共通テストに記述式は、キチガイ沙汰。
共通テストで、数学、や、国語、で、政府は、記述式にしようとしている。
これは、キチガイ沙汰である。
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ある生徒に、数学、や、国語、の記述式の模擬テストを受けさせる。
そして、その答案を、二人の別の、採点者に、採点させてみる。
結果は明らかである。
絶対、同じ点数にはならない。
政府は狂ったことしか、しない。
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政府は、採点結果が、68点と69点との、1点くらいなら、違っていてもいいじゃないか、と、狂ったことを、考えているのかもしれない。
しかし、大学受験では、受験生は皆、模擬試験の結果から、合格の可能性がある、大学を受験するから、得点は、ほとんど、横並びになって、ほとんど同じになるのである。
1点の差で、合否が、別れるのである。
大学としても、1点の差なら、どっちを合格させるかに、頭を悩ましているのである。
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大学としては、ペーパーテストで、トップのヤツや、大学の卒業成績が、トップの人間ではなく、卒業して、社会に出てから、バリバリ活躍してくれる人間を求めているのである。
しかし、それを、見極めるのは、困難だから、公平性という点から、ペーパーテストの点数で決めるしかないのである。
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記述式の問題では、たとえば、数学なら、最終的な正解に達していなくても、途中まで、解けていれば、それを評価して、40点とか50点とかに、採点するものである。
私がもし、採点者になってくれ、と、頼まれたら、絶対、断る。
なぜなら、私の採点が、他の採点者と、同じ評価には、絶対、ならない、という絶対的な確信があるからである。
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記述式の問題の答案で、別の二人に採点させても、点数が絶対、食い違わない場合もある。
それは、二つだけで。
一つは、何も書いてない場合。これは、誰が、採点しても、0点となる。
もう一つは、完全に正解にたどり着いている場合。これは、100点となる。
(しかし、数学の問題の解法は、一つだけじゃなく、いくつかあり、より合理的な解法で解いている人の方が、思考能力が優れている、と、評価して、高い点をつけても、悪くはないので、これも、問題がある。今は、どうか知らないが、赤本の数学の解き方は、「急いで出版しなければならないから」、強引で非合理的な悪い解き方だった)
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そもそも、たかが、ペーパーテストであり、記述式の問題にすれば、人間の思考力を評価できる、という、考えが、そもそも、バカげていると思うが。
どうしても、共通テストを、記述式の問題にしたい、というのなら、共通テストは、採点せず、受験生の答案を、受験する大学に、そのまま提出して、その大学の数学教授に、採点させる、というようにすれば、いいと思う。
試験を終えた受験生の、試験に対する、手ごたえ、というものは、大体、正確なものである。
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英語の民間試験導入も狂っている。
これは、どう見ても、企業と政府の癒着としか思えない。
官庁と企業の、積極的な癒着でなくても、結果として、企業は、儲かるから、政府に感謝して、自民党に政治献金したり、自民党に票を入れたりするから、癒着となる。