「生き甲斐の心理学」では何故、それぞれの人の成育史を宝物のように考えているのでしょう?「生き甲斐の心理学」が一番重視しているのが「自己実現への道」です。この世界中に流布されている言葉ですが学派により微妙にちがっていて私達は3つの意味を明示していています。(1)自分は何の為にいきているのか(2)自分の生き甲斐とは何か(3)自分は自分が所持している魂、生育史、身体を大事にしているか。以上の3つの答えを学問を使用しながら、その答えを自分の生育史の中からあぶり出そうと努力しているのが「生き甲斐の心理学」です。少々難しいですが、奈良京都の旅をしながら、楽しく思索していきます。
あなたは何んと不幸な人、と言われたくないのは何故でしょう?幸福の条件とは例えば結婚する相手に要求する経済的な条件とか職業的な要求とかをいいます。幸福感とは例え病気であっても本人が感情的に自分は何と幸せなんだろう、と解釈していれば、その人は幸福感に満ち溢れた人と言えます。この幸福、という問題を思索する時に(1)幸福の条件(2)幸福感、の2大分類をした上で考えていかないと惨めな生活を送る羽目となります。自分の生育史では、この2大分類をどう定義しているか、を明確化しないと絶対に幸福にはなれないと言われています。他人に幸福かどうか、言われたくない理由は人間は本能的にこの2大分類を潜在意識の中でちゃんとわかっているからです。
小学生と大人の不安感は、どこが違うのか?「生き甲斐の心理学」では小学生と大人、あるいは赤ちゃんと高齢者、全ての人間、どの文化圏であろうと、その不安感は全く同じもの、と理解しています。当然、その内容、性質、強弱は違いますが、不安感をストレスの一つとして解釈しています。例えばお腹が空いて泣く赤ちゃんは思い通りの満腹感が無いので、お腹がすいて不安なので泣きますし、高齢者のある方は死ぬのが怖くて不安に思います。死んだら自分はどうなうのだろう、という不安もあります。このように比較文化論・比較宗教学を中心にした心理療法では、人類一人一人の生育史からくる「理想:こうありたい、あらねばならない、と言う願いのこと」と「現実」のギャップを不安感として把握し、その対処方法を学問として提示しています。ですから今日のテーは「小学生と大人の不安感は同じもの」として理解し、その生育史、状況での理想と現実のギャップをどう埋めていくか、そして、そのギャップを感じて苦しんでいる人々を、どう上手に解決させていくか、明るく元気に爽やかに人生を生き抜いていけるか、を誠実に対処していこうと努力している学問が、この「生き甲斐の心理学」なのです。第14章の大テーマ「奈良京都は何故私を幸福にするのか?」から外れているようですが、京都・奈良のお寺はすべて不安感の解消のために建てられたものが多いようですので関連は深いのです。過日、幸福とは何か、という質問が多数寄せられたので、この基本を理解していただく為に不安感の本質を書いているわけです。
数年前ですが、小学生の政治談議のお話。小田急線で珍しい会話を聞きました。小柄な小学生が背の高いのに向かって「君の家では参議院選挙はどの党?」、おや、と聞き耳を立てました。こんな子供もいるんだなあ、と興味津々。結局、おじいちゃんは、何々、お母さんは何々、御父さんはどうも迷っているらしい、もし僕だったら、憲法改正の人は嫌だから、こちら」といった会話でした。どちらにしても私は急に嬉しくなり思わずひと駅乗り過ごして聞いていました。この少年達を見て、私はとても幸せな気分になりました。私がこの少年の時代に第二次世界大戦が終わり疎開していきましたが、あれから70年近くも流れていますが、元気な自分に感謝しています。戦場に立つ年齢で無かった自分の人生に感謝すると共に戦死していった父親の海軍仲間、フィリピンで散った従姉妹の従軍看護師、学徒出陣の従兄の戦死、何となく不気味な領土問題を思索しつつ争いでこの少年達が戦死するような歴史だけは避けたいものだと思いつつ愛そのものである神様に平和を願い、祈りつつ、ひと駅戻り、帰宅しました。
