ブログ版清見糺の秀歌鑑賞 11 トカトントン 鎌倉なぎさの会 報告 鹿取未放
88 秋空にわれの棺を閉ざすおとトカトントンと澄みて響かん
「かりん」91年1月号
第一歌集上梓(一九九三年)より以前に作られている。なぜ自分の死の季節を秋と思い定めたものか不明だが、この歌から一二年後の九月九日、清見糺は永眠した。作歌の意図は不明だが「トカトントン」がなければ何ということもない平凡な歌である。しかし「トカトントン」の擬音語が入ることによって歌は韜晦の気をまとい、複雑な味わいになった。
そのトカトントンはもちろん太宰治の小説である。「トカトントン」の主人公の若者は、何か奮い立とうとするとこの音の幻聴がおこり、虚無さえも萎えさせるようなこの音に日々支配されているのだという。その「トカトントン」をここでは棺を閉ざす釘の音に援用しているのだが、そうすることによって人生そのものをおちょくるような響きをもつ。ごらんのとおりさ、自分の人生はこんなこっけいなものだったよ、と。さびしい歌である。(鹿取)
88 秋空にわれの棺を閉ざすおとトカトントンと澄みて響かん
「かりん」91年1月号
第一歌集上梓(一九九三年)より以前に作られている。なぜ自分の死の季節を秋と思い定めたものか不明だが、この歌から一二年後の九月九日、清見糺は永眠した。作歌の意図は不明だが「トカトントン」がなければ何ということもない平凡な歌である。しかし「トカトントン」の擬音語が入ることによって歌は韜晦の気をまとい、複雑な味わいになった。
そのトカトントンはもちろん太宰治の小説である。「トカトントン」の主人公の若者は、何か奮い立とうとするとこの音の幻聴がおこり、虚無さえも萎えさせるようなこの音に日々支配されているのだという。その「トカトントン」をここでは棺を閉ざす釘の音に援用しているのだが、そうすることによって人生そのものをおちょくるような響きをもつ。ごらんのとおりさ、自分の人生はこんなこっけいなものだったよ、と。さびしい歌である。(鹿取)