かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の鑑賞 333、334

2024-10-26 09:10:28 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究40(2016年7月)
    『寒気氾濫』(1997年)
    【明快なる樹々】P136~
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取 未放


333 登るほど空青くなる八月の何かを決意したき山道

    (レポート)
 澄んだ空気と清々しい青空をみながら八月の山道を登っていると、自然と心に活力がわいてきて、何かを決意したくなるという心情はとても共感できる。大気の関係か、あるいは登るほどに作者の身体の血行がよくなり、精神もストレスから解放され、気が晴れやかになり、視界良好になるため「登るほど」に「空青くなる」のだろう。(真帆)


    (当日意見)
★真っ青な空を見ていると誰でも何かやってみたいと思いますね。(曽我)
★何もしないで青い空を見ていたら怖くなる時がありますね。でも、これは登るという
 行為をしているので前向きになっていて怖くない。(慧子)


334 バス揺れるたびにあなたの肩が触れ信濃は雷雨直後の青空

    (レポート)
 バスが揺れるたびに「あなた」の肩が触れるという。作者はそれを嬉しいとも悲しいとも言っていないが、バス揺れる、たびに、あなたの、肩が触れ、という上の句の弾んだ調子に、心躍りしている心境が表れている。結句も「青空」と明るい気分で浮きそうな所を、「雷雨直後」という漢語で引き締められている。また、〈雷雨のあと〉とせず「雷雨直後」とごつごつさせた所で、作者は男性で「あなた」は女性だということを感じさせているようだ。(真帆)


     (当日意見)
★実際に雷雨が走ったのかもしれないけれど、あなたの肩が触れる度に自分に電撃が
 奔って、それで雷雨を入れたのかなと。(慧子)
★この信頼感とか嬉しさの感じからすると、電撃が奔るような時期は通り越してもう少
 し安定した関係かなという気がします。329番歌「レタスの葉こころの襞を一葉ず
 つ洗いて盛りて君とのランチ」などから続いている気分でしょう。だからレタスを剥
 く「君」とバスで肩が触れる「あなた」は同 じ人という設定でしょうね。この次に
 は「汝」と巨峰を食べる歌が出てきますね。(鹿取)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 332

2024-10-25 10:14:18 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究40(2016年7月)
    『寒気氾濫』(1997年)
    【明快なる樹々】P136~
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取 未放


332 寝てあれば虫の音だけのまっくらな闇の浮力を背中に感ず

      (レポート)
 真っ暗闇のなかにいると、自分を支えているベッドや床の存在も闇に溶け込み、在るのはただ暗闇だけと感じる。暗闇で冴えた聴覚に虫の音だけが届くと、この闇の構成成分は虫の音だけ、という感じがしそうだ。寝ている作者を闇の力が押し上げてくる、そんな背中の感触が伝わってくるようだ。(真帆)


      (当日意見)
★自分が2階にいれば虫は2階で鳴いている気がするし、4階にいると4階で鳴いてい
 る気がする。それを2階とか4階とか言わないで、虫の音のことを闇の浮力と言った
 ところが素晴らしいなと思います。(慧子)
★いや、虫の音を「闇の浮力」といっているのではないですね。真帆さんが書いている
 ように闇の中に虫の音だけが聞こえていて、背中で「闇の浮力」を感じている。寝て
 いると全てがフラットな感じになって、何か中空に浮いているような頼りなげな感覚
 を言っているのかな。それとも、もっと強力な押し上げる力なのでしょうか。(鹿取)
★自分で感じられるのは呼吸だけなんですよね。吸い込んだ時は浮力を感じて体が浮く
 ような感じがする。テレビなんかでそういう映像を見ますが、たとえば吸い込むと富
 士山などの景色がグーとズームになって、吐き出すと富士山が遠くなる。暗闇で寝て
 いるとそういう浮力を感じますね。寝ていると視力とか働かないから、浮力とか受け
 やすくなるのかなと。(鈴木)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 331

