さて二日前のつづきを書こうと思う。スポーツに限らず、日本では、習い事は全てメダカの学校なのである。これは、やはり主従関係が根本にある日本人気質も大いに関係しているだろう。アメリカでは医者と患者は対等だろうが、日本では、今だに上下関係であり、そして、これからも、それはつづくだろう。指導者は、その分野ではエキスパートだから、自分の能力に絶対の自信を持っている。そして、それは客観的にも誤りではない。コーチは間違った事は教えない。正しい事しか教えない。そして日本人の指導関係は上下関係だから、生徒が、何か自分の考えを言おうとすると、それが誤りである場合は、ただちにそれを否定する。そして生徒が自分の考えを言おうものなら、「俺の言う事に従わないならやめな」で、終わりである。しかし、これは、実に勿体ない事でもある。なぜなら、まさにそういう時こそが、「誤った認識を持っている人に、どうやったら、その誤りに気づかせ、正しい認識をさせることが出来るか」という、説明能力、つまりは指導能力を鍛える絶好の機会なのである。しかし、「誤った認識を持っている人に、どうやったら、その誤りに気づかせ、正しい認識をさせるか」という事は非常に難しく、困難を極めるのである。だから、それに取り組もうと思う人は、南郷継正氏ほどの思考能力が、ずば抜けた人以外、いないのである。そしてコーチというものは、俺が育てた、俺が教えてやった、という自分の勲章に目がくらんでしまうから、才能のない生徒、伸びそうもない生徒は、見限ってしまうのである。勿論、指導においては、指導者の側だけが努力すべきで、完全な指導をするべき、などというものではない。基本は、生徒の方の努力、意欲、工夫、であるのは当然である。世ではよく、「××は○○の先生である」という言い方が行なわれている。たとえば、ブルース・リーにしても、ブルース・リーの師と呼ばれる人は実に多い。しかし、本当のところは、ブルース・リーのような才能のある人間というのは、ある専門家に教えを請いに行っても、(勿論、彼は自分を白紙にして他流派を学ぼうとするが)それは、あくまで自分が求めるものをしっかりと見定めた上で、専門家から自分に必要なエキスを吸収しているのであって、つまりは師を自分のために利用しているのであって、専門家の傀儡になってしまっているのでは決してないのである。
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