精神科医物語
丈太郎は精神科医である。医師国家試験に通った後、ある国立病院で二年研修した。彼が大学の医局に入らなかったのは、いろいろ理由がある。彼は学問好きではあったが、ひとコトで言ってしまえば、彼は文学、芸術に価値を感じていて、学問には、はるかに低い価値しか感じられなかったためである。
ガリレオ・ガリレイは地動説を唱えたため、宗教裁判にかけられ、地動説を否定することをせまられた。ガリレオはやむなく、「それでも地球は動く」と小声で言って、表面上は地動説を否定した。ガリレオと同時期にジョルダーノ・ブルーノという哲学者がいた。彼は天文学者でもあった。彼もガリレオと同じく地動説を主張した。そのためガリレオと同じく宗教裁判にかけられた。だが、ブルーノは地動説を最後まで否定しなかった。そのためブルーノは火あぶりにされた。どんなに時の権力者が力づくで、ある科学の説を否定しても、科学の真理そのものが変わることはない。時がたち、社会体制が変われば、いずれ科学の真理は認められる時が来るのである。だからガリレオは地動説を表面上、否定できたのである。しかしブルーノにとって地動説は彼の思想であった。科学は万人のものであるが、思想は、かけがえのない個人のものである。思想を否定する事は自分を否定する事になる。そのため、ブルーノは、火あぶりにされる、とわかっていても自分の思想を捨てる事は出来なかったのである。
また、アインシュタインの相対性理論にしても、アインシュタインがいなくても、彼の死後、50年以内に、誰か、別の科学者が相対性理論を発見できた事は間違いない、という事はもう物理学者の間では常識である。
科学でも医学でも、新しい法則や病気を発見すると、それらには第一発見者の名前がつけられる。ビルロート、ブラウン=セカール、バセドウ、ハーバーボッシュ。
しかし、それらは、第一発見者が見つけなくても、時間の問題で、いずれは別の科学者によって発見されるものである。そうなると科学者というものは代替がきくものなのである。一生かけて、何かの素晴らしい発見をして医学書の中に自分の名前を一文字入れる事だけに自分の生涯をかけるなど、丈太郎には、極めて虚しく思われて仕方がなかった。それに比べると、思想や芸術というものは、どんなに稚拙なものであっても、自分以外の人間では、つくり出せない代替のきかない、まさに自分のかけがえのない生きた証なのだ。
こう書くと芸術にだけ価値があって、科学者を卑しめているようにとらえられかねない。しかし、もちろん、そんな単純な見方は間違いである。真の科学者は、研究する事が面白くて面白くてしかたがない人達である。名誉などは二の次に過ぎない。そもそも時代とともに生活が豊かに、便利になっていくのは、科学者のおかげ以外の何物でもない。そもそも芸術家は人間の生活に必要な物資など何一つ生産しない。農業従事者は世の中にかかせない職業だが、芸術家などいなくても世の中は何も困りはしない。芸術家は、先生、などと呼ばれているが、この明白な事実をいつも肝に銘じておかなくてはならない。だからといって、やたら卑下する必要もない。芸術家はその作品によって、世人を楽しませたり、勇気を与えたりする。要は各人が自分の職業に励んでいるから世の中は成り立っているという事である。
大学の医局に入る人間は、好むと好まざるとにかかわらず、医学で身を立て、名をなしたいと思っている人間が行くところである。大学の医局とは、教授を頂点とする封建社会である。医学の知識や技術を教えてやるから奴隷になれ、である。もちろん給料など出ない。あと、何年もかけて博士号とやらである。博士号というのは、武道の世界で言うなら、段位のようなものであり、ハクのような面もあり、じっさい実力がある証明書であることもあるが、そうでないこともある。少なくとも臨床の能力とは、あまり関係がない。文学、芸術方面に価値をおいていて、医学に価値を感じられない彼のような人間には、そういうものを汲々と求める必要がなかったのは、当然である。加えて、教授に気に入られなかった人間はヘンピなイナカの病院へ売りとばされ、教授は紹介料として、その病院から謝礼をうけとり、ふところに入れる。