小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

草食系男の恋愛(上)

2015-06-08 06:32:09 | 小説
草食系男の恋愛

ある銀行である。大手の銀行ではない。小規模の信用金庫である。

哲也は、内気な性格だった。
世の人間は、内気な人間が、なぜ、内気なのか、わからない。
今年、大学を卒業して、この銀行に就職した。
京子も、今年、大学を卒業して、この銀行に就職した。

女子社員に、お茶配りを、させるのは、セクハラ、などと、いわれるように、なった今だが、それは、男の上司が、居丈高に命令するから、セクハラになるのであって、それが、なければ、男が、レディーファーストの精神を持ってっていれば、女は、男の社員に、「はい。どうぞ」と言って、お茶を配ってやりたい、とも、思っているのである。男の、心のこもった、「ありがとう」の笑顔が、女には、嬉しいのである。

京子は、きれいな、明るい、社員だった。
京子は、よく、皆に、お茶を配った。
性格が明るいのである。
特に、京子は、哲也に、お茶を、渡す時が、楽しみだった。
「はい。哲也さん」と言って、哲也に、お茶を、渡すと、哲也は、顔を真っ赤にして、声を震わせながら、「あ、ありがとうごさいます」と、言って、お茶を受けとって、ペコペコ頭を下げた。

哲也は、昼休みは、いつも、コンビニ弁当、とか、カロリーメイトとか、だった。
京子は、いつも、自分で、弁当を作って、食べていた。
ある時の昼休み。
「ねえ。京子。近くに、最近、出来た、インド料理店があるでしょ。昼休みバイキングで、850円、だって。行ってみない?」
同僚が誘った。
「ええ。行くわ」
京子は、即座に、答えた。
「あっ。京子は、いつも、弁当、もって来てるけれど、どうする?」
同僚が聞いた。
「私。今日は、お弁当、作ってきませんでした」
京子は、そう答えた。
同僚は、ニコッと笑った。
「決まり。じゃあ、行きましょ」
そう言って、社員みなが、出て行った。
あとには、京子と、哲也が、残された。
「あ、あの。哲也さん」
と京子は、おそるおそる一人の哲也に声をかけた。
哲也は、カロリーメイトの箱を開けるところだった。
「は、はい。何でしょうか?」
哲也は、声を震わせて言った。
「あ、あの。もし、よろしかったら、私の、作った、お弁当ですけど、召し上がって頂けないでしょうか?」
京子は、そう言って、弁当箱を差し出した。
「あ、ありがとうございます。喜んで、頂きます」
そう言って、哲也は、京子の弁当箱を受け取った。
「ありがとうございます」
そう言って、京子は、急いで、みなの後を追った。

みなが、帰ってきた。
「あー。美味しかったわね。本場のインド料理」
「食べ放題、といっても、そんなに、食べられるものじゃないわね。小麦粉を練って、作った、ナンが腹にはるのよ」
「でも、異国に行ったような、気分になるじゃない」
皆は、そんなことを、言いながら、席に着いた。
哲也は、そっと紙袋を持って、京子に近づいた
「有難うございました。とっても、美味しかったでした」
哲也は、小声で、京子に言って、京子に、紙袋を渡して、そそくさと、自分の席に戻った。
京子は、紙袋の中を見た。
中には、京子の弁当箱があり、弁当箱の中は、空っぽになっていた。
京子は、ニコッと、哲也に、向かって、微笑んだ。

その日の仕事も、終わった。
皆が帰った後。京子と哲也の二人が残された。
「あの。哲也さん。お弁当、食べて下さって、有難うございました」
京子が言った。
「いえ。とても、美味しかったでした」
哲也が言った。
「哲也さん。一人分の弁当を、作って、自分で食べても、さびしいものです。それに、どうせ、作るなら、作る手間は、同じですし、安くなります。二人分、作った方が、安くなります。よろしかったら、これからも、哲也さんの分の、お弁当の分も、作ってもって来てもよろしいでしょうか?」
京子が聞いた。
「それは、大歓迎です。でも、タダで、頂くわけには、いきません。かかった分の材料費と、手間賃を、大まかに、市販の弁当の値段、相当に払います」
哲也が言った。
「有難うございます。哲也さんも、カロリーメイトばかり、食べていては、栄養のバランスが悪いですわ。カロリーメイトばかり、毎日、食べていて、栄養失調になって、死んだ人の、記事を新聞で見たことがあります」
京子が言った。

その日、以来、京子は、二人分の弁当を作って、会社で、哲也に、そっと、弁当を渡すようになった。

ある時、ある田舎の、信用金庫に強盗が入った、という新聞記事が載った。
「ここの銀行も、狙われるかも、しれない。田舎の銀行が、狙われやすいんだ。それに、備えて、万一、銀行強盗が入った時のために、模擬練習をしておこう」
と支店長が提案した。
「異議なし」
と、社員たちは、賛同した。
「では、今週の日曜、に、やろう」
と支店長は、言った。
「異議なし」
と、社員たちは、賛同した。
「それで、強盗の役は、誰がやる?」
支店長が、みなに聞いた。
皆の視線が、哲也に集まった。
銀行で、若い男の社員は、哲也だけだった。
「山野哲也くん。君。強盗の役、やって貰えないかね?」
支店長が、哲也に聞いた。
「は、はい。わかりました。やります」
哲也は、気が小さいので、何事でも、頼まれると、断れないのである。
「それは、ありがとう。では、君の判断で、強盗になりきって、好きなように、演技してみてくれたまえ。君が、どういう行動を、とるか、は、君に全て任せるよ。その方が、実践的な練習になるからね」
と、支店長が言った。

日曜日になった。
哲也を除いた社員は、みな、出社していた。
日曜なのに、出社したので、支店長は、それなりの、特別手当を皆に渡すことを、約束していた。
みな、席に着いて、いつものように働いている様子である。
そこへ、カバンを持った、スーツ姿の哲也が入ってきた。
哲也は、さりげなく、まわりを見渡すと、振り込み用紙に、記入し、順番待ち、の番号札をとった。
すぐに電光掲示板の数字が、哲也の持っている、番号札を示した。
哲也は、受け付けに、行った。
「いらっしゃいませー」
京子が、明るい笑顔で、言った。
「あの。これを振り込みたいんですけど・・・」
と言って、哲也は、振り込み用紙を京子に、渡した。
京子が、振り込み用紙を手にした、瞬間、哲也は、カウンターをパッと、乗り越えた。
そして、京子の手を背中に、捩じ上げた。
「ああっ」
京子は、哲也の力が強いのに、驚いた。
キャー。
みなは、叫び声を上げた。
「おとなしくしろ。全員、手を上げろ。少しでも、動いたら、この女を殺すぞ」
哲也は、ドスの利いた声で言った。
哲也に、言われた通り、みなは、手を上げた。
哲也は、京子の、両方の手を、背中に捩じ上げ、手首を交差して、胸の内ポケットから、縄を取り出して、背中で、京子の手首を重ねて、縛った。
哲也は、京子の縄尻を取って、金庫の方へ行った。
「さあ。金庫を開けろ。そして、現金、一千万円を、そろえて出せ」
哲也は、女の事務員に言った。
事務員は、おそるおそる、金庫を開けて、札束を取り出して、積み上げた。
哲也は、札束の中から、数枚を、取り出して、宙にかざした。
「よし。すかし、が、入っている。本物の、札だな」
そう言って、哲也は、カバンから、大きな袋を、取り出して、その中に、札束を入れた。
「たかが、一千万円だ。この女は、人質として、連れて行く。オレが無事に、逃げ切れたら、この女は、自由にしてやる。警察に知らせたら、この女を即、殺すからな」
哲也は、そう言って、登山ナイフを、京子の、喉笛に、突きつけた。
「オレは、途中で、車を乗り換える。だから、ナンバーを、ひかえても、無駄だ。それと、警察には、知らせるな。たかが、一千万円と、この女の命と、どっちが、大切だと思う?オレは、途中で、警察に、捕まったら、この女を殺し、自分も死ぬ。オレは、かなりの距離、逃げたら、この女を、ある人気のない林の中に、縛っておく。オレは、さらに遠くに、逃げる。絶対、捕まらない方法で。オレの安全が、確実と、わかったら、警察に、この女の、居場所を教えてやる」
哲也は、そう言った。
みなが、ホールド・アップしている、中を、哲也は、後ろ手に縛られた京子を、首筋にナイフを突きつけながら、引き連れて、銀行を出た。
銀行の前には、車が止められていた。
哲也は、車のドアを開け、助手席に、京子を乗せ、自分は、運転席に、乗り込んだ。
そして、エンジンを駆けて、車を飛ばして、走り去った。

あとには、銀行員たちが残された。
「どうしよう?」
「警察に連絡しようか?」
「でも、人質になった、京子のことが心配だわ。確かに、一千万円と、京子の命とを、考えたら、京子の命の方が、はるかに、大切ね」
「じゃあ、犯人の言うように、犯人が京子の居場所を、連絡してきた時に、警察に連絡したらいいんじゃない?」
「でも、犯人の言うことが、本当という、保障は、ないわ。まず、警察に電話して、事情を全部、話して、どうするかは、警察の判断にまかせたら?」
「でも、京子の命のことを、考えたら、犯人の言う事を、聞いておいた方がいいんじゃないかしら?」
「でも、犯人は、私達が警察に連絡したか、どうかは、わからないじゃない」
「でも、警察が、非常線を張って、犯人を見つけて、追いかけた時に、わかるわ」
「でも、その時、犯人が京子を連れているか、それとも、京子を、どこかの林の中に、縛りつけておいて、一人で逃走中なのか、わからないじゃない」
「でも、そもそも、犯人の言うことなど、信用できないから、言ったことを、本当に実行するか、どうか、わからないじゃない。やっぱり、犯人が逃げた直後に警察に連絡して、警察の判断に任せた方がいいんじゃないの?」
などと、社員たちは、話し合った。
が、どうすれば一番いいかの結論は、出なかった。
あたかも、ナポレオンの後のウィーン会議の、「会議は踊る。されど進まず」のように。

