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「海峡を渡るバイオリン」

2007-08-20 23:13:00 | 映画・本・展覧会など

「海峡を渡るバイオリン」
陳 昌鉉 (チンショウゲン)=語り
鬼塚忠・岡山徹=聞き書き


陳さんは、1929年生れの在日韓国人で世界的に有名なバイオリン製作者です。
父には3人の妻がおり、陳さんは第二夫人の子供で、14歳の時、兄を頼って日本に渡ってきます。
夜間中学を出て、横浜で輪タクなどをしてお金を貯め、明治大学二部英文科に入学します。
せっかく教員資格をとっても、日本国籍ではないから採用はされないといわれます。
そんな時、子供の頃から好きだったバイオリンを思い出し、古道具屋で手に入れ習い始めます。
大学3年の時、ゼロ戦の設計者糸川英夫教授が「バイオリンの神秘」という題目での講演を聴き、
教師にもなれないし、元よりバイオリン奏者になれるわけがなく、
それならバイオリンを作る仕事なら一生をかけてもいいのではと思います。
それからも茨の道で、韓国人であるということから、バイオリン職人の弟子入りもことごとく断られます。
紆余曲折、木曽福島の土木会社で働きながら、バイオリンを作り始めます。
誰に教えて貰ったのでもなく、作りたいという信念の元、独学でのことです。
10挺ほどを携え東京に売りに行きます。
音大の教授が1挺3000円で全部買い取ってくれました。
3000円のバイオリンで、芸大に受かった人が出てきて、徐々に認知されていきます。
彼が45歳の時、アメリカのリーダース・ダイジェストに「東洋のストラディバリ」と題する記事で紹介されます。
彼はとても、真面目で、一生懸命で、探求心があり、いい人なのだと思います。
人との出会いから運命が開け、有名なバイオリン奏者にも臆せず助言をもらい、励みにしていきます。
またその間、韓国にいる母と妹を訪ねたとき、母親の違う兄に、スパイ容疑で密告され、
時は朴政権下、厳しい取り調べを受けるという事態にも遭います。
1976年アメリカ建国200年。
フィラデルフィアで開かれた、アメリカ国際バイオリン、ビオラ、チェロ製作者コンクールに招待されます。
それぞれに細工と音響の2部門、つまり6つの賞があります。
何と、陳さんは5部門で優勝してしまいます
すごい人生です。
人柄と人生に感動