文学、芸術に命をかけている彼にとっては、芸術の世界でなら、そういう奴隷的苦難、修業、しがらみ、をもよろこんで忍従するが、関心のない、学問世界に涙を流して奴隷化し、医学の実力とやらを身につける気はさらさらなかった。ただ医学は、経験を有した上級医のコトバによって伝承されていくものであり、技術や理解を向上させるには、上級医や仲間との、コトバによる伝授がどうしても必要なのである。実際、大学の臨床実習では上級医のひとコトは、宝石ほどの価値があった。ひとコトひとコトによって目からウロコがおち、己のゴカイや無知に気づかされ、又、理解が向上するよろこびを、丈太郎は臨床実習で、ひしひしと感じた。医学の修得には独学は困難なのである。不可能とはいえないが、上司や仲間とのコトバによる教授がないと100倍くらいの遠まわり、をすることになる。100読は1聞にしかず、である。
だから医学を身につけたい人間は奴隷制であっても医局に入るのである。しかし、医学に、そもそも価値観を感じていない彼にとっては、奴隷化して実力をつけるよりも、100倍遠まわりをしても、文芸を創作する自由な時間をもつことの方が大切だった。医学に興味をもっていない、などといっても、6年、医学をつめこまされ、国家試験まで通る理解力をもっている人間である。いやがうえでも医学に興味をもてるのは教育の当然の結果である。彼は音楽理論はチンプンカンプンでも、医学はチンプンカンプンではなく、医学書なら読みこなすことが出来るのである。それでともかく、彼は国家試験に通ると、ある国立病院に入って、研修した。国立病院は大学病院とくらべると全然教育体制などなく、実力はつきにくいが、逆にいうなら、大学病院のように実力を身につけなくても、しかられることもない。ので文学創作の時間を持ちたい彼には向いていた。しかし、彼は一分たりとも文学創作に打ち込みたかった。彼には、発作のように、書きたい衝動が起こると、所と場所をわきまえず、筆を走らすのだった。今かける、今しか書けない、と感じた時は、キンム時間であっても、医局の自分の机か、図書室で、3時間も4時間も一人、筆を走らせるのだった。そのため彼は、小説を書いていて病棟に行かないこともあって、医学修得に、やる気がないと、思われたのか、最低の二年の初期研修は、おえたが、レジデントにはなれず、ものの見事にリストラされた。しかし彼は小説を書いていてリストラされたことは、むしろ誇り、とさえ感じていた。文学創作のためなら命をもおしくない、との信念の証明であった。ただ困ったことはリストラされたため、生活の資を失ったことである。彼はリストラを宣告された時、筆で食べていけるか、さすがにあせって今まで書いてきた小説のうち、完成した自信作を、ある出版社に送った。しかし出版社の返事は、自費出版なら可、だが、企画ではダメというものだった。そのため彼は自費出版の費用をためるため、不本意な医学医療で働くことによって生活の資と出版費をためようと、ある小規模病院に再就職した。今は医者の斡旋業者がたくさんいて、これがまた、儲かるのである。丈太郎も、ある斡旋業者に頼んで再就職したのである。130床の精神病院である。CTもなければエコーもない。あるのはレントゲンくらい。医学に価値をおいているほとんどの人なら最新機器もない、最新情報も入らない、このような病院にはきたがらない。しかし彼にとっては医学はどうでもいいことだったので、最新機器、CTスキャンも、エコーも無い、ことは別に何とも思わなかった。むしろ最新機器があれば、最新機器にたよって、それなしには、診断できない医師になりうる可能性もある。教育は不便なるがよし、ではないが、CTを使わなくても症状から診断できる医者の方が能力が上であることはいうまでもない。そういう心理も彼にはあった。おそらく自分のような変わった人間でなくては、このような条件のわるい病院に来てくれる医師はいないのではなかろうか。そのためか、金銭的な待遇は、わりとよかった。入って間もない頃、彼ははやく病院になれようと、入院患者の名前と病気と、その薬を憶えようと夜おそくまで勉強していた。
その日は水曜だった。