そんなことを話しあっている、うちに、車の止まる音がした。
哲也が、京子と、もどって来た。
「やあ。ただいま」
哲也が、言った。
「ただいま、帰りました」
京子が言った。
哲也と、京子は、そう言って、席に着いた。
「やあ。哲也君。ありがとう。強盗が入った時の、いい練習になったよ」
支店長が言った。
「い、いえ」
哲也は、小さな声で、言った。
「君が、一千万円、という、割と、少額の要求と、人命との比較を、言うものだから、我々も、咄嗟には、一番、適切な対応を判断できにくかったよ」
と、支店長が言った。
「でも、哲也さんも、おとなしそうに見えても、かなり、荒っぽくなるのね。驚いちゃったわ」
社員の一人が言った。
「そうね。人は、見かけによらないわね」
と、別の社員が言った。
哲也は、そんなことを、言われて、顔を赤くして、俯いた。

数日後のことである。
仕事が終わって、皆が、帰ってしまって、哲也と、京子の二人になった。
「あ、あの。哲也さん」
京子が哲也に声を掛けた。
「は、はい。何でしょうか?」
哲也が聞き返した。
「あ、あの。この前の、銀行強盗の練習の時、私、ちょっと、犯人の、なすがままにされて、しまって、それ以来、恥ずかしかったんです。ちょっと、銀行員として、もう少し、自覚しなくては、ならないと、思って、護身術を、少し、研究してみました。もう一度、私を、つかまえて、みて、くれませんか?」
京子が、そう言った。
「わかりました。京子さんの、護身術、僕も、見てみたいです」
そう言って、哲也は、立ち上がった。
「さあ。私を取り押えてみて下さい」
京子には、何か、自信があるような様子だった。
「では、取り押えます」
そう言って、哲也は、京子の背後から、京子を、ガッシリと、つかまえた。
京子は、ふふふ、と笑って、ふっと、小さく体を動かした。
しかし、哲也は、ガッシリと、京子を、つかまえたままで、京子は、抜けられない。
少し、あがいたが、京子は、抜けられなかった。
哲也は、ふふふ、と、笑って、京子の右手を背中に、捻じり上げ、そして、左手も、背中に、捻じり上げ、背中で、手首を重ね合せて、縄で縛った。
京子は、クナクナと、床に座り込んだ。
「おかしいわ。抜けれる、はずなのに?」
京子は、残念そうに言った。
「京子さん。あなたが、研究した、護身術というのは、You-Tubeに出でいる、日野晃、という人の、護身術でしょう?」
哲也が言った。
「ええ。実は、そうなんです。よく、知ってますね」
京子が言った。
「僕も、あの動画は、見ました。抱きつかれた時、ほんの少し、片方の手を、動かすことで、相手の意識を、そっちの方に、持って行かせ、手薄になった、反対側から、抜ける、という方法ですね。人間の、無意識の反射的な、行動ですから、知らない人に、抱きつかれたのなら、抜けられると思いますよ。でも、たまたま、僕も、あの動画は、見ていましたので、きっと、あの方法で、抜けるのだろうと、思って、あらかじめ、精神的な用意をしていたんです」
哲也は、言った。
「そうだったんですか」
京子は、残念そうな顔をして言った。
誰もいなくなった、銀行に、後ろ手に、縛られて、座っている女と、その縄尻をとっている男、という図は、何か、官能的だった。
哲也は、もう少し、このままで、いたいと思いながらも、京子の、縄を解いた。
「あ、あの。哲也さん」
京子が口を開いた。
「はい。何でしょうか?」
哲也が聞いた。
「あ、あの。今日の夕食は、何でしょうか?」
京子が聞いた。
「ローソンのコンビニ弁当です」
哲也が答えた。
「あ、あの。もし、よろしかったら、私の家で、晩御飯、食べていって下さいませんか?毎日、コンビニ弁当では、栄養が偏ると思います。毎日、コンビニ弁当を、食べていて、栄養失調になって、死んだ人の、記事を新聞で見たことがあります」
京子が聞いた。
「は、はい。喜んで」
哲也が答えた。
こうして、哲也は、京子のアパートに行った。
二人は、満月の月夜の中を、銀行を出た。
そして、電車に乗った。
京子のアパートの最寄りの駅で、二人は、降りた。
そして、10分ほど、歩いて、京子のアパートに着いた。
京子のアパートは、一軒家の借家だった。
「失礼します」
と言って、哲也は、京子のアパートに入った。
京子は、キッチンに行くと、すぐに、調理を始めた。
しばしして、京子が、食事を持ってきた。
ビーフシチューだった。
「うわー。美味しそうだ。頂きまーす」
と言って、哲也は、ハフハフ言いながら、京子の作った料理を食べた。
「うん。とても、美味しいです」
と哲也は、笑顔で京子に言った。
「そう言って、頂けると、私も嬉しいです」
と京子がニコッと、笑って言った。
そして、京子も自分の作った、料理を食べた。
食事が終わった。
「あ、あの。哲也さん」
「はい。何でしょうか?」
「さっき、護身術が通用しなくて、抜けられなかったことが、ちょっと、口惜しいんです。抜けれる自信がありましたから。You-Tubeの動画を、見ただけで、一度も、試してみたことがなかったので、抜けられなかったんじゃなかったのかと、思っているんです。なので、もう少し、練習して、実際のコツを、つかんでみたいと、思って、哲也さんに、アパートに来てもらったんです」
京子が言った。
「そうだったんですか。わかりました」
「では、もう一度、私をつかまえて、みて下さい」
そう言って、京子は、立ち上がった。
「さあ。どうぞ」
京子が言った。
「では、いきますよ」
そう言って、哲也は、京子にガッシリと、抱きついた。
京子は、ふー、と呼吸を整えて、抜けようとした。
しかし、やはり、抜けられなかった。
哲也は、ふふふ、と、笑って、京子の右手を背中に、捻じり上げ、そして、左手も、背中に、捻じり上げ、背中で、手首を重ね合せて、縄で縛った。
京子は、クナクナと、床に座り込んだ。
後ろ手に縛られて、座っている、女の図は、官能的だった。
京子は、黙って、うつむいていた。
哲也が、縄を解こうとすると、
「あっ。哲也さん。待って下さい」
と、京子が制した。
「こうやって、縛られた時、抜ける方法も、You-Tubeで、見たんです。ちょっと、試してみます」
そう言って、京子は、背中の手を、モジモジさせた。
だが、縄は、はずれない。
「ふふふ。京子さん。ダメみたいですね」
哲也が、嬉しそうに笑った。
「え、ええ」
「じゃあ、そろそろ、縄を解きます」
そう言って、哲也は、京子の縄を解こうとした。
その時。
「あっ。待って下さい」
と京子が制した。
「どうして、ですか?」
哲也が聞いた。
「あ、あの。もうちょっと、こうしていたいんです。何だか、気持ちがいいんです」
京子は、顔を赤くして言った。
哲也は、嬉しくなった。
「僕も、すごく気持ちがいいです。縛られている京子さんを見ていると」
そう言って、哲也は、笑った。
しばし、アパートの一室で、縛られている女と、それを見ている男という図がつづいた。
それは、とても、官能的だった。
哲也は、時間が止まって、いつまでも、こうしていたい、と思った。
京子も、同じだった。
二時間くらい、二人は、何も話さないで、その状態をつづけた。
「あ、あの。京子さん。もう終電になってしまうんで、残念ですけれど、そろそろ帰ります」
哲也は、そう言って、京子の後ろ手の縄を解いた。
「あ、あの。哲也さん。また、縄抜け、や、護身術の練習に来て下さいますか?」
京子が、帰ろうとする哲也に、顔を赤くしながら、小声で聞いた。
「ええ。もちろん、いいですよ」
哲也は、嬉しそうに、笑った。

こうして、哲也は、その後も、夕食は、京子の家で、食べて、その後、京子を後ろ手に縛る、ということを、頻繁にするようになった。

ある時のことである。
京子のアパートで、夕食をした後。
「哲也さん。今日は、縛ったまま、帰って下さい。私。抜けてみせます」
と彼女は言った。
「哲也さんがいると、緊張してしまって・・・・。一人なら、きっと、抜けて見せます」
と彼女は、自信を持って言った。
「わかりました」
哲也は、優しく微笑んで、京子を、後ろ手に縛った。
そして、両足首も、まとめて、縛った。
そして、京子の後ろ手の、縄尻を、食卓のテーブルの脚の一本に、結びつけた。
そして、京子に目隠しをした。
「それでは、さようなら。見事、抜けられるよう、頑張って下さい」
そう言って、哲也は、京子の家を出た。
最寄りの、駅まで歩いて、電車に乗って、月夜の道を歩いて、哲也は、アパートに着いた。
もう、11時を過ぎていた。
哲也は、パジャマに着替え、歯を磨いて、ベッドの中に入った。
京子は、今、どうしているだろう、と思うと、なかなか、寝つけなかった。
どうしても、京子が、一人で、縛られて、縄と格闘している姿が、思い浮かんできて、眠れなかった。

翌日になった。
哲也は、起きると、真っ先に、京子のことを思った。
はたして、京子は、縄を抜けられただろうか、それとも、抜けられなかった、だろうか?
もし、京子が、縄を抜けられたのなら、スマートフォンで連絡してきているだろう。
連絡がないということは、縄を抜けられていない、ということだろう。
と、哲也は、考えたが、もしかすると、連絡しないで、会社に出社して、「見事、抜けられたわよ」と、哲也に、勝ち誇こる、ということも、考えられると、思った。
京子の、悪戯っぽい性格なら、それも、十分あり得ることだ。と哲也は思った。
しかし、やはり、京子を心配する気持ちの方が勝った。
哲也は、出社時刻より、早めにアパートを出て、京子のアパートに行った。
ピンポーン。
哲也は、京子の部屋のチャイムを鳴らした。
しかし、返事がない。
哲也は、京子の部屋の合鍵を持っていたので、それで、部屋を開けた。
「おはようございます。京子さん」
哲也は、元気に声をかけた。
しかし、返事がない。
哲也は、部屋に入った。
驚いた。
なぜなら、京子が、昨日、縛ったままの状態で、床に、伏していたからだ。
後ろ手の縛めも、足首の縛めも、昨日のままで、食卓のテーブルに、後ろ手の縄尻が縛りつけられている。
そして、我慢できなかったのだろう。
床は、京子の小水で濡れていた。
哲也は、急いで、京子の元に行った。
「京子さん。京子さん」
哲也は、京子の体を激しく揺すった。
京子は、ムクッと顔を上げると、充血した目を哲也に向けた。
「ああ。哲也さん。ダメでした。抜けられませんでした」
京子は、弱々しい声で、言った。
「京子さん。ごめんなさい」
哲也は、とりあえず、謝った。
そして、すぐに、京子の、後ろ手の縛めを解き、足首の縛めも解いた。
「ありがとう。哲也さん」
京子は礼を言った。
京子は、ムクッと起き上がると、急いで、箪笥から、替えの下着と、制服を持って、風呂場に行った。
シャーと、シャワーの音がした。
哲也は、その間、雑巾で、床の小水を拭いた。
しばしして、京子が出てきた。
京子は、会社の制服を着ていた。
「京子さん。つらかったでしょう?」
濡れた髪をバスタオルで、拭いている京子に、哲也は、言った。
「いえ。本当に、監禁されたみたいで、哲也さんが、助けに来てくれるのが、待ち遠しくて、何だか、気持ちよかったです」
京子は、髪を拭きながら、笑って言った。
「でも、哲也さんが、早く来て下さって、助かりました」
京子は、ニコッと笑って言った。
「では、会社に行きましょう」
「ええ」
二人は、一緒に、アパートを出た。

