという喜びは望めないけど、ただ一緒にいるだけで幸せなんだ」

 双子の妹の由里歌さんは群馬大学医学部の学生さんでした。
 障害者の姉に母親を取られてしまったという子ども時代のつらさと、姉の主治医になりたいという夢と、将来もし自分が介護をしなければならない立場になったときはどうしよう、という思いが交錯した複雑な心境に悩む姿。
 それを如実に表現した文章を見つけました。2011年度高校生福祉文化賞エッセイコンテスト入賞作品

「好きという言葉以上に」 東京都立戸山高等学校 3年 坂川 由里歌
 私の姉は重い障がいを持つ。自分では寝返りもできないし、言葉によるコミュニケーションもとれない。
 私は長い間この姉が嫌いだった。
 幼い頃は、母を独占している姉が妬ましく、許せなかった。「お姉ちゃんみたいに抱っこして。」と言っても「あなたは歩けるでしょう。」と返されると、口をつぐむしかなかった。
 思春期の頃は、ヘルパーさんが出入りする家にくつろげなかった。食事中も頻繁に嘔吐し下痢をする、姉のその臭いにもいらだった。
 でも一番嫌いなのは自分自身だった。
 姉は何も悪くない。痛みにうずくまることもできなければ、時に呼吸すら自力ではできなくなる、そうした過酷な状況を恨みも嘆きもしない。それどころかいつもニコニコしている。そんな姉に比べ、自分はなんて醜いのだろう。
 黒いモヤモヤした思いに耐えられなくなり、ある日母に打ち明けた。母は言った。
 「あなたはお姉ちゃんが嫌いなんじゃない。寂しい思いや我慢することばかりだった、そのことが辛かっただけ。ごめんね。たとえ歩けたとしても、あなたも抱っこしてあげればよかった。…今、抱っこしてもいい?」
 いつだったか私が母に叱られた時傍にいた姉が号泣し、びっくりして母と顔を見合わせたことを思い出した。姉は私のために泣いてくれた。そして私のおしゃべりに耳をすまし、私が笑うと笑った。私もそんな姉を見ると嬉しかった。私たちは一緒に生きてきた。好きという言葉以前に。好きという言葉以上に。
 母と話して黒いモヤモヤがスーと晴れた。
 障がいを持つ家族がいることで、家族も少なからず障がいを負う。そしてその障がいを乗り越える力をくれるのもまた家族なのだと思う。
 でも家族の力だけでは限界がある。だから私は将来、姉や私や私の家族のような人を、支える仕事につきたい。それが、私がこの家族に出会えた幸運に報いる道だと思うから。


 そして母親。
 母親は、亜由未さんの兄弟に彼女の世話をさせることを極力避けてきました。
 兄弟の人生に影を作ってはいけないという親心から。
 しかし母親は大病を患い、年も50歳半ばを越え、「自分だけでは亜由美の介護は終わらないのではないか」という限界と不安を感じ、自宅を改造して介護施設を作ることを模索しはじめていました。
 由里歌さんとの電話の会話にその思いが集約していました。

 「医者になったら大学のある群馬県で働くのではなく近くに戻ってきて欲しい」
 と願う母に対して由里歌さんは、
 「検討するけど約束はできない」
 と返答。
 「あなたがイヤといえばすがりたくなる、あなたがいいといえばかわいそうになる」
 「親のエゴと、あなたを自由にさせてあげたいという気持ちが両方あって、もうわけがわからない」

 追い詰められ、泣き崩れる母親の言葉。
 
 これらの家族の思いを知り、受け止めて理解し合うことで家族の絆が強くなりました。
 大変なことはたくさんあるけど、「ただ一緒にいる幸せ」に裕野さんは気づいたのでした。

 相模原市の障害者殺傷事件の被告がこの番組を見たら、考えが変わったかもしれない。


 自分が年老いて死んだら、この子はどうなるんだろう?
 という不安は、障がい児のみならず、病気を抱えた子どもを持つ親に共通するものです。

 しかし今の日本は寛容さに欠けています。
 発達障害児、精神病者、寝たきりの高齢者、認知症患者・・・他人による介護を必要とする人たちがみな幸せに過ごせているとは思えません。
 昨今話題になる「保育園建設反対」は、健康な子どもさえも排除されてしまう悲しい現実を突きつけるものです。