2024-10-24 10:27:49 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究40(2016年7月)
    『寒気氾濫』(1997年)
    【明快なる樹々】P136~
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取 未放


331 きょうの鬱あしたの鬱の間を飾り頭上に開きつづける花火

     (レポート)
 どーん、どーんという打ち上げ花火の音が聞こえてきそうだ。今日のこの鬱はまだ来ていない明日も続くという。楽観や諦観からはほど遠い鬱々とした精神状態にいる作者。その頭上に、似つかわしくない、キラキラとした打ち上げ花火が咲き続けている。花火大会のような場で、戸外にいて花火をみているというよりも、作者は寝ていて、打ち上げ花火の音を聴きながら、想像のなかで花火を描いているように私には思える。鬱々とした状況を花火が「飾る」と表現した作者の客体化がさびしい。(真帆)


     (当日意見)
★今日も明日も続く鬱とはどのような事に基づく鬱か分からないけど、長く落ち込んで
 いるような状況の中でふっと心をほどいて花火を見ている。開き続ける花火は現実で
 も幻想でもよいと思います。(鹿取)
★私は実際に花火を見ているのだと思います。昨日嫌なことがあって明日もそれが続
 く、明日も嫌なんだよなあと思いながら束の間花火を見ている。だから夏の花火だと
 思いました。(M・S)
★「開きつづける」というところが淋しいと思うの。何かを追っかけているのかなあ。
 「鬱々とした状況 を花火が『飾る』と表現した作者の客体化がさびしい。」と真帆さ
 んは書いていますが、ほんとうに 淋しい歌ですね。(慧子)
★そうですねえ、花火が開くからって楽しい訳じゃないのよねえ。(鹿取)
★花火が鬱を祝っているという感じがする。その祝い続けているってことも淋しい。
  (慧子)
★「きょうの鬱あしたの鬱の間」って表現はものすごく変わった独特の表現だと思い
 ます。まだ明日は来ていないのにまだまだ鬱はやまない、病いなのかもしれないけ
 ど、そうとう深い鬱なんだなあと。(真帆)
★「きょうの鬱あしたの鬱の間」というのは花火が終わった段階で明日のことを考えて
 明日の鬱が兆してくる。花火が上がっている間は鬱を忘れている。だから花火が終
 わった段階から明日の鬱は始まっているんです。12時になった、それ明日の鬱が始
 まるではないんです。(鈴木)


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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 330

2024-10-23 09:24:20 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究40(2016年7月)
    『寒気氾濫』(1997年)
    【明快なる樹々】P136~
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取 未放

330 ほんとうは迷えもしない人生をひととき巨大迷路に遊ぶ

     (レポート)
 安易な道、困難な道、そのどちらより厄介なのは、先を予測できない道だろう。知識や経験が増すほどに迷うことは怖く、保守的になってゆくのが人の常だろう。「ほんとうは迷えもしない」には、自己と対峙する作者が窺える。迷うという選択の出来ない自分を認め、そんな自分が、巨大だが出口の約束された迷路にひととき遊ぶという。警句のようでもあり、ほろ苦い歌だ。日光江戸村の隣りに巨大迷路パラディアムというテーマパークもある。
  (真帆)


