※昨日の投稿の追加版です。後ほど、今日の分をアップします。
追加版 2024年度版馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)
【白馬江】『南島』(1991年刊)P78
参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、
藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放
269 白馬江美しすぎて歴史より長き命をうたたやさしむ
(レポート)
普通「美しい」ものを「美し」と詠んでは、おもしろくない。この一連は白村江の戦を詠んでいる。そして「我」が白村江古戦場に旅したという設定である。しかしながら白馬江は白村江の戦以前から流れていて、その戦の後も今にいたり美しく流れている。白村江も日清戦争以来の日本の諸々も朝鮮戦争をも放下して「うたた」と呼び、大自然の美しさを、「美しすぎて」といいきってしまっているところが潔く心地いい。
(実之)
(当日発言)
★「うたた」は「程度がはなはだしくなる様。ますます。いよいよ。」の意味。人間の
誕生以前から在り、国家間の戦争や憎しみなどを超えたところで悠然と美しく流れて
いる白馬江を「うたた」やさしむのである。「やさし」の原義は「こちらの身が痩せ
細るような思いだ、恥ずかしい」なのだが、この「やさしむ」をどう解釈したらよい
のかむずかしい。やはり悠久の白馬江の美しさを褒め称えているのであろう。
(鹿取)
(後日意見)
『南島』あとがきにこんな一節があります。「詞書きにもかいたような事情で、私は白馬江に特別な感情をもっていた。美しく、明るい豊かな流れが、夕日の輝きの中をゆったりと蛇行していた景観は忘れがたい。妖しいまでの淡彩の優美な景の川に船を浮かべて、長い長い歴史の告発を受けているような悲しみを感じていた」(鹿取)
追加版 2024年度版馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)
【白馬江】『南島』(1991年刊)P78
参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、
藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放
269 白馬江美しすぎて歴史より長き命をうたたやさしむ
(レポート)
普通「美しい」ものを「美し」と詠んでは、おもしろくない。この一連は白村江の戦を詠んでいる。そして「我」が白村江古戦場に旅したという設定である。しかしながら白馬江は白村江の戦以前から流れていて、その戦の後も今にいたり美しく流れている。白村江も日清戦争以来の日本の諸々も朝鮮戦争をも放下して「うたた」と呼び、大自然の美しさを、「美しすぎて」といいきってしまっているところが潔く心地いい。
(実之)
(当日発言)
★「うたた」は「程度がはなはだしくなる様。ますます。いよいよ。」の意味。人間の
誕生以前から在り、国家間の戦争や憎しみなどを超えたところで悠然と美しく流れて
いる白馬江を「うたた」やさしむのである。「やさし」の原義は「こちらの身が痩せ
細るような思いだ、恥ずかしい」なのだが、この「やさしむ」をどう解釈したらよい
のかむずかしい。やはり悠久の白馬江の美しさを褒め称えているのであろう。
(鹿取)
(後日意見)
『南島』あとがきにこんな一節があります。「詞書きにもかいたような事情で、私は白馬江に特別な感情をもっていた。美しく、明るい豊かな流れが、夕日の輝きの中をゆったりと蛇行していた景観は忘れがたい。妖しいまでの淡彩の優美な景の川に船を浮かべて、長い長い歴史の告発を受けているような悲しみを感じていた」(鹿取)
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