年の瀬が近づいた、ある日のことである。
京子が、哲也のデスクにやって来た。
「あ、あの。哲也さん」
「はい。何でしょうか?」
「年末年始の予定は、おありでしょうか?」
「い、いえ」
「実は、私。年末は、大学時代の友人と、二人で、JTBの、大晦日から、一泊二日の、ハワイのパック旅行に、行こうと、チケットまで、買って、予約してしまったんです。でも、友人の母親が、脳梗塞を起こして、実家に、帰らなくては、ならなくなってしまったんです。それで、ホテルも、飛行機も、二人分として、予約していたので、相手がいなくて、困っているんです。もし、哲也さんが、よろしかったら、一緒に行って貰えないでしょうか?」
と京子が言った。
「は、はい。僕は、年末年始は、寝て過ごそうと思っていたので、予定は、ないです」
と哲也は、答えた。
「嬉しい。哲也さんと、ハワイに行けるなんて。旅行は、一人で行っても、さびしいものですから」
そう言って、京子は、旅行のパンフレットを渡して、ルンルン気分で、自分の席に戻って行った。

哲也は、その晩、眠れなかった。
無理もない。
二人のパック旅行となれば、ホテルの部屋は、一緒である。

哲也は、夜、京子と一緒の部屋に寝ることになる。
ベッドはツインだが、男と女が、一緒の部屋で、過ごす、ことを想像すると、哲也は、心臓がドキドキしてきた。
内気な哲也は、今まで、彼女を作ることが出来なかった。
なので、なおさら、である。

大晦日になった。
二人は、電車で羽田空港に行った。
「哲也さんは、海外に行ったことは、ありますか?」
京子が聞いた。
「いえ。ないです。これが初めてです」
と哲也は、答えた。
羽田空港に着いた。
出発のフライトの予定時間の、30分前だった。
ゲートが開いて、二人は、飛行機に乗った。
二人は、並んで、窓際の席に着いた。
飛行機は、勢いよく加速して、離陸した。
離陸した瞬間だけ、フワッと、体が浮いた感じがした。
飛行機は、旋回しながら、だんだん高度を上げていった。
羽田空港の近辺の街の、点灯している、明かりが、人々の生活の営みを感じさせた。
「ああ。あそこで、人々が働き、生活しているんだな」
という実感。である。
自分も、いつもは、あの小さな光の中の一つなのだ、と思うと、自分が、ちっぽけな存在のように思われたが、今、高い所から、見下ろすと、何だか、自分が、彼らより、精神的にも上になったような、気分になった。
ジャンボジェット機は、かなり高くなっているが、それでも地上の様子は、よく見えた。
やがて、千葉の九十九里浜を過ぎて太平洋に出ると、あとは、真っ暗な海で、何も見えなくなった。
羽田から、ハワイまでは、7時間である。
機内食を食べた後、隣りの京子は、クークー寝てしまった。
哲也は、緊張して、なかなか寝つけなかったが、二時間くらいすると、眠くなってきて、寝てしまった。
しかし、哲也は、眠りが浅いので、少し寝ただけで、目を覚ました。
外を見ると、真っ暗だった、空と海が、わずかなオレンジ色になっていた。
空と海は、ゆっくりと、明るさを増していった。
そして、やっと、水平線の彼方から、太陽が顔を現した。
哲也は、トントンと、隣で、気持ちよさそうに、寝ている京子の肩を、ちょっと叩いた。
京子は、寝ぼけ眼を開いた。
「京子さん。日の出ですよ」
気持ちよさそうに寝ている、京子を起こすのは、迷ったが、あまりにも、日の出が、美しいので、哲也は、京子にも、それを見せたかったのである。
京子は、窓の外を見た。
「あっ。本当。きれいね。ありがとう。哲也さん。起こしてくれて」
と京子は言った。
やがて、ハワイ諸島が見えてきた。

やがて、飛行機は、ホノルル空港に着陸した。
空港から、ホテルまでは、JTBが用意した、バスで行った。
ホテルは、十二階建てで、ワイキキビーチに面して、ズラリと並んでいる、部屋から、海が見える豪華なホテルではなかったが、格安パック旅行にしては、かなり、いい部屋だった。ワイキキビーチには、歩いて、5分で行ける距離だった。
哲也にとって、嬉しかったことは、ワイキキビーチ沿いの、高級ホテルのプールは、レジャープールばかりで、本格的に、泳げないか、ここのホテルには、15mくらいだが、水深2mと深く、長方形で、泳げることが、出来る、プールがあることだった。
というか、ある程度、泳ぐことを、目的として、作られたプールだった、ことであった。
「わあ。いい部屋ですね」
京子は、部屋を見ると、嬉しそうに言った。
トイレが手前にあって、その奥が、風呂場となっていた。
京子は、すぐに、風呂場に行った。
すぐに京子が出てきた。
京子は、ピンク色のビキニを着ていた。
哲也は、その姿を、見て、思わず、うっ、と声を洩らした。
京子のビキニ姿が、あまりにも、セクシーで、美しかったからである。
スラリと伸びたしなやかな脚。細い華奢なつくりの腕と肩。細くくびれたウェスト。それとは対照的に、尻には余剰と思われるほど、たっぷりとついた弾力のある柔らかい肉。日常生活で、邪魔になりそうに見えてしまう大きな胸。それらが全体として美しい女の肉体の稜線を形づくっていた。
「哲也さん。ワイキキビーチに行きませんか?」
京子は、そう言って、哲也を誘った。
「は、はい」
哲也も、風呂場で、トランクスを履いた。
京子は、ビキニの上に、ショートパンツを履いていた。
京子と、哲也は、アロハシャツを羽織って、ワイキキビーチに行った。
ワイキキビーチは、各国からの観光客で一杯だった。
京子は、砂浜にビニールシートを引いて、そこに横たえて、うつ伏せになった。
「哲也さん。オイルを塗って下さらない?」
「ど、どこにですか」
「もちろん体全部です」
哲也は、おぼつかない手つきで足首から膝小僧のあたりまでプルプル手を震わせながらオイルを塗った。それ以上はどうしても触れられなかった。変なところに触れて京子の気分を損ねてしまうのが恐かった。
「あん。そんなんじゃなくって、水着以外のところは全部ちゃんと塗って」
京子が不服そうに言った。
哲也は、 今度はしっかりオイルを塗ることが義務感になった。哲也は、彼女に嫌われたくない一心からビキニの線ギリギリまで無我夢中でオイルを塗った。
哲也の、股間の、ある部分が、硬く、尖り出した。
幸せ、って、こういうものなのだな、と哲也は、つくづく思った。
哲也は、出来ることなら、時間が止まって、いつまでも、こうしていたかった。
京子は、夏と海外の解放感に浸って、目をつぶって、じっとしている。
哲也は、せっかく、ワイキキビーチに来たんだから、泳ごうかとも思ったが、ワイキキビーチは、そうとう、遠くまで、遠浅で、これでは、泳いでも、全然、つまらないと、思って、海水に、ちょっと、足を浸すだけにした。
哲也は、京子が、咽喉が渇いているだろうと、思って、
「京子さん。飲み物は、何がいいですか?」
と聞いた。
「オレンジジュースがいいです」
と京子は、うつ伏せのまま、答えた。
哲也は、急いで、近くの、ABCストアーに行って、オレンジジュースを二つ、買ってきた。
ハワイには、自動販売機がなかった。
哲也が、京子に、オレンジジュースを渡すと、京子は、
「ありがとう。哲也さん」
と言って、二人で、オレンジジュースを、飲んだ。
二時間くらいして、京子は、ムクッと起き上がった。
「哲也さん。そろそろ、ホテルにもどりませんか?」
京子が言った。
「はい」
哲也が答えた。
二人は、立ち上がって、ホテルにもどった。
京子が、着替え、と、オイルを洗い流すため、風呂場に入った。
シャーと、シャワーの音がした。
哲也の目に、開きっぱなしの、京子のバッグが目についた。
哲也は、そっと、バッグの中を覗いてみた。
中には、京子のパンティーとブラジャーが、無造作に、投げ込まれてあった。
京子が、ビキニに着替えた時、脱いだパンティーとブラジャーである。
哲也は、思わず、ゴクリと唾を呑んだ。
京子は、日焼け用オイルをおとすために、少し時間が、かかるだろうと哲也は、思った。
哲也は、京子の、パンティーを、取り出すと、鼻先を、京子の、パンティーに当てて、スーと鼻から空気を吸い込んだ。
京子の、女の部分の匂いが、わずかにして、哲也は、それに陶酔した。
シャワーの音がピタッっと、止まったので、哲也は、あわてて、パンティーをバッグに戻した。
京子は、裸の体に、バスタオルを一枚、巻きつけただけの格好だった。
「哲也さん。どうぞ」
と、京子は、濡れた髪をタオルで拭きながら、言った。
「は、はい」
哲也は、あわてて返事して、風呂場に入った。
哲也も、シャワーを浴びて、トランクスを履いて、アロハシャツを着た。
その後、二人は、JTBのトロリーバスに乗って、ホノルル市内を見て回った。
その晩は、近くの、レストランで、ハワイ料理を食べた。
京子は、酒を飲めるが、哲也は、酒を飲めないので、コーラを飲んだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草食系男の恋愛(下)

