「参院議院運営委員会は8日の理事会で、10月31日の園遊会で天皇陛下へ手紙を手渡した山本太郎参院議員(38)に対し、山崎正昭参院議長による厳重注意と任期中の皇室行事への出席を禁止する処分を決めた。
山本氏は国会内で、10分以上にわたる議長からの“おしかり”を神妙な表情で聞いた。直後の会見で「議長からは参院の品位をおとしめるものだと言われ、私もおっしゃる通りと思った」と反省。
天皇陛下に対しては「お会いできる機会があれば直接おわび申し上げたかったが、かなわなくなった」とし、「既に二重橋(皇居内の橋)の方に行って、おわびを申し上げた」と話した。山本氏によると、11月中に3回、橋の近くから皇居に向かって謝罪したという。今後も同様の謝罪を無期限で行う予定としている。」
(スポーツ報知 11月9日(土)7時4分配信)
チャンネル桜の水島聡氏は、山本太郎議員が、陛下に対する非礼を自覚して謝罪したのに、まだ、議員辞職で当然だ、腹を切れ、とまで言っている。これは、ちょっと行き過ぎだと、思うのだか。氏の呼びかけで集まって抗議している人達も、あまり怒ってはいない。
氏は、山本太郎氏に票を入れた66万人、さらには全ての日本人が怒っていると言っていたが、はたしてそうだろうか。
アンケートをとってみた方がいいと思う。
私の予想では、山本太郎は、腹を切るべきだ、辞職すべきだ、と主張する日本人は、20%くらいで、腹を切るべきとは思わない、辞職する必要はない、と主張する日本人は80%くらい、だと思う。
少なくとも私は、議員辞職も、切腹も、全然、望んでいない。
自分の思いを、かってに日本人、全員の思いにまで敷衍すべきではない。
そんなに日本を憂いているのなら、自分が皇居の前で諌死でもしたらいいじゃないか。
これだから、限りなく極右に近い保守は怖い。
陛下とて、過失の非礼を謝罪した日本国民を、議員辞職し切腹すべき、などとは決して望んでおられないであろう。
行き過ぎたロイヤルティーはファシズムを生みやすい。タブー、非国民、特高警察、拷問、処刑・・・などが、ロイヤルティーの名目で正当化される。それは、人から、自分で、ものを考える能力を奪うものである。
ナチス、太平洋戦争の天皇の神格化、オウム真理教、その他の宗教・・・すべて、そうである。
そもそも、ロイヤルティーには「マゾヒスティックな不謹慎な快感」が含まれているのである。傍迷惑にパンパカはしゃいでいる右翼の街宣車の阿呆どもは、この不謹慎な快感に浸っているだけである。
さて、バタイユが言うように、至高性=呪われた部分、であって、ロイヤルティーとは、その対象の崇高さ、にあるのではなく、人間の心にある、浅はかさ、軽率さ、と、より深く関係があるのである。
三島由紀夫は、自決の10日前に、古林尚と対談しているが、古林尚が「絶対者は天皇じゃなくちゃダメでしょうか?」と聞いたのに対し、三島由紀夫は「別に天皇でなくてもいいんですよ。封建時代の殿様でもいいんですよ」と言っている。
何と、軽率な、そして、何と、正直な告白であることか。
山本氏は国会内で、10分以上にわたる議長からの“おしかり”を神妙な表情で聞いた。直後の会見で「議長からは参院の品位をおとしめるものだと言われ、私もおっしゃる通りと思った」と反省。
天皇陛下に対しては「お会いできる機会があれば直接おわび申し上げたかったが、かなわなくなった」とし、「既に二重橋(皇居内の橋)の方に行って、おわびを申し上げた」と話した。山本氏によると、11月中に3回、橋の近くから皇居に向かって謝罪したという。今後も同様の謝罪を無期限で行う予定としている。」
(スポーツ報知 11月9日(土)7時4分配信)
チャンネル桜の水島聡氏は、山本太郎議員が、陛下に対する非礼を自覚して謝罪したのに、まだ、議員辞職で当然だ、腹を切れ、とまで言っている。これは、ちょっと行き過ぎだと、思うのだか。氏の呼びかけで集まって抗議している人達も、あまり怒ってはいない。
氏は、山本太郎氏に票を入れた66万人、さらには全ての日本人が怒っていると言っていたが、はたしてそうだろうか。
アンケートをとってみた方がいいと思う。
私の予想では、山本太郎は、腹を切るべきだ、辞職すべきだ、と主張する日本人は、20%くらいで、腹を切るべきとは思わない、辞職する必要はない、と主張する日本人は80%くらい、だと思う。
少なくとも私は、議員辞職も、切腹も、全然、望んでいない。
自分の思いを、かってに日本人、全員の思いにまで敷衍すべきではない。
そんなに日本を憂いているのなら、自分が皇居の前で諌死でもしたらいいじゃないか。
これだから、限りなく極右に近い保守は怖い。
陛下とて、過失の非礼を謝罪した日本国民を、議員辞職し切腹すべき、などとは決して望んでおられないであろう。
行き過ぎたロイヤルティーはファシズムを生みやすい。タブー、非国民、特高警察、拷問、処刑・・・などが、ロイヤルティーの名目で正当化される。それは、人から、自分で、ものを考える能力を奪うものである。
ナチス、太平洋戦争の天皇の神格化、オウム真理教、その他の宗教・・・すべて、そうである。
そもそも、ロイヤルティーには「マゾヒスティックな不謹慎な快感」が含まれているのである。傍迷惑にパンパカはしゃいでいる右翼の街宣車の阿呆どもは、この不謹慎な快感に浸っているだけである。
さて、バタイユが言うように、至高性=呪われた部分、であって、ロイヤルティーとは、その対象の崇高さ、にあるのではなく、人間の心にある、浅はかさ、軽率さ、と、より深く関係があるのである。
三島由紀夫は、自決の10日前に、古林尚と対談しているが、古林尚が「絶対者は天皇じゃなくちゃダメでしょうか?」と聞いたのに対し、三島由紀夫は「別に天皇でなくてもいいんですよ。封建時代の殿様でもいいんですよ」と言っている。
何と、軽率な、そして、何と、正直な告白であることか。