夜になると夜勤のドクターが来る。どういう、つてで、この病院を知ったのか、人とあまり話をしない彼にはわからない。だが当直医というのは、たいていどっかの大学病院に勤める医局員で、研修医かそれよりもうちょっと経験年数が上か、それは知らない。が、ともかく大学の知識、技術を学んでいるという身分であり、給料は信じられないほど低く、無給というところさえある。大学病院にいて出世をのぞむ人間にとっては給料がでるようになるには何年もかかる。そこで生活の資は、アルバイトで捻出するというのが医道人の経済である。しかし出世だの技術、知識の修得だの、などにはクソクラエと眼中にない人間は民間の病院に常勤医として就職すればいい。給料だけはしっかりでる。自費出版の金もためられる。今まで彼は、教育熱心でない、国立病院で月曜から金曜まで、勤め、というか、研修し、週一回県のはずれの当直病院で当直のバイトをしていた。何と月曜から金曜、の労働の給料と、週一回、つまり月4回の当直病院のアルバイトの給料は同額なのである。何とバイトの方が割がいいことか。そんなわけで彼は、常勤医になったので、立ち場が逆転してしまった。常勤医になると、さすがに責任感というものもでてくる。
ある夜、彼が夜おそくまで医局で勉強していると当直医が来た。ふつう常勤医は5時で帰り、当直医は6時くらいに来て、顔をあわせることがあまりない。別に気まずい理由というのもないのだが、当直医も自由にくつろぎたい、という気持ちを尊重して、そんな習慣が何となくあるのである。ある日きたのは、名前は苗字だけ、だったから、バイト医なんて、みんな男の研修医だと思っていたのだが、女の人がきた。あとできいたのだが、この病院の当直にくる大学の医局もわりときまっていて、三つか四つある。その中の一つはレベルの高い公立大学だった。実をいうと彼は、地元のこの大学に入りたくて受験したのだが見事に落ち、やむなく、もう一つうけた関西の公立大学に入った。それで彼は関西で医学を学び、大学生活を送った。関西に行ったことのない彼には関西はカルチャーショックだった。第一に女子学生達が駅で関西弁でまくしたてているのにおどろいた。日本では地方では方言がのこっていることは知っていたがテレビによって標準語は普及しているはずだし、関西にいる人間は標準語で話をしているものだと思っていた。まるで異国へきたようなカンジ。しかし第二志望で入っても母校は母校。母校に対する誇りと思いはもっている。それでも関東へ卒業と同時にUターンしたのは、やっぱ関東がこいしくて、関西にはなじめきれへんかったのである。やはり関東の人間が関東をこいしがる気持ちは強く、居残る者も半分くらいはいるが、半分近くはUターンし、卒業と同時に関東のどこかの大学の医局に入るのである。丈太郎もそれと同じだった。ただ彼は大学というヒエラルヒーのある権威の象徴に入らず、研修指定の国立病院に入ったのである。彼が入れなかった地元の公立大学というのは、東大、医科歯科ほどべラボーに偏差値が高くはないが、やはりレベルはやや高く、それもあってか病院も付属の図書館も、きれいで、エレガントで、加えて、学生はみな知的そうで上品である。かえりみてみるに彼の母校の学生はやや下品で頭のわるい人儀礼智忠信孝悌にかけるところの者もいた。それで彼は、この大学出身者にコンプレックスを持っているのである。
ある夜のことである。彼が一人で医局で勉強していると女の当直医が入ってきた。彼は内心びっくりした。彼女は、
「はやく来すぎてしまってすみません。お仕事中のところをおじゃましてしまって」
