小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

居合い。剣道

2011-12-27 09:43:15 | 武道・スポーツ
一週間前に、たまたま体育館で居合い、をやっていたので、教えてもらった。居合いにさほど興味はなかったが、やってみると面白い。空手の型のような、いや空手の型より、もっと研ぎ澄まされた精神状態になる。またやってみたくなった。剣道や、刀の振り方にも、技術があるのは当然である。しかし、その技術の巧拙を見抜くのは難しい。達人の振り方も初心者の振り方も(少なくとも私には)見分くことは出来ない。テニスやバッティングなら、巧拙の度合いを見抜くことは簡単である。テニスなら、下手ならラリーが続かないし、速い球が打てないし、フォームだけを見ても、かなりわかる。それはバッティングでも同じである。南郷継正氏は、剣道は武器があるから簡単、というようなことを言っている。しかし、それは違う。わかりやすい例がある。それは、素振りだけを見ていると、技の巧拙は見抜きにくい。しかし、You-Tubeで見たのだが、真剣で試し切りをしているのがある。リンゴやスイカなど、色々な物をスパッと見事に切っている。切られた物は、落っこちず、切れ目だけが入れられている。すごい。はたして初心者に、ああいうことが出来るだろうか。おそらく出来まい。正確に果物の真ん中を切るコントロールも難しいだろうし、スピードが遅かったり、刀が真っ直ぐに入らなかったら、果物を落とさずに、切れ目だけを入れるということは、出来ないだろう。さらに、斬る時に、達人は、刀を振る動作が、どっしりとしているから、体がぐらつくこともないだろう。そもそも私は木刀を使ったが、真剣なら、かなり重いだろう。二時間、木刀を振っただけで、脚と腕がすごく疲れてしまった。だから剣道や、居合い、は決して簡単な技ではない。長い期間の訓練が必要だろう。見た目だけから見ると、技の巧拙がわかりにくい運動というものもある。それだけを見て、「技の巧拙などたいして無い」とみなすべきではない。確かにテレビの時代劇のチャンバラのシーンを見ると、素人の俳優が格好良く刀を振り回している。しかし、あの刀は、極めて軽いだろう。だから簡単に振り回すことが出来るのである。しかし実際の刀は、そうとう重い。素人が刀を三十分、振り回したら、腰がガクガクになって、ヘトヘトに疲れてしまうだろう。剣道の達人は、長い時間、刀を振り回しても、体勢が崩れることもないし、振り方が乱れることもないだろう。もしかすると、一回だけの刀の一振りだけなら、素人も達人も、あまり違いは無いのかもしれない。(しかし、それも、やはりバッティングと同じで、達人の振り方は腰の力を使った合理的な振り方たとも思うが)これはヌンチャクで言えることである。ヌンチャクを振り回せるようになるのは、そう難しくはない。素人でも少し、練習すれば、上手く振り回せるようになる。だからといって、ヌンチャクが簡単とはいえない。ブルース・リーの影響によって、ヌンチャクは攻撃の道具と思われるようになってしまったが、確かに、攻撃に使うこともあるが、空手のヌンチャクは、敵が棒で攻撃してきた時、それを防ぐ、防御の道具として使うことが多い。防御して反撃する。これを実戦で自在に使えるようになるには、かなりの期間の訓練が必要である。
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