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小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

ビタ・セクシャリス (自分史)(下)

2020-07-19 04:19:28 | 小説
入ってソファーに座った。男がつめたい茶を持ってきた。だが私は飲む気になれなかった。私は奥手で風俗関係の事は全然、知らない。風俗関係の店では暴力団が関係しているのではないか、と怖れていたからである。茶に何か変な物でも入ってるのではないか、と半信半疑だった。
「女の子が来ましたのでどうぞ」
と言われて私は部屋を出た。私は女の子と歩き出した。顔は、かわいい、というか、きれいである。しかし気が荒そうな性格であることは喋らなくても、雰囲気からもろに伝わってくる。
「うわー。怖そー」
と思わず心の中で言った。優しい女の子、と言ったのに話が違うじゃないか。彼女と同じビルの別の部屋に入った。
「シャワー浴びてきて」
言われて私はシャワー室に入った。シャワーを浴びて服を着て出てくると彼女は黒いワンピースの水着のような皮の女王様ルックを着ていた。私は彼女の横の小さなソファーに座った。私は思わず、顔を廻して部屋の隅々を見た。
「ん?どうしたの。寒いの?」
彼女が聞いた。違う。部屋のどこかに隠しカメラが仕掛けてあって、プレイを撮影し、それがいい出来のものならアダルトビデオとして、販売されるのでは、という心配があったのである。もし風俗店が暴力団とつながりがあるのなら、その位の事、しかねないだろう。実際、アダルトビデオには隠し撮りしたのもしっかりある。彼女の様子から、隠しカメラは無い、と判断した。SMクラブで、どういう事をするのか、わからない。裸になるのは恥ずかしくて出来ない。しかし、きれいな女の子と、密室で二人きりになるのは生まれて初めての経験で私は最高に嬉しかった。私は彼女の顔をまじまじと見つめながら、
「うわー。きれいな人だー」
と感嘆の口調で言った。私には彼女のような人は勿体ないような気がした。別にお世辞いってるわけでもないのに、彼女は無反応である。
「SMクラブはじめて?」
「ええ」
私はおどおどと答えた。
「あの。手さわっていいですか」
「うん」
私は彼女の手を触った。柔らかい女の子の手を触るのは生まれて初めてで、私は、感動した。それは求めつづけていたが、絶対、手に入らないオモチャを手に入れた子供の喜びに似ていた。私は、心ゆくまで、柔らかい女の子の肌の感触を味わった。
「胸、触っていいですか」
私は欲が出てきて小声で聞いた。
「うん」
私は彼女の胸にそっと手を当てた。
「うわー。柔らかい」
私は、感動をことさら言葉に出して言った。はじめは触れていただけだが、少し揉んでみた。柔らかい。
「あんまり、そうされると、ちょっとダメ」
と彼女は私の手をどけた。やはり女だから胸を揉まれると感じてしまうのをおそれている様子だった。彼女は、先天的なハードなサディストだった。私を虐めたがっていたが、何をされるのか、わからず怖いので、少し話をした。彼女の言う事は一々、最もで、生まれて初めて私と同じ先天性性倒錯者と話をして、共感する所が多く面白かった。彼女は、こんな事を言った。
「私はわがままでサドだけど、マゾとかフェチとかの心理も、わかるよ」
「世の中の事は、ほとんどSMで説明出る面があるね」
「マゾは一生、マゾだから、歳をとってもやってくるよ。老人になっても老骨に鞭打って」
「お店の女の子にはマゾの子もいて、そういう子は時々みんなでいじめてあげるよ」
話すだけではつまらないので、私もだんだん彼女とプレイをしてみたくなった。
「じゃあ、鞭打ちして」
私は勇気を出して言った。私は上着を脱いだ。ズボンは恥ずかしくて脱がなかった。彼女は私の手首を縛って頭の上に上げ、カーテンのレールに縛りつけた。私は、この時、SMというより、たかが女の子。鞭打たれてもネを上げない男らしさを見せてやろうと思っていた。私は、「愛と誠」の第六巻の太賀誠が、鞭打ちのリンチを受けても根を上げない場面が好きで、それは私の座右の書の、お気に入りの場面でもあった。何か、私は憧れの太賀誠のようになれる気がして嬉しかった。
「じゃあ、いくよー」
と言って、彼女は鞭打ち出した。予想と違ってこれが痛いのなんのって。しかも彼女は全く手加減せず、思い切り鞭を振り下ろしつづける。
「うおー。うおー。うおー」
私は鞭打たれる度に悲鳴を上げた。それで方針変更して、せめて、彼女から止めてくれるまで我慢しようと思った。だが、彼女は止めない。とうとう私は我慢できず、
「ちょ、ちょっと、もう止めて」
と言った。彼女は縄を解いた。私は服を着て、再び彼女とソファーに座った。痛かった。しかし彼女はケロリとしている。本格的サディストである。
「あー。痛かった」
私は情けない口調で言った。
「でも、そうやって相手が悲鳴を上げるのを聞くのが私の快感だから・・・」
彼女はケロリとしている。本格的サディストである。しかし私は彼女ともう少し遊びたくなった。
「もっとソフトなのない?」
「じゃあ、仰向けに寝て」
言われて私は床の上に仰向けに寝た。
「膝たてて」
私は膝をたてた。彼女は私の腹の上に乗って、膝に背をもたれ、
「ふふふ。らくちん。らくちん」
と笑って言った。私は人間椅子である。
しかし、これは単調なので、しばしすると彼女は降りた。彼女はハードな事だけではなく、こういうソフトな事も好きなのである。だんだん私も慣れてきて、彼女に縛られてみたくなった。ただ裸になるのは恥ずかしかったから服を着たままでである。
「縛ってくれる?」
「どういう風に縛られたい?」
「どうでもいい」
「じゃあ、私の好きなように縛ってもいい?」
彼女は欣喜雀躍とした口調で聞いた。
「うん」
私が答えると彼女は、ホクホクと嬉しそうに赤い縄で私を縛りだした。
彼女は、仕事で嫌々SMクラブの女王様をやっているのではなく、まさに趣味と実益を兼ねているのである。彼女はホクホクした様子で、私を後ろ手に縛り、その後、前に廻して、縦横に縛った。私は、あまりゴチャゴチャした縛り方は好きではないが、縄を股にくぐらせられて、キュッと絞られた時は、うっ、と何とも言えないM女になったような羞恥が起こって頭がボーとしてきた。
縛り終えると、彼女は私を床に転がした。私は起き上がれない。
「ふふふ。芋虫みたい」
と言って彼女は笑った。
「起こしてくれない」
と頼んで私は彼女に起こしてもらった。
私は後ろ手に縛られたまま女の子のように横座りして目を閉じた。彼女は私の前に椅子を持ってきて座り、私の後ろ手の手首の縛めの縄尻をとって、私の肩にドッカと足を乗せた。私はM女になったような気分で頬が火照ってボーとしていた。しばらくこのままでいたいと思って黙っていた。
「よー。何で黙っているんだよ」
もう彼女とは会話しているのに私が黙り込んでしまったのを疑問に思ったのだろう。彼女はそう言って、縄尻をグイと引っ張った。それにつれて私の体が揺れた。
私は、いつも見ているSM写真の貞淑なM女の気分に浸っていた。生まれてはじめて味わう甘美な快感だった。出来る事なら、しばらくこのままでいたかった。
しかし時間になった。彼女は私の縄を解いた。

それが私が生まれて初めて女の体に触れた経験である。あまり優しい女の子とは言いがたいが、きれいな顔立ちだった。女の体に触れたのは、これが生まれて初めてである。世の中には、こんな甘美な世界があるのかと思うと死ぬのは勿体なくなってきた。