と言った。いとやんごとなき、めでたき人である。これは、あやまるに価しないことである。むしろ丈太郎が謝るべきなのである。当直医がおそく来すぎることは、あやまってもおかしくはないが、早く来てわるいはずはない。ひきつぎも口頭でできる。丈太郎が勉強している、ところで、テレビをみるわけにもいかず、最も彼女が何をしたがっているのかは、わからないが、たいていは当直病院に来た人は、まずテレビのスイッチを入れる。一度、部屋に入った以上、部屋を出ていくわけにもいかず、彼女はソファーに座ってテーブルに置いてある雑誌を読むともなくパラパラみていた。彼の方が本当は悪いのである。当直医は病院にとって大切な存在なのだから気をきかせて、出会わないよう早めに去るべきなのである。彼女はジーパンをはいていたが、座った姿が少し男っぽくみえる。彼は医局に属せず、独学で医学を100倍の遠まわりして学んだ。わからないことがまだ山ほどある。一方、彼女は大学の医局で、もち前の頭のよさ、のみこみのよさ、に加えて縦と横の豊富なつながりから、どんな事態にも的確な指示をだせる実力ある医者だろう。それなのにさらに大学の医局にのこって医学を深めているのである。彼は彼女のうしろに、みえざる大学の権威をみた。大学の権威の後ろ盾がなく、学会にも入らぬ彼にとって大学の権威の象徴である彼女は内心、タジタジであった。しかし、それとは別にもう一つ想像力過多の彼を悩ましているものがあった。それは彼女のジーパンの下にはかれている肉づきのいい太ももにフィットしているパンティーがどんなのか、ということだった。彼女もセクシーな水着をきて海に行くんだろうか、とか、彼女にはかれて、洗濯され、ほされているパンティーが頭に浮かんできたりする。そんなことばかりに興味が行くから丈太郎の医学の実力はなかなか身につかないのである。彼女が来たからあわてて帰るというのも間がわるく、少ししてから、
「では、よろしくおねがいします」
と言って、あたかも彼女に関心がないような態度で部屋を出て行った。彼女は、
「おつかれさまでした」
とつつましく、挨拶した。
翌日、丈太郎が病院に行くと、つつましい彼女が、寝たベットが気にかかってしかたがなかった。彼は、田山花袋ほど、むさぼりかぐようなことは絶対しなかったが、彼女の香を含んだフトンを前に一人悩み、あんな知的できれいな人が週一回、当直にきてくれると思うとうれしい思いになるのだった。
ここの病院は130床くらいの病院なので、常勤の医者は彼がくる前は院長だけだった。あとは夜勤の当直医と、土日の日当直のバイト医で、やりくりしていた。院長は高齢で、体力的衰えから、一人での診療は少しきつくなっていた。以前、それを補佐するように院長と同じ大学の女医が常勤で勤めていたのである。病院の求人というのは、在籍医局との、しがらみがあるため少し、ややこしい。ほとんど100%大学病院の医局と民間病院の院長に何らかのつながり、があって、たとえば院長が、その医局出身というのであれば、最高のつながり、であるが別の大学の医局に友人がいる、というのでもいい。ともかくコネクションが必要なのである。それで、民間病院の院長が人手がほしいと思ったら、大学の医局にたのむのである。すると最終的には、人事権をもっている教授が、「○○君、ちょっとあそこの病院へ行ってくれないか」というのである。大学の医局もヒエラルヒーある一般の会社と同じようなもんで上司の命令にはさからえない。医者不足で困っている病院としては、医者を派遣してくれる大学教授は、涙、涙、でうれしい、ので教授に紹介料としていくばくかの謝礼をわたす。この額はかなりのものである。しかし、これは派遣される医師にとっては人身売買である。「二年、行ってきてくれないか」と言って、行って二年我慢しても、戻ってこれるか、どうかは、教授の胸三寸である。この病院の院長は関西の大学出身で、近くに、つて、のある大学の医局がない。近くにも大学病院は、あるが、近いからといって、あまり話しをしていない、ご近所さんに、きやすく、ものは頼みにくい。それより遠くても、気軽に頼めて、いざ、という時に頼りになるのは何といっても出身母校である。母校は他人ではなく、もはや身内、我が家みたいなものである。いざ困ったことになって泣きつけるところは母校である。それで院長が出身医局に頼んで、女医が来てくれたというところである。この女医を彼は知らない。だが、この女医は半年くらい前から休んでしまっている。それで人手がなくなってしまって、また院長一人になってしまったので、丈太郎がそのあとがま、として来たということになる。エコーもなければCTもない。やる気をもたねば、どんどん最新知識からはなれてしまう。このような病院にきてくれる人はめったにいないだろう。