かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 81

2023-07-26 13:39:04 | 短歌の鑑賞
 2023年版渡辺松男研究⑩(13年11月)まとめ 
    【からーん】『寒気氾濫』(1997年)36頁~
    参加者:崎尾廣子、鈴木良明(紙上参加)曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子
    司会と記録及びまとめ:鹿取 未放

 
81 月の下をながるるなかにわれもあり濁れる水を秘めてゆくなり

         (当日意見)
★この歌集ではなかったかもしれないけど、人間は歩く水袋だ、というような歌が
 ありました。月光の下をこの世のあらゆるものが流れているんだけど、その中に
 人体も内部に汚れた水を抱えたまま流れている。そんなふうに具体的にとってい
 いんじゃないの。人間の身体の中の水には尿や何やかやの汚れも含まれているん
 だから。もちろん表現の背後には精神の汚れや邪悪な部分も張り付いてはいるん
 だろうけど。(鹿取)


      (まとめ)
 第2歌集『泡宇宙の蛙』に「水」という一連があって、この歌の思想を発展・ 展開させたものと思う。12首中2首のみあげる。(鹿取)
 われ水にくるしむわれのなかの水雲ひろがりてくるときにおう
 ぼちゃぼちゃとわたしは歩く水ぶくろ歩きつかれて月下水のむ
 
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 80

2023-07-25 17:31:19 | 短歌の鑑賞
 2023年版渡辺松男研究⑩(13年11月)まとめ 
    【からーん】『寒気氾濫』(1997年)36頁~
    参加者:崎尾廣子、鈴木良明(紙上参加)曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子
    司会と記録及びまとめ:鹿取 未放

 
80 直立の腰から下を地のなかに永久(とわ)に湿らせ樹と育つなり

      (レポート)
 「樹」として育つことの定めを他者(人間)が詠っていると考えると、「腰」に納得できない。樹そのものに、そしてあるとき樹に成りきる作者には通常根と呼ばれているところは腰なのかもしれない。(慧子)


      (当日意見)
★私なんかは樹の根を足から下くらいにしか思っていないけど、渡辺さんは腰とと
 らえている。やっぱり渡辺さんは樹の中に入っていける人なんだと改めて思いま
 す。(崎尾)
★樹は上っ面だけでなくて腰から下を土の中に入れているからこそ永久に育ってい
 けるのだ、なかなか本当のところをよく見て表現されていると思う。(曽我)
★何で慧子さんがそんなに悩んじゃったのかよくわからないんだけど。腰ってわり
 と単純な比喩だと思うけど。そして、腰には何かセクシャルなものがあってそれ
 が樹木も人間も全ての生命の根源だと思うけど。(鹿取)


     (後日意見)
 『寒気氾濫』にはたくさんの樹や木の根をうたった歌があります。一部を引用してみます。(鹿取)
シベリアを父のいうとき樹は凍てて根は意思以下のすさまじき爪 P.16
                     『寒気氾濫』
この木ときどきたいくつそうにうつむきてぬるぬるの根を地中から出す P.60
死のごとき岩を摑める根の張りを見つづけていて摑まれてくる P.89
行く雲の高さへ欅芽吹かんと一所不動の地力をしぼる P.144
泣きくずれそうなる幹をやわらかく樹皮は包みて立たせておれり P.150
おそろしきひたすらということがあり樹は黒髪を地中に伸ばす P.158
  
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 79

2023-07-24 14:43:43 | 短歌の鑑賞
 2023年版渡辺松男研究⑩(13年11月)まとめ 
    【からーん】『寒気氾濫』(1997年)36頁~
    参加者:崎尾廣子、鈴木良明(紙上参加)曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子
    司会と記録及びまとめ:鹿取 未放