生きる方に私の意志が傾き始めた。
私は私を苦しめている過敏性腸を治してくれる医師を探し始めた。日本のどこかに、きっと私を治してくれる医者がいるはずだ。私は日本中駆け巡っても私の病気を治してくれる医者を探しそうと思った。それらの事は、「浅野浩二物語」や「過敏性腸症候群」に書いたので、あまり繰り返し書く気はない。しかし、それは読まずにこれだけ読む人もいるだろうから、また、これも一つの作品として完成させるために大まかな事は書いておこう。私は書店で心療内科の名医のガイドブックを買った。そして、それにのってた聖路加大学付属病院に行った。そこの心療内科の教授が、武蔵境にある、武蔵野中央病院を紹介してくれた。そこで私は、重症の吃音の診療内科医に会った。それが大変な力になり、また、その病院でやっていた集団療法も大変な力になった。私は生きようと思った。私は遅れている基礎医学の勉強に取り組んだ。決断したら、もう徹底的にやり抜く私の性格である。朝、起きてから夜、寝るまで勉強した。
テレクラというものも一度やってみた。「会って」と言ってもなかなか会ってはくれない。不思議な事に、別の二人の女の子から、全く同じような事を言われた。
「あなたは純粋すぎて、こんな所に来る人ではありません」
ある子は、「スレッカラされていない」と嫌そうな口調で言った。女はスレッカラされた男の方がいいのか?テレクラは面白くないので、その一度でやめた。
そして私は復学した。
・・・・・・・・・・・
復学したクラスは下のクラスだから知っている人は一人もいない。一人だけ、Kという入学の時、一緒で、留年した生徒がいた。私はKとは親しかった。基礎医学の単位は、ほとんど、とれていなかったので授業にも実習にも出席した。医学部は大学といっても、実習が多く、実習は、あいうえお順に決めて、席が決まり、また少数グループの実習も、あいうえお順なので、ほとんど高校のような感覚なのである。苗字で近い人に、杉山さん、という一人すごく可愛い子がいた。背が低く頬がふっくらしている。私は個室の中で、一対一でなら女の子と話せるが、集団の中では、女と話が出来ないので、彼女と話せなかった。ただ心の中では、近くに可愛い子がいた事が嬉しかった。彼女も私に好意を持ってくれていた。休学中にしっかり勉強していたので単位は全部とれた。そして無事、5年(臨床)に進級した。
5年では一学期は授業だけなので、ほとんどの人は出席しない。ポツン、ポツンと勉強熱心な人だけが出席した。もちろん私は勉強熱心なので出席した。そして授業が終わると教授や講師に質問しまくった。産婦人科の授業は、女の助教授だった。おばさんで、小さな声でボソボソ喋るので何いってんだか、さっぱりわからなかった。ただ、きれいで、やさしそうで授業する姿を見ているだけで心が和んだ。
過敏性腸の治療は関西では、豊中にある黒川心療内科に通った。黒川先生は、池見酉次郎のお弟子さんであり、池見先生が進めてくれた先生だからである。黒川先生もいい先生だった。
5年の夏休みが終わり、秋から臨床実習(ポリクリ)が始まることになった。臨床実習とは、大学付属病院で、実際の患者を診てする勉強である。ポリクリは一班が5~6人である。当然、あいうえお順に決めていく。私が入る班に彼女も入ってくれたらいいな、と内心、期待していた。ポリクリ班の組み分けの紙が掲示板に貼り出された。私の班に彼女も入っていた。ヤッター。嬉しかった。5人で彼女がちょうど紅一点である。男だけの班はわびしい。女は二人いると多すぎる。可愛い女の子の紅一点が一番いい。
「いいなー。浅野君。杉山さんと一緒で」
とKが羨ましそうに言った。私は黙って、嬉しくないよう装っていたが、内心は嬉しかった。これから一年間、あの可愛い子と一緒に勉強できるのだ。そうしてポリクリがはじまった。
ポリクリの初めは小児科で教授の外来診察の見学だった。これはショックだった。それまで、分厚い医学書や顕微鏡ばかり見ていた勉強で、つまりは机上の勉強だった。しかしポリクリはまさに苦しんでいる患者を見る勉強である。勉強であると同時に感動であり、感動をともなった勉強だった。そこら辺のところは「浅野浩二物語」に書いた。ので、あまり繰り返し書かない。ポリクリはものすごく充実した勉強だった。朝9時~午後5時くらいまでだったが、私は夜の12時まで勉強していた。おそらく日本一だろう。オーベン(上級医)の一言は宝石の価値があった。私はオーベンの話す事は全部ノートした。これも日本一だと内心、自負している。このポリクリの時には、私の価値観が変わった。それまで小説創作だけが価値のあるもので、学問はそれ以下のものだと思っていた。しかし、病める病人や、それを必死で治そうとしている、まさに生死のかかった医療。それに較べたら小説を書く事など、ちっぽけで、つまらない事のように思われた。また自分が驚くほど勉強熱心である事にも驚かされた。これは昔からそうであるが。勉強が面白くて、ほっておくと死ぬまで勉強してしまうのではないか、と思った。

ポリクリの時に、驚くべき事が起こった。
私は、アパートに、濃密なエロティックなSM写真集を何十冊も持っていた。これは、私の宝物だった。私のSM的感性は先天的なものである。私はSMという言葉を知る前から、小学生の頃からSM的なエロティックなものに、美しさを感じていた。SM的感性は、一生、無くならない私の属性だと思っていた。自分がそういう感性を持っている事に悩んだ事もあったが、大人になるにつれ、それは、人にはない、自分の個性として、心の内に誇れるほどまでになっていた。
それが、ポリクリの時、ある時、アパートでSM写真集をパラパラッと見た時の事である。それまで、そのエロティックさを美しいと思って疑った事のない写真集である。
私は思わず叫んだ。
「何だ。この写真は。変態じゃないか」
私は、そんな写真集を見てニヤニヤしている人間が、変態に思え気持ち悪くさえ思えてきた。
そして、それは、私が確固として持っていた信念が証明された事実でもあった。
私はそれまで、内向性と、SM的感性とは、絶対、関係があると信じていた。
「内向的性格とSMとは、絶対、関係がある」
という信念である。内向的な人間が、すべてSM的感性を持っているわけではない。しかし、私に関しては内向性とSMとは、はっきりと関係しているのである。
ポリクリの時には、完全な外向的な精神状態であり、その時にはSM的感性が完全に消えてしまったのである。

