4月4日は私たち夫婦の39回目の結婚記念日でした。
来年の40回目は皆で盛大にお祝いしようと心に決めて、息子たちから送られてきた花やワインでひっそりとお祝いをしました。
ここまで仲良く?やってこれたのもひとえに・・。
妻は大分に生まれ育った人で学生時代に交際を始め、卒業後に鹿児島に帰った私は遠距離恋愛を余儀なくされました。
金曜の夕方に鹿児島を出るとちょうど阿蘇あたりで真っ暗になり、しかたなくクマ牧場(現在のカドリードミニオン)の広い駐車場にたった1台で車中泊をしたものでした。
真夜中にクマのうなり声を聞きながらウトウトしていると、不審に思った巡回中のパトカーから何回も職質を受けたりもしました。
そういうトラブルにも負けず大分通いを続けていましたが、ある日、向こうに着くなり彼女が「今日は家に遊びに来るように親が言ったんだけど・・」と突然言うではありませんか?
「家に」と言われても、その日の私は着古したセーターとジーパンで、パーマをかけて長く放置したままの髪型はデビュー当時の井上陽水みたいなことになってました。
「ちょっと寄りなさいって言っているだけだからそれで良いんじゃない?」と簡単にいうので、気乗りはしないまま初めて彼女の実家に向かいました。
ところが実際に案内されたのは近くのお兄さんの家で、少し嫌な予感が・・
恐る恐る玄関を入るとなんと・・奥の座敷には、彼女の御両親、4人の姉兄たちがビシッとした正装をして正座で待っていたのであります。
(※ちなみに奥さんは女2人、男3人の5人兄弟の末っ子でいらっしゃいます)
こ、これは・・
そうです、「遊びに来て」というのは、向こうにしてみれば「挨拶に来い」という意味であって、決して「ただ遊びに来てね」という意味では無かったんですね。
今なら分かりもしますが、当時の全く世間知らずのお兄ちゃんは真に受けて普段着でしかも手ぶらでノコノコ行ってしまったわけです。
ガチガチになりながらも何とか挨拶を済ませると、お兄さんたちから矢継ぎ早に質問が繰り出され、しどろもどろでダウン寸前の私。
最後にお父さんから「結局、うちの娘をどうしたいんだ?」と聞かれて万事休す。
まだ二人で結婚の具体的な話なんてしてもおらず、プロポーズなんて先の事と思っていたのに、いきなりの直球に対して「は、はい、しょ、将来的にはお嬢さんと結婚をさせていただきたいと・・ゴニョゴニョ」となんとも歯切れの悪い結果に。
向こうにしたら、「家族全員がスーツを着て待っているところに、こいつは散歩でもするような格好でやってきて、聞いた答えもはっきりせず、けしからん!」ということになったらしく、その夜に急遽、家族会議が開催されたのは言うまでもありません。
ちなみに妻の実家は大分市戸次(へつぎ)というところで、その時は知りませんでしたがその昔に薩摩の島津軍が攻め入り、大友軍や四国、豊臣軍と戦い打ち負かしたという「戸次川の戦い」の舞台だったんですね。
地元ではその戦いのお祭りが今も開催され、憎っくき薩摩めと思われていたのかもしれません。
そんな中で、彼女を一番可愛がってくれていた今は亡きおばあちゃんが「結婚するのは本人なんだからその気持ちを大事にしてやらんといかん!」と皆を説得してくれて、その後も紆余曲折がありながらOKを頂き、今があるという全く個人的な話でございました。
いや、さすがにここまではなかったですけれども・・