2015-06-08 06:30:05 | 小説
夜になった。
「疲れちゃった。私、寝るわ」
そう言って、京子は、ツインの、一方のベッドにもぐった。
哲也も、もう一つのベッドに、もぐった。
「おやすみなさい」
京子が言った。
「おやすみなさい」
哲也が言った。
哲也は、緊張していたが、飛行機でフライト中に、あまり、眠れなかったため、いつしか、深い眠りに就いていた。

朝の光が、差し込んでくる早朝、哲也は、目を覚ました。
哲也は、吃驚した。
なんと、京子が、哲也の布団にもぐりこんでいて、からだ。
京子は、ギュッと、哲也の腕をつかんでいた。
「おはよう。哲也さん」
京子が言った。
「おはようございます」
哲也が答えた。
「夜中に目を覚まして、さみしかったから、こっちに来ちゃったの。ごめんなさい」
京子が言った。
「い、いえ」
哲也は、極力、平静を装おうとした。
「男と女が、一緒に、ハワイ旅行して、一つの部屋に泊まったのに、何もなかったって、いうの、さびしい、と思いませんか?」
京子が聞いた。
「そ、そうですね」
哲也が言った。
「じゃ、もう少し、こうしていても、いいですか?」
京子が聞いた。
「え、ええ」
哲也が答えた。
「嬉しい。哲也さん。哲也さんの体、少し、触ってもいいですか?」
京子が聞いた。
「え、ええ」
哲也は、困ったが、京子の頼みに、「嫌です」と言うことは、出来なかった。
京子の手が、哲也の体の方に伸びてきた。
吃驚したことに、京子の手は、哲也のブリーフの上から、金玉に伸びてきたのである。
「ああっ。そ、そこは・・・」
そこは止めて下さい、と、哲也は、言いたかったのだが、哲也は、京子の頼みに、「嫌です」と言うことは、出来なかった。
京子は、ふふふ、と、笑いながら、哲也の金玉を、揉んだ。
「ああ。気持ちいいわ。男の人の、金玉って、プニョプニョしてて、弾力があって、握っているだけで、気持ちいいわ」
京子は、そんなことを言った。
哲也は、うっ、うっ、と言いながら、歯を食いしばって我慢した。
だんだん、哲也の、マラが勃起してきた。
「わあ。すごい。おちんちん、が、大きく、硬くなってきたわ」
京子は、そう言って、哲也の、おちんちん、をさすり出した。
「ああっ。そ、そんなことは・・・」
そんなことは止めて下さい、と、哲也は、言いたかったが、哲也は、京子のする行為に、「嫌です」と言うことは、出来なかった。
「哲也さん。私だけ、一方的に、哲也さんの体を触って、ごめんなさい。哲也さんも、私の体を触って下さい」
京子は、そう言って、ホテルの浴衣を脱いだ。
京子の、浴衣の下は、パンティーだけだった。
「哲也さんも、浴衣を脱いで」
京子が言った。
「は、はい」
哲也は、京子に、言われて、浴衣を脱いだ。
哲也も、浴衣の下は、ブリーフだけだった。
これで、哲也は、ブリーフだけ、京子は、パンティーだけの姿になった。
哲也は、そっと、手を伸ばして、京子の体に触れた。
柔らかくて、温かくて、最高の感触だった。
哲也は、京子の体のラインを、そっと撫でた。
「哲也さん。胸でも、どこでも、触って、下さっていいのよ」
躊躇している、哲也に、京子が、言った。
哲也は、そっと、京子の、乳房に手を当てた。
「ああっ。感じる」
京子は、小さく言った。
哲也が、京子の乳房や乳首を触っているうちに、だんだん、京子の乳首が勃起してきた。
「て、哲也さん」
「は、はい」
「乳首を舐めて下さいませんか?」
京子が、大胆なことを言った。
「は、はい」
京子は、掛け布団をベッドから降ろした。
そして、ベッドの上に仰向けになった。
「さあ。やって」
「は、はい」
哲也は、京子の体の上に乗って、京子の乳房を揉んだり、乳首を口に含んだりした。
「ああっ。感じちゃう」
京子は、髪を振り乱して、言った。
哲也は、こんなことが出来る機会は、これを逃したらないと、思い、一心に、京子の乳首を舐めたり、大きな尻を触ったりした。
そして、ガッシリと、力強く、京子を抱きしめた。
「ふふふ。哲也さん。何だか、私たち、ハネムーンみたいね」
と、京子は、悪戯っぽい口調で言った。
「でも、嬉しいわ。これで、旅行が、ロマンティックな思い出になったわ」
と京子が言った。
「僕も、そうです」
と哲也も言った。
「あの。哲也さん。この旅行のことは、帰国したら、夢だったと思うことにしませんか?」
と京子が言った。
「ええ。そうしましょう」
と哲也も同意した。
哲也は、何もかも忘れて、京子を抱きしめた。
とても心地よかった。
哲也は、出来ることなら、ずっと、こうして、いたかった。

時計を見ると、7時になっていた。
一泊二日の旅行なので、今日が帰国日である。
しかし一泊二日といっても、二人は、もう十分、ハワイを満喫した。
9時に、ホノルル空港行きの、JTBのバスに乗るために、ハイアット・リージェント・ホテルの前に集合しなくてはならない。
「京子さん。そろそろ、出発の準備をしましょう」
哲也が言った。
「ええ」
と京子も答えた。
二人は、ベッドを出た。
そして、服を着て、荷物をまとめた。
二人は、昨日、ABCストアーで、買っておいた、耳つきの、BLTサンドイッチと、紅茶を食べて、飲んだ。

そして、二人は、ホテルをチェックアウトして、ハイアット・リージェント・ホテルの前に行った。
帰りのフライトは、行きと違って、少し、さびしかった。
しかし、ともかく、こうして、二人のハワイ旅行は、無事に終わった。

単調な、いつもの生活にもどった。
ハワイから、帰ってきて、最初の昼休み。
哲也は、ウキウキして、京子の所に、弁当を貰いに行った。
「京子さん。お弁当、下さい」
と哲也は、言った。
しかし、京子は、
「ごめんなさい。お弁当は、作ってきませんでした」
と、そっけなく言った。
「そうですか。わかりました」
と言って、哲也は、近くの、コンビニに行って、コンビニ弁当を買って食べた。
しかし、それなら、どうして、携帯で、あらかじめ、教えて、くれなかったのだろうと、思ったが、まあ、こういうことも、あるものだ、と哲也は、気にしなかった。

しかし、京子は、次の日も、その、次の日も、弁当を持って来てくれなかった。
哲也が、わけを聞くと、
「ごめんなさい。哲也さん。ちょっと、わけがあって、哲也さんの、お弁当は、作れなくなって、しまいました。ごめんなさい」
と、京子は言った。
哲也は、残念に思ったが、女心と秋の空、というように、女は、何か、ちょっとしたことで、気分が変わることが、あるので、仕方ないな、と思って、あきらめた。

しかし、京子の、哲也に対する態度の変化は、弁当だけでは、なかった。
ハワイから、帰国してから、京子は、哲也を、夕食に誘うこともなくなった。
しかし、京子には、哲也を嫌っている様子もない。
京子の、哲也に対する、気持ちに、何か、微妙な、変化が起こったのだろうと、哲也は、思ったが、哲也は、京子に嫌われたくないので、問い詰めることは、しなかった。
哲也は、また、孤独になってしまった。

京子が、昼休み、皆と、楽しそうに、バレーボールを、している姿を、見ると、哲也に、複雑な感情が起こった。
それは、京子と親しくなる前の、京子に対する感情である。
京子の、天真爛漫な笑顔は、まさに天女であり、女神であり、崇拝の対象だった。
天女が笑顔で、バレーボールをしている姿は、無上に魅力的だった。
まあ、きっと、いつか、京子も、気が変わって、また、付き合ってくれるだろうと、哲也は、思った。

哲也は、ハワイで、京子の、ビキニ姿を見た。
ベッドで、ペッティングまでした。
京子の、体に、触れたのだ、と哲也は、無理に自分に言い聞かせた。

哲也は、夜、ベッドに就くと、京子のビキニ姿や、京子とペッティングした事が思い出されてきた。
人間は、絶えず、時間と共に進行し、現在の一瞬だけを生きているから、現在の、その人が、紛れもない、その人であって、過去のその人は、もはや、存在しないのである。
京子との、二人のハワイ旅行は、もはや、思い出、という、過去の記憶に変わっていた。
現在の京子は、といえば、悩ましい制服を着た、手の届かない、悩ましい美人社員なのである。
だんだん、その思い出に浸っているうちに、哲也は、興奮してきて、オナニーするようになった。
もっと、ハワイでの、ペッティングの時は、京子のパンティーの中に、手を入れたり、さらには、パンティーを脱がしてしまっても、よかったと、哲也は、後悔した。
自分は、女に消極的すぎたのだ。あの時なら、京子のパンティーの中に、手を入れても、京子は、何とも言わなかっただろう。
哲也は、それを、後悔すると、同時に、想像で、京子のパンティーを脱がし、激しい、ペッティングをしている場面を想像した。
それによって、哲也は、激しい興奮と、ともに、大量の精液を放出した。

会社での京子の態度は、変わらない。
京子は、哲也を、避けている、とか、嫌っているような、態度は、とらない。
しかし、以前のように、特別、親しく話しかけてくることもない。

哲也は、悩まされ、毎日、オナニーをするようになってしまった。

とうとう、哲也は、我慢できなくなり、ある日、京子に、ダメで、元々、の覚悟で、京子に話しかけてみた。
「京子さん。今日、久しぶりに、京子さんの、アパートに行っても、いいでしょうか?」
と哲也は、勇気を出して聞いてみた。
すると、京子は、以外にも、あっさりと、
「ええ。いいです」
と答えた。
哲也は、京子の、予想外の返事に、驚くと同時に、飛び上がらんばかりに、狂喜した。
女は、何を考えているのか、わからないものだな、と哲也は、思った。

