渡辺松男研究 25(15年3月) 【光る骨格】『寒気氾濫』(1997年)86頁~
参加者:石井彩子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
204 一心は虚空にありて雲雀とは囀りよりもしげき羽たたき
(レポート)
他念のないところの「一心」とは3句以下の雲雀のひたすらを言い、囀りの美しさに見落としがちな羽たたきをとらえている。日頃見るには死角や盲点があり、また一部分から全体を思いこんだり不完全さがある。ここで掲出歌のふところの大きさといえばいいのか、雲雀の一心のみならず、私達の目や気づきの不完全をも収斂させる。「虚空にありて」の措辞のたくみさがある。また、それを初句、2句に置く効果も見逃せない。(慧子)
(意見)
★レポーターは「羽たたき」をどのように評価されているのですか?(石井)
★私達は囀りによって雲雀って気づきますよね。でも、この作者は羽たたきの方に重点を置いて、
一般人はここを見逃していると作者が感じている点を評価しました。つまりそれは私達の不完全
さを露呈していませんか。(慧子)
★この作者は自分の認識の優位性をひけらかしたりはしない人だし、そもそも自分と一般人という
区別に優劣の概念が入っていて、「一般人はここを見逃していると作者が感じている」には賛成
できません。「一心は虚空にありて」はどう解釈されますか?(鹿取)
★「一心」というのは言葉で説明できないことだからそのことを「虚空」と言った。(慧子)
★雲雀はのどかな春を告げる鳥と我々は思っているけれども、しげき羽たたきをしている、そんな
生存競争を詠っているのかなと。生きる苦しみとか悩みといったものを作者が共感しているのか
なと。(石井)
★わたしは結論は石井さんと同じです。「一心」とか「虚空」をレポーターと違ってもっと具体的
にとりました。「一心」は「専念」もしくは単に「こころ」、「虚空」は「空」。雲雀は空にあっ
て懸命に羽たたきをしている、それは囀ること以上だ。そういう雲雀の存在のありようというも
のを詠っている。確かにわれわれは雲雀を囀りによって認識することが多いけど、それが不完全
な見方だとか作者が思っている訳ではない。「虚空」は単に「空」というよりはるかに高いイメ
ージがありますし、そこでの羽たたきってわれわれに見えないのは当然ですから。(鹿取)
★いや、こう歌い上げたときには作者の心には抽象的にものごとを捕らえようという気持ちが動い
ているのではないの。それが上句に出ている。(慧子)
★下句はよく分かるが上句はさっきの鹿取さんの説明では違うような。上句は作者の動作ですよね、
肉体的に作者がどのような状況だったのかを捉えた上で、雲雀の本質というか、生身の雲雀とい
うものは激しい生き方をしているという歌い方になる。(石井)
★私は「一心」も「虚空」も主語は〈われ〉ではなく、雲雀だと思います。雲雀の懸命さというも
のは囀りよりも羽たたきに顕著に表れているよと。(鹿取)
★上句がそういうことならわざわざ「一心」も「虚空」もいう必要がない。(石井)
★語順を替えたら歌はつまらなくなるけど、雲雀は虚空にあって、その一心というものは囀りより
はしげき羽たたきにあらわれているよと。何ものにとっても生きるってそういうことだよねと。
この後に出てくる一遍の歌とか思い合わすと、「一心称名」などを連想するけど、ここもそうい
う「一心」だと思います。(鹿取)
★鹿取さんのいうこと聞いているとそのとおりと思うけど、でもその底に何かある。(慧子)
★慧子さんの言う歌の言葉の外に抽象的な何かがあるとしたら、さっきも言いましたが何ものにと
っても生きるってそういうことだよねという、敢えて言えば共感だと思いますが。(鹿取)
★雲雀は囀りだけでは生きられなくて羽たたきが力になっている。(曽我)
★では、意見一致しませんけど、それぞれの鑑賞があるということで、次の歌に進みます。(鹿取)
