欠陥建築バスターズ

土地・建物の調査研究が専門。日本の地震や災害に備えた建築や、不動産市場や世界経済の未来鳥瞰について述べています。

歴史的欠陥建築物(欠陥住宅) No.6奈良東大寺大仏殿

2013年02月19日 22時15分10秒 | 歴史的欠陥建築物(欠陥住宅)





『世界遺産で国宝の東大寺大仏殿を耐震補強した明治の建築家』




今回は誰もが知っている世界遺産「東大寺大仏殿」のお話です。

現在の大仏殿は、江戸時代に建てられた建物で、創建当初の大仏殿より小さいです。

創建当初の大仏殿は、源平の戦で焼失しています。


さて、この世界遺産の「大仏殿」が明治時代に「耐震補強」されているのを、ご存知

でしょうか?


日本では、明治になってから、古い木造建築を後世に残す為に、当時ヨーロッパで、

最先端の建築工学を学んだ日本の若者が、「耐震補強」を寺社の建造物に施しました。


「東大寺大仏殿」も耐震診断の結果、屋根の小屋組を補強しないと、大地震の時に

倒壊の危険がある事が判明し、小屋組を鉄骨で補強する事になりました。


ですから、現在も、大仏様の頭の上あたりに、明治の頃の耐震補強で入れた鉄骨が

入っています。(下から見上げても、見る事はできません。)


…実は、その当時に耐震補強した建物は、他にもあって、有名な所では、同じ奈良の

「唐招提寺」などもそうです。


明治時代にこれらの建物が、「耐震性に問題あり」と判定されたのですが、そもそも

日本建築は、地震の力を受け流す様な「柔」の構造になっています。


それに対し、西洋建築は、自然の力に対抗する「剛」の考え方です!


明治の建築家達は、日本建築は遅れていて、西洋建築こそ近代的な建築だと考えて

いました。

ですから、日本建築のスタンダードとも言える寺社建築を見て、「これはいけない!」

と、思ったに違いありません。


…こんな事を言ったら皆さんは不安に思うかもしれませんが…

どんな耐震設計の建物でも、巨大地震が来たらどうなるか、誰にもわからないのです。


…事実、こんな事がありました…

阪神大震災の後、日本政府は地震に強い建物の研究開発に多額の資金を出すように

なりました。


そして、兵庫県三木市に、実物の大きさの建物の耐震実験が出来る施設をつくったの

です。それが「Eディフェンス」と言う実験施設です。


その「Eディフェンス」で、耐震補強していない木造3階建て住宅と、耐震補強金具

でガチンガチンに固めた耐震補強した木造3階建て住宅を二つ並べて、阪神大震災と

同じ震動を与えました。


技術者達は、「耐震補強した建物」は軽い損傷だけで、「耐震補強してない建物」は

完全に倒壊するであろうと、誰もが考えていました。


…ところが…

結果は、全く逆でした!


「耐震補強した建物」は震度6で完全に倒壊し、「耐震補強してない建物」は軽い

損傷だけで済んだのです。


その原因は、今でも検証中だと思われますが、「耐震補強してない建物」の場合は

建物を構成する部材が、がたつき、きしむ事によって、上手に地震のエネルギーを

吸収していたと思われます。いわゆる「柔」構造です。


それに対し、「耐震補強した建物」は金具で部材どうしを拘束した為に、地震の

エネルギーを吸収できない「剛」の構造による事が原因と思われます。


…このように、科学者の理論を超えた現象と言うのも、珍しくないのです!


ですから、東大寺大仏殿を地震から守る為に、もう一度、建物の保存方法を皆で

考え直した方が賢明ではないでしょうか。


明治の建築家の判断が、間違っているとは言いませんが、今は当時はなかった様な

「免震技術」も確率しています。



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歴史的欠陥建築物(欠陥住宅) No.5国宝松本城

2013年02月19日 21時22分11秒 | 歴史的欠陥建築物(欠陥住宅)





『国宝松本城の天守閣の基礎が低く、傾斜が緩い理由とは…』




お城の天守閣を支える基礎の石組みは、高く険しいものです。

しかし、国宝松本城の天守の石組みは、低く、傾斜も緩いのです。


これでは、敵が攻めて来た時に、簡単に本丸を落とせてしまいます!


なぜでしょう?