その日、会社が終わると、二人は、電車に乗って、京子の、アパートに行った。
久しぶりだった。
京子の、心がわからないので、哲也は、電車の中で、京子に話しかけなかった。
京子のアパートに着いた。
京子は、以前と、同じように、哲也に、料理を作って、出してくれた。
「ありがとう」
と言った。
京子は、哲也と、一緒に、晩御飯を食べた。
食事が終わった後。
哲也は、
「京子さん。また、護身術の練習をしてみませんか?」
と勇気を出して聞いてみた。
京子は、以外にも、
「はい」
と答えた。
哲也は、京子の、予想外の返事に、驚くと同時に、飛び上がらんばかりに、狂喜した。
女は、何を考えているのか、わからないものだな、と哲也は、思った。
「さあ。京子さん。立って下さい」
哲也が、言うと、京子は、スクッと立ち上がった。
久しぶりに、京子を触れる、機会である。
この次、いつ、京子を、触れるか、わからない。
そう思うと、哲也は、今回は、たっぷりと、京子を弄んでやろうと、思った。
「京子さん。今日は、あなたのような、きれいな女の人の家に、強盗が入った時に、実際に、どうするかを、想定して、実践的にやりたいと思います。いいですか?」
哲也が聞いた。
「は、はい」
京子は、素直に返事した。
哲也は、ナイフを取り出した。
「さあ。着ている物を、全部、脱いで、裸になって下さい。きれいな、女の人は、痴漢に襲われた時のために、そなえて、合気道的な、護身術を、身につけている場合が、かなりあります。しかも、非常事態ですから、火事場のバカ力が出ますから、女といっても、あなどれません。だから、実践では、男は、いきなり、女の人に、抱きつこうとは、しません。関節を取られて、格闘になったり、悪い場合には、取り押さえられたりしてしまうことも、あり得ます。それに、防犯ブザーや、ナイフや、シャープペンなどの、尖った物を、服の中に、隠し持っている場合もあります。特に、最近は、小型の防犯用品が、たくさん、売られていますから、なおさらです。だから、女の人を、襲う場合、距離をとって、ナイフで、脅して、まず、丸裸にするものです」
と、哲也は、もっともらしく、説明した。
「は、はい」
今日は素直に返事して、服を脱ぎ出した。
ブラウスを脱ぎ、スカートを脱ぎ、そして、ブラジャーを外し、パンティーを、脱いで、一糸まとわぬ丸裸になった。
京子は、恥ずかしそうに、ボッティチェリのビーナスの誕生のように、片手で、乳房を隠し、片手で、女の恥部を隠した。
哲也は、京子の服を、自分の方に、引き寄せた。
そして、念入りに、京子の、服を調べた後、おもむろに、
「ふむ。凶器になるような、物は、ないですね」
と、哲也は、もっともらしく言った。
「さあ。両手を後ろに回して、背中で、手首を重ね合せて下さい」
哲也が命令的に言った。
「は、はい」
京子は、哲也に命じられたように、両手を後ろに回して、背中で、手首を重ね合せた。
哲也は、重ね合った、京子の、手首を、縄で縛った。
「女性が、関節の逆とり、や、肘鉄砲などで、抵抗しないよう、プロの強盗は、女に命じて、自分で、両手を後ろに回さしてから、縛るものです」
と、哲也は、もっともらしく、説明した。
「さあ。床に仰向けに寝て下さい」
哲也は、次に、京子に、そう命じた。
京子は、哲也に、言われたように、後ろ手に縛られたまま、床に仰向けに寝た。
「そう。それで、いいんです」
哲也は、そう言って、京子に抱きついた。
そして、京子の髪を優しく撫でた後、首筋、に優しくキスしたり、乳房を、優しく揉んだり、乳首を、つまんで、コリコリさせたり、口に含んで、舌で、転がしたりした。
「ああー」
京子は、喘ぎ声を上げた。
京子の乳首が、だんだん、尖っていった。
哲也は、京子の、女の穴に、指を入れて、Gスポットを、探り当て、ゆっくりと、そこを刺激した。
もう片方の手で、京子の乳房を揉んだり、乳首を、コリコリさせながら。
「ああー」
京子は、また、喘ぎ声を上げた。
京子のアソコが、クチャクチャと音を出し始め、トロリとした、愛液が出始めた。
哲也は、女の穴に、入れた指を、ゆっくりと、指を、前後に、動かし出した。
「ああー」
京子は、悲鳴を上げた。
京子の、アソコは、クチャクチャと、音を立てている。
そして、京子のアソコから、粘稠な、白濁液が、ドロドロと、出てきた。
哲也は、その間も、あいかわらず、京子の顔を上から覗き込みながら、乳房を揉んだり、乳首を、コリコリさせた。
哲也は、指の振動を、いっそう、激しく、速めた。
「ああー。いくー」
「ああー。出ちゃうー」
京子が悲鳴にも近い声で叫んだ。
哲也は、サッと、京子の、女の穴に入れていた、指を抜いた。
京子のアソコから、激しく、潮が吹き出した。
それは、放射状に、何度も、大量に放出された。
京子は、しばし、ガクガクと、全身を痙攣させていた。
「京子さんの、潮吹き、って、凄いですね」
と、哲也は言った。
「ふふふ。京子さん。女の家に入った強盗は、決して、荒々しく、乱暴に、女を犯したりは、しません。極力、女を、優しく扱います。拉致したり、人質にしたりしたら、犯人と、被害者という関係でも、話をして、一緒に過ごしているうちに、一種の、特殊な人間関係が、出来ます。これを、ストックホルム症候群、といって、これを良好な関係にしておくことが大切なのです。犯罪を成功させるために」
と、哲也は、もっともらしく、言った。
「では、京子さん。立って下さい」
と、哲也が言った。京子は、
「はい」
と言って、後ろ手に縛られた、素っ裸のまま、立ち上がった。
京子は、後ろ手に縛られて、素っ裸、で、今度は、何をされるのかと、オドオドしている。
後ろ手に縛られているため、胸と恥部を隠すことが出来ないので、京子は、恥ずかしそうに、体をモジモジさせている。
「京子さん。動いちゃダメですよ」
哲也は、そう言ってから、ズボンの、ベルトを、引き抜いて、京子の、豊満な、柔らかい尻を、思い切り、ビシーンと、鞭打った。
「ああー」
京子は、今度は、苦痛の悲鳴を上げた。
尻が、ピクピク震えている。
「京子さん。絶対、動いちゃダメですよ」
そう言って、哲也は、立て続けに、京子の尻を鞭打った。
ビシーン。ビシーン。ビシーン。
「ああー。許して―」
京子は、何度も、叫び声を、張り上げた。
ある程度、鞭打ったところで、哲也は、鞭打ち、を、やめた。
京子の尻には、赤い線が、鞭打たれた所に出来ていた。
「さあ。京子さん。今度は、うつ伏せに、寝て下さい」
哲也が命じた。京子は、
「はい」
と言って、床に、うつ伏せに寝た。
「痛かったでしょう。ごめんなさい」
哲也は、そう言って、京子の、後ろ手の縄を解いた。
そして、濡れたタオルを持って来て、京子の尻を、丁寧に、拭いた。
そして、京子の尻に、優しくチュッ、チュッと、キスをした。
「京子さん。拉致犯人は、こうやって、つかまえた女を、一度は、意地悪く、いたぶる、ことも、しておくものです。優しいだけではなく、いうことを聞かなかったら、こういう目にあわすぞ、ということを、わからせて、おくためです。つまり、ビスマルクのアメとムチの政策です」
と、哲也は、もっともらしく言った。
哲也は、うつ伏せの、京子を、丁寧に、優しく、マッサージして、全身を揉みほぐした。
時計を見ると、もう、終電ちかい時刻だった。
「京子さん。もう、終電が近いので、終わりにしましょう。僕は、帰ります」
哲也は、そう言って、京子に、パンティーを、履かせ、ブラジャーをつけた。
京子は、疲れ果てた様子で、グッタリしていて、哲也のなすがままに、されていた。
哲也は、さらに、京子に、ブラウスと、スカートを着せた。
京子は、まるで、着せ替え人形のようだった。