参加者:石井彩子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
204 一心は虚空にありて雲雀とは囀りよりもしげき羽たたき
(レポート)
他念のないところの「一心」とは3句以下の雲雀のひたすらを言い、囀りの美しさに見落としがちな羽たたきをとらえている。日頃見るには死角や盲点があり、また一部分から全体を思いこんだり不完全さがある。ここで掲出歌のふところの大きさといえばいいのか、雲雀の一心のみならず、私達の目や気づきの不完全をも収斂させる。「虚空にありて」の措辞のたくみさがある。また、それを初句、2句に置く効果も見逃せない。(慧子)
(意見)
★レポーターは「羽たたき」をどのように評価されているのですか?(石井)
★私達は囀りによって雲雀って気づきますよね。でも、この作者は羽たたきの方に重点を置いて、
一般人はここを見逃していると作者が感じている点を評価しました。つまりそれは私達の不完全
さを露呈していませんか。(慧子)
★この作者は自分の認識の優位性をひけらかしたりはしない人だし、そもそも自分と一般人という
区別に優劣の概念が入っていて、「一般人はここを見逃していると作者が感じている」には賛成
できません。「一心は虚空にありて」はどう解釈されますか?(鹿取)
★「一心」というのは言葉で説明できないことだからそのことを「虚空」と言った。(慧子)
★雲雀はのどかな春を告げる鳥と我々は思っているけれども、しげき羽たたきをしている、そんな
生存競争を詠っているのかなと。生きる苦しみとか悩みといったものを作者が共感しているのか
なと。(石井)
★わたしは結論は石井さんと同じです。「一心」とか「虚空」をレポーターと違ってもっと具体的
にとりました。「一心」は「専念」もしくは単に「こころ」、「虚空」は「空」。雲雀は空にあっ
て懸命に羽たたきをしている、それは囀ること以上だ。そういう雲雀の存在のありようというも
のを詠っている。確かにわれわれは雲雀を囀りによって認識することが多いけど、それが不完全
な見方だとか作者が思っている訳ではない。「虚空」は単に「空」というよりはるかに高いイメ
ージがありますし、そこでの羽たたきってわれわれに見えないのは当然ですから。(鹿取)
★いや、こう歌い上げたときには作者の心には抽象的にものごとを捕らえようという気持ちが動い
ているのではないの。それが上句に出ている。(慧子)
★下句はよく分かるが上句はさっきの鹿取さんの説明では違うような。上句は作者の動作ですよね、
肉体的に作者がどのような状況だったのかを捉えた上で、雲雀の本質というか、生身の雲雀とい
うものは激しい生き方をしているという歌い方になる。(石井)
★私は「一心」も「虚空」も主語は〈われ〉ではなく、雲雀だと思います。雲雀の懸命さというも
のは囀りよりも羽たたきに顕著に表れているよと。(鹿取)
★上句がそういうことならわざわざ「一心」も「虚空」もいう必要がない。(石井)
★語順を替えたら歌はつまらなくなるけど、雲雀は虚空にあって、その一心というものは囀りより
はしげき羽たたきにあらわれているよと。何ものにとっても生きるってそういうことだよねと。
この後に出てくる一遍の歌とか思い合わすと、「一心称名」などを連想するけど、ここもそうい
う「一心」だと思います。(鹿取)
★鹿取さんのいうこと聞いているとそのとおりと思うけど、でもその底に何かある。(慧子)
★慧子さんの言う歌の言葉の外に抽象的な何かがあるとしたら、さっきも言いましたが何ものにと
っても生きるってそういうことだよねという、敢えて言えば共感だと思いますが。(鹿取)
★雲雀は囀りだけでは生きられなくて羽たたきが力になっている。(曽我)
★では、意見一致しませんけど、それぞれの鑑賞があるということで、次の歌に進みます。(鹿取)
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