老人ホームへボランティアに行っている関係で「老い」というものに
ついて考える機会が多くなった。
ただ、車いすに座ったままの毎日で長寿になったところで生きている意義が
あるのだろうかと思う。
市長から100歳の祝いを貰った写真が壁に貼ってあるすぐそばで
誰かが話しかけるのでもなく、一人ポツンと車いすに座っている写真のおばあちやん。
それを見ると、昔のように水しか飲めなくなったから後何日や…と言われ自宅で家族に
見守られながら寿命を全うするのが、たとえ今よりは短命であっても
どれだけ人間的であろうか?
胃ろうや栄養剤によって長寿になり、毎日、車いすに座ったままやベットで
天井を見つめているだけで死を待っている人たちを見ていると同情をすると共に
「長寿」という言葉を手放しでは喜べない気持ちになる。
最後まで人間らしく生きて死を迎えるということが、今の世にどれだけ難しいことか
又、自分の人生の幕引きを希望するように迎えられたらどれほど幸せなことか……。
ボランティアから帰ってくると、いつも考えさせられるのである。
はじめちゃん 10歳でーす (^O^)/
ついて考える機会が多くなった。
ただ、車いすに座ったままの毎日で長寿になったところで生きている意義が
あるのだろうかと思う。
市長から100歳の祝いを貰った写真が壁に貼ってあるすぐそばで
誰かが話しかけるのでもなく、一人ポツンと車いすに座っている写真のおばあちやん。
それを見ると、昔のように水しか飲めなくなったから後何日や…と言われ自宅で家族に
見守られながら寿命を全うするのが、たとえ今よりは短命であっても
どれだけ人間的であろうか?
胃ろうや栄養剤によって長寿になり、毎日、車いすに座ったままやベットで
天井を見つめているだけで死を待っている人たちを見ていると同情をすると共に
「長寿」という言葉を手放しでは喜べない気持ちになる。
最後まで人間らしく生きて死を迎えるということが、今の世にどれだけ難しいことか
又、自分の人生の幕引きを希望するように迎えられたらどれほど幸せなことか……。
ボランティアから帰ってくると、いつも考えさせられるのである。
はじめちゃん 10歳でーす (^O^)/