小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

もちろんオリンピックはくだらない

2016-07-05 21:50:54 | 武道・スポーツ
世間では、リオ・オリンピックの話題でもちきりである。

僕が、オリンピックの金メダリストで尊敬するのは、ローマ・オリンピックで、獲った、金メダルを、川に投げ捨てた、モハメド・アリだけである。

彼は、その後、もっと、手ごわい相手(アメリカという国家)に、戦いを挑み続けた。

そして勝った。

オリンピックで、獲った金メダルを、後生大事に、一生、居間にかざって、ブランデーを飲みながら、心地よさにひたって、眺めているヤツに、僕は、全く興味がない。


これは、マッスル北村、とも関係することだが。

もちろん、僕は、マッスル北村の、何事に対してもの、強靭な意志の強さを尊敬するが。

僕も、健康のために、筋トレをしているが。

僕は、腕立て伏せを、1000回できるが。

最初は、20回しか出来なかった、腕立て伏せ、が、1000回、(さらには、それ以上)出来るようになると、当然、嬉しいのである。

筋トレをした後に、目に見えて、腕や胸の筋肉が、太くなっていくと、嬉しいが、しかし、その嬉しさに、はまってしまうと、健康に生きるための、筋トレ、という、所詮は手段でやっていることが、目的となってしまいかねない。

多くのことで、失敗してしまっている原因は、手段の目的化、という倒錯的心理からである。

マッスル北村にしても、東大や、東京医科歯科大学の医学部に、入ったり、ボディビルの大会で、上位に入ったりしても、手段の目的化、という倒錯的心理によって、死んでしまったのでは、結局は、何も、しなかった人生となってしまう。

現代の、オリンピックというものが、手段の目的化、という倒錯的心理となってしまっていることを、オリンピックの始まった、歴史から、認識できている人は、この世の中に、一人もいないだろう。

だって、オリンピックのことを、悪く言っている人は、世の中に、(私以外)一人も、いないのだから。



わかりやすい例を、一つ、言おう。

ドーピングとして禁止されている薬物には、麻薬や覚醒剤などと違って、依存性のない、安全な薬も多い。

では、そこで、安全な薬の、ドーピングは、認める、というルールを決めたら、とうなるか?

結果は明らかである。

例外なく、全ての、選手が、ドーピングするようになる。

試合前に、ホモ・セックスをすると、運動能力の向上効果があると、わかったら、全ての、選手が、試合前に、ホモ・セックスをするようになる。

試合前に、ウンコを食うと、運動能力の向上効果があると、わかったら、全ての、選手が、試合前に、ウンコを食うようになる。

だって、そうしないと、勝てないからね。

金メダル獲得至上主義になると、スポーツが、実に、グロテスクになる。

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体罰。しごき

2016-07-05 12:00:47 | 武道・スポーツ
スポーツや教育において、体罰とか、しごき、のことがさかんに言われている。体罰は暴力で言語道断、という意見が多いように見受けられる。体罰肯定の意見は少ない。しかし私は、体罰(体罰という言葉は私にとっては適当ではなく違和感を感じるのだが)を無条件に否定する者ではない。体罰とか、厳しい訓練とかが、選手の技術を上達させるケースもあるからである。(もっとも、そういうケースは、非常に数少なく、そして、それは結果論であって、基本的に肯定すべきものではない)もっとも、もし私が指導者だったら、優しすぎてしまって、それが問題になりかねない。

いい例がある。You-Tubeで、「佐山サトル」で検索してみれば、出てくるが。初代タイガーマスクの佐山サトルが、どこかの大学のシューティング部の合宿の訓練で、まさに一見すると、暴力的な荒っぽい体罰指導をしている画像が出てくる。一見すると、言語道断の体罰指導と、とらえてしまう人もいると思う。しかし、はっきり言っておくが、あれは素晴らしい暴力的指導である。私は、あの指導を完全肯定する。佐山サトルは、選手たちに、シューティングが上手くなってほしい、優れたシューティング選手になって欲しい、というのが、佐山サトルの、思いだからである。佐山サトルは、非常に頭がいい。どう指導すれば、上達するか、という論理をしっかりと理解している。本で読んで研究したのか、直観力からかはわからないが、おそらく、彼の頭の良さからして、直観力からだろう。

しかし、世の中で行われている、体罰指導の9割は、言語道断の、無能でバカな指導者どもの、勝利至上主義の、すぐやめさせるべき悪質な暴力体罰である、と私は推測している。すぐにやめさせるべきである。私もテニススクールで指導者を見てきているが、今、所属しているテニススクールのコーチの全員は、白痴である。思考力0である。

ただ、困ったことは、言語道断の暴力的体罰指導でも、選手の技術が上手くなるケースも、あることがあるのである。もちろん、世の中の思考力0のバカ指導者どもの指導では、技術が上手くならないケースの方が多いだろうし、さらに、せっかく、あるレベルまでは上達できる能力を持っているのに、思考力0の暴力的バカ指導者どもに、運悪くかかってしまうと、伸びる能力があるのに、つぶされてしまうケースや、さらに嫌になってやめていくケースも、そうとう多いことだろう。むしろ、そのケースの方が多いだろう。

体罰的指導とか、厳しい指導、というものには、ちゃんと論理があるのである。優しいだけの指導では、伸びないケースもあるのである。佐山サトルのような頭のいい人間なら、書物に頼らずとも、直観力だけで、それを見抜けるのだが、世のスポーツ指導者の多くは、バカだから、指導や上達の論理を学ばせる規則を作ったらいいと、思うのだか。おすすめの本は、南郷継正氏の「武道の理論」や氏の他の本である。氏は、「しごきの理論」というものを、論理的に正しく書いている。「しごきの理論」なんてものを、正面切って書いている人は、他に思いつかない。あるいは、スキーのSAJの指導理論も、非常に優れている。

だが仮に、指導者にそれらの本を読むよう義務づけたとしても、まずダメだと思う。彼らは、真剣に読もうとしないだろうし、そもそも理解できない、というか、理解しようと努力しないだろうし、軽い気持ちで読み流すだけで、読んでも、さっぱりわからず、読んだ翌日には、全て忘れているだろうから。私は多くの指導者や教師を見てきたが、非常に残念なことであるが、やはりバカは死ぬまで治らないのである。

「彼らは見ても見ようとせず、聞いても聞こうとせず、理解できないのである」

(マタイ伝13章)

もう一つ、重要なことに、選手の指導者に対する「愛」、あるいは逆に、指導者の選手に対する「愛」というものがある。スクールウォーズのモデルの伏見工業高校ラグビー部を京都一までの強豪にしたのは、山口良治先生の生徒に対する「愛」であり、生徒の山口良治先生に対する「愛」である。

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