リイタ様。
小説は、主人公と何人もの、登場人物が、出て来ますね。
この時、視点は、一人、主人公、にしなくてはなりません。
主人公が、周りを見ているのです。
だから、思い、心情、を表現していいのは、主人公、一人だけです。
視点を、「私」に固定するとします。
すると。
「私は腹が減った」
と、表現してもかまわないのです。
しかし、(私)以外の登場人物の思いは、表現できないのです。
(私)を、主人公として、(私)が視点の場合。
「彼は腹が減った」
とは表現できないのです。
それは、彼の思いの表現になってしまうからです。
彼に、関しては、彼の心は表現できず、彼の行動や発言しか、書けないのです。
なので、
「彼が腹が減った」、ということを、表現したいならば、
「彼の腹が、グーと鳴った」
という事実を書くか、
「私は、彼が腹が減っていると思った」
と、私の思い、という形で書くか、
「彼は腹が減っているような顔つきをしていた」
とか、の事実を書くのです。
ちなみに、漫画は、すべて、(神の視点)で書かれています。
登場人物の全てが、「ふきだし」、で、自分の思いを喋っていますね。
ここが、漫画と小説の違いです。
しかし。
視点の固定というのは、絶対に守らなくてはならないものではありません。
特に、たくさんの登場人物が出でくる小説の場合は、そうです。
芥川龍之介でさえ、視点の固定を破っている小説があります。
長編小説では、章ことに、主人公を変えて、主人公の視点にする、という方法もあります。
これで、わかってもらえたでしょうか?
小説は、主人公と何人もの、登場人物が、出て来ますね。
この時、視点は、一人、主人公、にしなくてはなりません。
主人公が、周りを見ているのです。
だから、思い、心情、を表現していいのは、主人公、一人だけです。
視点を、「私」に固定するとします。
すると。
「私は腹が減った」
と、表現してもかまわないのです。
しかし、(私)以外の登場人物の思いは、表現できないのです。
(私)を、主人公として、(私)が視点の場合。
「彼は腹が減った」
とは表現できないのです。
それは、彼の思いの表現になってしまうからです。
彼に、関しては、彼の心は表現できず、彼の行動や発言しか、書けないのです。
なので、
「彼が腹が減った」、ということを、表現したいならば、
「彼の腹が、グーと鳴った」
という事実を書くか、
「私は、彼が腹が減っていると思った」
と、私の思い、という形で書くか、
「彼は腹が減っているような顔つきをしていた」
とか、の事実を書くのです。
ちなみに、漫画は、すべて、(神の視点)で書かれています。
登場人物の全てが、「ふきだし」、で、自分の思いを喋っていますね。
ここが、漫画と小説の違いです。
しかし。
視点の固定というのは、絶対に守らなくてはならないものではありません。
特に、たくさんの登場人物が出でくる小説の場合は、そうです。
芥川龍之介でさえ、視点の固定を破っている小説があります。
長編小説では、章ことに、主人公を変えて、主人公の視点にする、という方法もあります。
これで、わかってもらえたでしょうか?