この松本城、明治の頃には、かなり天守閣が傾いていたんです。

どうやら、そのあたりに秘密がありそうですね。


実は、松本城の建っている場所の地盤は、非常に軟弱なのです。

だから、普通のお城みたいに、そびえる様な基礎の石組みをつくれなかった

訳です。


過去に肉眼でもわかるくらい城が傾斜した理由に、ある人物の祟りとの説も

ありますが、実際には、軟弱な地盤の中に基礎杭を打ち込んだものが、当時

の基礎杭が丸太だった為に、丸太が腐朽し、杭としての役目をなさなくなっ

て、城の重みに基礎が耐えられなくなって、城が傾いた為です。


…このように、建物にとって地盤や基礎は重要なのですが、「手抜き工事」

で一番多いのが、この部分なのです。


基礎や床下、天井裏は、建物が完成すれば隠れてしまいます。その中でも、

基礎部分の工事はお金が掛かるので、ここで「手抜き工事」する事が、一番

経費を節約できる訳です。


しかも、一般的な知識しか持たない素人をだましやすいのが「基礎工事」で

す。


正直言って、プロの建築士ですら、「手抜き工事」を見破れない事さえある

のです。

その位、「職人」は巧妙な「手抜き工事」を行う事が多いです。


皆さんが今お住まいの住宅の基礎は大丈夫でしょうか?

一度プロに診断してもらう事をお勧めします。


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歴史的欠陥建築物(欠陥住宅) No.4横浜赤煉瓦倉庫

2013年02月19日 20時06分22秒 | 歴史的欠陥建築物(欠陥住宅)





『横浜の観光名所、赤煉瓦倉庫はかつて耐震性に問題があった!』




最初に、誤解があってはいけませんので…

現在の赤煉瓦倉庫は耐震補強工事が施されているので、全く危険性は

ありませんので、念のため…


現在、保存され、おしゃれなお店がテナントとして入っている「赤煉

瓦倉庫は二棟並んでいます。


でも不思議ではありませんか?


一棟は長くて、もう一棟は短いのです!

こんな事、言われないとあまり気が付かないかもしれませんが、私の

場合、非常に気になっていました。


なぜならば、同じ建物を二棟設計する方が、仕事が楽ですし、コスト

も安くつくからです。


実は…


建築当初は、同じ形同じ大きさの「赤煉瓦倉庫」が二棟あったのです。

それが、関東大震災の時に、そのうちの一棟の一部が崩れ、建物が短く

なってしまって、現在に至ります。


…関東大震災で崩れた「レンガの建物」は他にも一杯あったんです。

それらの瓦礫処理に困って、海に捨てた場所が、横浜のデートスポット

として有名な「山下公園」なのです。


「赤煉瓦倉庫」が強烈な揺れによって全壊しなかった理由は、「倉庫」

ならではの構造上の特徴があったからです。


「倉庫」と言うのは、荷物を保管する為につくられた建物なので、窓

等の開口部が小さく、柱の数が通常の建物よりも多く、その柱の径も、

太くつくられています。


その事が、この歴史的建造物「赤煉瓦倉庫」を関東大震災からまもった

理由です。


しかしながら、レンガを積み重ねてつくった建物は、地震に大変弱い

建物である事を忘れてはいけません。


明治以降、日本は欧米諸国に追いつく為に、多くの西洋式建築物を建て

ました。

当時は、「レンガの建物」が地震に弱いと言う事を、あまりわかって

いなかったのかもしれませんね。


もし、皆さんが横浜「赤煉瓦倉庫」を見学する機会がございましたら、

二棟の倉庫の長さが違う点を検証してみてください。



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歴史的欠陥建築物(欠陥住宅) No.3弘前城

2013年02月19日 19時02分45秒 | 歴史的欠陥建築物(欠陥住宅)





『津軽10万石の弘前城にも隠れた欠陥があった!』




築城400年を迎えた、弘前市の弘前城。

桜の時期になると、必ずTVでも紹介されますね。


内堀の規模だけ見ると、何と江戸城や大阪城にも匹敵する大きさなんです!

田舎侍の城としては、大きすぎる城なのです。


さて、そんな壮大な規模の弘前城ですが、天守閣は実にかわいくて小さい

のです。

高さは三階建ての普通の住宅とほとんど同じ高さです。


もともと、今の天守閣が、本来の天守閣ではありませんでした。

最初の天守閣は、完成してすぐに、落雷により焼失してしまいました。

正確には、焼失と言う感じでなくて、城内部に蓄えた弾薬が爆発して、城

の屋根が数キロ飛ばされるほどの、大爆発によって失われたのです。


…すぐにでも天守閣を再建したかった大名の津軽氏でしたが、当時は、

「一国一城令」と言う法律みたいなものがあって、天守閣の再建は出来ま

せんでした。


そこで、仕方なく、元々城の石垣の隅の部分をまもる為の「櫓」(やぐら)

を改築して、天守閣の様な形につくりかえました。


それが、現在の弘前城天守閣です!


