2023年度版 馬場あき子の外国詠52(2012年5月実施)
【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P100~
参加者:I・K、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、
渡部慧子、鹿取未放
レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
379 ドナウ川クルーズもややに夕暮れてハンガリー舞曲奏でられたり
(レポート)
やや夕暮れてきたドナウ川の周遊船のなかで、演奏が始まり、人々の耳目をひく。演奏されているのは、「ハンガリーにおけるマジャール人の国民舞踊曲調をもととし、国民音楽の優れた典型として知られている」ブラームスのハンガリー舞曲。「涙によってのみハンガリー人は愉快であるという言葉どおり、啼泣の憂愁と狂乱の歓喜は特有の魅力をもって迫ってくる。」(鈴木)
(当日発言)
★ある種の歌謡曲を聞かされると私は政治とか思想とか全てなげうって流されてもいい
ような気分になる。だからそういく歌は警戒しているのだが。ハンガリー舞曲がそれ
と同じ作用をするとは思わないし、私も好きな曲だが、もともと民族音楽を採譜して
編曲したものだから、いろんなものを溶かし酔わせる魔力もあるようだ。この歌には
関係ないが音楽による民心の操縦というのはいくらでもあることだ。ヒトラーもその
ように民族音楽を利用した。もちろん音楽の効用は認めるが、反面麻薬のように政治
とか思想とかに向かう人の心をへなへなと溶かすように働く気がする。378番歌
(くらしの時間はすみやかに何かを忘れしめ孤独なり老いて静かに肥ゆる)の後に置
かれた歌なので「何かを忘れしめ」るものの一つとして人々を酔わせ陶酔させる音楽
も、いくぶんそのようなモノとして捉えている気もする。一方でこの歌ではハンガリ
ー舞曲を旅情をかき立てる抒情として扱っているのだろう。(鹿取)
★ハンガリー舞曲を麻薬のようには思わないし、作者もそうだと思う。378番歌も3
79番歌も自分は肯定的に捉えている。(鈴木)
★人が集まれば歌い踊るという民族だから、酔わされるというようには思わない。みん
なで踊ることでまた力を得て蜂起する力の源にもなる。(藤本)
(後日意見)(2018年9月)
夫君の岩田正はブラームス好きで知られていたから、作者にとっても特に思い入れがあり、この379番歌は軽い情景描写の歌として作られたのかも知れない。だから、この歌のハンガリー舞曲を否定的に読むわけではないが、レポーターの引用(引用元不明)されたハンガリー舞曲の説明後半に「涙によってのみハンガリー人は愉快であるという言葉どおり、啼泣の憂愁と狂乱の歓喜は特有の魅力をもって迫ってくる」とあるように陶酔の魔力を持つ曲ではある。掲出歌から離れて言えば、ともすれば同じ民族ということで狭隘な国家主義、排外主義の思想に操縦されていく危惧がないとは限らないだろう。また、国家単位でなくとも、素晴らしければ素晴らしいほど音楽は麻薬の反面を持つことも確かだろう。(鹿取)
岩田正『土俗の思想』(12頁)から、齋藤史『密閉部落』の一首を引いておく。
密閉の中の饐(す)えたる濁汁に酔へば愉(たの)しき麻痺の楽あり 斉藤 史
(後日意見)(2021年12月)
「歌壇」2021年11月号で川野里子さんと哲学者の納富信留さんが対談をしているが、その中に上記の音楽が麻薬になる旨に関連する記述があるので抜粋させていただく。(鹿取)
川野:(略)プラトンの国歌編でソクラテスが自分達の理想国家に詩はいらないと言
いますよね。詩人を追放せよと。(略)
納富:(略)プラトンは紀元前5世紀の終わりにリアルタイムでソフォクレスやエウリ
ピデスやアリストフォネスの新作を毎年見ている。三万人くらい入るアテナイ
の野外劇場で。劇場全体で感情がうわぁと沸き起こるなかにいて、プラトンは
心底から危険だと感じたんでしょう。感情がすべて強引にもっていかれる。こ
れって全体主義的です。(略)
川野:ナチスドイツの演説の演出を思えば確かに非常に怖いです。