小学生の生き甲斐のお話。今日、知人のAさんから孫の相談を受けました。孫が携帯ばかりを楽しんで、ちっとも勉強しなくなった、という相談です。Aさんは大学の先生で少々この世離れした知人ですが、とても優しい方です。さて、私が人から相談を受ける方針は、ここに居ない人の対応は一切考えないという立場で、もっぱら孫への対処方法についてではなく、Aさんが何故、私に相談したくなったのか、Aさん自身の心を大切にして傾聴していきました。多分、二度と私の所へは来なくなるだろう、と推察してお別れしました。コーヒーをのみながらの一時間でしたが、Aさんは孫の相談をしている自分が馬鹿馬鹿しくなったそうです。Aさんの悩みは自分の小学生時代と孫の姿を重ねて思索していた自分に気付いたからです。戦争中の自分と今の孫の時代の違い、それぞれの志す所の違い、手書きの時代とインターネットの時代、漫画本を読みあさった自分と携帯を楽しんでいる孫と、そう違わない自分にきづいたようです。生き甲斐の心理学では、この現象をこう解釈しています。ストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)の対処方法はそれぞれの歴史環境の中で、相当違いますので、生育史を重複させて解釈する愚かさを意識化させる手法です。Aさんは自分のおせっかいさと愛の違いにも気付いたようです。最後のセリフ:息子の嫁に嫌われるわけだ。と少々自己嫌悪君のAさんが気の毒でした。「近所の粕峰神社にお祈りをしてから帰宅したい」と言っていましたが、何だかしょんぼりした姿が気になりました。
三角関係は何故、人類社会に存在しているのでしょう?大和三山のような三角関係は人類社会では必然の現象なので、この現象にめくじらをたてて戦争するのは愚かな現象であると「生き甲斐の心理学」では解釈しています。ここから先の対応は個人責任として魂を神様に委ねるわけですが、生き甲斐の心理学では4つの対応を思索して、関係者の幸福への道を相談しあいます。自己肯定他者肯定(共存共栄への道)、自己肯定他者否定(傲慢、独善の対応策)、自己否定他者肯定(劣等感の対応策)、自己否定他者否定(破滅への対応策)、以上4点の人間関係策を心理療法という領域の中で誠実に会話をすすめていきます。このように展開していくと三角関係から悲劇も生まれますが、より美しいものも沢山、生まれてきて、人類に豊かな知恵とより良い道も生みだしています。悲劇的にのみ解釈する哲学者もいますが、解釈の道は無限に存在するものです。どんな現象も恐れる事はありません。
万葉集の大和三山は現代人の私達の心を豊かにしてくれます。何故でしょう?私達のNPO法人が企画して「日本人のアイデンティティを探る旅」を数年前にして参りました。その折に畝傍山にも立ち寄り太極拳を楽しんだり歴史を語り合いつつ時をすごしました。畝傍山の麓での全員での太極拳や樫原神宮の知覚の野原での太極拳は、人生での良き思い出です。演舞も終わり宿に向かって歩む時も、いにしえの万葉の歌を思い出し、なんとも言えない楽しい心境でした。日本が形成されていく万葉の時代の歌が今でも文化として残っている日本は何と素晴らしい国でしょう。男性である天香久山が美しい女性である畝傍山に恋をしていますが、その畝傍山は男性である耳成山が大好きなのです。この神話は色々の意味合いがあり、現代の私達の心を豊かにしてくれています。もう一度、深く味わって下さい。「香具山は 畝火を愛しと 耳梨と 相争いき 神代より かくにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせもも 嬬を 争うらしき(巻一) 」。神聖な雰囲気を持つ橿原神宮、その境内での太極拳、そして仲の良い勉強仲間との旅、こんな人生に感謝いたします。
