かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 176

2024-01-07 10:49:34 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究22(2014年12月)
      【非常口】『寒気氾濫』(1997年)75頁~
      参加者:S・I、泉真帆、崎尾廣子、鈴木良明、
          曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:S・I   司会と記録:鹿取 未放


176 闇は隅から来るものなりて校庭の鉄棒も子も見えなくなりぬ

      (レポート)
 校庭に立っていると、周りは薄闇なのに、隅はもう真闇に覆われ、鉄棒も子も等しく見えなくなった。この歌をこどもを主格として、物語風にも解釈できるが、渡辺氏は物を語る作家ではない。時空を超え、時には因果律さえ凌駕して、詩的真実を紡ぎだす作家である。テーマは闇である。物の形が見えなくなる黄昏時の、異界に入っていくかのような景を巧みに捉えている。現代人は照明器具の発達により、ほとんど闇を意識しなくなったが、氏は灯りの乏しかった時代の人々と同じ思いで、闇の本質を見つめているのかも知れない。(S・I)
      

    (当日意見)(2014年11月)
★黒の中にも濃淡があるような感じがうまく表現されている。現代人はほとんど闇を意
 識しなくなったというレポーターの解釈は、作者はそこまでは言っていないかなと思
 う。(真帆)
★単純に実感としてわかる歌。立ち位置がよく分からないけど、周辺から闇が迫ってく
 る感じ。だからレポーターの言うように「異界に入っていく」ほどの感じではないと
 思う。(鈴木)
★闇が隅から来るという捉え方は的確だと思う。〈われ〉はどこかから子どもを見守っ
 ているという設定なんでしょうね、何か闇の怖さとか子どもがどこかへ連れ去られる
 ような不安感とか、女性だとそういうところに繋がっていくんだけど、この歌はそう
 いう具体的な不安とは違うのかな。 やっぱり、もっと闇の持つ本質みたいなものに迫
 ろうとしているのかなと思います。(鹿取)

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