 どうしたらよいのでしょう。


亜由未が教えてくれたこと〜障害者の妹を撮る〜
2017.9.27:NHKスペシャル



<番組内容>
 19人の命が奪われた相模原市の障害者殺傷事件を起こした植松被告が語った言葉「障害者は不幸を作ることしかできない」。僕・NHK青森のディレクター坂川裕野(26)は、この言葉が心に突き刺さっていた。
 3歳年下の妹、亜由未(23)は、事件の犠牲者と同じ重度の障害者。20年以上亜由未と暮らしてきて、僕は不幸だと感じたことはなかった。しかし、小さい頃から介助や世話は親任せ。そんな自分が、障害者の家族は幸せだと胸を張って言えるのか。
 両親に相談し、介助をしながら亜由未を1か月にわたり撮影することにした。ところが、亜由未は、両親やヘルパーさんには幸せそうに笑顔を見せるのに、僕には不機嫌な顔で警戒心を解いてくれない。介助の大変さばかり感じ焦る毎日が続いた。
 そんなある日、両親から「結果的に笑顔だったのと、笑顔を求めるのは違う。障害者は幸せじゃないと生きる価値がないと言っている植松被告と同じ考えになってしまう」と戒められた。
 番組は、ほとんど言葉を発することができない妹を理解しようともがく兄のディレクターの姿を通じて、障害者を育てる家族の本音、大変なのと不幸は違うということ、そして共に生きる幸せとは何かを伝える。


★ この番組が本になっていました;
□ 「亜由未が教えてくれたこと―〝障害を生きる〟妹と家族の8800日」(2018/7/12:NHK出版

<参考>
□ 「亜由未が教えてくれたこと」坂川智恵さんインタビュー 
※ 坂川智恵さんは亜由未さんの母親です。
第1回:「障害者の家族は不幸」という言葉
・犯人の植松容疑者は、「障害者の家族は不幸だ」と言ったわけですが、それに対して、「いや、私たちは不幸じゃありません」なんて言い返すよりも、「不幸な人間は殺されなければならないのですか? 生きるのが許されるのは幸福な人間だけですか?」という根本的なことを問いたいのです。
・(障がい者に)笑顔ばかり求められたらしんどいと思います。
・「私が笑わなくなると、みんな去っていくのではないか」、そう思って、いつも笑っていたというのです。
第2回:地域の人々と交わるスペースを創る
・重症心身障害児者に起こる入所時重篤反応を知りました。入所が引き金で筋緊張の亢進や発熱、不眠、摂食困難などが起こって、急速に消耗し、最悪の場合は死に至るという反応です。
第3回:重い障害があっても地域で暮らす理由
・まず私たち皆、「当たり前」に施設ではなく地域で暮らしているのですから、障害者も地域で暮らすのが「当たり前」であり、施設はオプションであると、そこはおさえておきたい。自分自身に置き換えてみればわかると思います。例えば、私は病院に何年も入院していたいとは思いません。病気であっても、一刻も早く、自分の匂いのする家に戻りたいし、町で暮らしたい。障害者だって同じだと思います。亜由未のように言葉で意思表示できない障害者の場合、どうしても家族や周囲の人の意向でことが進んでしまいますけど、もしも、亜由未が話せたらなんて言うだろうかということを、まずは本人と一緒にみんなで考える。
第4回:一緒にいることがスタートでありゴール
・「障害者の家族は不幸だ」。相模原障害者施設殺傷事件の植松容疑者が残した呪詛の言葉に対して坂川智恵さんは、「不幸で何がいけない」と言います。息子さんの坂川ディレクターが亜由未さんを笑顔にしょうとすれば、「結果として笑顔になるのと、笑顔を求めるのとは違う」とたしなめます。子どもたちに介助をさせなかったのは、「身内の世話を運命のように背負い込んでほしくなかったからだ」と振り返ります。そして、重症心身障害者も地域で暮らすべきだとするのは、「本人の目線を大切にするためだ」と言います。
 坂川さんは一貫して個人の人生を尊重する人でした。重い障害があっても、施設ではなく、地域で暮らすべきだと強く主張しますが、施設に子どもさんを預ける家族に対して批判めいたことは何もおっしゃりませんでした。むしろ、そのような家族の助けとなるような活動もしていきたいと話します。批判をしているのはシステムや制度に対してであって、一人ひとりの個人のあり様についてではないと言います。
 坂川さんにとって、地域とは場所ではなく、人と人とのかかわりのことです。コミュニティスペース「あゆちゃんち」を通じて、さまざまな人が行き交い、亜由未さんとかかわっていきます。触れ合いや体験を通じて、成長するのは亜由未さんだけではありません。周囲の人たちも確実に変化していきます。「障害者の家族は不幸だ」と植松容疑者は言いましたが、幸・不幸を超えたところに一人ひとりの人生があるのだと思いました。