神聖な感情はどこから生まれてくるのか、という心理学上の問題です。世界各地には「聖地」といわれている場所があります。それぞれの民族がその聖地を訪ねては心に何かを感じて生きています。アフリカ、インド、中国、南米、それぞれの文化、宗教があり、それぞれ信仰している世界を持って民族は生きてきました。各地の文化、宗教を軽蔑すると、そこに大きな悲劇がうまれますので決して相手の文化、宗教を軽蔑してはいけません。さて、その聖地に立つと普通の人は、その雰囲気を感じるものです。「生き甲斐の心理学」では、その理由を「魂」が原因だと主張しています。アフリカで誕生した人類が数万年をかけて地球に拡大していくわけですが、気候、風土、地形で言語も変化し、感情表現も厳寒の地と熱帯の地では表現も異なってきます。こうして神話、民話、宗教、人間関係の在り方も、その地方、地方で独特の文化、言語が形成されてきましたが、遺伝子、ミトコンドリアの研究が進むと、ゴリラ、チンパンジーとは違いますが、ホモサピエンスは全く同じです。親族が死ねば美しい花をお墓にささげるように、古代から死者の魂を大事にしている文化があるように、死にゆく人々が大地に溶けゆくだけでなく魂がどこかに行くような文化、解釈が生まれてきます。この魂が神聖な感情を生むと言われています。神聖な感情を無視すると人は何故か心因性病理に冒されていく事実を私は大学病院で沢山みてきました。死後の世界については神聖に思索したほうが健全なようです。
日本人のアイデンティティ形成を勉強する際に古事記、日本書紀はとても大切な物語で、歴史上の真実は歴史学者にお任せして、現代に生きる日本人の庶民の心に残るイメージを大切にしつつ暫くこの日本人のアイデンティティについて思索してみます。たまたま私達のNPO法人が数年前の6月6-8日、飛鳥奈良の旅に出かけました。最初の訪問先がこの樫原神宮と神武天皇御陵でした。盛り沢山の訪問先がある中で、この樫原神宮が最初の訪問先であることに、私は何故か、一人で感動していました。案の定、この現場に立った時、やはり私の心は何となく神聖で爽やかな感情に満たされました。歴史学者は色々いいますが、それはそれとして、私自身はとても心が満たされ感謝しました。何故でしょうか?各民族はそれぞれの原点の場所を所持していて、現代でも、人々はその現場に立ち、色々の思索をしては、それなりの想いをもって生きていこうとします。私が何故、樫原神宮で爽やかな感動を感じたのか、そして生きる喜びを感じたのか、生き甲斐の真理学の理論で思索してみます。
何故、今の幸福に気づかないのか、というお話です。原因は過去の体験の解釈に感情的な原因がある場合と幸福の条件に固執する場合があります。過去の思い出をいつまでも暗いほうへと解釈していて、あの体験があればこそ、今の成長した自分が存在していることにいつまでも気づかない人が案外多いのです。思い出しても嫌なあの事件、あの苦々しい自分は何と馬鹿ない事をしてしまったのだろう、あの自分は許せない、あの人は許せない、あの事さえなければ、といつまでも恨みつらみの感情に生きているわけです。この体験の解釈のありようがその人を生涯縛りこんでいて、固執障害の精神現象をキープしているのです。解釈を変えれば自由の心が獲得出来ます。もうひとつの頑固は、しつこいくらい過去に努力して形成した自分の幸福の条件に固執している場合です。幸福の条件を少年少女時代に形成してしまい、これ以外の幸福の条件へと変更出来ない固執障害です。年齢とともに、或いは人生体験と共に、幸福の条件を変更していかないと、人は満足、感謝という感情は生まれません。病気、挫折、年齢の加齢、政治環境、歴史環境等個人の人格に関係なく、どんどん地球は変化していくものです。10年に1度くらいは幸福の条件の思い込みから解放され、新しい幸福の条件を創り上げ、その目標に向かって生きていかないと、何故か自由な心で明るく元気に生き抜いていかれません。幸福の条件、幸福感、この二つの点検をしていくと、案外、無駄な努力をしないで、爽やかに生きていけます。