【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P100~
参加者:I・K、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、
渡部慧子、鹿取未放
レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
379 ドナウ川クルーズもややに夕暮れてハンガリー舞曲奏でられたり
(レポート)
やや夕暮れてきたドナウ川の周遊船のなかで、演奏が始まり、人々の耳目をひく。演奏されているのは、「ハンガリーにおけるマジャール人の国民舞踊曲調をもととし、国民音楽の優れた典型として知られている」ブラームスのハンガリー舞曲。「涙によってのみハンガリー人は愉快であるという言葉どおり、啼泣の憂愁と狂乱の歓喜は特有の魅力をもって迫ってくる。」(鈴木)
(当日発言)
★ある種の歌謡曲を聞かされると私は政治とか思想とか全てなげうって流されてもいい
ような気分になる。だからそういく歌は警戒しているのだが。ハンガリー舞曲がそれ
と同じ作用をするとは思わないし、私も好きな曲だが、もともと民族音楽を採譜して
編曲したものだから、いろんなものを溶かし酔わせる魔力もあるようだ。この歌には
関係ないが音楽による民心の操縦というのはいくらでもあることだ。ヒトラーもその
ように民族音楽を利用した。もちろん音楽の効用は認めるが、反面麻薬のように政治
とか思想とかに向かう人の心をへなへなと溶かすように働く気がする。378番歌
(くらしの時間はすみやかに何かを忘れしめ孤独なり老いて静かに肥ゆる)の後に置
かれた歌なので「何かを忘れしめ」るものの一つとして人々を酔わせ陶酔させる音楽
も、いくぶんそのようなモノとして捉えている気もする。一方でこの歌ではハンガリ
ー舞曲を旅情をかき立てる抒情として扱っているのだろう。(鹿取)
★ハンガリー舞曲を麻薬のようには思わないし、作者もそうだと思う。378番歌も3
79番歌も自分は肯定的に捉えている。(鈴木)
★人が集まれば歌い踊るという民族だから、酔わされるというようには思わない。みん
なで踊ることでまた力を得て蜂起する力の源にもなる。(藤本)
(後日意見)(2018年9月)
夫君の岩田正はブラームス好きで知られていたから、作者にとっても特に思い入れがあり、この379番歌は軽い情景描写の歌として作られたのかも知れない。だから、この歌のハンガリー舞曲を否定的に読むわけではないが、レポーターの引用(引用元不明)されたハンガリー舞曲の説明後半に「涙によってのみハンガリー人は愉快であるという言葉どおり、啼泣の憂愁と狂乱の歓喜は特有の魅力をもって迫ってくる」とあるように陶酔の魔力を持つ曲ではある。掲出歌から離れて言えば、ともすれば同じ民族ということで狭隘な国家主義、排外主義の思想に操縦されていく危惧がないとは限らないだろう。また、国家単位でなくとも、素晴らしければ素晴らしいほど音楽は麻薬の反面を持つことも確かだろう。(鹿取)
岩田正『土俗の思想』(12頁)から、齋藤史『密閉部落』の一首を引いておく。
密閉の中の饐(す)えたる濁汁に酔へば愉(たの)しき麻痺の楽あり 斉藤 史
(後日意見)(2021年12月)
「歌壇」2021年11月号で川野里子さんと哲学者の納富信留さんが対談をしているが、その中に上記の音楽が麻薬になる旨に関連する記述があるので抜粋させていただく。(鹿取)
川野:(略)プラトンの国歌編でソクラテスが自分達の理想国家に詩はいらないと言
いますよね。詩人を追放せよと。(略)
納富:(略)プラトンは紀元前5世紀の終わりにリアルタイムでソフォクレスやエウリ
ピデスやアリストフォネスの新作を毎年見ている。三万人くらい入るアテナイ
の野外劇場で。劇場全体で感情がうわぁと沸き起こるなかにいて、プラトンは
心底から危険だと感じたんでしょう。感情がすべて強引にもっていかれる。こ
れって全体主義的です。(略)
川野:ナチスドイツの演説の演出を思えば確かに非常に怖いです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます