「協力出版物語」
という小説を書きました。
ホームページ・浅野浩二のHPの目次その2
にアップしましたのでよろしかったらご覧ください。
協力出版物語
(1)
1991年、日本はバブル経済が崩壊した。地価は下落し株価は暴落した。バブル景気に浮かれて株に投機し土地を買いあさった日本人は未曽有の不況に苦しむことになった。
北海道拓殖銀行が倒産し、ついで日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、山一證券が倒産した。日本の土地神話が崩れ、銀行の持つ債権は不良債権となり、銀行は企業に融資しなくなった。日銀はこれを何とかしようと、都市銀行に貸し出す金利を下げ、さらに日銀は金利をゼロにした。しかし不況でモノが売れない以上、企業は事業を拡大することはなく、また企業が融資を求めても銀行も企業の倒産を恐れ貸し渋りするようになった。
多くの企業が倒産し銀行は単に金を預けておくだけの貯金箱に成り下がった。
大量の失業者が出て、フリーターやニートはもはや、その存在が当たり前になった。
この不況は当然、出版業界にも及んだ。
日用品、生活必需品でさえ売れない時代に娯楽本など売れなくなるのは当たり前である。
それと、急速に発達したパソコンによって、人々はわざわざ紙の本を買わなくても、ネットで情報を集められるようになったのが出版不況に拍車をかけた。
大手でない、いくつかの出版社は、この出版不況を逆手にとって悪質商法に走った。
それは、「協力出版」「共同出版」などと名づけて、全国の書店に流通させる出版形態である。
それは、一言でいって、本を売ることによって、出版社が儲けを出す通常の出版形態ではなく、本を出版してみたいと思う人の心をくすぐる詐欺商法だった。
つまり、「作家としてデビューしてみませんか」という宣伝によって、全国から原稿を募集する。そして出版社に投稿してくるアマチュアの原稿に対して、「素晴らしい」「埋もれさせるにはもったいない」などと褒めちぎった感想を返し、投稿者を舞い上がらせる。そして、「我が社も出版費用の幾分かを払いますので商業出版してみませんか」と著者に誘いをかける。そして、版権(本の所有権)は出版社にある本を作る、というものである。しかし、実際は、出版社は本の制作費に金などビタ一文出しはせず、製作費、流通費、倉庫代、など、すべて著者負担の金額であり、さらに、その上に出版社が、100万円から200万円などという法外な金額を著者から、ふんだくって利益を出す、本を作って著者から得た法外な製作費によって利益を上げる詐欺商法だった。
・・・・・・・・・・・・
北海道十勝病院である。
個室の病室には、松田ゆみこの父親の松田白が脳梗塞で入院しており、肺炎を起こしていた。危篤の状態だった。病院からの「お父様は今日が山場かもしれません。ぜひともお越しください」という連絡をうけて、ゆみこは、急いで病院に駆けつけた。
個室には「面会謝絶」のカードがかけられていた。
ゆみこはトントンと病室の戸をノックした。
すると戸が開いて看護婦が出てきた。
「どちら様でしょうか?」
「松田白の娘、松田ゆみこです。父が危篤と聞いてやって来ました」
ゆみこはハアハアと息を切らしながら言った。
「どうぞお入りください」
看護婦に言われてゆみこは病室に入った。
病室には、うかない顔をした主治医とナースが立っていた。
父親の口には酸素マスクが被せてあった。
心電図のモニターには波形は時々、期外収縮の波が出ていた。
血圧は60/30。脈拍は120。SpO2は80%だった。
「松田さま。お父様は危篤状態です。昇圧剤も投与しましたが血圧が上がりません。不整脈も起こってきたのでカルチコールという抗不整脈薬を投与して何とか、持ちこたえていますが、あと1時間もつかどうかでしょう。話したいことがあったら、何なりとお話ください」
そう言って主治医は酸素マスクのキャップを取り外した。
「お、お父さん」
ゆみこは涙をハラハラと流しながらヒッシと父親に抱きついた。
「ゆ、ゆみこ」
父親の閉じていた目がうっすらと開き、かすかに唇が動いた。
「ゆ、ゆみこ。わ、私は死んでいく。しかし悲しむことはない。人はいつかは死ぬのは当然のことだ。私は79歳まで生きて幸せな人生だった。母さんと恋愛結婚し、仕事も成功した。そして、お前のような優しい立派な美しい娘まで生まれて・・・お前に看取られて死んでいくのはこの上ない幸せだ」
それは死んでいく者が最期の力を振り絞って発する言葉だった。
「お父さん」
ゆみこはハラハラと涙を流した。
「ゆ、ゆみこ。死ぬ前に最後のお願いがあるんだ」
「なあに。お父さん」
「わしは、山の挽歌、という随筆を書いた」
「ええ。知っているわよ。私家本として自費出版したわよね。お父さん」
「ゆみこ。あれはわしの拙い随筆だが、わしは自分が生きた証として、あれを出版して世に残しておきたい。どうか、あれを自費出版でかまわないから出版してくれないか」
「わかったわ。お父さん。必ず出版するわ」
「あ、ありがとう。わしの人生は幸せだった。こんな孝行娘に看取られて死んでいくのだから・・・」
そう言うや、父親は静かに目をつぶった。
心電図のモニターに映し出されいるバイタルが急に乱れだした。
血圧がどんどん下がっていくので医師は昇圧剤を静脈注射した。
「いかん。血圧が上がらない。心筋虚血が起こったのだろう」
それでも血圧は上がらず、さらに心電図の波形が出なくなっていき、やがてツーと平坦になり出した。
「私が心臓マッサージをする」
そう言って医師は、エッシ、エッシと胸骨に手を当てて心臓マッサージをした。
心臓マッサージによって、少しは心電図に波が現れ、血圧も少し上がったが、それは死んでいく人間をほんの少しの時間、僅かに延命する効果しかなかった。
数分経った。
医師の心臓マッサージも虚しく、心電図の波形はツーと平坦になった。
医師は心臓マッサージをやめた。
そして主治医は、呼吸と脈拍と対光反射を調べた。
すべての生存反応がなくなり、ペンライトを瞳に当てたが瞳孔は開きっぱなしで収縮することはなかった。
医師はゆみこに顔を向けて、
「ご臨終です」
と一言いった。
ゆみこの目からどっと涙が溢れ出した。
「おとうさーん」
ゆみこは泣きじゃくりながら父親を抱きしめた。
「おとうさん。わかったわ。約束は守るわ。山の挽歌は必ず出版するわ」
ゆみこは、もう息をしていない父親に向かって誓うように言った。
医師が死亡診断書を書いた。
ゆみこは葬儀社に電話して葬式の手続きを迅速にとった。
すぐに霊柩車が来て、ゆみこの父親の遺体は霊柩車で十勝の実家に運ばれた。
翌日の夜、松田白の通夜が行われた。
喪主は当然のごとく、ゆみこが勤めた。
通夜には、松田白の友人、知人、会社の同僚などがたくさん来た。
「いやあ。松田白さんはいい人だった」
「松田白さんは山を愛し、自然をこよなく愛するいい人だった」
「私も職場では白さんに色々と親切にしてもらったよ。本当にいい人だった」
などと、皆、松田白を懐かしむ発言ばかりだった。
その度に黒い喪服に身を包んだ、松田ゆみこは、「有難うございます」と深く頭を下げた。
父はこんなに皆に愛されていたんだ、という実感があらためて湧き上がってきて、ゆみこは、よよと涙を流した。
「しかし白さんも、こんな美しく正義感の強い気丈夫な娘さんを、この世に残してあの世へ行ったんだ。白さんも十分に満足した人生だっただろう」
「ゆみこさんの正義感の強さは父親ゆずりなんだろう」
