かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 1の32

2020-06-05 19:37:53 | 短歌の鑑賞
    改訂版渡辺松男研究4【地下に還せり】(13年4月実施)
      『寒気氾濫』(1997年)12~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、鹿取未放
       司会と記録:鹿取 未放(再構成版)

              
32 槻の樹皮鱗片状に剥がれいて光陰は子に父にあまねし

 ★一緒に行動した後にたまたまそういうような樹を目撃して、そういったところ
  に光が照り輝いていた。それを父と子が見て深く共有する時間を持ったと言う
  ことを歌っているのではないか。もちろん樹に対する思いも親子共々深いもの
  があったと思う。親子と樹の三者の関係がそれぞれ豊かな時間を共有している。
  光陰というのがここでキーワードかな。(鈴木)
 ★槻の樹と〈われ〉はここに存在していて、お父さんはここにはいないってイメ
  ージしていたけど。お父さんも一緒にいてもいいんですね。ただ、「光陰」の
  意味は①歳月 ②月の光 で、太陽光の意味はありません。ここの「光陰」
  は①の歳月でしょう。年老いた槻の樹皮が剥がれているのを見てその樹に過ぎ
  た歳月を思い、〈われ〉と父に流れる歳月を思っている。つまりこの歌のテー
  マは歳月。(鹿取)

         (後日意見)(2020年5月)
 父ではなく祖父、槻の樹ではなく欅(「槻の樹」は「欅」の古名)だが欅と歳月について書かれたかりん賞受賞時の挨拶を引用しておく。松男さんらしいユニークな文章である。また、このかりん賞受賞作は「寒気氾濫」と題した三十首で、この松男研究4回目の樹木の歌は大方この受賞作に収められている。(鹿取)

                            
   子供の頃、十年ほど世話になった祖父の屋敷には大きな欅の木があった。
これがちっとも面白くない。終始黙りこくっているし、幹は呆れるほど固く、
子供などは相手にしないといった風情なのだ。それは丁度百姓の祖父に似ていた。頑固で丈夫で無駄口一つ吐かない祖父は、私に声を掛けることもなかった。その欅も祖父も今はない。しかし、歌に夢中になりつつある私を軽く無視していることだけは間違いあるまい。 「かりん」92年10月号


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