1、日本の神道は、多神教ではなく一神教である
宗教哲学上の分類として、日本の神様は、お一人と考える一神教が正しいのです。
ではなぜ、様々な神社があるのでしょうか?
それは、神様がつくられた山にも神の影を感じ、神様の恵みで実った農作物にも、神の影を感じていたからです。
日本人の心の中に、「神様がお一人しかいない」という証に、神社の御神体には、一つとして神の像がありません。
決して、ギリシャの神々のように、多種多様な御神体は存在しません。
このことは、昔、日本にやってきた人たちが『ユダヤ教』のような一神教の民族であったことを示しています。
2、伊勢神宮に見る古代ユダヤ人の紋章
伊勢神宮の灯篭には、今から約3,300年前に、エジプトで使用されていた2つの紋章が刻まれています。
これは、約3,300年前に、奴隷としてエジプトにいた古代ユダヤ人によって、日本に持ち込まれたものと考えられます。
その一つは、『菊の紋章』でわり、もう一つは、『ダビデの星』です。
菊の紋章は、天皇家の家紋ですが、この家紋は菊の花ではなく蓮の花なのです。
花弁の数が、蓮の花と一致しますが、菊の花の花弁の数とは一致しません。
この蓮の花の紋章は、約3,300年前のエジプトでは、貴族が墓などに刻んでいた紋章です。
もう一つのダビデの星の紋章についてですが、これは、現在のイスラエル国旗の中央にある文様です。
以上のことからだけでも、伊勢神宮が古代ユダヤ人と無関係とは言い難いのがわかります。
3、伊勢神宮に見る太陽神の影響
建築家である私が「おやっ」と思ったこと、それは、伊勢神宮の鳥居の方向に日の出の太陽が昇ってくることです。
これは、もしかすると、古代ユダヤ人が日本にやってきた時に、エジプトのファラオが信仰していた『太陽神』の影響ではないでしょうか。
日本人が、お正月に初日の出を拝む習慣も、もしかすると、太陽神信仰が今も生き続けているからなのかもしれません。
4、伊勢神宮の建物群は全て弥生時代の倉庫が原型
伊勢神宮の中には、いくつも社がありますが、全ての建物は弥生時代の倉庫と同じ形をしています。
このことは非常に重要なことで、伊勢神宮を造った人たちは、弥生人と何らかの関係があることを示しています。
弥生人というのは元来、日本にいた人類ではなく、縄文人の後に、日本に入り込んで来た人類です。
また、伊勢神宮の建物の下には必ず、3個の石が置かれています。
この『3』という数字は、ユダヤ民族が特に重要な数としている数字です。
日本では、お正月に鏡餅を飾ります。
あれは、2段のお餅の上に、だいだい(みかんなど)がのって3段になっています。
実はユダヤ人も、小麦で作ったパンを3段に重ねて祝う習慣があります。
さらに、日本では、お正月を『三が日』と言います。
もしかすると、弥生人は、ユダヤ人だったのかもしれません。
5、伊勢神宮を造ったのは、弥生時代に日本に来たユダヤ人
今から約3,300年前に、エジプトに奴隷としていたユダヤ人は、聖書に登場してくる『モーセ』に率いられ、エジプトを脱出します。
このことは、映画「十戒」にも描かれています。
その時に持って逃げたのが、小麦で作ったパン(マッツア)です。
以後、ユダヤ人はこのパンをお祭りの時に重ねて飾りました。
これが、日本の鏡餅に変化したと考えられます。
モーセに率いられた古代ユダヤ人の一部は、中国大陸まで来た記録が残っています。
そしてこの時期が、弥生時代の少し前なのです。
やがて、中国までやってきた古代ユダヤ人は、日本海を渡り、日本列島にやって来ました。
米を作り、その米の倉庫を改良して神殿を造ったのではないでしょうか。
その神殿を伊勢神宮と考えられるのです。
考古学と言いますか、古代建築物には歴史と謎があって、現代人のロマンをかき立ててくれますね。