一番左のDF4は51号機ですが、これより若い番号(一桁)のDF4も見られましたが机務段段長のお話を代表で私が聞いている間に入庫して、すぐさま出庫していってしまいました。他のメンバーは撮影したようですが、私は撮れず仕舞いでした。今でも残念でなりません。 00,10,26 中国・広州机務段 スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
00年10月の金城江・羅城の撮影旅行は北京鉄路局呉継民様に取りまとめをお願いしましたが、彼は北京鉄路局の幹部であるために、北京では我々ごとき一労働者をVIP待遇で迎えてくれて、平民の我々を何度も驚かされた事があります。特に思い出深いのが北京西站で夜行列車に乗るために向かうと事もあろうに政府要人専用の出入口からホームにじか付けで自動車を乗入れて、自動車の目の前が乗車する列車のデッキと言う事もあり、あの待合室の雑踏やX線検査等をスルーしただけで感動し、我々の度肝を抜かしてくれたことがありました。
金城江・羅城の旅行では最終日に広州机務段の見学をしたいと事前に彼から広州鉄路局へ連絡してもらったのですが地方の鉄路局に本丸である北京鉄路局の外務部部長から見学の依頼があれば地方の鉄路局としては断れるはずもなく快諾の上、更にその待遇と言えば正にVIP待遇でした。具体的には前泊した広州站前の鉄路賓館は広州鉄路局のご招待で(ちなみに、このホテルの朝食に出された粥の味は絶品で、”味は広州から”と言う言葉を実感しました。)、さらに空港と賓館の往復や市内見学は全て鉄路賓館の自動車を無料提供してもらえました。
そして訪れた広州机務段の正門には机務段幹部が整列して迎えてくれていました。当然の様に机務段内でも幹部を引き連れての見学となりました。我々は日中の鉄道労働者との意見交流と言う名目で訪れたのですが、本来の目的は広州机務段に配置されていると言う東風4型(DF4)の初期型の撮影でしたが(当時、DF4型の1号機は広州机務段の配置と言う情報を得て、その確認に訪れた意味合いもあります。実際には1号機の配置はありませんでした。)、その撮影の場にも机務段幹部がぞろぞろ付いて来てしまったのには、苦笑してしまいました。それでも真面目な見学もこなし、段長室で机務段の概要を聞いた後、機関士の訓練室や食堂をはじめ普段は公開していない機関士の溜(待機場所)や寝室等を見学し、それなりの体裁を保ったのは言うまでもありません。特に印象に残ったのが、こちらから時にお願いして見せてもらった寝室でした。中国の機関士は二人乗務で片道500~700キロの運転をこなします(日本に比べて機関士の乗務キロが桁外れに多いのは二人乗務が基本原則で駅間が10キロ以上が当たり前の地理条件。更に踏切等の数も少なく障害物も比較的少なく同じキロ数を運転しても日本に比べ疲労が少ないためと説明されました。)。そのために昼間でも机務段の寝室で仮眠しているの機関士が多いのが特徴で、その部屋(空部屋)を覗かしてもらいましたが空調完備で二人部屋ながら広いベットでベットの間隔も広くそのベットの間にはカーテンで仕切られ二人部屋とは言え、とても快適な部屋の様でした。また当直も見学させてもらいましたが機関士の名前が書かれたプレートが掲げられたボードがあり、どの列車に誰が乗務していかを一目瞭然でわかるようになっていて、日本の鉄道そっくりで驚かされました。更にそのボードの左下には病気で休んでいる機関士のプレートがまとめて掲げられいるのも日本と同様で親近感を覚えたのを思い出します。
緑奥深い庫に検査待ちのDF4が停車していました。その雰囲気はとてもよく、何枚もシャッターを押した記憶があります。 00,10,26 中国・広州机務段 スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
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