先日、友人出演の芝居を見に行きました。
30人座れるのかなぁといった感じの、所謂小劇場です。
床に座るのではなく、ちゃんと長椅子と座布団がありました。
席は2列。後列に座ると壁が背もたれになります。
前列に座ると背もたれが“後列の人のすね”になります。
・・・背中に緊張が走りそうな感じです。
7人がけの電車のシートに、7人もしくは無理して8人で座るような感覚で、
長椅子に腰かけます。
1週間くらいの公演、日によっては2回公演だったりするのに、
客席がほぼ満席・・・演劇の観客数って多いんですね。
考えてみれば、高校も中学も演劇部がありましたが、
オペラ部はありませんでした。あったのは合唱部。
声楽を習うには、完全に学外活動で、
東京までレッスンに行かなければならない状況。。。
演劇に接する機会が、義務教育の時代には既にあったということです。
学校教育に、オペラ人口が増える土壌は少ないのかぁ
、、、などと考えを巡らせているうちに、お芝居が始まりました。
・・・と、上演途中で気がつきました。
お客さんがプログラムを注視しています。
お芝居に退屈しているのではありません。
新しい人物が舞台に登場する度に、プログラムを見て、
その人が誰であるのかを確認している様子でした。
一人二役いや三役。
ありがちといえばありがちなのですが、早替えと呼ばれる衣装替えやメイク直しをして、
一人の俳優が何人もの役を交互に演じます。
オペラで例をあげるなら、
『ヘンゼルとグレーテル』の“露の精”と“眠りの精”
1幕最後にヘンゼルとグレーテルを眠らせておいて、休憩の間に着替え、
2幕冒頭で二人を起こして・・・出番終了。
・・・と思ったら、なぜか“お菓子になった子供達”の中に紛れ込んでいたりしてね。。。
さきほどまではスーツ姿だった人が、今は作業着姿。
衣装や髪形が変わったので、さきほどとは違う人物を演じていると分かるのですが、
ガサガサと紙の擦れる音があちこちで起こり、
ほとんど全員が・・・観察している私以外の全員が、プログラムを確認していました。
そして私は気がつきました。
「紹介の台詞がない」
『ヘンゼルとグレーテル』の場合、どちらの精も
自己紹介から歌いだします。
“眠りの精だよ、心配はいらないよ”、“私は露の精、お日様のお使い”
“私は誰それです”という自己紹介がない場合は、
他者から“誰それ”と呼びかけられることによって、
その人物が誰であるのかが、観客にわかるようになっています。
“ねえ、ヘンゼル”と呼びかけられた方がヘンゼルで、
“なんだい、グレーテル”と答えられた方がグレーテルです。
独り言にも似た独白として、“あいつはきっと魔女に違いない”と呟かれれば、
その独白が差す人物は魔女として観客に認識されます。
ところがですねぇ、その芝居では、
全てのセリフの主語は『私』であり、呼びかけは『奥さん』とか『あなた』とか『先生』でした。
よって観客は『私』がだれであるのか、
『奥さん』が誰の奥さんなのか、『先生』とは医者なのか物書きなのかを確認していたのです。
これって、脚本的に、どうなんだろ?と疑問がわきました。
“呼びかける時、呼びかけの言葉の次に名前をつなげることは、
日常生活では滅多にないかもしれないと思います。
『Hi、Hans!!』・・・欧米の文化では普通かもしれません。
“ねえ、ヘンゼル”・・・日本語の文化では少し不自然かもしれません。
“ねえ”しか言わないか、“ねえねえ”と重ねるか。
あるいは名前を呼ぶのみかもしれません。
朝、友人を見かけて、“おはよ!”と元気よく声をかける時も、
“おはよ、ナントカちゃん”ではなくて、“おはよ”だけが多いと思います。
しかし、それが脚本であった場合には、
わざと“おはよ、ナントカちゃん”とつけるべきなのではないかと・・・。
もう少し勉強して、きちんとした脚本を書いてほしいなと思いつつ、
日常生活では使用しない言葉も、セリフとしては存在することに
改めて気づきました。
所謂『説明セリフ』というもので良いのかしらん?
日常生活では使用しない『説明セリフ』というものも、
自然に聞こえなければいけないと思います。
しかも、伝えるべきことが、ちゃんと観客に伝わらなくてはならない。
音楽の場合は、その点、
ちょっとラクでちょっと大変かなぁ。。。
レチタティーヴォの歌い方が、少し変わりそうな、そんな経験でした♪