イライラ育児が日本を出たら消えた。

2018年11月07日 06時47分31秒 | 子どもの心の問題
 「叱りたくないのに叱ってしまう」
 「昼間子どもを叱りまくり、夜子どもが寝たあとに毎晩自己嫌悪に陥る」
 
 育児中のおかあさんのこんな声をよく耳にします。
 なぜ叱る必要があるのか?
 それは社会生活の上の禁止事項が多すぎるからではないでしょうか。

 天真爛漫の子どもは、はしゃぎ回り、大声を出して遊ぶのがふつうです。
 しかし、これができる場所は多くはありません。

 近所に保育園ができることを嫌がる住人達。
 バスにベビーカーを乗せると顰蹙を買う。
 都会では公園も混んでいるし。
 子どもの遊び場として作られた児童館では「大人1人につき子どもは2人まで」というルールを作っているところがあり、3人子どもがいるお母さんが入館を断られたと先日報道されました。

■ 児童館3人連れは駄目?熊田曜子さんブログが波紋
毎日新聞:2018年11月6日
 子ども3人を連れ、東京都墨田区の児童館を訪れたところ、「大人1人につき子ども2人」というルールがあり、利用を断られたと明かしたタレント熊田曜子さん(36)のブログ記事が議論を呼んでいる。児童館の対応について「子どもの多い家族を排除するのか」との批判の一方、「安全を考えると、仕方がない」との擁護の声も出ている。
 「3人育児」と題した4日付の記事によると、熊田さんは1人で5歳、3歳、4カ月の子どもを連れ、墨田区の児童館を訪れた。就学前の子どもが遊べる「すくすくルーム」に入ろうとし、スタッフに止められた。
 区によると、この児童館は10月にオープン。すくすくルームは約70平方メートルの室内に、ボールプールやジャングルジムを備える。通常、児童館は保護者1人当たりの子どもの人数を制限していないが、この施設は遊具があり、目が行き届く範囲を考慮し、2人までとしたという。
 ブログによると、熊田さんは4カ月の子をだっこすると申し出たが、入室は認められなかった。熊田さんは「まさか、そんな決まりがあったなんて」「事前に確認するべきですね」とつづった。
 「あまりにしゃくし定規」。ブログを読んだ、2人の子どもを育てる東京都の女性(36)は首をひねり「児童館が使えないのはつらい」と嘆く。
 一方、墨田区の担当者は「子どもの多い家族を排除するつもりは全くないが、安全のためのルール」と説明。1歳児を育てる別の女性(36)は「うちはまだよちよち歩きで、走り回る大きな子たちとぶつからないか心配。2人までというのは一理ある」と理解を示す。
 区によると、3人以上の子どもを連れた保護者が訪れた場合、1人を連れた保護者と一緒に利用することも呼び掛けているという。担当者は「熊田さんには、適切な案内ができなかった。ホームページの記載も分かりにくく、改善したい」と語る。
 子育てに詳しい「保育園を考える親の会」代表の普光院亜紀さんは「児童館は、地域の子育て支援の重要拠点。大勢のきょうだいがいても、工夫して受け入れを進めてほしい」と訴えた。


