かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 136

2022-09-29 14:45:43 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の18(2018年12月実施)
     Ⅲ〈錬金術師〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P93~
     参加者:泉真帆、M・I、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放


136 時に浸る千人のわれを祖父も父もかたっぱしからぶんなぐりにくる

      (レポート)
ある状態にどっぷりつかるという表現があるが、哲学や文学にかたむき、思索している、であろう作者、つまりわれを「時に浸る」と表現して、巧みさがまず光る。祖父や父には無為に時を過ごすとみられているはずのわれ、そのわれたるや千人もいるのだ。いつもいつもそのように時に浸っていることを千人のわれと表現して鮮やかだ。そんな作者〈われ〉の様子を納得できない祖父や父は片っ端から、千人分をぶんなぐりにくるという。それぞれの有り様の違いが思われる。(慧子)


    (当日意見)
★自分のような人間が千人もいるのかと思っていましたが、レポートでわかりました。
   (岡東)
★祖父と父はだいたい同じ価値観 の人間で、自分だけが違うのでぶん殴られている。
   (真帆)
★前の歌から読むと思索的な作者と解釈できますが、上の句は一般論、モラトリアムの状態
 にある若者たちとも読めると思います。モラトリアム的な千人の若者を上の世代やさらに 
 上の世代が、大家族を養うのが男だというような価値観でぶん殴りに来る。働かない若者
 にいらいらするんですね。「時に浸る」は松男さん的な表現だと思いますが、それが文学
 や哲学をすることだとは私は結びつきませんでした。(A・K)
★今みたいに広げた読みも面白いと思いますが、父や祖父に比べて〈われ〉は肉体を動かし
 て働くことにあんまり向いていないという自覚。何度も紹介したダニが耐えていたらヒト
 は笑うだろう、ってある「日常宇宙」という評論ですけど、おじいさんのことが書かれて
 いました。お百姓さんで、若くから鰥で、やたらに丈夫で、働いては食い働いては食いし
 て、さびしいなんっていおうものならぶん殴られたって。それは実際に手で殴ったか、言
 葉で殴ったかわかりませんが。(鹿取)
★鹿取さんの意見を聞いてわかりました。松男さん個人のこととして読む方がこの歌はずっ
 とすっきりする。松男さん、高等遊民みたいなところがあって、それをお父さんもお祖父
 さんも認めない。本読んで音楽聴いてちゃらちゃらしている生活なんって認めない。歌と
 してその解釈の方がずっといいと思います。(A・K)
★千人というのは日々そういう行動をしているということですね。 (岡東)

      (後日意見)
 鹿取発言の「日常宇宙」、正確には以下の表現になっている。(鹿取)
若いうちから鰥夫で、しかしやたらに丈夫で、食ってははたらき、はたらいては食い、そしてほとんどしゃべることのなかった百姓の祖父を思い出してしまった。(中略)鯨のようにスケールの大きいものが、言葉なくその存在に耐えながら泳ぐからその淋しさもいいのであって、百姓の祖父の場合はかっこよくもなんともなかった。淋しいなどとは言えないし、言おうものならぶったおされた。
               

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一... | トップ | 渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

短歌の鑑賞」カテゴリの最新記事