「白さんは、いつも言っていたよ。親バカと言われるかもしれないが、わしの娘はわしの唯一の自慢なんじゃ、とね」
などと、来客たちは、喪主を務める、ゆみこを讃えた。
それはお世辞ではなかった。
ゆみこは子供の頃から、この世に二人といない絶世の美女として全校生徒の憧れの的だった。
大学は慶応大学の生物学部に進学した、ゆみこだったが、「ゆみこならミス日本に選ばれるわよ」と友達に言われて、本人は気が進まなかったが、ミス日本に応募したら、何と優勝してしまったのである。その美しさは、大学を卒業し結婚し子供を産んだ今でも、色あせることはなかった。
通夜が済み、翌日、葬式が行われ、松田白の骨は松田家の墓に葬られた。
これで父の死は一区切りついて、ゆみこはほっとした。
(さあ。父との約束だわ。父の遺稿集・山の挽歌を出版しなければ)
と、ゆみこは気持ちを切り替えた。
しかし、ゆみこは、本の出版については全く知識がなく父の遺稿をどこの出版社で出版すればいいのか、わからなかった。
そんな、ある日の夕食の時である。
新聞を読んでいたゆみこの娘の繭子が母親に言った。
「お母さん。文興社という出版社が原稿を募集しているわよ。何でも単なる自費出版ではなく、全国の書店に置かれる商業出版だって」
そう言って娘の繭子は母親に北海道新聞を渡した。
どれどれ、とゆみこは娘から北海道新聞を受けとって見てみた。
すると新聞には半面をとった文興社の大きな広告があった。
それには、こんな宣伝が書かれてあった。
「広くアマチュアの人からの原稿を募集します。原稿をお送り下さい。当社で原稿を詳しく読み込ませて頂きます。内容が良くて売れる見込みのある原稿は当社が費用の全額を持つ商業出版とします、内容は良いが売れるかどうかわからない原稿も商業出版としますが著者の方にも多少の費用負担をして頂く協力出版をお勧めします、売れる見込みのないと判断した原稿には自費出版をお勧めいたします」
と書かれてあった。
ゆみこは本の出版に関しては知識がなかったので、
「ふーん、面白そうね」
と興味を持った。
世間的な知名度も名もないアマチュアの書いた原稿など売れるものではない、ということは仄聞で知っていた。
しかし死んでいく父が今際の時に頼んだお願いである。
責任感が強く、父をこよなく愛していた、ゆみこは出来ることなら、父の遺稿集を出来るだけ多くの人に読んでもらいたいと思い、ダメで元々と思いながら勇気を出して文興社に父の原稿、山の挽歌、を送ってみた。
出版社から、どんな返事が返ってくるか、ハラハラドキドキものだった。
しかし驚いたことに、2週間後に、文興社から返事の封書が来た。
それには出版契約書と原稿に対する僅かな評価が書かれてあった。
「松田様がお送り致しました、山の挽歌、を拝読させて頂きました。慎重な出版会議の結果、作品の完成度は高く、ほとんど手直し、編集する必要は無いと決まりました。このような優れた作品はぜひ世に問う価値があると思います。我が社としましても、山の挽歌、を書籍化して全国の書店に配布したいと思っております。おめでとうございます。しかしながら、作者であるお父様は知名度も名声もありません。なので出版にかかる費用は我が社も出させて頂きますが、松田様にも本の制作費の一部として200万円の協力金をお支払い頂けないでしょうか。ぜひとも協力出版をご検討ください」
との返事だった。
ゆみこに瞬時に疑問が起こった。
一番は「作品の完成度は高く、ほとんど手直し、編集する必要は無いと決まりました」と言いながらも、作品のどこがとのように良いのかは一言も触れていないことだ。
本当に出版社は父の原稿を読んだのだろうか?
もしちゃんと読んでいるのなら、山の挽歌、の内容について、具体的にどこがどういう風に良いと一言くらいは出版社は言ってもいいではないか。
それが一言も述べられていないというのはおかしい。
本当に出版社は、父の遺稿・山の挽歌、を読んだのだろうか?
そして、おかしいと思ったことは著者への印税が、たったの2%であるということである。
普通、本を制作すると著者への印税は10%位である。
つまり定価1000円の本が1冊売れたのなら著者は100円、受け取れるのである。
そして、さらにおかしいと思ったことは。
出版契約書では版権(作った本の所有権)が文興社になっていることである。
普通、商売では、買い手が売り手に代金を支払い、そして物を買う。自費出版なら本は著者の所有物であるから、これは問題ない。しかし著者が出版社に金を払って、その上出版社の所有物である本を作るというのはおかしい。これはまるで買い手が金を払って、その上売り手に物を差し上げるようなものである。
ゆみこは、文興社に疑いをもつようになった。
それでネットで色々と文興社についての評判を調べてみた。
すると、文興社に対する悪評がわんさと出てきた。
ゆみこの疑惑は募っていった。
ちょうどその頃、自費出版本の制作を手掛け自費出版本を書店流通させていた渡辺勝二という人を知った。
渡辺勝二氏は日本の自費出版の文化を守りたいと思っている良心的な人だった。
そして、(本の所有権は著者にある)自費出版本を作成し、それを知人に差し上げるだけではなく、内容の良い、売れる見込みのある本であれば、それを書店に置くことをしていた。
ゆみこは渡辺勝二氏に電話をかけてみた。
ゆみこは、文興社が示してきた、山の挽歌、を本にした場合の制作費の概算を渡辺勝二氏に聞いてみた。
すると渡辺勝二氏は鼻息も荒く怒りに満ちた口調で言った。
「松田さん。山の挽歌、を本にした場合、その制作費は200万円などかかりません。1刷は1000部ですね。それなら50万円で作れます。文興社はとんでもない詐欺出版社です。あんな出版社にだまされてはいけない。あなたには200万円と言ってきたようですが、確かに文興社は著者に大体200万円くらい本の制作費の一部と言って請求しています。それだけでもう文興社は150万円以上の利益を得ています。文興社は本を売ることによって利益を出している出版社ではなく、本を作るという口実で著者から、巻き上げる製作費で莫大な利益を出している悪質詐な詐欺的な出版社です」
これを聞いて、ゆみこも文興社にだまされたことを確信した。
「わかりました。教えて下さって有難うございます。あやうく文興社にだまされる所でした。私も何とかして文興社との契約を取り消すよう動いてみます」
「松田さんは、もう文興社と出版契約を結んだのですか?」
「いえ。まだ文興社が一方的に出版契約書を送ってきただけでサインはしていません。仮契約はしてしまいましたが。文興社に出版に関する疑問を色々と電話で聞いているのですが、なかなか答えてくれないのです」
「そうですか。出版契約を結んでいないのなら、まだ本の制作は行われていないでしょう。早く手を打てば契約を反故にして、200万円もの大金を支払わなくて済む可能性はあると思います」
「そうですか。では頑張ってみます」
「文興社は非常に悪質な出版社です。実は私も自費出版業界のモラルの向上を目的として『文興社商法の研究』というわずかな内部資料を30部程度作成したのです。ところが、それが不運にも文興社の手に渡り、私を訴えてきたのです。名誉棄損、営業妨害だから1億円の損害賠償金を支払え、と言ってきたのです。文興社は数えきれない多くの著者から、ふんだくってきた法外な資金源で何人もの弁護士をつけて私を訴えてきたのです。これは名誉棄損ではなく文興社に対する批判封じです。私は堂々と戦う覚悟です。文興社は投稿者から送られてきた原稿を、おだてあげて、著者を舞い上がらせ、製作費の一部と言って法外な金額を著者から、ふんだくって、それで莫大な利益を上げている悪質出版社です。版権(本の所有権)は出版社にありますから、著者と出版契約をして200万円、著者からふんだくった後は本は自分で宣伝して売りな、です。著者はみな泣き寝入りしています。こんな悪質商法が許されていいはずがない」