自分が幸福の時の生き方を大きく分けると二つに分類されます。一つはその幸福に感謝して、周囲に還元していくタイプ、もう一つは幸福を還元せずに威張りだし傲慢になるタイプです。実に面白いこの二大分類は人類最古の古文書・ギルガメッシュ叙事詩にも、エジプトの神話、インド神話、日本の古事記日本書紀にも書かれています。幸福になると何故、この二つに分類されていくのでしょうね?その理由を「生き甲斐の心理学」ではこう表現します。A=B(X+Y)と表現しています。この方程式は比較文化論・比較宗教学を専門として勉強した人々の間では常識なのですが、日本ではいまだあまり知られていません。Aは現在生きている自分のこと、Bは魂、Xはその人の生育史、Yは生物学的医学的身体のこと。この分類でのB、つまり魂に素直であれば、感謝を意識化出来ますが、魂を無視した生き方ですと傲慢になりやすい、という哲学です。魂とは何か、研究する価値がありますので、学問としてのレベル(比較文化、比較宗教学)として生涯、勉強してみて下さい。Aは人間学の領域、Bは宗教学の領域、Xは臨床心理学の領域、Yは生物学医学の領域です。自分が幸福だ、と感じた時、是非、その幸福を周囲にお上品に還元して下さい。
しみじみと幸せだなあ、と感謝することがあります。普通ならこのまま感謝していれば、それで不便なく生活出来るのですが、友人、知人に会う度に不幸だ、不幸だと口にするのを見たり、聞いたりしますと、ここで「生き甲斐の心理学」の出番となります。生活に困っているわけでもなく、病気でもなく、何を不幸だ、と感じている事自体が私には不思議に思うことがあります。人は「考え方、感情の処理の仕方、行動の在り方」が変な場合、幸福の条件が整っていても不幸だ、と感じる場合があるのです。「幸福の条件」と「幸福感」が全く違うもの、という哲学に気付いていないと、どんなにお金があり、病気でなくても自分は不幸」だ、不幸せだとぶつぶつ言いながら死んでいきます。どんなにお金がなくても、重病でも、自分の人生は何と幸福だ、と感情面で感じて満足して死んでいく人々も大勢います。自分は不幸だ、と嘆く人が、この違いを意識しているかどうかは分かりませんが、感情面での幸福感を感じていないからです。幸福の条件とは、その人の生育史で培われている願望、こうありたいと願っている経済的な条件、健康であるべきだ、という想い、結婚の相手は外交官、という条件を幸福の条件と定義しています。幸福感とは感情的な領域でしみじみと幸せを感じる事を言います。この二つに分けて人生を歩める事の出来る人は心が豊かになり、現実を吟味する上での余裕が生まれてきます。自分が幸せだと感じた時、この自己分析をしておくと、友人が不幸だ、と嘆く時の手助けが出来るかもしれません。
高校生徒時代の劣等感、挫折感、孤独感は30代まで続いたようです。シカゴ大学の研究室時代もイギリスの大学研究室時代も、この劣等感は非常に大きく、それだけに嫉妬する資格は自分には無いと考えていたのが幸いでした。傍目には謙遜な青年に見えたようです。謙遜な青年だね、と言われると、私はこの人は人を見る目がないんだなあ、と内心考えていたようです。しかし研究室にいたW君の故郷のイギリス南部の家(お城)に招待され、その美しい妹君に会いますと、モンゴロイドの風体をした自分に嫌気がさした思い出があります。イギリスの貴族の息子達は色々いますが、えてして彫りの深い貴公子がいるのです。一目ぼれなどという資格は無いし、相手は単に礼儀を尽くしてお兄さんの友達を歓迎してくれているわけですが、その姫君が親友と颯爽と乗馬していて、私を誘いにきた時は乗馬出来な私がとても惨めになりました。この時の姫君の相手の青年に感じた嫉妬心は驚くべきものでした。以来、一目ぼれすると嫉妬心を感じるのが嫌で(怖くて)、愛は恐ろしいものだ、と思いこんだ自分の青年時代がとても懐かしいです。