小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

ヌンチャクを買った

2021-05-09 18:41:29 | 武道・スポーツ
ヌンチャクを買った。

ネットで、武道具店を調べたら、新宿に、武道具店があった。

樫と、グラファイト性、と、スポンジ性、の三つを買った。

最近、めっきり、出不精になって、新宿に行くのも、おっくうになっていた。

ので、久しぶりである。

ヌンチャクは、大昔、空手が出来るようになった後に、買ったことがある。

久しぶりである。

なぜ、ヌンチャクを買ったかと言うと。

コロナで、不眠で、イライラするからである。

もちろん、水泳は、週2回しているし、エニタイムに入って、筋トレ、や、ランニングはしているが。

バッティングセンターは、以前は、20球で、200円だったが、ピッチングマシンを改良して、20球で、300円になってしまったので、やる気がなくなった。

テニススクールは、あまりにも、バカバカしいので、やる気がしない。

無意味な球出し、と、少しのラリー、と、最後に試合である。



あまり、他人を、バカバカ言うのは、よろしくないとはわかっているが。

テニスコーチは、牛丼屋の牛丼と同じである。

牛丼には。

大盛り、中盛り、並盛り、と、あるが。

テニスコーチも同様で。

大バカコーチ、と、中バカコーチ、と、並バカコーチ、とがある。

生徒もまた、才能が無い。

スポーツは、単調な反復練習を熱意をもって繰り返すだけなのである。

ましてや、テニスは、リズムのスポーツである。

ラリーを反復している時にだけ、上達のチャンスがあるのである。

基本が完成するまでは「試合」は、してはならないのである。

もちろん、試合をしても、いいけど、つなげる試合、というを、すべきなのである。

ボールが、つながっている時は、ボールは生きていて、「練習」になっているのである。

しかし、そんなこと、している、テニススクールは、世の中に無い。

サービスエースを狙ったり、スマッシュを決めたり、ドロップショットを、打つと、気持ちはいいだろうが、ボールの流れが、切れてしまうのである。

人間は、テレビで観る、スポーツでも、自分でやる、スポーツでも、どうしても、勝ち負け、ということに、こだわってしまう。

なので、上手くならないのである。



空手家の南郷継正氏(一般の人は彼を変人と見るだろう)も、技の上達過程においてて、試合がいかに益なく有害かということを何度も、口を酸っぱくして、いやというほど繰り返し述べている。一部、氏の文を引用しよう。
「技がまだ我がものになっていない時期に、技の使い方に意識を注ぐことは自殺行為にも等しいことなのである。技を我がものにする段階では試合はなるべく避けるべきであるし、またどうしても出なければならない時は、勝つべきではないのである。無理をしてまで勝つなということであって、結果的に勝つのはやむをえないのである」

(南郷継正「武道の理論」より)



わかりやすい例で言うと。

空手ができない初心者に、いきなり、組手の練習(試合)をさせたらどうなるだろう?

答えは明らかである。

彼は、相手との戦いによって、パンチのよけ方、キックの受け方、隙をついた、パンチ、キックの出し方など、は、ある程度、身につくだろう。

しかし、組手の練習しかやらなかったら、いつまで経っても、空手の正しい、正拳突き、空手の受け、蹴り、などは、出来るようにはならないのである。

空手の技を身につけるには、ひたすら、単調な、空突き、空蹴り、受け、を、熱意をもって、何10万回も繰り返さなければ、空手の技は身につかないのである。

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