「そうだったんですか」
「文興社だけじゃない。近代文〇社。新〇舎。碧〇社、なども同様です。協力出版などと銘打って、文興社と同じ手法で悪質出版をしている出版社は多くあります」
「そうなんですか?」
「ええ。そうです」
ゆみこは渡辺勝二からそれ以外でも出版に関する色々なことを教えてもらった。
さて、文興社が渡辺勝二氏を訴えた裁判の第一審では裁判長の判決は次のようなものであった。
「被告、渡辺勝二氏の『文興社商法の研究』は自費出版文化を守りたいという強い気持ちから公益を図る目的で作成されたものと考えられる。しかし『文興社商法の研究』は左側に文興社側の商法の事実が箇条書きで書かれており、その右側に渡辺勝二氏の見解が述べられている。これを読む者は、右側の渡辺勝二氏の見解だけを読む者もいる可能性がある。それによって文興社を批判的に見る者も出る可能性もある。よってその点は名誉棄損と考えられ、被告、渡辺勝二に300万円の支払いを命じる。なお訴訟費用の大部分(20分の19)は文興社の負担とする」
というものだった。
渡辺勝二氏は、このこじつけ判決に納得したわけではないが、これ以上、裁判を続けても意味は無いと考え控訴せず文興社に300万円支払って文興社と和解した。
しかし文興社はテレビ局、新聞社、全てに「全面勝利」とのファックスを送った。
さて。外国と違って日本、日本人のほとんどは裁判を好まない。裁判には弁護士をつけ高額な報酬を支払わねばならず、時間と金を非常に浪費するからだ。しかも判決は裁判長の気まぐれで決められ、裁判を起こしたからといって勝てるものでもない。
裁判長が異なれば判決はコロッと変わる。なので日本人は裁判を好まない。
しかし、ゆみこは違った。ゆみこは、それまで、えりもの森の裁判、サホロ岳ナキウサギの裁判、など不条理と思えることは堂々と裁判で訴えていた。たとえ判決に不服があっても、不条理なことに対しては、時間と金を費やしても戦う覚悟をもった肝の座った女だった。
ゆみこは文興社との仮契約を取り消そうと思った。
しかし相手は悪質な詐欺商法の出版社である。
それで、ゆみこは文興社とのやりとり、は後で裁判になった時の証拠として「メールでのやりとりでお願いします」と言った。
ゆみこの、冷静で堂々とした、物怖じしない態度に文興社も、「これはやっかいな相手だ」と思い、「仮契約は反故にしても構いません。200万円の全額返金にも応じます」との言質を取ることが出来た。
やったー、とゆみこが喜んだのはもちろんだが、ゆみこは、協力出版と銘打って、その実、本を作ることによって利益を出している出版社に対する強い義憤と悪質商法にだまされる被害者をださないようにとの思いは抑えることが出来なかった。
そんなある日の夕食の時である。
「お母さん。社会に対して言いたい事がたくさんあるんでしょ。それならブログをやってみない?」
娘の繭子が言った。
「えっ。ブログってあの何か日記みたいなもの?でもどうやって設定するのかわからないし。私はアナログ人間だから・・・・」
ゆみこは躊躇した。
「そんなに難しくはないわよ。お母さんは社会に対して言いたい事がいっぱいあるんだから、ブログでそれを発言したらいいと思うわ」
繭子は嬉しそうに言った。
・・・・・・・・・・
翌日の昼は日曜だった。
繭子は朝からパソコンをカチカチやっていた。
「繭子ちゃん。何やっているの?」
「へへ。いいこと」
1時間くらい経った。
「出来たわよ」
娘が大きな声で言った。
「どうしたの。何が出来たの?」
昼食の準備をしていた、ゆみこが娘のいじっていたパソコンを覗き込んだ。
「へへへ。お母さん。ブログの設定をしちゃったわよ。お母さんのブログよ」
「まあ、繭子ちゃん。そんな勝手にしないでよ」
「でももう設定しちゃったもん。まだ公開していないからタイトルやカテゴリーやプロフィールはお母さんが決めて」
しょうがないわね、と言いながらも、もう乗りかかった舟である。
ゆみこは、娘に教えてもらいながらブログを始める決意をした。
タイトルは。
エート。
何としようかしら?
ゆみこはストレートの美しい黒髪を掻きむしりながら考えた。
「ヒステリー女のブログ」「ザ・女瞬間湯沸し器」「独蜘蛛おばさんの批判箱」などなど。
いくつか考えたが「独蜘蛛おばさんの批判箱」で決定した。
名前は実名の「松田ゆみこ」にした。
プロフィールは以下のように書いた。
「北海道十勝地方在住。蜘蛛や野鳥、野生動物など自然に広く関心を持ち、自然保護活動に関わっています。寒いのは苦手ですが、北国の雄大な自然が大好きです。十勝自然保護協会会員。日本蜘蛛学会会員」
こうして松田ゆみこのブログ「毒蜘蛛おばさんの批判箱」が出来た。
一旦ブログが出来てしまえば、あとは記事のタイトルを決めて、記事をかけばいいだけだった。
ゆみこは自分が関わった文興社だけではなく共同出版・協力出版・共創出版などと名乗っている出版社すべての動向を調べて記事にしていった。
ネット上でいくつもある掲示板で匿名で文興社の批判を書く人はたくさん居たが、それらはみな感情的な幼稚な悪口ばかりだった。
その中で実名を出して、しっかりと読むに耐える記事を書いているのは、日本で、松田ゆみこ一人だけだった。
ゆみこは文興社にだまされた被害者ではない。
ゆみこが出版の仮契約をしていた、父の遺稿・山の挽歌、は、契約解除することが出来、200万円の全額を文興社に支払うことなく済んだのであるから。
しかし、ゆみこは正義感が強く度胸があったので、自分の恨みを書きなぐるのではなく、冷静に、協力出版の問題点を書いた。
そして、excite blogで、「共同出版・自費出版の被害をなくす会」というブログをも開設した。
ゆみことしては、協力出版をしている出版社を潰そうという意図は全く無く、原稿を投稿しようとする出版に疎い素人を錯誤するようなことは止めて欲しい、という思いだった。
ゆみこは記事に対して誰からでもコメントを受け入れるように、コメントをオープンにした。
しかし、ゆみこの記事に文興社は怒り狂った。
文興社は黙っていなかった。
・・・・・・・・・・・
ある日、日本蜘蛛学会会員からニュースレター「遊絲」が来た。
日本蜘蛛学会は会員220人の小規模学会である。
「この度、札幌市で活動報告を兼ねた懇親会を催したいと思っております。会員の方は奮って御参加ください」
と書かれてあった。
ゆみこは返信用ハガキの「出席」の方に〇をして投函した。
当日。ゆみこは質素倹約をモットーにしているので、白のリネンタッチトップスと青いスカートでANA Crowne Plazaホテル千歳へ行った。
一階の宴会場には、すでに20人ほどの学会員が来ていた。
ゆみこは実名でブログを出している上、元ミス日本で、その美しさは、アラサーになった今でも色あせていないので日本蜘蛛学会では皆の人気者だった。
「やあ。松田さん。お久しぶり」
「ブログ拝見していますよ。えりもの森裁判、サホロ岳ナキウサギ裁判に次ぎ、今度は、共同出版批判ですか。いやあ。松田さんは勇気があるお方だ。文興社から何か嫌がらせをされていませんか?」
