いつも訪問している老人ホームへボランティアに行った。
訪問を始めて4年になるので、入所しているお年寄りとも
顔なじみになり、名前と顔が一致する人が増えてきた。
でも、痴呆の人がほとんどなので何度行っても私たちを
覚えてもらうことは、ほとんど皆無である。
ボランティアの内容は入浴する人の車椅子を食堂兼ホールから
お風呂の入り口まで押して運ぶ。また、風呂から出た車椅子の老人の頭髪を
ドライヤーで乾かし、靴下と上靴を履かせ、また元の場所へ送り届ける。
ホールからお風呂までの距離が結構あるので、何往復もしていると
冬でも汗ばんでくる。
この施設は「特別養護老人ホーム」なので、言わば人生の幕引きの場所でもある。
前回訪問したときに居た人が今日、居ないと言うことは、ほとんどの場合、
亡くなったと言う事で、代わりに新顔の老人が車椅子に座っている。
まだ私たちと話が出来る新顔の老人も、訪問するたびに、だんだんと痴呆が進んでいく。
大きな机の前に他の痴呆の老人と共に1日中、車椅子で居たら、ボケない方が
不思議である。誰も話しかける人もなく、朝から夜まで座らされていたら
人として生きている意味があるのだろうかと、訪問するたびに思う。
冷暖房完備、栄養を考えた食事、入浴等々「手厚い介護」の裏には
転倒防止にすぐ車椅子、それもリハビリ等しないから手も足も腕も全部の筋が
収縮して、腕も足も曲がったまま、手は硬く握ったままの状態。
ボランティアとして何度も訪問していると、最初は見えなかったものが
だんだんと見えてくる。
若い職員さんたちが一生懸命に働いているのには頭が下がるが、
生きているだけの老人たちを見ていると複雑な思いがする。
自分の将来の姿を想像するとき
元気で「ピンコロ」で人生の幕引きを出来るように
日々精進?せねばと思う、今日この頃でありんす。
訪問を始めて4年になるので、入所しているお年寄りとも
顔なじみになり、名前と顔が一致する人が増えてきた。
でも、痴呆の人がほとんどなので何度行っても私たちを
覚えてもらうことは、ほとんど皆無である。
ボランティアの内容は入浴する人の車椅子を食堂兼ホールから
お風呂の入り口まで押して運ぶ。また、風呂から出た車椅子の老人の頭髪を
ドライヤーで乾かし、靴下と上靴を履かせ、また元の場所へ送り届ける。
ホールからお風呂までの距離が結構あるので、何往復もしていると
冬でも汗ばんでくる。
この施設は「特別養護老人ホーム」なので、言わば人生の幕引きの場所でもある。
前回訪問したときに居た人が今日、居ないと言うことは、ほとんどの場合、
亡くなったと言う事で、代わりに新顔の老人が車椅子に座っている。
まだ私たちと話が出来る新顔の老人も、訪問するたびに、だんだんと痴呆が進んでいく。
大きな机の前に他の痴呆の老人と共に1日中、車椅子で居たら、ボケない方が
不思議である。誰も話しかける人もなく、朝から夜まで座らされていたら
人として生きている意味があるのだろうかと、訪問するたびに思う。
冷暖房完備、栄養を考えた食事、入浴等々「手厚い介護」の裏には
転倒防止にすぐ車椅子、それもリハビリ等しないから手も足も腕も全部の筋が
収縮して、腕も足も曲がったまま、手は硬く握ったままの状態。
ボランティアとして何度も訪問していると、最初は見えなかったものが
だんだんと見えてくる。
若い職員さんたちが一生懸命に働いているのには頭が下がるが、
生きているだけの老人たちを見ていると複雑な思いがする。
自分の将来の姿を想像するとき
元気で「ピンコロ」で人生の幕引きを出来るように
日々精進?せねばと思う、今日この頃でありんす。