 
79 アリョーシャよ 黙って突っ立っていると万の戦ぎの樹に劣るのだ

   (当日意見)
★アリョーシャって何に出てきたのですか?(崎尾)
★アリョーシャってドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の三人兄弟の一番
 下で、修道院に入ってひたむきに修行している少年なんですね。強欲で女にだら
 しがない地主のお父さんがいて、お兄さん二人もアリョーシャも、それぞれお父
 さんとも兄弟同士とも葛藤がある。そして屋敷に住み込みの下男が実は腹違いの
 兄弟なんですね。あの小説読んだら、誰でもたいていアリョーシャを好きになる
 んですけど(私は無神論者のイヴァンという兄さんもけっこう好きですけど)そ
 のアリョーシャに作者は呼びかけている。ひたむきに神を求めているアリョーシ
 ャに何か作者は言おうとしているんだけど、私にはもうひとつその内容が理解で
 きない。「黙って突っ立っている」のは〈われ〉なんでしょうね。「アリョーシ
 ャよ」と呼びかけて、「人間というものは、黙って立っていると樹に劣るよ」と
 言っている。作者の歌全般を読むと、人間には言葉があるから樹より優れている
 とは全然思っていなくて、一貫して黙っている樹に信頼を置いているし、自分の
 寡黙さも肯定している。しかし、この歌では言葉を持ち出している。では、言葉
 を持たない樹と並べて、作者はどこまで人間の言葉の有用性を信じているのか。
 もちろん短歌を書いて世界に発信しているんだから、言葉を否定する立場にいる
 訳ではない。読者である私自身が(宗教などを考えると)言葉に懐疑的なので、
 この歌がうまく解釈できないのかもしれない。難しい歌だなと思っています。
   (鹿取)


      (後日意見)
 『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャは、他の兄弟が良い面と悪い面を併せもっているのに対し、良い面だけが強調されて描かれている。アリョーシャのような理想を追う人間は、行動的な面(行動はある面、清濁併せ呑むようなものである)が乏しくなりがちである。それに対して、作者は、同じように突っ立っているだけの樹木の「万の戦ぎ」にも劣ると皮肉っている。
(鈴木)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 78

2023-07-23 12:29:02 | 短歌の鑑賞
 2023年版渡辺松男研究⑩(13年11月)まとめ 
    【からーん】『寒気氾濫』(1997年)36頁~
    参加者:崎尾廣子、鈴木良明(紙上参加)曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子
    司会と記録及びまとめ:鹿取 未放

 
78 あなたとのあいだに菊の黄をおきて沈黙の間は黄を見ていたり

    (当日発言)
★黄色の菊というのは何か意味があるのでしょうか?(曽我)
★黄色そのものには作者は意味を置いていないのでは。(慧子)
★私は反対、黄色にすごく意味を置いているように感じる。黄色というのは幸せ
 の色というような。ふたりの間で満たされた気分を黄色の菊で表現しているの
 かなあと。(崎尾)
★私はこの歌が大好きですが、黄色にはそれほど意味を置いていない気がする。幸
 せの黄色いハンカチというのもあったけど、絵画なんかではむしろ黄色は不安と
 か焦りとかを表している気がする。でも、この歌はありふれた黄色い菊が恋人と
 の間に置かれていて、沈黙の間は「菊」という認識ではなくてマッスとしての
 「黄」を見ていた、「黄色の菊」ではなく「菊の黄」といしたところ、「黄を見
 ていたり」が上手いなあと思う。(鹿取)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 77

2023-07-22 11:31:15 | 短歌の鑑賞
 2023年版渡辺松男研究⑩(13年11月)まとめ 
    【からーん】『寒気氾濫』(1997年)36頁~
    参加者:崎尾廣子、鈴木良明(紙上参加)曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子
    司会と記録及びまとめ:鹿取 未放

 
77 いずこにも妣あらざれど古墳の木日々落葉して古墳をおおう

     (当日意見)
★お母様は亡くなってこの世にいないけれど、毎日毎日落葉で古墳を覆って暖かく
 しているなあととったのですけど。(曽我)
★そうですね、賛成です。最初の妣は作者の亡くなった母かもしれませんね。古墳
 には広い意味での先祖のような感じを投影しているのかな。妣はいないけれど自
 然の摂理として木々は落ち葉して古墳を暖かく包んでいる。そのほっこりした、
 豊かな感じを作者は言いたかったのかなと。稲荷山古墳など作者は親しみがある
 ようで、この他にも古墳の歌はたくさん詠まれていますね。(鹿取)

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