「皆様。心配して下さって有難うございます。しかし大丈夫です。日本は言論の自由が保障されています。私は公共の福祉を目的として批判記事を書いています。向こうも言論には言論で対応してくるでしょう」
と堂々と言った。
そのように、ゆみこは悪いことは悪い、と物怖じせず堂々と言う性格だった。
日本蜘蛛学会の会合が終わった帰り。
・・・・・・・・・・・・
ゆみこは路上でタバコを吸ってる、北海道一の札付きの不良高校、北悪道工業高校の生徒10名を見かけ、
「あなた達、高校生でしょ。タバコは止めなさい」
と果敢にも注意したところ、リーゼントにサングラスの不良生徒達は立ち上がって、ゆみこに詰め寄った。
「なんやと。オバハン。われ。ええ度胸しとるやんけ。わしらを誰だちゅう思うとるねん」
と何故か北海道なのに関西弁ですごまれて、腕をつかまれたが、
「離しなさい」
とゆみこは毅然と注意した。それに怒った不良どもはゆみこを取り囲んだ。
「へへ。いいケツしてるやんけ」
一人がゆみこの尻をいやらしい手つきで触った。
「このチンピラ不良どもー」
ゆみこは、天地が裂けんばかりの声で怒鳴って、腕を掴んでいる前の男に思い切り膝で金蹴りを食らわせた。それが見事に命中し、男は、「うぎゃー」と叫び、玉を押えてピョンピョン跳ね回り、地面を這い回って悶え苦しんだ。大切な玉が潰れてしまったかもしれない。ゆみこの怒髪天を突くような声と虎のような眼差しに、不良達は、怖れをなして、スゴスゴと逃げてしまった。ゆみこはパッパッと服を掃って、唖然としている衆人をあとに、その場を去ろうとした。その時、一人の男がゆみこに駆け寄ってきた。
「あなたのド迫力に感服しました。どうか我が全日本女子プロレスに入って頂けないでしょうか」
声を掛けてきたのは、ヒール(悪役)がなく、今一人気がでない全日本女子プロレスのスカウトマンだった。
「いえ。私はか弱い女で、とても運動は出来ません」
と丁重に断わった。その日、ゆみこは家に帰ってから、「高校生の喫煙について」と題してブログ記事を書いて投稿した事は言うまでもない。
ゆみこは文興社に限らず共同出版をしている出版社、すべての動向を注意深く見て記事にしていった。
しかしその中でも文興社が一番、悪質なのがわかってきた。
尾崎浩二氏という無名の自称ジャーナリストが「危ない!共同出版」という本を出版した。
ゆみこは、共同出版を批判する正義感のある人もいるのだな、と感心してその本を買って読んでみた。しかし驚いたことに「危ない!共同出版」では共同出版社すべてを公正・中立な立場から批判しているのではなかった。しかもページ数もごくわずかだった。「危ない!共同出版」ではもっぱら新〇舎だけを批判していて、他の共同出版社の批判は全くなかった。新〇舎は自社ビルを持っておらず、貸しビルにテナント料を払って共同出版をしていた。しかしこの「危ない!共同出版」やネットの掲示板での新〇舎批判によって、新〇舎に原稿を投稿する者の数は激減し、新〇舎は高額なテナント料を支払うことが出来なくなってしまって倒産した。出版社が倒産してしまっては出版社から協力出版で出版している著者たちの本は発売出来なくなってしまう。そこで新〇舎の著者たちの本を発売できるようにと新〇舎は文興社に事業譲渡した。そして尾崎浩二氏はリタイアメント情報センターという協力出版に関する相談をするNPO法人の所長になった。しかしこのリタイアメント情報センターは文興社の傘下の組織であった。文興社は尾崎浩二という者を使い新〇舎を倒産させ、新〇舎の著者たちの本を全部、文興社から出版を継続して出来るようにしようと文興社は最初から計画していたのである。そして、その通りになった。リタイアメント情報センターはうわべは、協力出版・自費出版に関する相談をするという名目だが、実質的には、すべての相談者を文興社から出版することを、言葉巧み勧める組織なのである。つまりこれは文興社にとって協力出版社の競争社である新〇舎を潰し協力出版社は文興社一社にしようという文興社の計画だったのである。それ以外でも文興社の悪質商法は数えきれないほどたくさんあった。
ある時、ゆみこに柴田晴郎という歴史に詳しい男からメールが届いた。
それには、「あなたの主張に賛同しました。私は本の出版にある程度くわしいので、出版に関してわからないことがあったら何でも聞いて下さい」と言ってきた。ゆみこも初めは柴田晴郎を信じた。しかし柴田晴郎は実は文興社の工作員で、ゆみこの貴重な時間を奪って、ゆみこに多大な労力を払わせて疲労させるのが目的だったのである。
ゆみこは、協力出版の問題を、ブログで、ひるむことなく批判し続けた。
ゆみこは、文興社に「共同出版と銘打って文興社に出版権のある本をつくり、著者から本の制作費の一部と言って法外な金額を取って、本を売ることによってではなく、本を制作する費用によって利益を得て経営している貴社の商法は錯誤的、詐欺的商法であると思います。泣き寝入りしている著者もたくさんいます。それは間違っているのではないでしょうか?」という内容の公開質問状を送った。
しかし文興社は良心のカケラも無い悪質な人間ばかりなので、ゆみこの質問状は無視した。
文興社はゆみこに対し匿名でウイルスメールを送ったり、さらには営業妨害だからブログの文興社批判の記事は削除するように言ってきた。
しかし、ゆみこは気性の強い女だったので、文興社の悪質な要求にひるむことなく、ブログで文興社を批判し続けた。
・・・・・・・・・・・・・
2010年の7月7日のことである。
風呂の蛇口をひねったがお湯が出てこなかった。
ガスはつく。
どうしてだろうと思って、ゆみこは、風呂のお湯の栓を開けたまま、家の外に出て給湯器を見てみた。すると給湯器は動いていなかった。
給湯器は20年前に設置したものなので、もう寿命になったのだろう。
ゆみこは急いで、給湯器交換業者に電話した。
「もしもし。給湯器が故障してしまったのですが、見ていただけないでしょうか?」
「はい。わかりました。今、使っている給湯器はいつ設置したのですか?」
「20年前です」
「音はなりますか?」
「いいえ。全く鳴りません」
「そうですか。給湯器の寿命は10年が目途です。まず寿命で交換時期だと思います。7万円ほどの給湯器がありますから、交換ということでよろしいでしょうか?」
「ええ。よろしくお願い致します」
10分ほどで給湯器交換業者が来た。
修理人は給湯器を開いた。
中は激しく劣化していた。
「やはり、もう寿命ですね。交換しかないですね。新しい給湯器は7万円ほどですが、交換でよろしいでしょうか?」
「ええ。よろしくお願いします」
「では交換にとりかかります。交換には1時間ほどかかりますので、家の中で待っていて下さい」
と修理人は言った。
修理人は給湯器の交換の作業を始めた。
心の優しいゆみこは、
「素早い対応を有難うございます。お茶とお菓子を召し上がって下さい」
と言って、盆の茶と和菓子を載せて、修理人の前に置いた。
すると修理人は、
「これはこれは、どうも有難うございます」
と言って、由美子の差し出した茶を飲んだ。しかし修理人は茶を飲み終わると、人が変わったように素早い手つきで、サッと懐からタオルを取り出して、いきなり由美子の口に当てた。
「な、何をするんですか?」
修理人の、いきなりの訳の分からない行為に、ゆみこは大声を出して抵抗した。
しかしなぜか急激な眠気がゆみこを襲ってきて、ゆみこの意識は薄れていった。