そもそも彼はババッちいニオイのするオンボロ病院が嫌いではないのだから変わっている。院長室は、別にあり、広い医局室を一人で使える。静かにものを書くにはすごくよい環境である。彼も、かえりみてみるに、はたして常勤で、この病院にきてくれる医者は自分以外にみつかるだろうか、と思ったが、たぶん医学的向上、出世を考えている医者のほとんどは、よほど変わり者でなければ、来ないんじゃないかと思われた。そのためか、待遇がよく、医者をひきつけておこうという意識が感じられる。冷蔵庫には、いつもかかさずジュースをきらさないで入れといてくれるし、クーラーはきいてるし、クッキーはおいてあるし。さらには、何と休職中の女医さんの持ち物が入ったダンボールが医局の部屋の隅に置いてあるのである。その中に何と、パンティーが入ってる。しかもTバックのかなりセクシーなのである。つい彼はそれが気になってしまう。彼女は常勤医だったのだから当直もあり、かえ、の下着をもってくることは、おかしくない。しかし休職中に病院に置いたままにしてある、ということはどういうことか。何となく、医師を病院につなげておくための意図的なものなのでは、という妄想が起こってくる。じっさい、それは彼を病院につなげておくために非常に有効に働いていた。
彼は、いけないと思いつつも、ついフラフラとダンボールの方へ行き、彼女のセクシーなパンティーを前に想像の翼をめぐらし、心地よい快感に心を乗せるのだった。医局には彼しかいないものだから、つい箱の中のパンティーが気になってしかたがない。患者の診療中の時まで、その雑念が入ってくる。診療がおわると彼は耐えきれず、急いで医局室にもどり、パンティーを前に、酩酊にふけるのだった。
ある日、彼がパンティーの前に座して夢うつつな気分でいると、ガチャリと戸が開いて、女の人が入ってきた。彼は、あせってパンティーをかくそうとポケットにつっこもうとした。
「あなた、いったい何をしているの。それ私の下着よ」
と言う。丈太郎は心臓が止まるかと思うほどあせった。おこっているがストレートヘアーのかぐや姫のような、うるわしい、いとやんごとないお方である。
「い、いえ。あ、あの・・・」
彼が困っているところを彼女はつづけざまに言った。
「人がいない時に人の下着をあさるなんて、あなたそれでも医者なの」
彼は答えられない。ぬすみを現行犯でみつかった犯罪者で弁明の余地がない。
「あ、あの岡田玲子先生ですか」
彼がおそるおそる聞くと、
「そうよ。ちょっと体調をくずして休んでいたけど、また来月から勤めることになったの。で、病院に電話したら常勤医が一人きたというから、どんな人かと思って、久しぶりに来てみたら、人の下着を無断であさる人だったなんて・・・」
と言って彼女はおこっている。
「ご、ごめんなさい。ゆるしてください」
と丈太郎はひれふしてあやまった。彼女は、しばし丈太郎を細目で見ていたが、黙って去って行った。
水曜日がきた。水曜日になると彼はうれしくなるのだった。というのは水曜日に、当直に、あのお方が来てくれるからだった。前日、新しいクッキーのつめあわせがさし入れされていた。前のクッキーのつめあわせは、ほとんど彼が食ってなくなってしまった。からだ。彼は土日の日当直に、来る当直医にクッキーを食われてしまうことが何となく腹だたしかった。こうなったら当直者用のクッキーと常勤医用のクッキーをわけておくべきだと思った。彼はセサミストリートのクッキーモンスターではなかったが、精神科の仕事は精神的なストレスがかかるので、ついつかれるとクッキーに走ってしまうのだった。これは性格が未成熟なためにおこる神経性過食症というものなのかもしれない。水曜日には、あの方がこられて、医局のベットにおやすみになってくださると思うと彼はうれしいのだった。土日は男の当直医で、部屋をどっちゃらけにして帰るのだが、女の方はつつましく、何もなかったかのようにモクレンのような残り香をのこし医局をさられるのだった。あのお方が横たえられたフトンの、のこり香をつい彼は、ねて、あの方が寝たフトンにねて、あの方と一時的にでも一体化できるような夢心地になってうれしいのだった。