かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の一首鑑賞  92

2020-11-19 21:42:36 | 短歌の鑑賞
  ブログ版 12 ジンベイザメ    鎌倉なぎさの会 報告 鹿取未放


92 筑波山しげきなげきの年よりの恋はラクダのシャツを脱ぐまで
                     「かりん」96年5月号

 筑波山は「歌垣(かがい)」(一種の性の解放)が行われ、豊作などを祈願し、男女が一同に会して歌を唱和した。万葉の歌人高橋虫麻呂がその長歌で「……人妻に吾も交らむ 吾が妻に人も事問へ……」と歌っている。そもそも筑波山は男体山(870m)、女体山(876m)の双耳峰で、それぞれイザナキ・イザナミの神を祀り、男ノ川(おのかわ)・女ノ川(めのかわ)が合流して男女川(みなのがわ)になるという恋にふさわしすぎるくらいの土地である。それゆえ筑波山は昔からの歌枕であり多くの和歌に詠まれている。(例「筑波嶺の嶺より落つる男女川恋ぞつもりて淵となりぬる」(陽成院)
 また源氏物語の「関屋」に〈逢坂の関やいかなる関なれば繁きなげきの中を分くらん〉という空蝉の歌がある。空蝉は夫の常陸の介と筑波山の麓に下っていたのだが、帰京してきた空蝉一行と、石山寺へ参詣していた源氏達が逢坂の関ですれ違う。それと認めた光源氏が送った〈わくらばに行きあふみちを頼みしもなほかひなしや潮ならぬ海〉に対する返歌が上の空蝉の歌である。逢うという意味の逢坂の関なのに、このまま歎きながら別れてゆくのですね、くらいの意味だろうか。密かに源氏を思い続けた空蝉にしてみれば、数年ぶりになまじ行き会ったばかりになおさら辛い別れである。清見糺は源氏物語をそれほど読み込んでいたとは思えないが、筑波山の麓から上京してきた場面だけに92番歌の背景として捨てがたい味わいがある。
 もっとも「しげきなげき」は古来からの慣用句だったとみえて、掲出歌の上二句は様々にあった歌のバリエーションだと思われる。たとえば定家に「今はみな思ひつくばの山おろしよ繁き嘆きと吹きもつたへよ」があり、『増鏡』の慈円の長歌の一節に「筑波山しげきなげきのねをたづね……」と出てくる。「筑波山」と「しげきなげき」のセットは他にもたくさんありそうだ。『後撰集』には「をりはへてねをのみぞなく郭公しげきなげきの枝ごとにゐて」とある。
 一方掲出の92番歌下二句は発表時期からみて、鹿取の「かりん」同年三月号に載った次の歌をヒントにしたものだろう。
外は雪 らくだのシャツになるまでに飲み食ふ長浜〈鳥新〉の鴨
 すると古歌のパターンである上二句と鹿取の二、三句を取り、腰に「年寄りの恋は」のみを繋ぎに加えた歌ということになるが、その合体に妙がある。筑波山という恋の山と恋の為にラクダの分厚いシャツを脱いで愛し合う「年より」を入れたことで年配者の恋の哀れが出た。もちろん年より=清見糺ではないし、どうだ古歌を取りこんだこんな歌もらくらく作れるよ、と言っているのだが、やはりそこはかとなく老いの哀れさが滲んでいるようだ。(鹿取)
            
コメント
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