かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 84

2023-07-21 17:47:25 | 短歌の鑑賞
2023年版渡辺松男研究⑩(13年11月)まとめ 
    【からーん】『寒気氾濫』(1997年)36頁~
    参加者:崎尾廣子、鈴木良明(紙上参加)曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子
    司会と記録及びまとめ:鹿取 未放

84 湯を溢れさせいるはかの妣(はは)ならんバスクリンの湯溢れつづける

      (当日意見)
★「妣」は「亡き母」という意味だそうです。(慧子)
★亡くなったおかあさんがきてバスクリンのお湯に浸かって楽しそうにお湯を溢れ
 させているという設定。「批ならん」って推量なので、お湯のあふれる音だけを
 聞いているんですね。そしてさっきバスクリンを入れたけど、そのお湯があふれ
 続けているなあって。温泉かなんかでもたっぷりのお湯を溢れさせる時の豊かな、
 幸せな気分がするので、お母さんがそんな豊かな気分でお湯を溢れさせているの
 を、作者も楽しい気分で想像している。(鹿取)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 75 

2023-07-20 17:38:05 | 短歌の鑑賞
 2023年版渡辺松男研究⑩(13年11月)まとめ 
    【からーん】『寒気氾濫』(1997年)36頁~
    参加者:崎尾廣子、鈴木良明(紙上参加)曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子
    司会と記録及びまとめ:鹿取 未放

 ◆怪我のため突如欠席となった鈴木良明は、レポート・記録を読んでからコメン  トを書いています。


75 空からきて空へ消えゆくもののかげ埴輪曇らせ過ぎてゆきたり

      (レポート)
 眼前に「埴輪」がある。「空からきて空へ消えゆくもののかげ」とは、光陰、つまり時だ。ゆっくり言葉をかさね、虚をたっぷり含む歌いおこしによって、一首を大きくしている。埴輪の制作時代までさかのぼる読みとなる。「曇らせ」に埴輪暦とでも呼びたい長い時のうつりの明暗を思う。(慧子)


        (当日意見)
★雲の歌だと思います。雲がすぎていく時は埴輪が曇る。そして雲が消えると埴輪
 は明るくなる。埴輪というものへの執心というか偏愛みたいなものが作者にはあ
 って、この作者は埴輪の歌をたくさん作っています。埴輪の歴史も含めて本質の
 ようなものに迫りたい思いはあるかもしれない。その点ではレポートの後半部分
 にはわりと同感です。(鹿取)
★わたしは「もののかげ」の「かげ」が光陰の「陰」だと思っていた。光のことを
 古典では「かげ」というからこれは時のことかと。(慧子)
★光陰の光は太陽で、陰は月のことなんだけど、それで月日、時間。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠 29 アフリカ②

2023-07-19 17:17:39 | 短歌の鑑賞
 2023年度版馬場あき子の外国詠3(2007年12月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P159~
      参加者:N・I、Y・S、崎尾廣子、T・S、高村典子、藤本満須子、
          T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:藤本満須子 司会とまとめ:鹿取未放
 

29 サハラ砂漠に風紋をなす音きこゆ天の目のごと大き星星

         (まとめ)
 刻一刻と変化する美しい風紋は風によって起こる。その風はどんな音で吹いているのであろうか。ごうごうと音を立てるほど大きいのか、かすかなのか、荒々しいのか?ともあれ、風とともにうたわれる風紋は、荒蕪としか感じられなかった広大な砂漠が、どこまでも美しい風紋をともなったイメージとして現れ、ぐっと優しい姿になる。空を見上げると瞬く星星は天の目であるかのように大きい。天の目は怖いようでもあり、優しく見守っているようでもあるい。それら荒涼とした砂漠のイメージから人間的なぬくもりへと風景が一変したかのように見えるのは、一日のみでここを去らねばならない作者の愛惜の反映かもしれない。(鹿取)
 
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馬場あき子の外国詠 28 アフリカ②

2023-07-18 11:09:52 | 短歌の鑑賞
 2023年度版馬場あき子の外国詠3(2007年12月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P159~
      参加者:N・I、Y・S、崎尾廣子、T・S、高村典子、藤本満須子、
          T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:藤本満須子 司会とまとめ:鹿取未放
 

28 砂漠のやうな孤独といへば気障(きざ)ながらわれに必ず近づく予感

       (まとめ)
 想像を絶した沙漠の無、それは作者の精神に深い衝撃を与えた。この世の価値の何もかもを呑み込んで無化してしまうような沙漠に触れて困惑しながら、やがて自分にもそんな孤独が来ることを予感している。(鹿取)


      (レポート)
 たった一日ではあるがサハラへ踏み入ったことによる孤独感や日常では味わえない感興、その上の句を受けて自分自身に引きつけて今に必ず孤独は近づいてくるのだと。否うたっているその時点でも作者は常に孤独を味わっているのだろうか。ここでは老いてゆくもの、死にゆくもの、そのような孤独とは別の次元をうたっているように感じる。(藤本) 

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馬場あき子の外国詠 27 アフリカ②

2023-07-17 11:54:45 | 短歌の鑑賞
 2023年度版馬場あき子の外国詠3(2007年12月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P159~
      参加者:N・I、Y・S、崎尾廣子、T・S、高村典子、藤本満須子、
          T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:藤本満須子 司会とまとめ:鹿取未放
 

27 日本に帰ればたつた一日のサハラの記憶 深い沈黙

       (まとめ)
 何も生まない死の砂の広がるサハラの風景は想像を絶するもので、それはひいては地球そのもの、生命そのものへの畏敬の念やおそれを作者に感じさせたことであろう。そしてそのサハラが人間や生き物と交わることで更に複雑な思いを作者に呼び起こした。だが、それは帰国すればたった一日の記憶として日に日に薄れてゆくことを嘆いている。それは死の砂の広がりの彼方から現れる偉大な太陽だったりランボーの生涯であったり、無名有名さまざまな人生であったり、使役されて苦しく生きる駱駝や山羊だったり、悠々自適のような糞ころがしの生態だったりするのだろう。また、市場経済に否応なく絡め取られている遊牧民、なかんずくいたいけな少年たちにも浸透しているその過酷さ、醜悪さに危惧も抱いたのだろう。しかしそれをどうすることもできない無力感。しかもそんな強烈な思いもやがて薄れ消えていく、そのことに対して「深い沈黙」をせざるをえないのだ。
 しかし、こうして一連の歌にできたことは、サハラで見て考えたことの一端を焼き付けるのに成功しているわけだ。自分一人の記憶ではなく読者にメッセージとして手渡している。現実の世界を何も変えることはできないかもしれないが、ささやかな短歌の力だろう。(鹿取)
 
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