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Posted at 18:19:31
最前列に等間隔に並んだ軍服姿、空いている前列、日本語ばかりが並ぶ広告・・・サッカーを見ながら別のところばかりに目がいくなぅ。
Posted at 14:39:30
1987年6月5日4時32分1秒のイベントは、花火を打ち上げたりして歴史的なイベントをしていたことを思い出します。
Posted at 14:38:03
日本では平安時代で和暦だから無理だけど・・・1111年11月11日の11時11分も大騒ぎしたのかな~などと妄想する、神聖ローマ帝国の時代。
昨夜見た映画・・・半日経った今も印象に残っているシーンがあります。
一つは朝ごはんのシーン。
オムレツを作る彼と、そばにいる彼女とのセリフのやり取りが、
とても自然に思えました。
台本がないんじゃないかと思うくらい。
のちほど“もうひとつの家庭”の朝食がチラリと映ったりするので、
このシーンはアドリブではないと思うのですが、
テンポ・リズム・間の取り方・・・
とても自然でした。
オペラにおけるレチタティーヴォで、
これほどまでに自然なやり取りが出来ているかなと考えます。
言葉の壁、音楽の壁を越えて。
早口で喋るのが推奨されているような場面にも遭遇しますが、
相手役と自然に会話のやり取りが出来ているかな~・・・と。
もちろん、レチタンド“Recitando”とパルランド“Parlando”は違いますし、
イタリア語の方が日本語より早口です。
テレビドラマや映画を見ていても、
これほどまでに自然なやり取りって、あまり見たことがない気がします・・・。
彼を抱き上げちゃうシーンでのセリフのやり取りも自然でした。
遠目から撮っているので、撮影には“なんらかの”テクニックがあり、
もしかしたらセリフのみ別撮りしたのかもしれませんが、自然でした。
この映画が日本で公開されたのは、1970年とのことですから、
その当時と比べると、自然そのものの演技というよりも、
もう少し芸術性が求められている現代ですが、
それでもやはり、勉強になりました。
先ず、自然であること。そこを出発点にしたいです。
日常生活そのままなのではなく、
『自然なやり取りだと観客が感じる』・・・そんな感じ。
・・・しかし、1970年に公開された映画が、
イタリア人の俳優・スタッフ達がソ連でロケをしたって、
すごいですよね・・・。
まだ感動に酔いしれています。
音楽に関しては・・・イタリアというよりアルゼンチンみたいだな~と思いましたが(汗)
地平線の向こうにまでいっぱいに咲いたひまわり。
母と妻と娘。
「今、はっきりとわかった。アタシ、アンタと一緒にずっといるわ。」