小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

小説の視点

2021-10-14 02:47:16 | Weblog
リイタ様。
小説は、主人公と何人もの、登場人物が、出て来ますね。
この時、視点は、一人、主人公、にしなくてはなりません。
主人公が、周りを見ているのです。
だから、思い、心情、を表現していいのは、主人公、一人だけです。
視点を、「私」に固定するとします。
すると。
「私は腹が減った」
と、表現してもかまわないのです。
しかし、(私)以外の登場人物の思いは、表現できないのです。
(私)を、主人公として、(私)が視点の場合。
「彼は腹が減った」
とは表現できないのです。
それは、彼の思いの表現になってしまうからです。
彼に、関しては、彼の心は表現できず、彼の行動や発言しか、書けないのです。
なので、
「彼が腹が減った」、ということを、表現したいならば、
「彼の腹が、グーと鳴った」
という事実を書くか、
「私は、彼が腹が減っていると思った」
と、私の思い、という形で書くか、
「彼は腹が減っているような顔つきをしていた」
とか、の事実を書くのです。
ちなみに、漫画は、すべて、(神の視点)で書かれています。
登場人物の全てが、「ふきだし」、で、自分の思いを喋っていますね。
ここが、漫画と小説の違いです。
しかし。
視点の固定というのは、絶対に守らなくてはならないものではありません。
特に、たくさんの登場人物が出でくる小説の場合は、そうです。
芥川龍之介でさえ、視点の固定を破っている小説があります。
長編小説では、章ことに、主人公を変えて、主人公の視点にする、という方法もあります。
これで、わかってもらえたでしょうか?

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ブレークニー弁護人(小説) | トップ | アスリートは中毒患者に過ぎない »

Weblog」カテゴリの最新記事