このお城は、本当に小さいので、実際よりも大きく見える工夫があちこち

にされています。

弘前城の窓は他のお城の窓よりも、ずっと、小さくつくってあります。

こうする事で、目の錯覚で、実際のお城の大きさよりも、大きく見えます。


さて、この弘前城、お堀に面した石垣の角の部分にのっています!


改築する時に、通常の櫓よりも厚めに漆喰をぬったり、屋根のデコレーシ

ョンみたいな「破風」を加えたりしたので、石垣に掛かる重みが増して

しまいました。


出来るだけ天守閣を軽量化する為に、屋根瓦を使う変わりに、銅板を屋根

瓦状に加工するなどの工夫をしてありますが、それでも、石垣に掛かる

重みが、当初の設計重量よりも重くなってしまいました。


…弘前城は築城してから400年間の間に、何回も地震に遭遇してきまし

た。そして、その度に石垣の上にのる重たい天守閣が、石垣の積み石に

ストレスを掛け続けています。


その結果、石垣の一部が外側に膨らんだ様な状態になっています。


今すぐに石垣もろとも、天守閣がお堀に「落城」する事は無いと思われま

すが、非常に心配な状態です。


…これは、弘前城の天守閣の話ですが、実は、この様な「改築」「増築」

によって、皆さんの住宅も「危険な家」になってしまう事が多いんです。


私たちが調査した家の多くが、過去に「増改築」した家で、その全ての

家に重大な「欠陥」や「法令違反」が見つかりました。


それでも、家のオーナーさんは、その事実に全く気が付いていないんです。

きっと、津軽の殿様も、400年後に自分の城が大変な事になるなんて、

夢にも思っていなかったでしょうね。


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歴史的欠陥建築物(欠陥住宅) No.2ピサの斜塔

2013年02月19日 17時10分30秒 | 歴史的欠陥建築物(欠陥住宅)





『ピサの斜塔は建築中から傾いていた!』




私どものHPの冒頭に、「ピサの斜塔」の写真が使用してあります。

実は、このピサの斜塔は歴史的な「欠陥建築」なのです!


この時代の建物は、石でつくられました。

つまり、建物の重量が、非常に重いのです。


問題の物件「ピサの斜塔」は、もともとあまり地盤が良好でない場所

に建てられた建造物です。


当時の記録によると、三階あたりを建設中に、既に建物が傾斜をはじ

めていた様です。


その為に、更に上の階をつくる際に、少しづつ傾きを修正しながら石

を積み上げていったそうです。


しかし、建設当初から傾き始めた塔は、結局完成してもなおも傾き、

現在も傾き続けています。


…この塔が傾いていた事で、人類史上、重要なある実験がおこなわれ

ました。

建物が傾いている為に、最上階から落とした物体が、建物に接触せず

地面まで落下するからです。


…その実験をした人こそ、「ガリレオ ガリレイ」です。

彼の発見した「万有引力の法則」は誰でも知っていますよね。


このガリレオは、ピサの斜塔から、「重い玉」「軽い玉」を同時に落

下させ、落下音に時間差が出るかを、何回も実験したといいます。


…こんな、人類史上重要な発見をするきっかけを、与えてくれるよう

な「欠陥建築物」なら嬉しいのですが、普通は困り果てるのが普通で

す。


実は、このピサの斜塔が傾いたのと同じ原因で、大事な住まいが傾く

欠陥は多いんです。


その原因が、基礎や構造にある場合もありますが、ほとんどは地盤に

問題があります。


地盤と言うのは、生き物と同じで、ゆっくりと変化して動くんです!


我々、建築士は、その事まで見越して建物の設計をする訳ですが、小

規模の住宅の場合、地盤調査が十分でなく、建物が完成した後で問題

が生じる事もあります。


大地震の時に起こる「液状化現象」も、建築士なら誰でも予想できなけ

ればおかしいのです。


東日本大震災の際、千葉県幕張近辺の大手デベロッパーが開発した住宅

街で、「液状化現象」で大きな被害がでましたが、そんな事は、最初か

らわかっていたはずです。


被害にあった皆さんが、「こんな被害にあうなら、こんな家は買わなか

った!」と、おっしゃいます。


地盤に欠陥がある家も、やはり、「欠陥住宅」なのです!


できる事なら、最初からそんな家は買わないで頂きたいものです。

 


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