という小説を書きました。
ホームページ・浅野浩二のHPの目次その2
にアップしましたのでよろしかったらご覧ください。
協力出版物語
(1)
1991年、日本はバブル経済が崩壊した。地価は下落し株価は暴落した。バブル景気に浮かれて株に投機し土地を買いあさった日本人は未曽有の不況に苦しむことになった。
北海道拓殖銀行が倒産し、ついで日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、山一證券が倒産した。日本の土地神話が崩れ、銀行の持つ債権は不良債権となり、銀行は企業に融資しなくなった。日銀はこれを何とかしようと、都市銀行に貸し出す金利を下げ、さらに日銀は金利をゼロにした。しかし不況でモノが売れない以上、企業は事業を拡大することはなく、また企業が融資を求めても銀行も企業の倒産を恐れ貸し渋りするようになった。
多くの企業が倒産し銀行は単に金を預けておくだけの貯金箱に成り下がった。
大量の失業者が出て、フリーターやニートはもはや、その存在が当たり前になった。
この不況は当然、出版業界にも及んだ。
日用品、生活必需品でさえ売れない時代に娯楽本など売れなくなるのは当たり前である。
それと、急速に発達したパソコンによって、人々はわざわざ紙の本を買わなくても、ネットで情報を集められるようになったのが出版不況に拍車をかけた。
大手でない、いくつかの出版社は、この出版不況を逆手にとって悪質商法に走った。
それは、「協力出版」「共同出版」などと名づけて、全国の書店に流通させる出版形態である。
それは、一言でいって、本を売ることによって、出版社が儲けを出す通常の出版形態ではなく、本を出版してみたいと思う人の心をくすぐる詐欺商法だった。
つまり、「作家としてデビューしてみませんか」という宣伝によって、全国から原稿を募集する。そして出版社に投稿してくるアマチュアの原稿に対して、「素晴らしい」「埋もれさせるにはもったいない」などと褒めちぎった感想を返し、投稿者を舞い上がらせる。そして、「我が社も出版費用の幾分かを払いますので商業出版してみませんか」と著者に誘いをかける。そして、版権(本の所有権)は出版社にある本を作る、というものである。しかし、実際は、出版社は本の制作費に金などビタ一文出しはせず、製作費、流通費、倉庫代、など、すべて著者負担の金額であり、さらに、その上に出版社が、100万円から200万円などという法外な金額を著者から、ふんだくって利益を出す、本を作って著者から得た法外な製作費によって利益を上げる詐欺商法だった。
・・・・・・・・・・・・
北海道十勝病院である。
個室の病室には、松田ゆみこの父親の松田白が脳梗塞で入院しており、肺炎を起こしていた。危篤の状態だった。病院からの「お父様は今日が山場かもしれません。ぜひともお越しください」という連絡をうけて、ゆみこは、急いで病院に駆けつけた。
個室には「面会謝絶」のカードがかけられていた。
ゆみこはトントンと病室の戸をノックした。
すると戸が開いて看護婦が出てきた。
「どちら様でしょうか?」
「松田白の娘、松田ゆみこです。父が危篤と聞いてやって来ました」
ゆみこはハアハアと息を切らしながら言った。
「どうぞお入りください」
看護婦に言われてゆみこは病室に入った。
病室には、うかない顔をした主治医とナースが立っていた。
父親の口には酸素マスクが被せてあった。
心電図のモニターには波形は時々、期外収縮の波が出ていた。
血圧は60/30。脈拍は120。SpO2は80%だった。
「松田さま。お父様は危篤状態です。昇圧剤も投与しましたが血圧が上がりません。不整脈も起こってきたのでカルチコールという抗不整脈薬を投与して何とか、持ちこたえていますが、あと1時間もつかどうかでしょう。話したいことがあったら、何なりとお話ください」
そう言って主治医は酸素マスクのキャップを取り外した。
「お、お父さん」
ゆみこは涙をハラハラと流しながらヒッシと父親に抱きついた。
「ゆ、ゆみこ」
父親の閉じていた目がうっすらと開き、かすかに唇が動いた。
「ゆ、ゆみこ。わ、私は死んでいく。しかし悲しむことはない。人はいつかは死ぬのは当然のことだ。私は79歳まで生きて幸せな人生だった。母さんと恋愛結婚し、仕事も成功した。そして、お前のような優しい立派な美しい娘まで生まれて・・・お前に看取られて死んでいくのはこの上ない幸せだ」
それは死んでいく者が最期の力を振り絞って発する言葉だった。
「お父さん」
ゆみこはハラハラと涙を流した。
「ゆ、ゆみこ。死ぬ前に最後のお願いがあるんだ」
「なあに。お父さん」
「わしは、山の挽歌、という随筆を書いた」
「ええ。知っているわよ。私家本として自費出版したわよね。お父さん」
「ゆみこ。あれはわしの拙い随筆だが、わしは自分が生きた証として、あれを出版して世に残しておきたい。どうか、あれを自費出版でかまわないから出版してくれないか」
「わかったわ。お父さん。必ず出版するわ」
「あ、ありがとう。わしの人生は幸せだった。こんな孝行娘に看取られて死んでいくのだから・・・」
そう言うや、父親は静かに目をつぶった。
心電図のモニターに映し出されいるバイタルが急に乱れだした。
血圧がどんどん下がっていくので医師は昇圧剤を静脈注射した。
「いかん。血圧が上がらない。心筋虚血が起こったのだろう」
それでも血圧は上がらず、さらに心電図の波形が出なくなっていき、やがてツーと平坦になり出した。
「私が心臓マッサージをする」
そう言って医師は、エッシ、エッシと胸骨に手を当てて心臓マッサージをした。
心臓マッサージによって、少しは心電図に波が現れ、血圧も少し上がったが、それは死んでいく人間をほんの少しの時間、僅かに延命する効果しかなかった。
数分経った。
医師の心臓マッサージも虚しく、心電図の波形はツーと平坦になった。
医師は心臓マッサージをやめた。
そして主治医は、呼吸と脈拍と対光反射を調べた。
すべての生存反応がなくなり、ペンライトを瞳に当てたが瞳孔は開きっぱなしで収縮することはなかった。
医師はゆみこに顔を向けて、
「ご臨終です」
と一言いった。
ゆみこの目からどっと涙が溢れ出した。
「おとうさーん」
ゆみこは泣きじゃくりながら父親を抱きしめた。
「おとうさん。わかったわ。約束は守るわ。山の挽歌は必ず出版するわ」
ゆみこは、もう息をしていない父親に向かって誓うように言った。
医師が死亡診断書を書いた。
ゆみこは葬儀社に電話して葬式の手続きを迅速にとった。
すぐに霊柩車が来て、ゆみこの父親の遺体は霊柩車で十勝の実家に運ばれた。
翌日の夜、松田白の通夜が行われた。
喪主は当然のごとく、ゆみこが勤めた。
通夜には、松田白の友人、知人、会社の同僚などがたくさん来た。
「いやあ。松田白さんはいい人だった」
「松田白さんは山を愛し、自然をこよなく愛するいい人だった」
「私も職場では白さんに色々と親切にしてもらったよ。本当にいい人だった」
などと、皆、松田白を懐かしむ発言ばかりだった。
その度に黒い喪服に身を包んだ、松田ゆみこは、「有難うございます」と深く頭を下げた。
父はこんなに皆に愛されていたんだ、という実感があらためて湧き上がってきて、ゆみこは、よよと涙を流した。
「しかし白さんも、こんな美しく正義感の強い気丈夫な娘さんを、この世に残してあの世へ行ったんだ。白さんも十分に満足した人生だっただろう」
「ゆみこさんの正義感の強さは父親ゆずりなんだろう」