「京子さん。今日は、鞭打ったりして、ごめんなさい」
そう言って、哲也が去ろうとした時である。
「待って。哲也さん」
京子が呼び止めた。
「はい。何でしょうか?」
「哲也さん。気持ちよかったですか?」
京子が聞いた。
「はっ?」
哲也には、京子の質問の意図が、わからなくて、何と答えていいか、わからなかった。
「私は、すごく、気持ちよかったです」
京子は、ニコッと笑って言った。
「はっ?」
哲也には、京子の態度が、どうして急変したのか、わからなかった。
「今まで、冷たくして、ごめんなさい」
京子は、深々と頭を下げて謝った。
「どういうこと、なんでしょうか?」
哲也は、わけが、わからなくて、遠慮がちに聞いた。
「私の計画を正直に話します」
そう言って、京子は、語り出した。
「哲也さん。今まで、つめたくして、ごめんなさい。正直に白状します。私は、哲也さんと、ハワイで、ペッティングしましまた。私は、その後、哲也さんの気持ちが、ほぐれて、私に対する気持ちに、緊張感がなくなって、惰性的になって、しまうのを、怖れたんです。男と女の関係は、言いたいのに、言い出せない、ためらい、の気持ちがある方が、緊張感があって、良いと私は思っているのです。そうすれば、いつも、新鮮な気持ちでいられます。芸能人でも、一般の人でも、離婚してしまうのは、相手に対する、遠慮がなくなって、惰性になってしまうからです。どんなに、魅力的に見える相手でも、惰性で、馴れ合いになってしまって、相手に、遠慮する気持ちがなくなって、しまうと、厭き、が、起こります。私は、それが、嫌だったんです。私は、哲也さんとは、いつまでも、新鮮な関係でいたかったんです。それと、哲也さんに、犬の、おあずけ、のようなことをして、優越感に浸りたかったんです。いつまでも、哲也さんの、憧れの女でいたかったんです。それと、一度、哲也さんを、怒らせて、本当に虐められてみたかったんです。それと、哲也さんの意志で、愛撫されたかったんです。今まで、つめたくして、ごめんなさい」
京子は、穏やかな口調で語った。
哲也は、ほっと、溜め息をついた。
「そうだったんですか。京子さんが、そんな、計算をしていたとは、知りませんでした。僕は、まんまと、京子さんの、計画に、はまってしまっていたんですね。でも、京子さんの気持ちを知れて、僕も、安心しました」
哲也は、言った。
「でも、もう、タネあかしを、してしまいましたから、これからは、哲也さんを、悩ませることは、出来ませんね」
京子は、残念そうな口調で言った。
「いえ。そんなことは、ありませんよ」
哲也は、咄嗟に否定した。
「僕も、本心を言います。さっき、京子さんを、鞭打ってる時、僕は、サディストになりきっていました。苦痛に、悲鳴を上げる京子さんは、たまらなく、美しく、愛おしかったでした。また、京子さんを、触れるのは、今度は、いつになるのか、わからない。もしかすると、もう一生、触れないかもしれない、これが最後の期会かもしれないと、思っていたので、思う存分、夢中で京子さんを、弄んでいました。僕が、本当の強盗なら、こうしますよ、と言っていたのは、ウソです。本当の強盗なら、こうする。という口実で、僕は、京子さんを、弄び尽くしていたのです」
哲也は、そう言ってから、さらに、もう一言、つけ加えた。
「でも、京子さんの考えも、もっともです。恋愛も、馴れ合いになってしまうと、新鮮さ、が、なくなってしまいます。ですから、これからも、距離をおいて、下さって、一向に、構いません」
「嬉しい。きっと、哲也さんは、そう言ってくれると、思っていました。では、昼の、お弁当は、私の気の向いた時に、作ることにします。私のアパートに来ることも、私の気の向いた時に、呼ぶようにします。それで、いいでしょうか?」
京子が聞いた。
「ええ。もちろん、構いません」
哲也が答えた。
「ところで、京子さんは、僕が、ハワイや、それまで、京子さんに、遠慮していたのが、物足りなかったのですね?」
哲也が聞いた。
「え、ええ。そうです。哲也さんの、遠慮した、思い遣りのある、態度も、嬉しかったんですけれど、ちょっと、あまりにも、煮え切らない態度に、満足感を得られなくて、もっと、能動的に、責めて欲しいとも、思っていました。普通、ハワイの時のように、男と女が、一つの部屋で、寝たら、草食系の男の人でも、女に抱きついてきますよ。そんなことをしないのは、哲也さんくらいですよ。でも、そういう超草食系男子の性格だから、私は、哲也さんが、好きなんです」
京子は、さらに、続けて言った。
「女は貞淑などと、思っている男の人も、多いかもしれません。確かに、女は、男の人のように、いつも、発情は、していません。しかし、女は、いったん、性欲の火がつくと、女は男、以上に、物凄く、淫乱になってしまうんです。動物の、発情期と似ていますね」
と、京子が自嘲的に言った。
「そうですか。それなら、今度、その気になって、僕を呼んでくれたなら、その時には、僕は、本気で、思い切り、京子さんを責めます。僕は、京子さんに、嫌われたくないので、今まで、消極的に振舞っていましたが、僕の心にも、女の人を、徹底的に、弄びたい欲求は、あります。ただ、京子さんに、嫌われたくない一心で、僕の中の肉食系男子の、野獣を飼い慣らしていただけです」
哲也は、そう言った。
「そうですか。本気になった、哲也さんが、どうなるのか、わからなくて、ちょっと、こわいですけれど、もう、すでに、私は、そのスリルに、ゾクゾクしています」
と、京子は言った。

平成27年6月5日(金)擱筆


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡田有希子(小説)

2015-06-08 01:27:34 | 小説
前は、全文、入れられなかったが、今は、gooブログが、二万文字までは、入れられるようになったので、ついでに、入れておきます。

