かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の一首鑑賞  25

2020-06-22 17:43:24 | 短歌の鑑賞
     ブログ版清見糺鑑賞 4  
          かりん鎌倉支部  鹿取未放  


25 コこの秋は無能無才とク雲に鳥カカ核の時代のブブ文学賞はや
           「かりん」95年11月号

 吃音の侮蔑的な物言いは、核の時代を視野に入れることもせず文学などと称しているやからをおちょくっているのだろうか。あるいは自分自身の無能無才を自虐的に歌っているのだろうか。
 「この秋は」「雲に鳥」とくるからには芭蕉の「此秋は何で年よる雲に鳥」の句が下敷きになっているのであろう。ちなみにこの句で老いの衰えを嘆いた芭蕉はその年のうちに五〇歳で亡くなっている。そして、作者はこの歌の作歌時五十九歳である。だが「核の時代の文学賞」と芭蕉がうまく結びつかない。大きな文学賞というとノーベル文学賞だが、九四年度は大江健三郎がもらっている。この歌の作成時期は九四年の一一月頃だし、大江なら核についても言及しているので、それが念頭にあるのだろうか。核の時代に文学などは無力だ、ということを言いたいのだろうか。作者自身との関係はどうなのだろう。

 吃音のヒントは、岡井隆の次のような歌によるものかもしれない。
アメリカは戦後日本のそ、そ、祖型なンだ思はずどもつてだまる
                 『神の仕事場』(94)
 ただ、岡井の歌は31音に収まっていて、3句「そ、そ、祖型」、4句「なンだ思はず」と3句から4句へ句が跨がるので4句は句割れを起こして不思議なリズムを刻んでいる。対して、清見の歌は「コこの秋は」6音、「ク雲に鳥」6音、「カカ核の時代の」9音、「ブブ文学賞はや」10音と吃音部分が音数からはみ出してしまった。 
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 清見糺の一首鑑賞 | トップ | 清見糺の一首鑑賞  26 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

短歌の鑑賞」カテゴリの最新記事