 そんな中で、以下の記事が目にとまりました。
 スイスで子育てをすることになったお母さんの手記で、日本にいるときはイライラして子どもを叱ることが多かったのに、スイスに行ったらいつの間にか叱ることがなくなっていた、という内容です。

 読んでみると、その理由は「社会が子どもに寛容かどうか」によるんだなあ、と感じました。
 日本のお母さんが悪いのではありません、社会が悪いのです。
 子どもに冷たい社会は、おそらく大人にも冷たくて、生きづらい社会なんだと思います。
 「叱る」文化は「力でねじ伏せる」「恐怖支配」につながりやすい。

 昨今、スポーツ界では「パワハラ」のオンパレードです。
 大相撲では、暴力を振るった日馬富士が廃業したものの大々的に引退相撲を開催し、被害者側の貴乃花は廃業に追い込まれました・・・これって相撲界が「暴力」を容認したことになりますね。
 おそらく将来、モンゴル勢が親方衆になると、暴力容認のプロレス並みのショーになってしまい、「神様に奉納する神事」という要素は消え去ると思われます。

 日本はどうしてこんな風になってしまったのでしょう。

■ イライラ育児、日本を出たら消えた
2018.11.2:日本経済新聞
 仕事と子育ての両立の中で、子どもが言うことを聞かなかったり、さっさと動いてくれない時、イライラしてつい怒鳴ったりたたいたりしてしまうという人がいるかもしれない。イライラは子どもとの関係だけでなく、仕事にも影響を及ぼすこともある。今回は海外に転居した日本人母が感じた子育て環境の違いを通して、「怒鳴る・たたく」育児の背景にあるものを考える。

◇ スイスに暮らし始めて「怒鳴る・たたく」が消えた
 ラジオパーソナリティーの杉野朋子さんは、かつて東京に在住していた二児のママ。筆者は、2018年1月に、かつしかFM「早く教えてっ!ママレーザー」という生放送に出演させていただいた。テーマは「ママのイライラ対策!」。感情的にならずに子育てするにはというポイントをお伝えした。それまで杉野さんは、イライラして怒鳴ったり、お子さんをたたいたこともあると言っていた。
 その約半年後、パートナーのお仕事の関係でスイスのジュネーブへ。暮らし始めて1カ月がたった頃、杉野さんから「そういえば、私はスイスに来てから子どもを怒鳴ったり、たたいたりしていない」というメッセージが届いた。
 怒鳴ってたたいたのは、スイスへ移動中の機内での「静かにしなさい!」が最後だったという。そこで杉野さんに心境の変化について取材してみた。
 どうして、怒鳴ったり、たたいたりしなくなったのか。考えてみると以下の3つの理由が挙げられるとのこと。

(1)周りのママやパパが子どもに怒鳴ったり、たたいたりしていない
(2)学校の先生も子どもに対して感情的に怒鳴ったりせず、論理的に説明している
(3)子ども優先の社会で、子連れだと親切にされる


 杉野さんは以前から、海外での子育てにとても興味があった。また、米国での駐在経験のあるママ友から(海外では)「怒鳴ったり、たたいたりしたら、親が通報されることもあるから気を付けて」と言われていたこともあり、周りの様子をよく観察していたという。
 以下、順番に説明してもらった。

(1)周りのママやパパが子どもに怒鳴ったり、たたいたりしていない
 公園に遊びに行った初日に「もう! 帰るよ!」と、何度言っても聞く耳を持たないわが子に遠くから叫ぼうとした時、「あ! 大声はダメだったんだ」と思って、周りを観察したという。現地の人は遊んでいる子どものそばへ行き、顔を見て「帰るよー」と伝えていて、大声を出すことは恥ずかしいという雰囲気だったとのこと。

