かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 344 スイス④

2025-01-14 10:50:54 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 馬場あき子の外国詠48(2012年2月実施)
      【アルプスの兎】『太鼓の空間』(2008年刊)173頁 
     参加者:N・I、井上久美子、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
        渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部 慧子       司会とまとめ:鹿取 未放
                   

344 ヴェッターホルンの断面は窓の外(と)にありて雪しづれゆく膚かがやかす

           (レポート)
 氷河に削られ「断面」と呼びたきまでの山壁が「窓の外」にある。「しづれゆく」とは積もった雪が滑り落ちるの意。断面と呼ぶほど凸凹が浅く影が少ないのであろう。そこへ陽光がそそいで「雪しづれゆく肌」を「かがやかす」のである。(慧子)


            (当日意見)                            
★「ヴェッターホルン」は(写真持参しましたが)グリンデルワルトの景観を形作っていて、とてもシャープな山容をしていますね。3,710メートルで、富士山よりちょっと高くてとても秀麗な山です。ドイツ語で「お天気山」という意味だそうです。ホテルでしょうか、窓からヴェッターホルンの垂直のように切り立った断面が見えていて雪がそこを滑り落ちてゆく。昼の太陽の熱で雪が溶けて落ちるのでしょうね。山肌を輝かしているのは、太陽の光が断面に当たっているのでしょうけれど、山が自ずから輝いているような印象を受けます。躍動感のある土地褒めの一首ですね。(鹿取)
                

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 387

2025-01-13 14:32:24 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究46(2017年2月実施)
    『寒気氾濫』(1997年刊)【冬桜】P154~
     参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:①曽我 亮子 ②渡部 慧子
        司会と記録:鹿取 未放          


 387 木の向こう側へ側へと影を曳き去りゆくものを若さと呼ばん

           (当日発言)
★自分の大事な青春をいうのに、自分の好きな木から語り始めている。(慧子)
★向こう側が若さということですか?(真帆)
★作者がそう言っているのでそうです。目の前を去っていくなら捕まえられそうだけど、木の向こう側へ行くのが捕らえられない儚いものだということかな。(慧子)
★向こう側というのが作者のキーワードの一つで、哲学的な深い意味合いを持っているようです。向 こう側へ去っていくのは光りだったり影だったりするんですが、ここは若さですから少し屈折がない感じがします。余談ですけど、小池光の「ポプラ焚く榾火(ほだび)に屈むわがまへをすばやく過ぎて青春といふ」(『バルサの翼』S・53年)を思い出しました。小池さんの青春は前を過ぎていく けどやっぱり捕まえられないんですね。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 386

2025-01-12 19:20:02 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究46(2017年2月実施)
    『寒気氾濫』(1997年刊)【冬桜】P154~
     参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:①曽我 亮子 ②渡部 慧子
        司会と記録:鹿取 未放          

 

386 永劫のごとく澄みたる冬の日の蜆蝶は手に掬えそうなり

            (当日発言)
★382番歌に「久方の空澄みわたりゆえもなく元旦の日をおびえていたり」がありましたが、元旦の空も永劫のごとく澄んでいるって感じたのでしょうかね。やっぱり怖いですね。(鹿取)
★作者は野原に寝っ転がって青空を眺めているのではないかと思った。雲一つ無い青空は巨大な水瓶のように感じるときがありますが、作者もそんなふうに感じたのじゃないか。そこにひらひらと飛んでいる蜆蝶を見て、水の連想から砂に住んでいる生きものを連想して砂に手を入れて掬えそうと思ったんじゃないかな。そんなふうな意識の錯覚を起こしたのかなと。(真帆)
★私はそのまま飛んでいる蝶が手で捕まえられそうだと読んでいます。永劫にはやはり懼れとか、懼れるがゆえの怯えのようなものがあって、そこに一瞬可憐な蜆蝶がひらひらとやってくる。うまく言えませんが何かその永劫の中の一瞬に感応している歌かなと。永劫と蜆蝶の一瞬の邂逅が大事なのでしょう。好きな歌です。(鹿取)

 

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 385

2025-01-11 10:29:31 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究46(2017年2月実施)
    『寒気氾濫』(1997年刊)【冬桜】P154~
     参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:①曽我 亮子 ②渡部 慧子
        司会と記録:鹿取 未放          


385 山毛欅の肌われより凛くこの冬をときに光りて越えつつあらん

      (レポート①)
 ぶなの皮肌は私より強くきりりと引き締まってこの寒い冬を克服しつつあるのだろう。   (曽我)


      (レポート②)  
 樹をとても親しいものとしてとらえ、山毛欅の肌を思っているのだが、自身より凛く、つまりきりっとりりしくときに光ってこの冬を越えているだろうと。「凛く」とこの字を当てて一首が支えられる。(慧子)


      (当日発言)
★木の肌が光っているというのが独特の捉え方ですよね。いきいきしていることを光るといっているのでしょうか。(鹿取)
★山毛欅は分かりませんが、欅はほれぼれするような肌の木にであうことがありますね。(慧子)
★山毛欅の生態をよく知らないので、調べないといけないですね。「あらん」だから山毛欅は遠くにあって目の前で見ているわけではない、光って越えているだろうと想像している。だから凛さの象徴として「光りて」は比喩的に使われているのかもしれませんね。(鹿取)

 

        (後日意見)
 調べてみると山毛欅の木肌は比較的すべすべしているようだ。「光りて」は文字どおり光りてなのかもしれない。  
春一番に揉まれ揉まれてきらめけり樹々には素肌あるものなれば 『寒気氾濫』
 どちらの歌も対象の樹に対する熱いほどの思いが感じられる。(鹿取)

 

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 384

2025-01-09 15:48:12 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究46(2017年2月実施)
    『寒気氾濫』(1997年刊)【冬桜】P154~
      参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:①曽我 亮子 ②渡部 慧子
        司会と記録:鹿取 未放          


384 冬の樹の梢にありき雲水にあこがれし日の少年われは

       (レポート②)  
 冬の樹の梢ということで何もまとっていなくて風、光、雨に感じやすい様が想像できる。少年でありながら修行僧にあこがれていたとは驚きだ。『人はかつて樹だった』(みすず書房)という長田弘氏の詩集を思い出す。(慧子)
     

            (当日発言)
★『人はかつて樹だった』というのはどういう詩ですか?(鹿取)
★そういう詩があるというだけで、内容は知らないです。(慧子)
★木登り少年だったのかなと思いました。そしてずっと空を見ていた。『けやき少年』という歌集がありましたし。(真帆)
★この歌は大好きな歌です。〈われ〉は少年時代に禅僧にあこがれていたんですね。梢にあったのは木 登りが好きでしばしば木の枝に坐っていたのでしょう。何もかも削ぎ落した冬の木と雲水には共通項がありますね。(鹿取)

 

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