私は知らない人と一対一でなら、女の子と話す事が出来るが、グループの中では女の子とは話が出来ない。自然な会話が出来ないのである。人にナンパなヤツだと思われたくないからである。そのため、悪意は無いのに、ことさら杉山さんと全く話さないので、グループの他の男三人にも杉山さんにも、私が彼女を嫌っているという誤解を与えてしまった。
「杉山さん。嫌いなんですか?」
と聞かれた時には、吃驚した。考えてみれば、グループの三人の男とは普通に話すのに、杉山さんとだけは一言も話していなかった。女子医学生は真面目なのが普通なのだが、彼女はあまり授業に出なかった。ただ性格はしっかり、というか、ちゃっかりしているから単位はしっかり取る。彼女はレモンケーキを焼いて持って来てくれたり、何とカバンはベティーちゃんの大きな絵の描いてある真っ赤なカバンなのだから、ちょっとこっちが恥ずかしくなった。勉強より恋愛や遊びの方が好きなのだ。脳外科の助教授のレクチャーの時、(師は自分が文学や哲学に詳しく教養があることを自慢していた)自己紹介させられた。勿論、私は自分が小説を書いているなどとは言わない。人間、自分にとって一番、大切な物は言わないものである。それで趣味は、読書と答えた。話が哲学になったので、私は、キルケゴールが好きです、と言った。そしたら、翌週、彼女がキルケゴールの「死に至る病」を買って持ってきたので吃驚した。失礼だが、あれが彼女にわかるだろうか。キルケゴールの哲学は絶望の哲学であり、その絶望というものが捻転しているのである。ポリクリの時にはバレンタインデーもあって、その時、彼女はグループの四人にチョコレートを渡した。私はホワイトデーで彼女の似顔絵を鉛筆デッサンで描いてチョコに包んであげた。
そうして一年間のポリクリも終わった。6年の秋である。あとは卒業試験と医師国家試験である。
充実したポリクリがおわり、卒業試験、国家試験の孤独な勉強の日々にもどると、またぞろ、SM写真集のエロティシズムに美しさを感じ出すようになった。

そして私は卒業し、医師国家試験にも通った。
健康状態が悪く、医師の仕事は無理だと思ったが、親は私が医者いがいの仕事をつくのを許してくれなかった。それで、千葉県の国立下総療養所という精神病院で二年研修した。600床の精神科のみの病院である。なぜ精神科にしたかというと、精神科は楽だと思ったからである。それと、私は喘息や過敏性腸があって、心身症に興味があったので、精神科なら、心療内科とオーバーラップする疾患もあるだろう、と思ったからである。精神科というと、精神の薬を出して患者の話を聞くだけ、というイメージが一般の人にはあるのではないだろうか。確かに、開業したクリニックではそうである。しかし、病院の精神科医はそうではない。入院してくる患者は、(特に高齢者)は、内科の病気も持っている。成人病や肺炎、皮膚疾患が多い。そして向精神薬は副作用で、腸閉塞を起こしやすいのである。そして注射は勿論、高齢者は薬の副作用のふらつきによる転倒で頭を切る事もあるのである。だから傷口の縫合もしなくてはならない。胸部、腹部のレントゲンも読めなくてはならないのである。また脳梗塞など、診断はしっかり出来なくてはならないのである。患者に内科的、外科的な病気や怪我が起こると、ほとんどは近くの内科、外科クリニックに紹介状を書いて送る。精神病院にも内科医はいるが、大抵、週に二回くらいの非常勤で、それ以外の日は精神科医が対処しなくてはならず、そもそも夜の当直は一人で、当直の時、患者に内科的病変が起こったら、診断し、対処しなくてはならないのだから、病院勤務の精神科医は内科も理解していなくてはならないのである。
また、ここでもやたら勉強した。他の先生は、勉強嫌いで、私が勉強熱心なのを感心していた。しかし一年もすると、もう慣れた。精神科の患者は統合失調症がほとんどで、心身症の患者はおらず、何かよそよそしい感じがして、精神科がつまらなくなってきた。
病院では、なぜか婦長にかわいがられた。最初は女子病棟で、きれいな女の患者もいたが、かえってそういう患者の方がやりにくい。私の心は創作にしかなく、真面目だから医療も真剣にやったが、私は現実の女には関心がないのである。私は現実の世界の人間ではなく、空想の世界に生きている人間であり、ニヒリストであるからである。それに、どんなに優しそうな女も長く見ていると、スレッカラされていて、幻滅するだけだからである。半年の女子病棟が終わり、男子病棟に移ると、実に楽になった。それでも精神科は精神的ストレスがかかる。これは他科の医者より、ずっと大きい。ストレスがかかると、その発散として私はSM写真集やSMビデオを見た。SMの空想の世界が私の安住の場所だった。勿論、小説創作しか価値観にないから休日や当直では、小説を書いた。私と世間の人間とでは価値観が違うのである。この世でどんなに名を成し、社会的地位を得、金持ちになっても、死んだら何も残らない。小説とは、小さな世界であり、その世界こそが私の本当の現実の世界なのである。病院でも、飲み会とかは嫌いだった。病棟でも、上級医や看護士達と話すのは苦手だった。内向的な人間は、集団や社会に属する事が苦手で嫌いなのである。これは、もう物心ついた幼稚園の時からであることは、この作品の初めを読めばわかる。
そんなことで、二年の研修はやったが、その後つづけて病院に残るレジデントにはなれず、病院をやめる事となった。職がなくなるので、これからどうなるか収入の不安が強くあったが、あながち、やめたのは不安なだけではなく、ほっと、もした。私は厭きっぽく、十年一日の同じ事の繰り返しの仕事、というのはとても耐えられなかった。

ともかく収入が必要なので、今は医者に仕事を紹介する斡旋業者がたくさんいるので、それに頼んで、健康診断などアルバイト的な仕事をした。それを二ヶ月くらいした。白衣を着て、医者と呼ばれる自分に何か違和感を感じた。
ちょうど湘南にある精神病院で精神科医の募集があったので、週4日、当直週1日という条件で話がまとまり、千葉から湘南のアパートに引っ越した。130床のボロボロ病院である。雨漏りがして本当にボロボロである。誰かが、それを見たら誰も住んでいない無人の取り壊し前の建物と思うのではなかろうか。医療機器といったらレントゲンだけである。普通の人だったら最先端の医療に遅れるのを嫌がって来たがらないのではなかろうか。しかし私にとっては、そんな事はどうでもいい事だった。医者は院長と私の二人で、院長は院長室にいて、医局の部屋を一人で使えるので、人とのウザッたい関わりが嫌いで、孤独が好きな私にはちょうど良かった。それに私は、どうしても海に近い湘南にしか、住めないのである。これは異常なほどで、海に近ければ何処でもいい、というわけではなく、私は湘南の海しか愛せないのである。しかし、やはりここでもストレスはあった。医療は、習うより慣れろ、であり、精神科も内科も、別に医者じゃなくてもベテラン看護婦なら出来る面があるのである。医者は、ただサインをするという事が多い。ベテラン看護婦が医者より上手いのは注射だけではない。医療もかなり出来るのである。しかし縫合とか、法的に医者でなければ、やってはならない行為というものもある。それで経験10年のベテラン看護婦で性格の悪いのは、「医者の仕事なんて俺の方がうまいぜ」と思っているのが少なからずいるのである。思うだけならいいが、露骨にイヤミを言ってくるのもいるから、そういう看護婦、看護師、(特に婦長)がいるとウザッたい。私は特別な医者で、小説創作至上主義で、医者のプライドなんかないのに、露骨にイヤミを言う看護婦もいるので、そういうのはウザッたいのである。そもそも医者と看護婦は犬猿の仲なのである。それと精神科のほとんどを占める統合失調症の患者もストレスになる。統合失調症の患者の妄想は、患者にとっては現実なので、説明して納得させる事は不可能なのである。薬を出しても効かない患者は効かないのである。自分が病人だと思ってないから、精神科医を自分を不当に監禁しているニセ医者、と食ってかかるのである。それで、「退院させろ。退院させろ」と言いつづける。それが非常にストレスになるのである。精神科はもしかすると医療の中で一番ストレスのかかる科かもしれない。
小説の創作は、精神状態がいい時でないと出来ないのである。しかも私はストレスに弱く、そのため創作がはかどらず、精神科なんて選ばずに他科を選んでいれば良かったとつくづく後悔した。