     (当日意見)
★通俗的な解釈ですが、人生にはレールのようなものがあって、そんなに選択の余地
 なんかない。だから自分の道を選ぶとか迷う自由なんかない。そんな自分が巨大迷路
 で遊んでいるってわりとリアルにとりました。(鹿取)
★松男さんだから迷えないのではないのです。人生ってゴールがないんじゃないです
 か。巨大迷路にはゴールがあるからこそ迷いがあるのです。人生にはゴールがないし
 どこが出口か分からないから迷うなんて出来ないのです。だから松男さんだけでなく
 誰にも迷うなんてできないんです。(鈴木)
★今の意見はとても面白いですね。私も迷えないのは松男さんだけではなく人間みんな
 だと思っていましたが、人生にはゴールがないから迷えないんだという解釈が、すご
 く広がりが出て面白かったです。(鹿取)
★下世話な解釈でいいですか?公務員の人生って真面目で迷えないですよね。この巨大
 迷路はとても魅力的な女性で、ひとときその女性に迷ってしまったと、そんな風に解
 釈しました。恋に溺れて迷っている。(M・S)
★巨大迷路は魅力的な女性の暗喩ってわけですね。面白い。(鹿取)
★いや、恋の解釈は分かりますが、公務員って迷うんですよ、大変なんですよ。(鈴木)
★でも、巨大迷路を女性と解釈すると前の歌(レタスの葉こころの襞を一葉ずつ洗いて
 盛りて君とのランチ)のレタスも恋人になるんです。何十年も連れ添った奥さんとで
 は絶対レタスを一緒に一枚ず つ洗うなんて歌にはならないですよ。(M・S)
★そうよねえ(笑)(女性一同)
★松男さんは奥さんと一緒に農作業とかやっているんですよ。外で働いて家と関係ない
 ような人だったら一緒に食事の準備って嘘くさいけど、いつも畑で一緒にキャベツ
 採ったりしている人だからこういうランチもありうると思います。(鈴木)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 329

2024-10-22 15:27:55 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究40(2016年7月)
    『寒気氾濫』(1997年)
    【明快なる樹々】P136~
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取 未放


329 レタスの葉こころの襞を一葉ずつ洗いて盛りて君とのランチ

      (レポート)
 粗く扱うと壊れやすい心と、ごわごわと入り組んだレタスの質感とが絶妙に合っている歌だと思う。ただ、「君とのランチ」の解釈にすこし迷う。いそいそとランチを準備しつつ君を待つ作者なのか、それとも君と二人でキッチンに立ち話しながらランチを作っているのか、つまり登場人物が一人なのか二人なのかに迷った。一人と取れば上句のレタスは、君を待ち千々に乱れる作者の心の襞と思え、二人と取れば互いの心を素にしている場面とも思える。どちらかといえば、一人でレタスの葉を洗いながら、これから迎える君とのランチにややナーバスに一喜一憂しつつ、洗ったレタスの葉をサラダボールに入れている場面を思い浮かべた。(真帆)


      (当日意見)
★こころの襞をひらくって、少しずつ心を開いていくことだととったのですが。(曽我)
★そういうことだと思いますよ。(鹿取)
★レポーターはひとりとかふたりとかにこだわっていますが、奥さんとランチを作って
 いるってとりました。レタスを洗うことはお互いの気持ちの通い合いでもあるわけで
 す。そしてふたりで楽しくランチを食べたと。だから心が乱れたとかは感じませんで
 した。(鈴木)
★私はこの1首の場面は一人だけ登場しているのか、君と二人なのか迷ったのです。
   (真帆)
★私は単純に二人で準備して二人で食べていると。(鈴木)
★妻とのランチにしては随分初々しいと思います。もちろん夫婦だって葛藤もすれ違い
 もあるし修復を試みて二人で旅したり食事したりすることもあるけれど。もちろんい
 つも仲の良い夫婦もあるだろうけど、この初々しい感じは一人で作って恋人と食べる
 ために準備しているという真帆さんの説の方をとりたいような。(鹿取)
★私は一連読んでてそういう雰囲気が漂っているからそう考えたので、この1首だけで
 言っていはいないです。相手への愛情がどの歌からも感じられるので。それから私は
 妻とは言っていないので、君でいいのじゃないか。作者も妻とは言っていないですか
 ら。妻であっても妻って言わないところがふくらみがあってよい。その方が「個」を
 離れる豊かさが出る。(鈴木)
★いや、鈴木さん最初に「奥さんとランチを作っているってとりました」と発言され
 ていますよ。(鹿取)

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