(2)学校の先生も子どもに対して感情的に怒鳴ったりせず、論理的に説明している
 親や大人が、圧力や暴力で子どもに意見を押し付けようという風土がないということ。「自由、平等、友愛(博愛)」のフランス文化の影響をスイスのジュネーブは受けていると感じたという。
 そもそも親子でも、大人は子どもの意見を尊重し、「あなたはどう?」と子どもに問いかけている様子もよく見られる。子どもの靴や服を買う場面でも、子どもに「どうする? それね! OK」という感じ。

(3)子ども優先の社会で、子連れだと親切にされる
 公共の場で赤ちゃんや子どもが泣いたりすれば、日本と同じように親は必死にあやす。でも、その様子を見て「うるさいな!」と言ったり舌打ちしたりする人は見たことがないという。
 子連れで路面電車(バスのような感覚で使える)に乗っていると、大人はもちろん、中学生ぐらいの少年少女も当たり前のように席を譲ってくれる。ドアを開けてくれて「お先にどうぞ」はどこでもされ、本当に驚くばかりだそう。杉野さん親子のように外国人でも、子どもに「Bonjour!」と話し掛けてくれたり、頭をなでてくれるなどかわいがられるそうだ。

◇ スイスの日常も忙しいけれど、イライラしない
 学校への子どもの送り迎えは親かシッターが行う。昼食時には迎えに行って自宅でランチを一緒に食べるスタイル(学校に入っている民間のシッターに依頼し、学校に残って昼食を食べる子もいる)。
 日本なら、学校への送り迎えだけでも大変だ。さらに、昼に一度迎えに行って昼食を共にし、また学校に送りに行くというのは大きな負担。それでまた、イライラが増えないのだろうか。
 時間的には忙しくてもイライラしなくなった理由を2つ挙げてくれた。

(1)「学校や習い事の課題が驚くほど少ないので、負担にならない。
 宿題はプリント1~2枚を1週間後に提出するだけ」とのこと。ただ、宿題忘れには非常に厳しいという。「『宿題の期限を守れなかった場合はペナルティーがあります』というプリントに親がサインをして提出します。これは同意したという契約になるので、日本の宿題忘れよりは厳しいですね」

(2)周りと比べない
 現地の学校は外国人が4割。駐在で来ている人や、スイス人と結婚した外国人も多く、人種も文化もさまざま。スイス以外で生まれた子も多く、学習の進度も違うので、そもそも比べられることがないそうだ。そのため、わが子のそのままを見るようになり、「うちの子、遅れてる!」というプレッシャーがなくなったという。

◇  ◇  ◇

 国際NGOセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは「子どもの体やこころを傷つける罰のない社会を目指して」という調査報告書を17年に発表した。その中で、日本国内2万人のしつけにおける体罰等に関する意識・実態調査結果を見ると、しつけのために何らかの場面で子どもに対し「たたくこと」をすべきであると回答した割合は6割となっている。
 筆者は認定NPO法人児童虐待防止全国ネットワークの理事をしている。子ども虐待の理由で最も多い2つが「泣きやまないから」と「しつけのため」。そのために怒鳴ったりたたいたりし、それがエスカレートすれば、子どもの心や体を傷つけてしまう可能性がある。「頻繁ではないから時には怒鳴ったりたたいたりすることも必要」と思っている方が少なくないが、怒鳴る・たたくことは恐怖や不安によって子どもの行動をコントロールすること。コミュニケーションによって子どもの気持ちに向き合い、自立をサポートしていくことが大切だ。
 厚生労働省は17年から「愛の鞭ゼロ作戦」というキャンペーンをスタートした。リーフレットを作成し、たたかない・怒鳴らない、体罰によらない子育てを呼び掛けている。筆者も研究班の一員として、このキャンペーンのお手伝いをしている。18年10月には「愛の鞭ゼロ作戦」特設ページがオープンしている。
 親自身が「怒鳴らない・たたかないで子育てする」という意識ももちろんだが、杉野さんのスイスからの報告にもあるように、周囲からの温かいまなざしといった子育ての環境も重要だ。