休日は一日中、創作した。だが精神的、肉体的な体調が悪く書けない時は小説を読んだ。たまに女の肌が恋しくなって、風俗店に行くこともあった。だが時間も金も勿体ない。ので、好きな子が出来ても、ハマる事は厳しく自制した。だいたい1年に5~7回くらいである。行くのは五反田にあるSMクラブだった。責め具がたくさん置いてある本格的なSMクラブではなく、素人のアルバイトの女の子の、名前だけのSMクラブである。なぜSMクラブかというと特別に理由はない。特にSMプレイをしたいわけではないが、少しはSM的な遊びもしたかったからである。ホームページがあって、顔を出している子もいるが、顔を出していない子もいる。しかし、同じ人間なのに写真うつりと実際とでは、かなり違っている事がよくあるのである。どうしても女の子の肌が恋しくなると、その日は、創作は諦め、店に電話した。
「あの。お願いしたいんですが・・・」
「はじめての方ですか。会員の方ですか?」
「いえ。会員です」
「どの子がいいですか?」
「××さんをお願いします」
そう言って私は、ホームページに載っている、その日の出勤予定となっている、写真で見て気に入った女の子を指名する。
「コースはどのコースがいいですか?」
「Sコースの90分をお願いします」
「何時に来られますか?」
「×時に行きます」
「わかりました。では30分前に確認の電話をお願いします」
「はい」
そう言って、私はアパートを出る。
電車に乗って、一時間半くらいで五反田駅に着く。駅前の喫茶店に入り、アイスティーを注文する。私は神経質で遅れるのを心配するため、いつも40位前に着く。文庫本を持っていくが、勿論、緊張のため読めない。30分前になると、確認の電話をする。
「もしもし。×時に××さんに、予約をお願いした浅野です。確認の電話です」
「はい。わかりました。では30分後にいらして下さい」
これで、これから女の子に触れるという実感が沸いてきて、緊張で心臓の鼓動が速くなる。喫茶店から店までは5分で行けるので、25分、待たなくてはならない。この25分が何と長く感じられることか。ようやく5分前になると、よし、と気合いを引き締めて喫茶店を出る。狭い路地を少し歩いて、とあるビルに入り、エスカレーターで4階で降り、店の番号の部屋のチャイムを押す。
ピンポーン。中でチャイムの音が鳴っているのが聞える。ガチャリと戸が開く。
「いらっしゃいませ。浅野さんですね。どうぞ」
きれいな女の人が出てきて手招きする。その店は、以前は男が受け付けをやっていたが、いつからか、女の人に代わったのである。
「××で、Sの90分コースですね。それでは指名料とホテル代で、3万5千円です」
私は財布から4万円だして、5千円おつりをもらう。もう本当に女の子を抱けるんだという実感が沸いてくる。
「ホテルは×ホテルと○ホテルの二つがありますが、どちらにしますか?」
「部屋の広い方はどっちですか?」
「×ホテルの方が、少し広いです」
「では×ホテルにお願いします」
彼女はケースに入った手書きの地図を私の方へ向けホテルの場所を指差して説明する。
「今、ここです。出た所にローソンがありますから、そこを真っ直ぐ行って、突き当たりの左手に、茶色のビルがあります。それが×ホテルです。部屋に入ったら、部屋の番号を連絡して下さい。女の子がすぐ行きますから」
一分の距離でも私は用心深いので、メモを取り出して、地図をササッと書く。そして私は立ち上がって部屋を出て、ホテルに向かう。メモした地図は、結局いらない。一分とかからずホテルに着く。受け付けで、ルームキーを受け取って、エレベーターで、部屋に入る。部屋に入ると、ほっとする。私は携帯で店に電話する。
「今、×ホテルの部屋に入りました。部屋の番号は301です」
「はい。わかりました。では、すぐ女の子が行きます」
すぐ、といっても、だいたい、いつも10分くらいしてから来る。その10分間の待ち時間の内に私は緊張のため、心臓の鼓動が加速度的に速くなってくる。
ピンポーン。チャイムが鳴る。
部屋は鍵をしていないが、女の子は、遠慮して、自分からは開けない。そっと戸を開けると、可愛い女の子が立っている。そしてニコッと笑って部屋に入ってくる。
「はじめまして。××です」
私は急いで部屋の戸を閉める。もう、こっちのものである。私の心臓ははち切れんばかりに躍動する。この部屋の中だけが、私の唯一の、生きている事を実感できる現実の世界である。勿論、私は、普段でも人とも話す。しかし、それは、「私」という仮面をつけた演技の私に過ぎない。言うことは建て前であり、本心は心の中にガッチリと仕舞い込んで、本心の心の交流などない。しかし、今は違う。私の仮面は取られ、素顔の私の心が表れる。もはや、何も隠す物はない。私は泣きたいほど嬉しくなり、服の上から彼女をそっと抱きしめる。ちょうどテレビドラマで恋人が抱き合うシーンのように。女の子の肌の柔らかい温もりが伝わってくる。
「よかった。可愛い子で」
そう言って私は、服を着た彼女を立たせたまま、「愛してる」「好き」「可愛い」などと言いながら、女の子の髪を撫でたり、首筋にキスしたり、起伏に富んだ柔らかい温かい女の子の体を触りまくる。私はその感覚をいつまでも忘れないように貪り触る。女の子も自分が好かれていることが嬉しくて、私のこの戯事に笑いながら、つきあってくれる。しかし、いつまでも服を着たままではいられない。ある程度、時間が経つと、
「ねえ。シャワーを浴びてからにしよう」
と、擽ったそうに言う。私としては服の上から触る方が興奮するのだが、女の子はそうではないらしい。道学者なる私は女の心を知る由もない。
私はSコースで入るが、女の子を縛ったりはしない。縛りたいとも思わないし、手間をかけて縛る時間が勿体ない。縛る事の興奮は女の自由を奪い、女を怖がらせる事にある。90分で確実に開放されると分かっている以上、縛る事には何の興奮も起こらない。
私は90分という限られた時間で、女の子の体の感触を心ゆくまで楽しむ。勿論、蝋燭なども時間の無駄である。私には女とは、壊れやすい人形のように思われてならない。だから、優しく大事に扱う。そして女の子が喜ぶ事をする。だから女の子も私を好いてくれるのである。フェラチオなどは、もってのほか、である。可愛い女の子に、自分のマラを舐めさせるなど、女の子が可哀相でとても出来るものじゃない。それにフェラチオなどされても私は何も感じない。
しかし、やがて終わりを知らせるブザーがピピピッと鳴る。
「もう時間になっちゃった」
女の子は言う。私と女の子はシャワーを浴びて、服を着てホテルを出る。手をつないで、店のビルまで歩く。
「また来てね」
彼女は、満面の笑顔で手を振る。私も、
「ありがとう」
と言って、手を振ってわかれる。
帰りは、もう優越感である。仲のいいカップルを見ても、
「オレだって女の子に好かれているんた。彼女をつくろうと思えば、つくれるんだ」
という自信があるからである。しかし個室の中だけでの90分だけの彼女というのは、時間が経つと、だんだん寂しくなってくる。

好意を持ってくれるとはいえ、女の子も仕事と割り切っている。私も普通の男のように、女の子と手をつないで街を歩いたり、ディズニーランドに行ったり、一緒に海水浴に行ったり、してみたい。金銭での契約としてではなく、友達として付き合いたい。ホテルの部屋の中だけの付き合いは、現実の付き合いではなく、さみしい。しかし店外デートの誘いは禁止事項である。それでも、やはりデートしてみたい。
それで、ある時、気に入った女の子に聞いてみた。
「ねえ。一度でいいからデートしてくれない?」
すると、あっさりと、
「いいよ」
と言ってくれた。メールアドレスも教えてくれた。来週の日曜日に駅前のマクドナルドで合う約束をした。日曜日に、マクドナルドに行って待ってたら、本当に彼女がやってきた。近くのレストランで食事をした。しかし、長い時間、話していると話題につきてきて、困ってしまった。内向性は世事に疎いのである。必死で話題を探そうとすると、ヘトヘトに疲れてしまう。それで、その子とはその一回だけのデートで終わった。私も、それ以上、デートしたいとも思わなかった。所詮、私は女の子とは縁が無いのか。と、さみしく思った。