「白さんは、いつも言っていたよ。親バカと言われるかもしれないが、わしの娘はわしの唯一の自慢なんじゃ、とね」
などと、来客たちは、喪主を務める、ゆみこを讃えた。
それはお世辞ではなかった。
ゆみこは子供の頃から、この世に二人といない絶世の美女として全校生徒の憧れの的だった。
大学は慶応大学の生物学部に進学した、ゆみこだったが、「ゆみこならミス日本に選ばれるわよ」と友達に言われて、本人は気が進まなかったが、ミス日本に応募したら、何と優勝してしまったのである。その美しさは、大学を卒業し結婚し子供を産んだ今でも、色あせることはなかった。
通夜が済み、翌日、葬式が行われ、松田白の骨は松田家の墓に葬られた。
これで父の死は一区切りついて、ゆみこはほっとした。
(さあ。父との約束だわ。父の遺稿集・山の挽歌を出版しなければ)
と、ゆみこは気持ちを切り替えた。
しかし、ゆみこは、本の出版については全く知識がなく父の遺稿をどこの出版社で出版すればいいのか、わからなかった。
そんな、ある日の夕食の時である。
新聞を読んでいたゆみこの娘の繭子が母親に言った。
「お母さん。文興社という出版社が原稿を募集しているわよ。何でも単なる自費出版ではなく、全国の書店に置かれる商業出版だって」
そう言って娘の繭子は母親に北海道新聞を渡した。
どれどれ、とゆみこは娘から北海道新聞を受けとって見てみた。
すると新聞には半面をとった文興社の大きな広告があった。
それには、こんな宣伝が書かれてあった。
「広くアマチュアの人からの原稿を募集します。原稿をお送り下さい。当社で原稿を詳しく読み込ませて頂きます。内容が良くて売れる見込みのある原稿は当社が費用の全額を持つ商業出版とします、内容は良いが売れるかどうかわからない原稿も商業出版としますが著者の方にも多少の費用負担をして頂く協力出版をお勧めします、売れる見込みのないと判断した原稿には自費出版をお勧めいたします」
と書かれてあった。
ゆみこは本の出版に関しては知識がなかったので、
「ふーん、面白そうね」
と興味を持った。
世間的な知名度も名もないアマチュアの書いた原稿など売れるものではない、ということは仄聞で知っていた。
しかし死んでいく父が今際の時に頼んだお願いである。
責任感が強く、父をこよなく愛していた、ゆみこは出来ることなら、父の遺稿集を出来るだけ多くの人に読んでもらいたいと思い、ダメで元々と思いながら勇気を出して文興社に父の原稿、山の挽歌、を送ってみた。
出版社から、どんな返事が返ってくるか、ハラハラドキドキものだった。
しかし驚いたことに、2週間後に、文興社から返事の封書が来た。
それには出版契約書と原稿に対する僅かな評価が書かれてあった。
「松田様がお送り致しました、山の挽歌、を拝読させて頂きました。慎重な出版会議の結果、作品の完成度は高く、ほとんど手直し、編集する必要は無いと決まりました。このような優れた作品はぜひ世に問う価値があると思います。我が社としましても、山の挽歌、を書籍化して全国の書店に配布したいと思っております。おめでとうございます。しかしながら、作者であるお父様は知名度も名声もありません。なので出版にかかる費用は我が社も出させて頂きますが、松田様にも本の制作費の一部として200万円の協力金をお支払い頂けないでしょうか。ぜひとも協力出版をご検討ください」
との返事だった。
ゆみこに瞬時に疑問が起こった。
一番は「作品の完成度は高く、ほとんど手直し、編集する必要は無いと決まりました」と言いながらも、作品のどこがとのように良いのかは一言も触れていないことだ。
本当に出版社は父の原稿を読んだのだろうか?
もしちゃんと読んでいるのなら、山の挽歌、の内容について、具体的にどこがどういう風に良いと一言くらいは出版社は言ってもいいではないか。
それが一言も述べられていないというのはおかしい。
本当に出版社は、父の遺稿・山の挽歌、を読んだのだろうか?
そして、おかしいと思ったことは著者への印税が、たったの2%であるということである。
普通、本を制作すると著者への印税は10%位である。
つまり定価1000円の本が1冊売れたのなら著者は100円、受け取れるのである。
そして、さらにおかしいと思ったことは。
出版契約書では版権(作った本の所有権)が文興社になっていることである。
普通、商売では、買い手が売り手に代金を支払い、そして物を買う。自費出版なら本は著者の所有物であるから、これは問題ない。しかし著者が出版社に金を払って、その上出版社の所有物である本を作るというのはおかしい。これはまるで買い手が金を払って、その上売り手に物を差し上げるようなものである。
ゆみこは、文興社に疑いをもつようになった。
それでネットで色々と文興社についての評判を調べてみた。
すると、文興社に対する悪評がわんさと出てきた。
ゆみこの疑惑は募っていった。
ちょうどその頃、自費出版本の制作を手掛け自費出版本を書店流通させていた渡辺勝二という人を知った。
渡辺勝二氏は日本の自費出版の文化を守りたいと思っている良心的な人だった。
そして、(本の所有権は著者にある)自費出版本を作成し、それを知人に差し上げるだけではなく、内容の良い、売れる見込みのある本であれば、それを書店に置くことをしていた。
ゆみこは渡辺勝二氏に電話をかけてみた。
ゆみこは、文興社が示してきた、山の挽歌、を本にした場合の制作費の概算を渡辺勝二氏に聞いてみた。
すると渡辺勝二氏は鼻息も荒く怒りに満ちた口調で言った。
「松田さん。山の挽歌、を本にした場合、その制作費は200万円などかかりません。1刷は1000部ですね。それなら50万円で作れます。文興社はとんでもない詐欺出版社です。あんな出版社にだまされてはいけない。あなたには200万円と言ってきたようですが、確かに文興社は著者に大体200万円くらい本の制作費の一部と言って請求しています。それだけでもう文興社は150万円以上の利益を得ています。文興社は本を売ることによって利益を出している出版社ではなく、本を作るという口実で著者から、巻き上げる製作費で莫大な利益を出している悪質詐な詐欺的な出版社です」
これを聞いて、ゆみこも文興社にだまされたことを確信した。
「わかりました。教えて下さって有難うございます。あやうく文興社にだまされる所でした。私も何とかして文興社との契約を取り消すよう動いてみます」
「松田さんは、もう文興社と出版契約を結んだのですか?」
「いえ。まだ文興社が一方的に出版契約書を送ってきただけでサインはしていません。仮契約はしてしまいましたが。文興社に出版に関する疑問を色々と電話で聞いているのですが、なかなか答えてくれないのです」
「そうですか。出版契約を結んでいないのなら、まだ本の制作は行われていないでしょう。早く手を打てば契約を反故にして、200万円もの大金を支払わなくて済む可能性はあると思います」
「そうですか。では頑張ってみます」
「文興社は非常に悪質な出版社です。実は私も自費出版業界のモラルの向上を目的として『文興社商法の研究』というわずかな内部資料を30部程度作成したのです。ところが、それが不運にも文興社の手に渡り、私を訴えてきたのです。名誉棄損、営業妨害だから1億円の損害賠償金を支払え、と言ってきたのです。文興社は数えきれない多くの著者から、ふんだくってきた法外な資金源で何人もの弁護士をつけて私を訴えてきたのです。これは名誉棄損ではなく文興社に対する批判封じです。私は堂々と戦う覚悟です。文興社は投稿者から送られてきた原稿を、おだてあげて、著者を舞い上がらせ、製作費の一部と言って法外な金額を著者から、ふんだくって、それで莫大な利益を上げている悪質出版社です。版権(本の所有権)は出版社にありますから、著者と出版契約をして200万円、著者からふんだくった後は本は自分で宣伝して売りな、です。著者はみな泣き寝入りしています。こんな悪質商法が許されていいはずがない」