彼は二ヶ月でたべられるところのクッキーのひと缶を一週間でカラにしてしまっていた。そこで新しいクッキーがさしいれされた。翌日、クッキーのカンをあけると、一枚だけへっていた。あの方がお召し上がりになられたのだ。ああ、何とつつましいことか。クッキーはたくさんあるから、10枚でも20枚でも食べていいのに、一枚だけお召し上がりになられるなんて。そのお心に彼は大和なでしこのつつましさに心うたれるのであった。彼は腹は減ってなかったが、クッキーを食べようと思った。クッキーには5種類あった。白系、黒系(コーヒー系 )に、クリームつき、のやら、チョコつきのやらだった。あのお方が召されたのは白系の、中心部にチョコレートがのっているものだった。選び方にもつつましい品行方正なお人柄がにじみでている。彼もそれと同じ種類のクッキーを一枚とってたべた。何か、あのお方と一体化できたような、うれしさがおこるのだった。
が、幸福というものは、おうおうにして、長続きするものではない。人生には必ず別れがくる。しかも予告無しに。
ある木曜日の朝、丈太郎は、上気した気分で病院に行った。
彼は、朝一番に、当直日誌を見るのだった。その日は大凶だった。当直日誌には、こう書かれてあった。
「昨夜は、特に何もありませんでした。医局の人事で、当直は昨日までとなりました。長い間、お世話になりました」
丈太郎は号泣した。何度も読み返した。もう彼女は、この病院に当直に来ないのだ。それは、最愛の恋人を失った男が感じる悲しみの百倍の悲しみだった。数日、虚無の日々がつづいた。しかし、丈太郎は、子供の頃から苦難の人生を送ってきて、逆境には強かった。彼は悲哀を忘れようと本腰を入れて、精神保健指定医の勉強を始めた。精神保健指定医というのは国によって認定された精神科医の資格である。これは精神科を選んだ医師は必ず取らなくてはならない資格である。医学の世界では、各科ごとに、色々な専門医の資格がある。内科ならば、内科専門医というように。眼科ならば眼科専門医というように。しかしこれらは、学会がつくった資格であって、国が認めた国家資格ではない。しかし、たいていの専門医の資格は、それぞれの学会が、かなり厳しいテストをつくっていて、やはり、それなりの経験と実力がなければ、取れるものではない。そのため、専門医の資格を持っている医者はそれなりの実力があると見てさしつかえない。
しかし精神科の専門医はちょっと他科と違うのである。精神科の専門医は、精神保健指定医といって、国が決める国家資格なのである。これは、当然といえば当然である。精神科医は、あばれる患者や、自殺の可能性のある患者を個室に隔離したり、拘束したりしなくてはならない。治療の必要があれば、入院をいやがる患者を入院させたり、退院を求めても許可しない権限があるのである。つまり、患者の人権を制限する権限を持っているのである。他人の人権を制限できるのは、警察官と精神科医くらいである。このような、たいへんな権限を持つ資格なので、それは学会のレベルではなく、国が決める国家資格なのである。年に二度、夏と冬に行われる。これはペーパーテストではなく、8症例の患者のレポートを厚生省に提出して、合否が決められるのである。このレポートは、いわゆる医学の研究目的のためのレポートとは違い、精神保健福祉法を理解しているかどうかの、レポートで、医学のレポートというより、法律の条文を重視したレポートである。この審査はけっこう厳しく、落ちる人も多い。しかし精神科を選んだ以上、この審査には、どうしても通らなくてはならないのである。精神科医のほとんどは精神保健指定医の資格を持っている。もちろん、精神保健指定医の資格を持っていない精神科医もいる。しかし、精神保健指定医の資格を持っていない精神科医は、精神科において、人間以下と言われるほど、みじめな立場なのである。精神科医である以上、精神保健指定医の資格は持っていて当然の資格なのである。
なので、丈太郎も指定医の資格を取ろうと、精神保健福祉法の勉強に取り組んだ。