数ヶ月して、またぞろ女の子の肌が恋しくなって、店に行った。そしたら、ものすごく可愛い子だった。性格も優しい。垢抜けていなく純粋で、何か自分を見せられているような気がした。その頃、私は仕事のストレスや精神保健指定医の資格取得のことで悩んでヘトヘトに疲れていた。医療の世界は汚い。医療界は、騙しあうのが、当たり前で、そんな社会に嫌気がさして、くたびれはてていた。人をだます事に全く罪悪感を感じていない人間がザラにいる。とくに権力を持った人間は、したたか、である。彼らには、太宰治の言うところの人間としての「苦悩する能力」が欠如しているのだろう。
そんな事で、その子と抱き合っていると涙が出てきて、止まらなくなった。私は大声を出して泣いた。
「何で泣くの?」
「幸せだから」
「誰かにいじめられているの?」
「職場の上司に」
「じゃあ、私をその上司と思って、いじめて」
「できないよ。そんなこと」
私は、幸せを感じながら、その子を抱いた。時間になった。
「メールアドレス教えてくれる?」
「うん。いいよ」
そう言って彼女はメールアドレスを書いてくれた。
「これ。僕が書いたんだ。よかったら読んで」
そう言って、私は彼女に自費出版した小説集、「女生徒、カチカチ山と十六の短編」を渡した。彼女はパラパラッと本をめくった。
「へー。お医者さんで作家なんだ。すごいね」
私は照れながら彼女を抱きしめて分かれた。
しかし翌週は行かなかった。休みの日は、やはり小説を書きたかったからである。ただメールの遣り取りはした。彼女とのメールの遣り取りは心が和んだ。
一ヶ月くらいして、また彼女に会いに行った。やはり、私は彼女の優しさに大泣きに泣いてしまった。時間になった。
「家くる?」
彼女が聞いた。
「えっ」
私は吃驚した。女の子にそんな事を言われたのは、初めてである。
「家って何処にあるの?」
「近くだよ」
「う、うん。じゃあ行く」
訳がわからないまま、私は彼女とホテルを出た。歩いて二分ともかからない所に、一階がローソンになっているマンションがあった。その中の一室が彼女の部屋だった。
「ここ」
と彼女は言った。ああ、なるほど、と私は思った。私は彼女の家とは、もっと電車に乗っていく離れた所にあるのだと思っていた。客が来て、彼女を指名すると、店が彼女に電話して、彼女はホテルに直行するのだ。こんな近くなら、夜、遅くなっても終電を気にする必要もない。一階のローソンで、せんべえを一袋買った。
彼女が戸を開けたので、私は、おずおずと入った。女の子の部屋に入るのは、生まれて初めてなので気が動転してしまった。さすが女の子の部屋だけあって、きれいである。
「うわー。女の子の部屋に入るの生まれて初めてだよ」
私は感動をことさら言葉に出して言った。
「そんなに女の子っぽい部屋じゃないよ」
そうは言うが、きれいに整理されている。少なくとも私の汚い部屋とは比べものにならない。私は気が動転しているので、何をしたらいいのかわかわない。
「座って」
彼女に言われて、私は壁を背にして座った。彼女も私の隣に座った。
「お腹すいてない?」
「ううん」
彼女は嬉しそうである。まるで欲しがっていた獲物を手に入れた人のように。実際、私は無口で大人しい。私は、何を話していいんだかわからないので、気も動転していたので、精神科に関する事を夢中で喋った。少し話してから、
「こんな話、面白くないでしょ」
と聞いた。
「ううん。面白いよ」
おそらく面白くないだろう、と思うのだが、彼女は嬉しいので、話の内容なんて何でもよかったのだろう。
その時、ピピピッと彼女の携帯が鳴った。
「はい。エミです」
ちょっと話してから、彼女は、
「はい。わかりました」
と言って携帯を切った。
「ごめんね。お客さん。来ちゃった」
そう言って、彼女は立ち上がって部屋を出て行った。無理もない。彼女は、そのお店で一番かわいい子である。性格も優しい。指名度は一番だろう。彼女がいなくなって、部屋はガランと寂しくなった。女の子の部屋に入るのは、これが初めてで、おそらくもうこんな機会は無いだろうと思ったので、部屋のあちこちを探して見た。ユニットバスはピカピカで、きれい。箪笥の引き出しを開けると、かわいいお洒落なセクシーな下着が20枚ほどあった。冷蔵庫の中は、ウーロン茶と、コンビニのパックのサラダがあった。自炊はしていないように思われた。小さな座卓の上に、金属のハサミの様な物と、爪楊枝ほどの大きさの小さなブラシと、いくつかの色で仕切られた小さなコンパクトのパレットがある。
「これ、いったい何する物なんだろう」
と、私は、金属のハサミのような物を、首を傾げて見た。さっぱり解らない。あとで解ったのだが、それは、睫毛を反らせるビューラーで、小さなブラシやコンパクトはアイメイクの道具だった。カバンを開けると、財布があった。財布をおいたまま出かけるというのは、あまりにも大胆、というか、無防備すぎる。私は財布を調べた。運転免許証があったので、本籍と本名をメモした。こういう陰で人の個人情報を調べるという卑怯な事はしたくなく、罪悪感に苛まされたが、彼女ほどの素晴らしい子との出会いは、今後、無いだろう、と思っていたので、彼女との縁を持ちたかったので、すまないと思いつつメモした。そんな事をしてるうちに、私の携帯にピッと音が鳴った。彼女からのメールだった。
「いい子にしてるかな?もうすぐ戻るよ」
と書いてあった。微笑ましくて嬉しくなった。彼女は私を子供のペットのように思っているのだ。実際、私は大人しく無口である。私は彼女のペットである。ペットは、ペットらしく大人しくしてなくてはならない。私は壁にもたれ、膝組みをして、彼女を待った。しばしして、ドアが開いて彼女が戻ってきた。膝組みして座ってる私を見るとニコッと嬉しそうに笑った。やはり私は彼女のペットなのだ。彼女は私の隣に腰掛けた。私は、また話し出した。時間が経って慣れてきたので、今度は割りと落ち着いて話せた。もう夜の十二時を過ぎている。もう終電もない。今夜はここに泊まる事になる。私は、落ち着いて色々な事を話した。彼女も嬉しそうに聞いている。私は気分がのってきて、話すのが楽しくなった。しかし、ふと横を見ると、彼女は、ボーとしたうつろな表情である。彼女に睡魔が襲ってきている事に私は気づいた。
「エミちゃん。眠いんだね」
「ううん。大丈夫」
彼女は首を振った。
「エミちゃん。眠いんだね」
私は再度、聞いた。
「ううん。眠くないよ」
「寝なきゃダメ」
私は彼女の手を掴んで立たせ、ベッドに彼女を横にした。やはり相当、眠かったらしく、ベッドに乗ると、すぐに目を閉じて、グッタリとベッドに横たわった。
「エミちゃん。マッサージしてあげるよ」
そう言って私は彼女をうつ伏せにして、マッサージをした。私は足首から脹脛、太腿、腰、背骨、肩、腕と念入りに指圧した。そして、それを何度も繰り返した。
「気持ちいい?」
「うん」
彼女は目を瞑ったまま頷いた。私は黙って、黙々とマッサージをつづけた。嬉しかった。私は時間の経つのも忘れて、ひたすら、マッサージをつづけた。