「そうだったんですか」
「文興社だけじゃない。近代文〇社。新〇舎。碧〇社、なども同様です。協力出版などと銘打って、文興社と同じ手法で悪質出版をしている出版社は多くあります」
「そうなんですか?」
「ええ。そうです」
ゆみこは渡辺勝二からそれ以外でも出版に関する色々なことを教えてもらった。
さて、文興社が渡辺勝二氏を訴えた裁判の第一審では裁判長の判決は次のようなものであった。
「被告、渡辺勝二氏の『文興社商法の研究』は自費出版文化を守りたいという強い気持ちから公益を図る目的で作成されたものと考えられる。しかし『文興社商法の研究』は左側に文興社側の商法の事実が箇条書きで書かれており、その右側に渡辺勝二氏の見解が述べられている。これを読む者は、右側の渡辺勝二氏の見解だけを読む者もいる可能性がある。それによって文興社を批判的に見る者も出る可能性もある。よってその点は名誉棄損と考えられ、被告、渡辺勝二に300万円の支払いを命じる。なお訴訟費用の大部分(20分の19)は文興社の負担とする」
というものだった。
渡辺勝二氏は、このこじつけ判決に納得したわけではないが、これ以上、裁判を続けても意味は無いと考え控訴せず文興社に300万円支払って文興社と和解した。
しかし文興社はテレビ局、新聞社、全てに「全面勝利」とのファックスを送った。
さて。外国と違って日本、日本人のほとんどは裁判を好まない。裁判には弁護士をつけ高額な報酬を支払わねばならず、時間と金を非常に浪費するからだ。しかも判決は裁判長の気まぐれで決められ、裁判を起こしたからといって勝てるものでもない。
裁判長が異なれば判決はコロッと変わる。なので日本人は裁判を好まない。
しかし、ゆみこは違った。ゆみこは、それまで、えりもの森の裁判、サホロ岳ナキウサギの裁判、など不条理と思えることは堂々と裁判で訴えていた。たとえ判決に不服があっても、不条理なことに対しては、時間と金を費やしても戦う覚悟をもった肝の座った女だった。
ゆみこは文興社との仮契約を取り消そうと思った。
しかし相手は悪質な詐欺商法の出版社である。
それで、ゆみこは文興社とのやりとり、は後で裁判になった時の証拠として「メールでのやりとりでお願いします」と言った。
ゆみこの、冷静で堂々とした、物怖じしない態度に文興社も、「これはやっかいな相手だ」と思い、「仮契約は反故にしても構いません。200万円の全額返金にも応じます」との言質を取ることが出来た。
やったー、とゆみこが喜んだのはもちろんだが、ゆみこは、協力出版と銘打って、その実、本を作ることによって利益を出している出版社に対する強い義憤と悪質商法にだまされる被害者をださないようにとの思いは抑えることが出来なかった。
そんなある日の夕食の時である。
「お母さん。社会に対して言いたい事がたくさんあるんでしょ。それならブログをやってみない?」
娘の繭子が言った。
「えっ。ブログってあの何か日記みたいなもの?でもどうやって設定するのかわからないし。私はアナログ人間だから・・・・」
ゆみこは躊躇した。
「そんなに難しくはないわよ。お母さんは社会に対して言いたい事がいっぱいあるんだから、ブログでそれを発言したらいいと思うわ」
繭子は嬉しそうに言った。
・・・・・・・・・・
翌日の昼は日曜だった。
繭子は朝からパソコンをカチカチやっていた。
「繭子ちゃん。何やっているの?」
「へへ。いいこと」
1時間くらい経った。
「出来たわよ」
娘が大きな声で言った。
「どうしたの。何が出来たの?」
昼食の準備をしていた、ゆみこが娘のいじっていたパソコンを覗き込んだ。
「へへへ。お母さん。ブログの設定をしちゃったわよ。お母さんのブログよ」
「まあ、繭子ちゃん。そんな勝手にしないでよ」
「でももう設定しちゃったもん。まだ公開していないからタイトルやカテゴリーやプロフィールはお母さんが決めて」
しょうがないわね、と言いながらも、もう乗りかかった舟である。
ゆみこは、娘に教えてもらいながらブログを始める決意をした。
タイトルは。
エート。
何としようかしら?
ゆみこはストレートの美しい黒髪を掻きむしりながら考えた。
「ヒステリー女のブログ」「ザ・女瞬間湯沸し器」「独蜘蛛おばさんの批判箱」などなど。
いくつか考えたが「独蜘蛛おばさんの批判箱」で決定した。
名前は実名の「松田ゆみこ」にした。
プロフィールは以下のように書いた。
「北海道十勝地方在住。蜘蛛や野鳥、野生動物など自然に広く関心を持ち、自然保護活動に関わっています。寒いのは苦手ですが、北国の雄大な自然が大好きです。十勝自然保護協会会員。日本蜘蛛学会会員」
こうして松田ゆみこのブログ「毒蜘蛛おばさんの批判箱」が出来た。
一旦ブログが出来てしまえば、あとは記事のタイトルを決めて、記事をかけばいいだけだった。
ゆみこは自分が関わった文興社だけではなく共同出版・協力出版・共創出版などと名乗っている出版社すべての動向を調べて記事にしていった。
ネット上でいくつもある掲示板で匿名で文興社の批判を書く人はたくさん居たが、それらはみな感情的な幼稚な悪口ばかりだった。
その中で実名を出して、しっかりと読むに耐える記事を書いているのは、日本で、松田ゆみこ一人だけだった。
ゆみこは文興社にだまされた被害者ではない。
ゆみこが出版の仮契約をしていた、父の遺稿・山の挽歌、は、契約解除することが出来、200万円の全額を文興社に支払うことなく済んだのであるから。
しかし、ゆみこは正義感が強く度胸があったので、自分の恨みを書きなぐるのではなく、冷静に、協力出版の問題点を書いた。
そして、excite blogで、「共同出版・自費出版の被害をなくす会」というブログをも開設した。
ゆみことしては、協力出版をしている出版社を潰そうという意図は全く無く、原稿を投稿しようとする出版に疎い素人を錯誤するようなことは止めて欲しい、という思いだった。
ゆみこは記事に対して誰からでもコメントを受け入れるように、コメントをオープンにした。
しかし、ゆみこの記事に文興社は怒り狂った。
文興社は黙っていなかった。
・・・・・・・・・・・
ある日、日本蜘蛛学会会員からニュースレター「遊絲」が来た。
日本蜘蛛学会は会員220人の小規模学会である。
「この度、札幌市で活動報告を兼ねた懇親会を催したいと思っております。会員の方は奮って御参加ください」
と書かれてあった。
ゆみこは返信用ハガキの「出席」の方に〇をして投函した。
当日。ゆみこは質素倹約をモットーにしているので、白のリネンタッチトップスと青いスカートでANA Crowne Plazaホテル千歳へ行った。
一階の宴会場には、すでに20人ほどの学会員が来ていた。
ゆみこは実名でブログを出している上、元ミス日本で、その美しさは、アラサーになった今でも色あせていないので日本蜘蛛学会では皆の人気者だった。
「やあ。松田さん。お久しぶり」
「ブログ拝見していますよ。えりもの森裁判、サホロ岳ナキウサギ裁判に次ぎ、今度は、共同出版批判ですか。いやあ。松田さんは勇気があるお方だ。文興社から何か嫌がらせをされていませんか?」
