ダイワコーポレイション株式会社(リサイクルショップ ハローズ/家具のダイワ)社長のひとりごと

仕事の事、趣味の事、子供の事etc昭和40年生まれのおやじのブログ

貧乏とお金持ちの話

2013-06-24 08:01:41 | 懐かしい話
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リサイクルショップハローズ
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琴平荘さんの社長のブログ→http://konpirasou.sanze.jp/を見ていて思い出しましたが、小学校の帰り道ではいろんな所に寄り道したり、勝手に企業の敷地に入って遊んでいました。この飽食の時代には考えられないのですが、民家になっているザクロを食べたり、渋柿をそのまま食べるという事もありました。柿の渋みは口のなかにしばらく残ります。長い帰り道の間、友人とずっと渋い顔のままでした。私が通っていた朝3小には木苺(別名蛇苺)もあり、これは美味しかった記憶があります。つつじの花をもぎ取って、根元を吸うと甘いのですが、私の子供が小さい頃に吸わせてみましたが、嫌な顔をされました。

そう言えば数年前に、親戚のいろは食堂さんの法事で、そんな感じの懐かしい話をしていると、10歳以上は年上の方が話に入ってきて『そうそう、よく皿に味噌を盛って裏山にいったよなぁ。あれがオヤツだったよね。』と同意を求められました。腹がすくと、味噌を盛った皿を持って裏山に出かけて、そこらにある葉っぱや山菜をつまんで味噌をつけて食べたって話。さすがに『そうそう』とは言えませんでした。オヤツと言えばベビースターや麩菓子、ライダースナックでしょ。

貧しい時代でしたが、前回の同窓会の打ち合わせでは金持ち話になりました。矛先は私でした。鯉を飼っていたとか言われましたが、昔は庭に大きな池があって、鯉を飼うなんて家はたくさんありました。凄いのは千石やの店主の家で、床の下に池があってリビングの床の強化ガラスから鯉を眺める事ができるのです。優雅ですよねぇ。ウチでトヨタのセンチュリーという自動車に乗っていましたが、所詮国産車です。外車が珍しかった時代に、同級生の北高前の長○川鮮魚店ではベンツ、BMWに乗っていたノリの親父、琴平荘のカッケの家ではボルボに乗っていました。カッケと言えば、小学校の頃にカナダに遊びに行ったのも驚きでした。でもね、一番凄いのはT君かな?家の前の公園の電話ボックスが実は地下に繋がっていて、地下には大豪邸があるんだって。フェラーリやポルシェなんかも何台も隠してあったそうです。もちろん誰も見た事がありませんが、、、、

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