疲れと、マッサージの心地良さのためか、スースー寝息が聞えてきた。頬の肉がたるんで、完全に寝てしまった。私はマッサージをやめて、そっと彼女の寝顔を見た。耐えられないほど彼女が可哀相に思えてきた。
「なぜ、こんな可愛い、優しい子が、毎日、男に抱かれなくてはならないのか。彼女は男を選ぶ権利はない。男が指名したら、どんな男にでも抱かれなくてはならない。疲れた日や、嫌な男だってあるだろうに」
そう思うと彼女が可哀相で、可哀相で耐えられなくなった。こんな、可愛い、心の優しい子が、生活のため、金のため、そんな事をしなくてはならない事が私には耐えられないほど辛かった。こんな可愛い、優しい子は、お姫様のように、毎日、好きな事だけさせてやりたい。私は人生というものを呪った。私が彼女の父親か兄になって、彼女を守ってやりたいと思った。私が彼女の父親か兄だったら、決して、こんな生活はさせない。親バカと言われようが、何と言われようが、彼女に金の心配などさせず、最高に幸福な生活をさせてやる。彼女は、心が優しいから、金に不自由しなくても、決して悪い事などしない。彼女の寝顔はまさに目の中に入れても痛くないほど可愛いかった。そうは思っても、私にはどうする事も出来ない。私はどうしようもない、いらだだしさに、なすすべも無く耐えるしかなった。

時計を見ると、もう朝の4時を過ぎていた。私は彼女に気づかれないように座卓の上に置いてあった本(武田久美子という生き方)の下に五万円札を置いて、そっと彼女の部屋を出た。近くのネット喫茶で始発を待った。一時間半、待って、五反田駅から山手線の始発で家に帰った。家に着くと、睡眠薬を飲んで泥のように眠った。昼過ぎに起きて携帯のメールを見ると、お金のお礼のメールが来ていた。

翌週になって、病院勤務が始まった。だが私は、もう世間の男に対して持っていたコンプレックスが、かなり軽減されていた。私にもエミちゃん、という彼女がいるのだ。しかも彼女は、優しい上に絶世の美女である。まあ、本当の彼女とは、言いにくいが、家まで入って、たっぷりプライベートな会話が、金銭関係ではなく、出来るのだから、「彼女」と言っても、さほど間違いではない。彼女の事を「絶世の美女」と言ったが、本当に「絶世の美女」である。彼女が週刊マンガの表紙にグラビアアイドルとして載っても何ら違和感は無い。
彼女とはメールの遣り取りをよくやった。そして、それが楽しかった。しかし携帯の電話番号までは、聞かなかったし、私も言わなかった。彼女の携帯の番号を聞けば、教えてくれただろう。しかし私はわざと聞かなかった。それは。電話での遣り取り、をするようになると、あまりに深入りし過ぎてしまい、お互いの生活や仕事に、差し障りが起こる事を慮ったからである。私は自分の生活のマイペースは崩したくなかったし、また、彼女の生活のマイペースも崩したくなかった。それで、彼女との遣り取りは、メールにとどめた。

数週間後にまた彼女の家に行った。
仕事が終わって、そのまま車で行った。
彼女がメールて、「もっと眠りたい」と言ってきたからである。それも無理はない。彼女は店の女の子で、一番かわいく、指名度は一番だろうから、毎日、仕事が多いのだ。そして他の子は出勤日を決めてて、また、家は電車で離れた所にある。しかし彼女は、店のすぐ近くだから、店から頼まれると、彼女の優しい性格から断わることが出来ない。夜、遅く指名されても終電を気にする必要もないから、店も、彼女に頼んでしまうのだ。それで夜、遅くまで、お客の相手をすることになってしまう。

彼女は、私のメールや私と会うと癒される、と言って、何と私が店に行って、ホテルで抱いた後、三万円返してくれるのである。

ともかく、大切な女の子が、「もっと眠りたい」と言ってきたので私は車を飛ばした。せめて彼女の悩みを聞いてあげて、少しでも彼女を支えたいと思った。よく考えてみれは、私は精神科医でもある。
あらかじめ、メールで、「今日、行くよ」というメールを送っておいて、私は高速を飛ばした。マンションに着いて戸を叩くと、彼女はニコッと笑って出てきた。もう夜も遅かった。
「今日は車で来た」
「車、どこに止めたの」
「マンションの前」
「駐車場にとめなよ。駐車代、私が払うから」
こんな風に、ともかく彼女は優しくて相手の気を使うのである。ふと面白い事が思いついて、私は嬉しくなった。
「エミちゃん。駐車場どこにあるか、教えてくれない」
「うん」
彼女は、私と一緒に下に降りた。私は自分のオンボロ車の助手席を開けた。そして彼女を乗せた。少し意味もなく、五反田の街を走った。助手席に女の子を乗せるのは、初めてである。彼女とのドライブである。私は嬉しかったが、彼女も嬉しそうだった。そして、車を駐車場に入れて、彼女の部屋に入った。

