かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 56 中欧 407

2022-07-19 12:57:09 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
       参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)
     司会と記録:鹿取 未放


407 粗末なる青い家の一間に書いてゐしカフカの『判決』のかなしみ思へ

      (当日発言)
★カフカは若いとき司法の勉強をしたが、「判決」は「審判」とは違い司法の話ではない。
 一晩で書き上げたそうだが、「夢の形式」といわれるカフカの作風が確立された作と言わ
 れている。父親との葛藤が主題で、判決とは父親が息子に下す死の命令のことを指してい
 る。女の色香に迷って家族や友人をないがしろにしていると息子をなじった父親は息子に
 溺死を命じ、息子は家族を愛していると呟きながら橋の上から身を投げるという話であ
 る。(鹿取)
★「判決」の内容が分かればこの歌は難しくはない。カフカの実人生ではお父さんは小説を
 書くことに反対だったり、どの恋人も父に気に入ってもらえなくて生涯独身だったり、葛
 藤があった。この小説にも「変身」などにも父との葛藤が色濃く反映している。小説だけ
 読んでいるとカフカは実人生でもうまく生きていけなかった人のように思えるが、実は有
 能な会社員として出世もしている。それでもカフカは小説を書きたかったし、その時間が
 欲しかった。そのため二交代制の会社に勤め、早番で仕事を切り上げると残りの時間を小
 説書きにあてた。もっとも、この「青い家」では「判決」は書いていないようだ。弁当持
 参で粗末な「青い家」に通って書いていた小説 を「判決」と思いこんでいた馬場は、父
 に溺死という判決を下され、自ら実行する息子の話にカフカを重ねて哀れんでいるのであ
 ろう。(鹿取)

     (追記)(2012年9月)
 勉強会で思い出せなかったカフカが勤めた会社名は、半官半民の労働者障害保険協会。カフカは仕事も出来たがテニス、水泳、ボートなどを好むスポーツマンでもあった。「判決」(「変身」も同年筆)が書かれたのは「青い家」に住む4年前の1912年のことである。その時住んでいたのはカフカ自身が借りたパリ通りのアパートであるが、今は壊され、五つ星のインターコンチネンタルホテルとなっている。彼が次々と仕事部屋を替えたのは騒音が気になったからのようで、「青い家」は静かで気に入っていると恋人への手紙に書いている。ちなみにカフカは結核で1924年41歳の若さで没した。父母も30年代に相次いで亡くなり、カフカと同じユダヤ人墓地に葬られている。その後39年プラハはナチスに占領され、カフカに借家を提供してくれた3人の妹たちは全員ユダヤ人強制収容所で亡くなったという。(鹿取)


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