元のように単調な状態にもどった。医局と病棟は離れていて何か用があると、ナースコールがして、病棟に行くのである。ここの病院は、どう見ても赤字経営である事は間違いなかった。そもそも民間の精神病院は赤字経営の所の方が多いのである。そのため、病院は何とか収益を上げようと色々な手を打つ。ボロ病院のわりには、結構、高齢の患者が外来で来るのである。それは、病気の治療というより、孤独な老人が話し相手を求めて来るのである。院長は、そこらへんの、あしらいが上手く、患者を、よもやま話で、病院にひきつけておくのが上手いのである。
受け付けの事務の女性もピンクの事務服である。色っぽい。丈太郎は、初めて彼女らを見た時、思わず、うっ、と声を洩らしてしまった。しかし、患者を集めるには、彼女らの、色っぽい服は、たいして効果は無いだろう。しかし、彼を病院につなぎとめておくには、確実に効果があった。しかし、丈太郎はウブで純粋で、奥手で、スレッカラされていないので、女と話をすることが出来ないのである。
ある日の昼休み、事務の女性が、いつものようにクッキーの缶を持って医局にやってきた。
彼女は、クッキーの缶を冷蔵庫の上に置いた。
「先生。来週から、体調をくずして休職していた岡田玲子先生が復職することになりました。よろしくお願い致します」
そう言って彼女は去って行った。
丈太郎はドキンとした。当直の女医の事ばかり懸想していたので、彼女の事は忘れていたのである。丈太郎はあせった。彼女には弱みがある。彼女のパンティーを手にしている所をもろに見られてしまっているのである。これから、ここで彼女と二人きりで、過ごさなければならないのである。彼女は何と言うだろう。丈太郎は意味もなくグルグル医局の中を歩き回った。
その週末の休日、丈太郎は何と言って弁解しようかと、頭を絞った。そして、ある苦しい、一つのいいのがれを思いついた。
月曜になった。病院についた彼は緊張して、医局のドアを開けた。いつものように、日曜の当直医が、部屋をどっちゃらけにして帰っていったので、彼は丁寧に部屋をかたづけた。病棟に行って、一回りした。ナース詰め所で、隔離患者の患者の状態をカルテに記載し、定時処方の薬の処方箋を書いた。そしてまた、医局にもどってきた。
昼近くになった。ガチャリとドアが開いた。岡田玲子先生である。彼女はチラリと丈太郎を見た。丈太郎はこちこちに緊張して直立して深々と頭を下げて挨拶した。
「岡田玲子先生。はじめまして。山本丈太郎と申します。これから、よろしくお願い致します」
彼女は、黙ったまま、ロッカーから白衣を出して着て、デスクについた。彼と向かい合わせである。彼女の胸には精神保健指定医の金バッジが燦然と輝いている。指定医なのだ。
彼女が黙っているので、彼は小さな声で言った。
「あ、あの。よろしく」
「よろしく。変態さん」
彼は真っ青になった。彼女は上を向いて独り言のように呟いた。
「あーあ。ついてないなあ。これから変態と二人きりなんて。恐くてしょうがないわ」
彼は、急いで彼女の発言を打ち消すように力を込めて言った。
「ち、違います。僕は変態なんかではありません」
「なんで。だって女の下着をあさって、履くじゃない」
「ち、ちがいます」
「どう違うの」
彼はゴクリと唾を飲んだ。そして、昨日、考え抜いた事を堂々とした口調で言った。
「か、患者の半分は女です。ぼ、僕は女の患者の心理を理解するためには、男の視点からではなく、女の視点から理解しなくては本当に女の心を理解する事ができない、と思ったからなんです。あくまで人間の心理の理解の一環だったんです」
「へー。学術熱心なのね。そんな高邁な理由だとは知らなかったわ」
丈太郎はほっとした。
「それなら私もあなたの研究に協力してあげるわ」
彼女はコンパクトを取り出すと、彼など見ずに、ルージュの口紅をつけた。
「あなたに女の心理というものを教えてあげるわ」
「わ、わかってくれたんですね。ありがとう」
彼は最大の難関を無事に通過できた事に感激して随喜の涙を流した。
その時、ナースコールがした。
「あなた、行ってきなさい。私、ちょっと疲れてるから休むわ」
そう言って玲子はベッドに横になった。
「はい」
彼は、元気に返事して病棟へ向かった。
そんな風にして二人の病院勤めが、はじまった。