二回目なので、もう緊張感はなかった。彼女と色々な事を話した。彼女があまり、可愛いので、私は彼女にファッションモデルとかレースクィーンとかに、応募したらどうかと聞いた。
「エミちゃん。エミちゃんなら絶対、ファッションモデルになれるよ。応募してみたら」
と聞くと彼女は手を振った。
「私、人と話すのダメなの」
と言う。実際、彼女は、風俗雑誌に目をつけられて、インタビューを申し込まれたそうだが、話が苦手なので断わったそうなのである。彼女は、そう内気には見えず、友達も人並みにいれば、冗談も言う。メールの文章もしっかりしている。人と話せないはずはないと思うのだが、やはり内気なのか、シャイなのか、控えめなのか、で、出来ないらしい。
「分数がわからないの」
と彼女は恥ずかしそうに言った。
「何がわからないの?」
「分数の足し算が・・・」
彼女はノートにシャープペンで、ゆっくりと、
「1/2+1/3=2/5」
と書いた。
私はウーンと唸ってしまった。非常に素直な考え方をする子だなと思った。どうやったら彼女に、わかるように説明できるか、頭を捻ったが分かりやすい説明の仕方が思いつかなった。それで、月並みな説明をした。
「まず分母を同じにしてから、分子を足すんだよ」
と言って、私はノートに、
「1/2×3/3+1/3×2/2=3+2/2×3=5/6」
と書いた。しかし、こんな程度の説明では、わからせる事は出来るはずはない。分数という概念がまず解らないのだから。勿論、彼女は首を傾げている。分数の足し算がわからないのが、彼女に自信をなくさせているのだろう。
「分数の足し算がわからなくても、別に社会生活には問題ないよ」
と私は言った。彼女はニコッと笑った。
私は彼女に色々な質問をした。
「お父さんの仕事は?」
「政治家」
「兄弟はいる?」
「姉と兄がいる」
「高校は共学だった?」
「ううん。私立女子校」
「外国に行った事ある?」
「韓国とオーストラリアに行った」
「確定申告はどうしてるの?」
「適当に書いてる。でも風俗マルサってのがあるらしいんだって」
その他、色々な事を質問した。
話が途切れた時、彼女は、真剣な顔で私を見つめた。そして、
「こーちゃんと喫茶店やる」
と言った。その口調は本気だった。(私のペンネームが浅野浩二なので、彼女は私を、こーちゃん、と呼んでいた)私は思わず微笑ましくなって、朗らかな気分になった。いかにも女の子らしい、かわいい将来設計である。私がマスターで、彼女がウェイトレスか。彼女ほど可愛いウェイトレスなら喫茶店も客が多く来るんじゃないか。だが、それは私のプライドを少し傷つけた。私は、まがりなりにも医者である。それは彼女も知っている。何で医者が喫茶店のマスターをしなければならないんだ?それで私は笑いながらこう言った。
「ははは。僕は精神科医だよ。じゃあ、僕がクリニックを開業して、エミちゃんには、受け付けをやってもらうってのはどう?」
「うん。それ、いいね」
彼女も嬉しそうに言った。しかし残念な事に私はクリニックを開業する気は全くないので現実には無理である。
そんな事を話しながら、もう夜も遅くなったので寝ることにした。
私はまた、彼女を少しマッサージした。
私は彼女と一緒には寝なかった。ベッドも小さいし、そもそも彼女の家では性的な事はしないと決めていた。彼女は、毎日、男に抱かれて疲れているし、また彼女が私を家に入れてくれた好意につけ込みたくなかった。私も、少し疲れていたので、マッサージは、少しにして、壁に寄りかかった。私は神経質で人がいると眠れないし、そもそも睡眠薬を飲まないと眠れないので、その日は徹夜した。
翌日になった。大学時代から徹夜勉強は慣れているつもりだったが、かなり疲れた。他人の部屋で緊張していた事と、夏で蒸し暑かったこともあるだろう。
10時ころ彼女が目を覚ました。
また少し話しをした。彼女は携帯で家に電話をかけた。
「お母さん・・・。うん。元気だよ」
彼女の実家は仙台で、家族には旅館で働いている、と言っているらしかった。
女の子と高級レストランで食事をする事は私の夢だったので、彼女に誘った。
「エミちゃん。どこかで食事しない」
「うん。近くにイタリアンが出来て、一度、あそこで食べたいと思ってたの。でも、今日やってるかなー」
それで、彼女と一緒に部屋を出て、そのイタリアンレストランに行ってみた。マンションから一分もかからない所だった。だが、残念な事に、その日は休みだった。
それでマンションに戻った。昼近くになった。
「今日、友達の誕生日のプレゼントを買いに渋谷の109に行くの。こーちゃんはどうする?」
「もちろん行くよ」
こんな願ってもない機会はない。私は喜んで答えた。女の子と一緒に街を歩くのは、長年の夢だった。まさに夢かなったり、である。彼女は別の服に着替えだした。残念な事に何か、ズボンを履いて帽子をかぶった。彼女には、それが、お気に入りなのか、今、流行ってるファッションなのか知らないが、私には極めてダサく見えた。せめて短いスカートにして欲しかった。
「エミちゃん。もっとセクシーなのない?」
「えっ?」
彼女は、聞き漏らしたのか、意味が分からなかったのか、首を傾げた。私は、仕方がないと諦めた。それに、私は彼女の家に泊めてもらっている、という立場である。私の欲求を強く言う事は出来ない。それで、彼女と一緒にマンションを出た。五反田駅から山手線に乗った。私の嬉しさは喩えようもなかった。まさに私は彼女と一緒に人中にいるのである。普通の、簡単に彼女をつくれる男や女なら、こんな事なんでもないことだろうが、私にとっては、まさに夢が叶っている状態なのである。私は嬉しさのあまり、車内の客に向かって、「この子、僕の彼女なんです。可愛いでしょう」と自慢したくなった。私はそういう非常識な事もしかねない人間である。しかし昨夜、睡眠薬を飲まずに一睡もしなかったため、疲れていたので、そうする元気が無く、しなかった。疲れてなかったら、しかねなかったかもしれない。渋谷駅に着いて降りた。そして109に入った。
彼女は、何にしようかと迷って、グルグル109の中の店を回った。店に入ると店員が、
「いらっしゃいませー」
と元気よく挨拶する。私は大得意だった。店の人は、絶対、私と彼女を恋人の仲と見ているだろうし、実際そうである。少し驚いた事に、彼女は私となら冗談も言うが、店の人に何か聞く時には、人が違ったように、小声で真面目に控えめに聞く。笑顔を全く見せない。やはり、彼女が言った、「人と話すのが苦手」というのは本当なのだ。やっと小物のアクセサリーを買った。そして、デパートの中華料理店で、一緒にラーメンを食べた。そして電車に乗って、五反田にもどり、彼女のマンションに入った。彼女は5時からの出勤で、もう5時に近かった。
「ごめんね。私、お店行く」
彼女が言った。彼女は、家から直接、ホテルに行く事もあるが、他の子のように、店に待機していて、指名されると店から行く事もあるのである。
「こーちゃんは、眠いだろうから、寝てって」
そう言って彼女は家を出て行った。私は、少し休んでから、また本の下に3万円置いて、部屋を出て、高速を飛ばして家に帰った。

その日は私にとって最高に幸せな日だった。その後もメールの遣り取りは楽しかった。ただ、やはり私は、休日は、おちついて小説を書きたく、彼女に会いにはいかなかった。いつでも彼女に会える、という安心感で精神的に満足できた。
だが、彼女からのメールの内容が、だんだん、仕事による睡眠不足の辛さを訴えるものが多くなってきた。彼女は精神的にも弱い性格で、情緒不安定になり、精神的にもまいってきた。私は、出来る限りのアドバイスをし、また精神科クリニックにかかるよう勧めた。だが、その年の暮れ、とうとう彼女は、仕事を止めて仙台に帰る、というメールを送ってきた。私は急いで彼女のマンションに行って、彼女と話したが、彼女の決意はゆるぎないものだった。もう店の人にも辞める事を話していた。彼女が東京からいなくなって、会えなくなるのは寂しいが、彼女の人生を決める権利は彼女にあり、私には、何も言う資格はない。お別れ、を言って帰った。年が明けて、彼女は荷物をまとめて仙台に帰った。彼女は旅館で働いていると親に言っていたが、風俗店で働いている事がばれてしまったらしい。ウソがつけない子なのである。だが、メールの遣り取りは、その後もつづけた。という事で、彼女とはメル友となった。毎日の夜通しの、きつい風俗の仕事から解放されて、彼女の精神も体も健康になって、メールの内容も楽しいものになった。
彼女と会えなくなったのは残念だが、彼女との付き合いは私にとって、非常に自信となった。

それまでは夏、海水浴場にも大磯ロングビーチにも男一人で行くのは恥ずかしくて、出来なかったが、もう恥ずかしさもなくなり行けるようになった。私にはエミちゃんという恋人がいるからだ。