ある歌手の一生

昭和四十二年八月二十二日、その少女は生まれた。名前は佐藤加代。よくたべ、よくねむり、よくあそんだ。ごく普通の子だと親は思った。少女が成長するにつれ、親は少女がちょっと他の子とちがっているのに気がついた。それは根気強さともワガママともみれた。思い込んだらすべてを忘れて熱中してしまうのだ。あそびでも何にでも。特に少女は歌をうたうのが好きだった。みんなの前でうたうのが好きだった。
 少女には二つ年上の姉がいた。妹おもいのやさしい姉だった。でも少女の服はいっつも姉のお古。たまには自分にも新しいのを買ってほしい。
 小学校六年の学芸会。浦島太郎、をやることになった。彼女はみんなのすすめで乙姫に選ばれた。うまくできるか心配だった。だけど結果は大成功。家族みんながよろこんでくれた。こんな心のときめきは生まれてはじめてだった。その時、少女の心に夢が生まれた。でもそれはだれにも言えないほどのもの。
 少女は一人、心の中でくりかえした。
 (歌手になりたい。)
 誰にも言えない想いを胸に秘めたまま、少女は中学生になった。いったい、いつからだろう。心やさしい天使が少女の望みをかなえてやろうと思ったのだろうか。奇跡のような変化が少女に起こった。竹取物語のように美しい成長が少女に起こった。多くの男子生徒が彼女にあこがれた。しかし少女には異性への恋心がおこらなかった。恋をしない女の子かと男は思った。しかし少女は心の中で恋をしていた。子供の頃からずっと恋をしていた。少女の恋・・・それは歌手になりたい、という少女の夢だった。でも少女はそれを誰にも言えなかった。自分には歌手なんてとても無理。厳格な両親。とてもゆるしてくれっこない。だが少女の情熱はもう自分でもおさえることができないほど、心の中でふくらんでしまっていた。少女は内緒で、あるオーディションに応募した。
(悩むよりは失望した方がまし。)
 オーディションの当日。
 (加代。がんばれ。おちてもともと。)
 少女は自分にそう言いきかせた。するどい審査員の眼差しの中で少女は精一杯うたった。帰り道、力をだしきったあとの満足感で、すべてのものが少女には美しかった。二週間後、オーディション落選の手紙がきた。ショックだった。だが彼女の情熱は一回の失敗で消えてしまうような弱いものではなかった。別のオーディションをうけた。だがやっぱりだめだった。
 (私にはやっぱり歌手なんて無理なのかもしれない。)
 あきらめ・・・への誘惑が少女の心に起こった。少女の心はいく分、夢から現実へもどりかけた。だがオーディションをうけたことは内気だった少女に少し明るさをもたらした。多くの友達ができた。彼女は友達と愉快にはなした。日々の生活に活気がではじめた。歌手への夢を忘れかけたそんなある日のことだった。少女のもとに一通の手紙がとどいた。あるオーディションの予選会の通知だった。一年前に応募ハガキを出したのだが、通知がこないものだから、おちたものだとあきらていたものだった。忘れかけていた夢への想いが再び心の中でうごきはじめた。
 「もう一度だけやってみよう。」
 少女は再び歌の練習をはじめた。
 オーディションの日がきた。
 会場へむかう電車の中、少女は自分に何度もいいきかせた。
 「だめでもともと。」
 会場は熱気につつまれていた。出場者はみんな緊張していた。だが不思議と少女の心に緊張感はなかった。心はしずかだった。まるでだれもいない森の中の湖のほとりにたたずんでいるような気分だった。少女の番がきた。会場がしんとしずまり返った。少女は無心で歌った。気づいた時にあったものは満場の拍手だった。合格だった。家へ帰る途、少女の足は雲をふむようだった。目的を達成した満足感と目的を達成した後の虚無感が少女の心をしめていた。茫然自失してしばらくは何も手につかない日々がつづいた。だが三日もするころから少女の心は現実へともどりはじめていた。少女の現実。そして現実の目的とは。いうまでもなく、地区予選を合格した者がめざす決勝大会である。テレビ局から決勝大会出場への通知がきた。彼女の決意はゆるぎないものとなった。少女は自分の心と将来のことをすべて家族にはなした。だが両親は猛反対。少女の父の家系は代々教育者で娘を芸能界へやるなどとんでもないこと。しかも今はまじかに高校受験をひかえている時。だが少女の情熱はそんなことでひきさがるようなものではなかった。
 何日も口論がつづいた。だがどちらもガンとしてゆずらない。口論でダメだとわかると彼女はハンガーストライキにでた。学校から帰っても自室に閉じこもり、家族と口をきかない。食事もしない。そんな日が何日もつづいた。少女は夜おそくだれもいなくなってから一人で食事した。それは母が彼女のために用意してくれたものだった。ハンガーストライキに入ってもう四日たった。少女はつかれていた。家族も同じだった。五日目の朝がきた。日曜日だった。母は食卓に娘の書き置きがあるのに気づいた。それにはこう書かれてあった。
 お母さんの考えている将来と私の将来とはちがうんです。
 確かにお母さんの言ってることはわかります。
 だけど一度しかない私の人生です。後悔したくないんです。
 お母さんにしてみれば、あんな仕事とかをすることが「後悔する」って言うのでしょう。でも私にしてみればそれはずうっと前から思ってたことなんです。それだけを今まで考えてきたことなんです。それで、何かそれが私の生きがいっていうのか、とにかくやりたいんです。こんなことかいといて落っこっちたら恥ずかしいですけどとにかく私の願いなんです。真剣です。
 お母さんへ                         加代
 母はよみおえてため息をついた。何度もよみ返した。読むたびに娘の真剣さがひしひしと感じられる。娘のいない朝食がすんだ後、母ははじめて本気で娘の願望にどう答えるか考えだした。
(加代は世間知らずだから歌手なんて夢にうつつを抜かしている。どうしたらあの子に現実をおしえることができるだろう。)
 ボーン。ボーン。時計が正午を告げた。
 バサバサッ。庭にいた鳥の群れがいっせいにとびたった。テレビをつけると、いつものアナウンサーが画面にあらわれた。
 「正午になりました。お昼のニュースです。昨夜、イラン発クウェート行きの最終便で乗客二百五十人を人質にしてたてこもったハイジャック犯一味は今朝、交換条件として、次の三つのことを要求しました。一つ・・・。」
と、その時、母の頭に一つの巧妙な考えがうかんだ。
「これなら加代の気持ちも納得させられるし受験勉強もさせられる。」
母は机に向かいペンをとった。
 「できた。」
母は自分の書いた手紙をみて苦笑した。「これなら万全。」母は手紙をもって娘の部屋の前にたった。
 トントン。
「加代。」
ドンドン。
「加代。あけなさい。」
「・・・・・・。」
 「加代。あなたの気持ちはわかりました。そうまでオーディションうけたいのならうけてごらんなさい。そのかわり・・・・。」
 母が言いおわらないうちにノブのロックがとかれる音がきこえた。ガチャリ。
 ドアが少し開かれると中から娘がためらいがちに顔をだした。おどろきとおそれとよろこびがまざったような表情だった。
 「ホント?」娘はおそるおそる口を開いた。
 「ええ。ほんとうです。」
 (ヤッター)娘の口から、そのコトバがでそうになるまさにその直前で母はそのコトバをさえぎった。
 「そのかわり条件があります。」
 そう言って母は娘に一枚の紙をさし出した。
 「ここにかいてある三つのことが実行できるのなら、オーディションをうけることをゆるします。」
そう言って娘に手紙をわたすと母はそそくさと階下へおりていった。少女はすぐに手紙に目をおとした。手紙には箇条書きで三つのことがかかれてあった。
 一、学内のテストで、学年で5番以内にはいること。
 一、中統(中部統一模擬試験)の結果が学内で5番以内であること。
 一、第一志望の公立高校に合格すること。
 三十分後、少女は階下におりてきた。家族と顔をあわせるのは五日ぶりだった。少女は母の前にきた。その目は、これから真剣勝負にいどもうとする侍の目だった。
 「お母さん。」
 「何ですか。」
 「あの三つのことができたら本当にオーディション受けさせてくれますか?」
 「もちろんです。」
 娘の目がかがやいた。
 「がんばります。」
 少女の心の中で戦いの火蓋が切りおとされた。
 少女はその日から猛勉強を開始した。書店に行って高校受験用の問題集をたくさん買ってきて、それをかたっぱしからこなしていった。好きだった歌謡番組も観るのをやめにして深夜の2時、3時まで机に向かった。授業中も隠れて受験勉強用のテキストをやった。家に帰っても家族と話をする時間もほとんどないくらいに猛勉強した。食事時間もきりつめた。頭につめこめるかぎりをつめこんだ。その単位時間当たりのつめこみ量は司法試験の受験生以上だった。すると、夢にかける願いの気持ち、はおそるべき威力を発揮するものである。あたかも眠っていた脳細胞が目覚めさせられたかのごとく、少女の思考力と記憶力はおそるべき速力でもって回転しだした。読んだものはスラスラと頭の中に入っていった。エンピツは彼女の思考の速度を超えてスラスラとかってに動きだした。何ごとでもそうだが、勉強も、それがわかれば面白いものである。いつしか少女は自分が勉強する真の目的を忘れてしまうほど一心に勉強した。母はそんな娘をみて、てっきり娘が歌手になるという夢をあきらめて勉強にうちこんでいるのだと思ってよろこんだ。だが少女は夢を忘れていなかった。
 季節は秋もおわりに近づいていた。少女の努力は実った。彼女は学校のテストでギリギリ、条件の5番に入った。
 さらに中部統一模擬試験でも学内で5番に入った。
 母親から言われた決戦大会をうけるための条件の二つはこれでみたされた。のこりの条件はあと一つ。第一志望の高校に合格すること。彼女の第一志望は名古屋市立K高校だった。偏差値は県下でもトップクラス。今の彼女の実力ではギリギリのボーダーライン。でも何としても合格しなくては決戦大会はうけられない。
 「がんばらなくては。」
 高校受験まであと三ヵ月になった。学校で、卒業後の進路相談が行なわれた。
 「佐藤。お前はどこの高校を受験する?」
 担任教師が聞いた。
 「はい。K高校です。」
 「K高校か。ウーン。今のお前の実力だとギリギリだぞ。」
 「はい。わかっています。」
 担任教師は少女の目をじっとみた。大人の目からみれば、まだ世間知らずの少女の目。だがこの生徒の目には不可思議な輝きがあった。その目には大人でもかなわないほどの何かがあった。人間が子供から大人になるにつれていつのまにかなくなってしまう何ものか、がその瞳の中で、力強くその存在を主張していた。
 「お前ならきっと入れる。がんばれよ。」
 「はい。」
 少女は教員室をでて、校庭におりた。真赤な夕日が西の山の端にさしかかっていた。
 「K高校。K高校・・・。ウン。きっと入れる。」
 少女は力強く自分に言った。季節は秋から冬にかわろうとしていた。
 孤軍奮闘の少女にも一人だけ味方がいた。
 妹思いの姉である。何かにつけて姉は妹の夢の実現に協力してくれた。
 家族もみんなねしずまって、少女が一人で机に向かっている、ある夜はこんな様子である。
 トントン。
 「はい。」
 「加代。おにぎりつくってあげたわよ。」
 「わーい。ありがとー。」
 加代は勉強の手を休めて、姉のつくってくれたおにぎりを食べた。
 「勉強たいへんね。」
 「でもそれがオーディション受ける条件だから。」
 「えらいわね。」
 「なんで・・・?」
 「へんな子ね。」
 「何で・・・?」
 妹はキョトンとした顔でおにぎりをほおばりながら姉をみていたが、姉が微笑むと妹もそれに反応して微笑んだ。(阿吽の呼吸)姉が頭をなでると妹は一層朗らかな表情になった。と、その瞬間、思わず手がでて、姉は妹のほっぺたをピシャンとたたいた。
 「何するの?」
 「別に。ただ何となくたたきたくなったから。」
 妹は目に涙をうかべて、
 「私がオーディションうけること反対なの?」
 「まさか。逆よ。お父さんもお母さんも反対してるけど私だけはあなたの味方よ。」
 加代、おそるおそる「ホント?」
 「ほんとよ。でなきゃわざわざ夜食つくってもってきたりしないわよ。」
 「じゃ何でぶったの?]
 姉は答えず、笑って妹の鼻の頭をチョコンとさわった。
 「加代。がんばってね。妹が歌手だなんてことになったら私も鼻がたかいわ。また夜食つくってあげるわよ。」
 妹はわからないまま、ほがらかに「ありがとう。」と答えた。
 姉が立ちあがると妹は再び、すいよせられるように勉強を始めた。しずかな秋の夜にサラサラと筆の走る音だけがあとにのこった。
 年が明けて、昭和五十八年三月十九日、彼女はみごと第一志望の名古屋市立K高校に合格した。
 三月三十日、少女は上京し、決勝大会に出場した。かざることなく、ありのままの自分の気持ちを歌うことによって精一杯うったえた。
 帰省すると姉が名古屋駅に出むかえていてくれた。前祝いに、二人は名古屋名物にこみうどんを食べた。
 彼女のもとに「合格」のしらせがきたのは、四月中旬、K高校での新しい学校生活が始まって、数日後のことだった。うわさはすぐに全校にしれわたった。彼女を認めてくれた、いくつかのプロダクションとの慎重なはなしあいの結果、彼女はあるプロダクションに所属することがきまり、二学期に上京することになった。
 彼女がこの時期、いかに幸せだったかは次のような挿話から察せられる。彼女は中学の時、美術部だった。専門の鑑定士を依頼しないと危険なほどの正確なルノワールの模写がいくつも今でも大切に、彼女の通った名古屋市立S中学校の美術部に保管されているのだが、それをみるといかに彼女が几帳面で一途に物事にうちこむ性格だったかがわかる。
 その挿話はこんな具合である。
 高校でも美術部に入ろうと思っていた矢先、たまたま放課後に一人でいるところに、別のクラスの新入生の男子生徒Iがおどおどと近づいてきて、申しわけなさそうな調子で彼女に話しかけた。「あ、あのー。」と少年は口ごもりながら顔を真赤にして言った。
 加代は、わかっていながらわざとあたたかく、
 「なに?」とききかえした。
 「クラブは何に入りなさったのですか?」
 あまりの卑屈さに加代は少しかわいそうに思った。
 「クラブはまだ決まっていません。」
 「あのー。ぼ、ぼく。サッカー部なんです。そ、それで先輩からマネージャーやってくれる人がいないかさがすようにいわれているんです。」
 「それで?」
 加代はまた、あっさりと聞き返した。少年は真赤になった。加代はつづけて言った。
 「それでどうしたの?」
 少年は答えられない。
 「それで、私にマネージャーやらないかってことでしょ?」
 彼は真赤になって、
 「いえ。けっして、そんな・・・つまらなくなったら、いつおやめになってもかまいません。洗濯とか部室の掃除とか試合のスケジュールとか、めんどくさいことは、ぼくたち新入部員がやります。ただ名目だけでいいんです。」
 「それじゃマネージャーじゃないじゃない。」
 「・・・・・・。」
 加代、笑って、
 「いいわよ。私、サッカー部のマネージャーになるわ。」
 と言うと、少年は反射的に「あっ。ごめんなさい。」と言った。
 こんな具合で加代はサッカー部のマネージャーになった。
 夢に胸をときめかせての新緑の季節の高校生活。このK高校の一学期は少女にとって最も幸福な時期だった。新しい友達も多くできた。みなが加代の将来を心から祝福してくれた。
 一学期の終業式の日の夕方、加代の将来を祝って、近くのデニーズで送別会が行なわれた。
 翌日、加代は街へ買い物に出かけた。名古屋の街とも当分おわかれだから故郷をかみしめておこうと思ったからだ。たそがれの商店街。向こうから加代をサッカー部のマネージャーに勧誘したIがみえた。二人の視線があった。彼は加代に気付くと真赤になって左下方に視線をおとしてギクシャク歩いた。にげようがない。Iはそのまま通りすぎようとするつもりらしい。加代はIに近づいてニッコリ笑った。Iの顔からジンマシンがふきだした。
 「I君。きのう、どうして送別会きてくれなかったの?]
 「そ、それは・・・。」
 「何で?」
 「そ、それは、ちょっと用事があったんです。」
 「あー。ざんねんだったな。I君に一番きてほしかったのに。」
 と加代は独り言のように言った。Iは答えられない。
 「私、東京の高校へ転校したら、もうI君と会えなくなっちゃうな。さびしいな。」
と加代は独り言のように言った。
 「さ、佐藤さん。がんばってください。ぼ、ぼく佐藤さんのこと応援してます。ぼ、ぼく一生佐藤さんのこと忘れません。」
 そういうやIは一目散に夕日に向かって走りだした。
 なおIは新入部員ではあったが、子供の頃からのサッカー少年で、対抗試合ではセンターフォワードをしていた。Iにボールがわたった時、加代がことさら熱っぽく、
 「I君。しっかりー。」と力強く応援するとIは必ず凡ミスをしたことは言うまでもない。また加代もそれが面白くて、そうしたのだからいったいチームの足を引っぱるマネージャーなんておかしなものである。