「皆様。心配して下さって有難うございます。しかし大丈夫です。日本は言論の自由が保障されています。私は公共の福祉を目的として批判記事を書いています。向こうも言論には言論で対応してくるでしょう」
と堂々と言った。
そのように、ゆみこは悪いことは悪い、と物怖じせず堂々と言う性格だった。
日本蜘蛛学会の会合が終わった帰り。
・・・・・・・・・・・・
ゆみこは路上でタバコを吸ってる、北海道一の札付きの不良高校、北悪道工業高校の生徒10名を見かけ、
「あなた達、高校生でしょ。タバコは止めなさい」
と果敢にも注意したところ、リーゼントにサングラスの不良生徒達は立ち上がって、ゆみこに詰め寄った。
「なんやと。オバハン。われ。ええ度胸しとるやんけ。わしらを誰だちゅう思うとるねん」
と何故か北海道なのに関西弁ですごまれて、腕をつかまれたが、
「離しなさい」
とゆみこは毅然と注意した。それに怒った不良どもはゆみこを取り囲んだ。
「へへ。いいケツしてるやんけ」
一人がゆみこの尻をいやらしい手つきで触った。
「このチンピラ不良どもー」
ゆみこは、天地が裂けんばかりの声で怒鳴って、腕を掴んでいる前の男に思い切り膝で金蹴りを食らわせた。それが見事に命中し、男は、「うぎゃー」と叫び、玉を押えてピョンピョン跳ね回り、地面を這い回って悶え苦しんだ。大切な玉が潰れてしまったかもしれない。ゆみこの怒髪天を突くような声と虎のような眼差しに、不良達は、怖れをなして、スゴスゴと逃げてしまった。ゆみこはパッパッと服を掃って、唖然としている衆人をあとに、その場を去ろうとした。その時、一人の男がゆみこに駆け寄ってきた。
「あなたのド迫力に感服しました。どうか我が全日本女子プロレスに入って頂けないでしょうか」
声を掛けてきたのは、ヒール(悪役)がなく、今一人気がでない全日本女子プロレスのスカウトマンだった。
「いえ。私はか弱い女で、とても運動は出来ません」
と丁重に断わった。その日、ゆみこは家に帰ってから、「高校生の喫煙について」と題してブログ記事を書いて投稿した事は言うまでもない。
ゆみこは文興社に限らず共同出版をしている出版社、すべての動向を注意深く見て記事にしていった。
しかしその中でも文興社が一番、悪質なのがわかってきた。
尾崎浩二氏という無名の自称ジャーナリストが「危ない!共同出版」という本を出版した。
ゆみこは、共同出版を批判する正義感のある人もいるのだな、と感心してその本を買って読んでみた。しかし驚いたことに「危ない!共同出版」では共同出版社すべてを公正・中立な立場から批判しているのではなかった。しかもページ数もごくわずかだった。「危ない!共同出版」ではもっぱら新〇舎だけを批判していて、他の共同出版社の批判は全くなかった。新〇舎は自社ビルを持っておらず、貸しビルにテナント料を払って共同出版をしていた。しかしこの「危ない!共同出版」やネットの掲示板での新〇舎批判によって、新〇舎に原稿を投稿する者の数は激減し、新〇舎は高額なテナント料を支払うことが出来なくなってしまって倒産した。出版社が倒産してしまっては出版社から協力出版で出版している著者たちの本は発売出来なくなってしまう。そこで新〇舎の著者たちの本を発売できるようにと新〇舎は文興社に事業譲渡した。そして尾崎浩二氏はリタイアメント情報センターという協力出版に関する相談をするNPO法人の所長になった。しかしこのリタイアメント情報センターは文興社の傘下の組織であった。文興社は尾崎浩二という者を使い新〇舎を倒産させ、新〇舎の著者たちの本を全部、文興社から出版を継続して出来るようにしようと文興社は最初から計画していたのである。そして、その通りになった。リタイアメント情報センターはうわべは、協力出版・自費出版に関する相談をするという名目だが、実質的には、すべての相談者を文興社から出版することを、言葉巧み勧める組織なのである。つまりこれは文興社にとって協力出版社の競争社である新〇舎を潰し協力出版社は文興社一社にしようという文興社の計画だったのである。それ以外でも文興社の悪質商法は数えきれないほどたくさんあった。
ある時、ゆみこに柴田晴郎という歴史に詳しい男からメールが届いた。
それには、「あなたの主張に賛同しました。私は本の出版にある程度くわしいので、出版に関してわからないことがあったら何でも聞いて下さい」と言ってきた。ゆみこも初めは柴田晴郎を信じた。しかし柴田晴郎は実は文興社の工作員で、ゆみこの貴重な時間を奪って、ゆみこに多大な労力を払わせて疲労させるのが目的だったのである。
ゆみこは、協力出版の問題を、ブログで、ひるむことなく批判し続けた。
ゆみこは、文興社に「共同出版と銘打って文興社に出版権のある本をつくり、著者から本の制作費の一部と言って法外な金額を取って、本を売ることによってではなく、本を制作する費用によって利益を得て経営している貴社の商法は錯誤的、詐欺的商法であると思います。泣き寝入りしている著者もたくさんいます。それは間違っているのではないでしょうか?」という内容の公開質問状を送った。
しかし文興社は良心のカケラも無い悪質な人間ばかりなので、ゆみこの質問状は無視した。
文興社はゆみこに対し匿名でウイルスメールを送ったり、さらには営業妨害だからブログの文興社批判の記事は削除するように言ってきた。
しかし、ゆみこは気性の強い女だったので、文興社の悪質な要求にひるむことなく、ブログで文興社を批判し続けた。
・・・・・・・・・・・・・
2010年の7月7日のことである。
風呂の蛇口をひねったがお湯が出てこなかった。
ガスはつく。
どうしてだろうと思って、ゆみこは、風呂のお湯の栓を開けたまま、家の外に出て給湯器を見てみた。すると給湯器は動いていなかった。
給湯器は20年前に設置したものなので、もう寿命になったのだろう。
ゆみこは急いで、給湯器交換業者に電話した。
「もしもし。給湯器が故障してしまったのですが、見ていただけないでしょうか?」
「はい。わかりました。今、使っている給湯器はいつ設置したのですか?」
「20年前です」
「音はなりますか?」
「いいえ。全く鳴りません」
「そうですか。給湯器の寿命は10年が目途です。まず寿命で交換時期だと思います。7万円ほどの給湯器がありますから、交換ということでよろしいでしょうか?」
「ええ。よろしくお願い致します」
10分ほどで給湯器交換業者が来た。
修理人は給湯器を開いた。
中は激しく劣化していた。
「やはり、もう寿命ですね。交換しかないですね。新しい給湯器は7万円ほどですが、交換でよろしいでしょうか?」
「ええ。よろしくお願いします」
「では交換にとりかかります。交換には1時間ほどかかりますので、家の中で待っていて下さい」
と修理人は言った。
修理人は給湯器の交換の作業を始めた。
心の優しいゆみこは、
「素早い対応を有難うございます。お茶とお菓子を召し上がって下さい」
と言って、盆の茶と和菓子を載せて、修理人の前に置いた。
すると修理人は、
「これはこれは、どうも有難うございます」
と言って、由美子の差し出した茶を飲んだ。しかし修理人は茶を飲み終わると、人が変わったように素早い手つきで、サッと懐からタオルを取り出して、いきなり由美子の口に当てた。
「な、何をするんですか?」
修理人の、いきなりの訳の分からない行為に、ゆみこは大声を出して抵抗した。
しかしなぜか急激な眠気がゆみこを襲ってきて、ゆみこの意識は薄れていった。