私がこの世で最も興奮するのは夏の女のビキニ姿である。初めて勇気を出して大磯ロングビーチに行った時は、セクシーなビキニ姿の女達を間近に見て興奮し、思わず射精しそうになってしまったほどである。勿論、露出された外見のエロティシズムもあるが、それ以上に、夏の女の解放された精神に興奮するのである。私はヨーロッパのどんな美しい風景や音楽より、夏、湘南に来るビキニ姿の女の方が好きである。否、ビキニ姿の女というより、日本の夏という季節に海水浴と称し、自慢の体を披露し、あわよくば素敵な出会いを求めにくる女が好きなのである。私の好きな女にはかなり条件がある。まず日本人であること。6月頃から、お台場や海外で焼いて、あまりに小麦色にきれいに日焼けした女は、こだわりが強すぎて嫌である。スレッカラされた女は、肉体だけを愛し、その人格を愛さない。私が最も愛するのは、東京から来たOLかフリーターで、あまり日焼けしていない、それで、夏、自分の体を自慢しに、あるいは、天真爛漫な性格の何の特技も無い普通の女である。勿論、カップルであったり、子供を連れていたりしても全くかまわない。私は観照者である。勿論、私も可愛い彼女がいて、その風景の中に組み込まれたなら、どんなに嬉しいかしれない。しかし、そうでなくてもいいのである。彼女らは知っているのだろうか。この夏の太陽と青空と焼けた砂浜が、一瞬であると同時に永遠であるということを。確かに彼女らが楽しんだ夏の青春の一時は、事実というフィルムによって撮影され、過去という保存庫に永遠に保管される。しかしそのフィルムは、物理的には存在しない。ただ写真やビデオなどなんかに撮らなくても、彼女らが夏の1日を謳歌したという事実は永遠に存在しつづける。事実は存在し、事実は永遠に残るのである。しかし存在するのは事実だけで、楽しんだ行為や感情、美しい肉体は、全て消えて無に帰する。物として残るものは何も無い。確かに写真やビデオは、残るだろう。しかし行為というものは、完全に無くなってしまうのである。行為が存在しうるのは現在の中だけである。しかもそれは微分のように限りなくゼロに近い、ほんの僅かな瞬間の時間である。しかしそれも正しい表現ではない。そもそも時間が存在しない以上、限りなくゼロに近い、ほんの僅かな瞬間の時間というものも実は存在しないのである。つまり我々は幻という現実の中に生きているのである。しかし事実は存在する。行為というものは一瞬、一瞬、消えていくものである。そして私は、美しいビキニ姿の女を見る時、悲鳴を上げて叫びだしたくなる思いに駆られるのである。
「あなた達は怖ろしくはないのか。あなた達が謳歌している、美しい青春が、跡形も無く消えて無くなってしまう事が。それとも、あなた方は、美しい行為を実体のない事実というものの中に必死で刻み込もうとしているのか」
私は行為というものが全て無くなってしまう怖ろしさを知っているから、彼女がいなくても寂しくはないのである。だから私は小説を書かずにはいられないのである。
しかし、彼女らは意識しているのか、していないのか、わからないが、青春を事実の中に刻み込む事は、何と素晴らしい事であることか。事実はたとえ地球が滅びて無くなっても、存在する。それに較べると作った小説というものは滅びないが、地球が滅びてしまえば無くなってしまう。ただし、小説を書いたという事実は滅びない。私は現実世界に生きれないから芸術至上主義者であるが、彼女らの、生きている様は美しい。生きた、という行為の事実は、たとえ地球がなくなっても、宇宙がなくなっても、永遠に決して無くなることはないのだ。

昔は私は結婚しない事は、私にとって当然の事だった。それは私の信念であった。私が自分の生存の条件と和解する事は敗北だった。私の感性、私の理想の高さ、がそれを受け入れる事を拒否した。私は顔が悪い。喘息アレルギー体質で、人づきあいが出来ない内向的な性格である。頭もさほど良くはない。もし子供を生んだら、そういう私の特質を持った子供が生まれる可能性は十分ある。私はそんな可哀相な子供を生みたくないのである。可哀相なつらい人生を送らせたくないのである。悪遺伝子は撲滅するに限る。こんな遺伝子など、この世から抹殺すべきだと昔はゆるぎない決意として思っていた。しかし実際、どんな子供が生まれてくるかは、生んでみないとわからない。私は悲観主義なので、悪い方へ、悪い方へ、と考えてしまう。しかし、もしかすると、そう顔も悪くない、健康で元気な子が生まれるかもしれない。それはわからない。賭けである。しかし、また、そして哲学者というものは、最終的に賭けないのである。

夏、子供を連れてプールに来る人を見ると羨ましい。これは夏、海やプールに、子供を連れて来る男女に限らない。歳をとるにつれて、妙に子供が可愛く見えて仕方がないのである。私は、昔もロリータ・コンプレックスがあったが、今では、それがより一層、激しくなっている。私も結婚して、子供を生みたい。自分の子供が欲しい。女の子で、学力は普通で、勉強より遊びの方が好きな、数学の問題がわからなくて机の前でウンウン唸って困って眉を寄せているような、しかし、いつも天真爛漫な笑顔で私に話しかけてくれるような、そんな子供が欲しくて仕方がない。

私も親から、結婚して家庭を持つよう、さんざん言われてきた。私は医者で、医者は収入は十分あり、社会的地位も高く、そして本当は、顔もそんなに悪くない。だから、結婚して家庭を持ち、子を生み育てる事は、十分できる。しかし、私は自分の信念に基づいて、それを頑なに断わりつづけてきた。
しかし歳をとるにつれ、やはり家庭が、子供が、欲しくなってきた。

しかし、私は、やはり生涯、結婚しないだろう。過敏性腸は生活、仕事を著しく困難にしている。仕事と小説創作と家庭の両立は出来ないからである。仕事と家庭に追われ、自分の時間がなくなり、小説を書くことが出来なくなる事には私には耐えられない。実人生の幸福と、自己実現のどちらかをとるか、という選択に迫られたら私は、自己実現の方を取る。それに、私が、家庭に憧れる度合いは、そんなに大きくはないのである。たまさか、ほのぼのとした親子の光景を見ると、羨ましいと思う程度である。そして、たまさかの、ほのぼのとした親子の光景を一瞬、見るから羨ましいと思うのであって、実際、結婚したなら、家庭生活とは、何と単調でつまらないものかも十分、想像できる。それに愛などというものは、形を変えた自己愛、アルテル・エゴに過ぎない。それに内向的人間は、自分の世界というものを持っているから、一人でいても、他人が想像するほど、孤独ではないのである。

私が性欲の形として求めるものが、SMである、という事も十分、必然性があるのである。私には生殖に対する嫌悪がある。SMでは、女の股に縄を食い込ませるが、あれでは挿入が出来ない。だから、健全な男は、股縄を、一時の遊戯として、面白がってする事は出来ても、最後には、外して、男のマラを女に挿入しなければ満足できないのである。
中学生から高校生になる頃、子供は性に目覚め、男根で女の壁を突き破りたい欲求が生まれる。それは社会という壁でもある。男根で女を突き破りたいと思うように気持ちが変わる時、子供は、精神的に親の庇護から独立して大人になる。女の体の中に放出しようとする精子のエネルギーは、男が社会に放出しようとするエネルギーである。
私には、それが起こらなかったのである。だから私はアダルトビデオでも、ペッティングには興奮するが、本番行為には嫌悪が起こるのである。つまり、大人になれないのであり、また、なりたくないのである。
子供の時は、誰でもSM的な感性を持っていた。女の裸は見たいが、自分は裸にはなりたくはなかった。そして見る事が興奮だった。しかし、セックスというものを知り、裸同士で結合することに欲求が向いて行くにつれ、SM的な感性は減っていく。女と結合したい欲求とは、社会と結合したい欲求でもある。

SM的感性の人間とは、大人になっても、女に対して、子供の性欲の感覚でしか興奮できない人間である。大人になると、子供の時にはあった、ためらいがなくなってしまうから、本能に従った、ルールの無い、えげつない、どぎついエロティックな形となるのである。
一番猥褻なものは縛られた女の肉体である、とサルトルが「存在と無」の中で言っているがまさにその通りである。

私はそういう自分の感性が、あながち嫌いではない。なぜなら、もし私がそういう、いびつな感性を持っていなかったら小説は書けなかった事は間違いないのだから。



平成21年11月10日(火)擱筆

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