  (二)上京編
 夏のおわり、不安と期待を胸に秘め少女は上京した。
 プロダクションの社長の家に住み、女のマネージャーがついた。
 転校先はH高校。まわりはみんな自分と同じ芸能人。少女ははじめて気がついた。自分がみんなと違うことを。みんな笑っている。ライバルなのに笑っている。心のそこから笑っている。自分もわらわなければ・・・。少女はクラスメート達と笑顔をつくって話した。しかし心の中ではいつもおびえていた。歌手になれるかという不安と、そんな不安を全くもたないクラスメート達におびえていた。そんな不安をまぎらわすため少女は歌とおどりのレッスンにすべての精力をそそいだ。
 翌年の四月、少女はデビューした。大ヒットだった。うれしかった。それは少女にとって人生で一番幸福な瞬間だった。だが歌の生命は短い。
 歌手、それは休むことをゆるされない人間。
 芸能界、それは感性をうりものにする世界。
 芸能人、それはそんな世界に抵抗なく生きていける人間。
 プロダクションは少女のうりだしに奔放し、少女のスケジュールは過密をきわめた。うわべの笑顔とは裏腹に少女の心は不安にみちた疑問がたえることがなかった。
 「私は何のために歌うのだろう。何のために笑うのだろう。」
 少女は自分が芸能界にむかない性格であることに気づきはじめた。しかし生まれついてのまけずぎらいな性格は歩きはじめた道をひきかえすことをゆるさなかった。その年の暮、少女は新人賞を獲得した。うわべは笑いながらも少女の心はうつろだった。その年、少女の友はヒットせず、芸能界を去ることになった。少女は彼女になぐさめの言葉をかけた。その一方で友が少しも落胆していないのが少女にはうらやましかった。
 楽屋で待つ少女はいつも一人ぼっちだった。
 ある時そんな彼女に声をかけてくれた男があった。一言二言だったが、それは少女の孤独を理解したやさしい言葉だった。少女はうれしかった。それは砂漠の中を歩きつづけてやっとオアシスをみつけた旅人のよろこびだった。
 年があけた。ガンバリ屋な少女は過密なスケジュールの中のわずかな時間で猛勉強し、無事三年への進級試験をこなした。
 春休み。少女ははじめて休息することをゆるされた。ハワイで過ごした。はりつめつづけた心がふっととけた時、少女の心に一人の男の顔がうかんだ。それは同時に生まれて一度も経験したことのない不思議なはげしい感情を少女にもたらした。少女はいつまでも沈んでいく太平洋の夕日をみるともなくみていた。
 だがそれはつかの間の休息だった。帰国後少女をまっていたものは超ハードスケジュールのコンサートツアーだった。不安と疑問をもちながらも少女は一生懸命歌った。四月、新曲が発売された。だがプロダクションの懸命のうりこみにもかかわらず、結果は今一つ満足のいくものではなかった。そんな彼女をなぐさめようと親しかった友がきた。少女の心はやわらいだ。歌手としてヒットせず引退した彼女だが、今は海外留学をめざして一生懸命英会話を勉強しているとのこと。少女は彼女がうらやましかった。自由に生きてる彼女がうらやましかった。プロダクションは彼女をイメージチェンジすることにした。少女は長かった髪を切った。プロダクションは少女に女優の仕事ももってきた。プロダクションは少女の中にある哀しみに目をつけた。
 芸能界、そこは心の哀しみまで売り物にしてしまう世界。
 プロダクションの思惑はあたった。テレビドラマへの出演の依頼が多くきた。少女は一生懸命演技した。再び少女は女優としてヒットした。だが少女の心はうつろだった。「何のために。」少女は自由がほしかった。だがもう少女に自由はなかった。世間というものに翻弄されつづけるあやつり人形。うつろな目で少女は夕暮の東京の街をみつめた。
 そんなある日、少女にテラビドラマの主演の依頼がとどいた。出演者のリストの中に「×××」の名前をみつけた時、少女の心はときめいた。それは以前、彼女に声をかけてくれた男である。ドラマの撮影は順調に進んだ。少女はできることなら男と話したく思った。しかし少女の方から話しかける勇気はなかった。
 撮影の合間の待時間、少女はいつも一人ぼっち。そんなある時、少女はポンと肩をたたかれた。おどろいてふりむいた少女の前には、その男がやさしい笑顔で立っていた。少女の胸によろこびが、限りないよろこびがこみあげてきた。そしてそれはまたたく間にはちきれて少女の顔で笑顔となった。少女は男に話しかけた。心のすべてを話しかけた。男はウン、ウンとうなずきながら一心に少女の話しを聞いた。少女にささやかな幸福な日々がおとづれた。ある日の撮影のあと、二人は近くのレストランへ入った。食事中も少女の口からは陽気なおしゃべりが耐えなかった。が、二人の目と目があった時、ふと少女のおしゃべりがとぎれた。少女は、自分が謡っている歌のフレーズを思い出して赤面した。この時、男は彼女が気まずくならないよう、さりげなく聞き手から話し手にまわった。だが幸福な日々は長くはつづかなかった。
 年があけドラマの撮影もおわりに近づいた。
 少女は知っていた。
 ドラマのおわりが男とのつきあいのおわりであることを。
 一月末、ドラマのスタッフと共演者達とそして彼女をのせた夜行列車はラストシーンの撮影のため北陸のある街へ向かって走っていた。男は共演者の一人の女性のとなりに座っていた。二人がたのしそうに話すのを少女はかなしい思いでみていた。
(だれにでもやさしい人なのだ。)
少女は窓の外に目をやった。途中で降りはじめた雨はいつしか雪にかわっていた。ぼんやりとその雪をながめているうちに少女の心に楽しかった子供の頃が思い出されてきた。するとその時少女の心に「ある行為」、それは今まで一度も考えてもみなかった行為へやさしくさそう感情がうまれた。雪はだんだんはげしい降りにかわっていった。それを一心にながめているうちに少女の心におこった感情はいつしか確固とした決意になっていた。
 ロケは無事終わった。少女は男とだまって別れた。
 三月、少女はH高校を卒業した。心の中の不安をつくりえがおで偽って付き合っていた友達だったが、いざ別れる時になって不思議とはじめて親愛の情がわいてきた。卒業式、少女は心から友達といつまでも別れをおしんだ。その時、少女ははじめて「わかれ」というものが自分が人と和解できる唯一つの方法であることに気がついた。社長の家にもどった少女は社長にずっと思い続けていた一人ぐらしをしてみたい、という願望をはなした。年間十数億円を売り上げ、年収三千万近くをプロダクションにもたらした少女のたのみである。社長は快く少女の申し出をうけいれた。
 少女は上京以来三年間くらした社長の家をでた。少女の新しい住まいは南青山のマンションの四階の一室だった。ゆとりのある2DK。新品のベット、白い椅子、新品のインテリア。夜、窓からは南青山周辺のにぎやかなイルミネーションが美しくみえた。少女はベットにすわって独立と自由のよろこびを満喫していた。だが少女が社長の家を出たのには別の理由があった。「行為」の場所を少女はここにえらんだのだ。自由のよろこびは満喫していたが少女の決意は決してゆるいではいなかった。それでも、引っ越し後の数日間、少女はハワイ以来ひさびさにおとづれた自由な生活を楽しんだ。このままいつまでもこのままでいられるなら・・・。ふと少女の心にそんなはかない願望がおこることもあった。引っ越し後十日目、少女にマネージャーから電話がかかってきた。 四月はじめの都内の、ある公会堂でのコンサートのことだった。少女はそれをひきうけた。ドラマの撮影が多かったこのごろにあってひさしぶりのコンサートだった。少女の「決意の行為」の日時ははっきりと決められたと少女は思った。
 このコンサートをさいごのコンサートにしよう。このコンサートだけは精一杯がんばろう。
 少女は決意をかみしめながら美しい東京の夜景をみていた。テレビドラマが好評だったのだろう。コンサートは満員でパンフレットも全部売り切れた。パンフレットのさいごのページに少女はこんなメッセージをかいた。
 どうもありがとう。
 ほんのちょっとの間、おわかれネ
 but、but またどこかで、
 逢えますよね
 その時を信じて・・・さよなら、
 (I 'll be seeing you)
 少女は精一杯歌った。最高にもりあがった。コンサートが無事にすんだ後、少女にはすべてをやりおわった安心感があった。マンションにもどった少女は洗面所からカミソリをもってきてベットに横たえた。少女は自分の左手首をしばらくながめていた。おそろしいという気持ちはおこらなかった。だがいざ手首にカミソリをあてた時、少女の心にもう一度だけ話しをしてみたい相手があらわれた。しばらくまよった末、少女はカミソリをおいてその男に電話をかけた。だが、でたのは女性だった。おそらくちかく結婚するとうわさされている女優の×××だろう。
 「××はいま、お風呂に入っています。何か伝えておきましょうか。」
 「いえ、いいです。」
 少女は受話器をきった。そしてガス栓をひねり、ベットに横たえて睡眠薬をのみ、左の手首を切った。死に対するおそれの気持ちはなかった。カミソリが入った時は一瞬チクッという注射のような痛みが走ったが、それはその時一瞬だけだった。少女は睡眠薬の作用で深い眠りに入っていった。
 だが少女は死ねなかった。少女が目をさましたのは病院の一室だった。左手首には包帯がまかれていた。少女は窓の外をみた。まだ夜があけたばかりの時刻だった。すぐに知らせを聞いてマネージャーと社長がきた。幸いケガはたいしたことはない。医師の許可で二人は少女を車にのせて事務所につれ帰った。二人は狼狽し、そして少女にはげましのことばをかけた。少女は泣いていた。自殺が失敗して生きのびるということはプライドの高い彼女にとって死ぬよりつらい、恥ずかしいことだった。少女は社長室に通された。二人は少女に話しかけることばを知らなかった。しばらく後、隣室から電話がなったので社長は部屋をでた。社長室は少女とマネージャーの二人きりになった。彼女は何をいっていいかわからない。
 「何かのむ。」
 少女はだまって首をふった。
 「ストロベリージュースはどう。」
 少女はだまってうなづいた。
 マネージャーがストロベリージュースをとりにいった。
 部屋には少女だけになった。少女は立ちあがって部屋をでた。一段一段屋上へと少女は階段をのぼっていった。少女の心はうつろだった。自分は生きていてはいけない人間なのだ。屋上の扉をあけると四月のまばゆい陽光が入ってきた。少女の心には少しのおそれもためらいもなかった。それは少女にとってごくかんたんなことだった。少女は空を見上げた。
 一瞬何だか自分が空をとべるような気がした。
 フワッ。一瞬、少女の体は宙に舞った。だがそれは一瞬だけだった。
 昭和六十一年四月八日の正午のことだった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする