DT200Aの庫 (goo-blg)

太平洋石炭販売専用線廃止へ!


どうしん電子版より

 北海道からまた寂しいニュースが流れて来ました。北海道で唯一残った石炭列車である釧路の太平洋石炭販売の専用線の臨港線が雪解けを待たずして廃止すると言うニュースが流れて来ました。
 この臨港線の春採駅と同市知人駅の約4キロを結ぶ太平洋石炭販売が運営し釧路コールマインで産出した石炭を港へ輸送するものでかつては東釧路まで路線を延ばし国鉄との連絡運輸がなされていました。その後86年(昭和61年)に東釧路―春採間と知人―臨港間が廃止されて現在の姿になっていましたが今でも東釧路駅から知人駅へ向かう道を走るとかつての線路跡がはっきり残っている区間もあります。


どうしん電子版より

 12月に釧路に訪れた際にも当日、朝に運休を知り途方にくれましたが線路をよく見ると錆が厚く出ていたので運休日が続いている様に思え心配していただけに廃止のニュースは”来るべき日が来た!”と言う印象でした。なお、既に運転日が激減している様子で慌てて撮影に向かわけても運休と言う可能性もありますのでご注意ください。


 午前中の運転に続き、午後の運転に向けて釧路コールマン炭鉱へ向かう列車です。画面の右側に炭口があります。ヨーロッパタイプののDLも大変貴重でこのまま廃車・解体とならぬよう何処かで引取り手があると良いのですが?      13,01,18 13:44頃    釧路コールマイン春採駅  Canon EOS7D

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コメント一覧

DT200A@CF-F9
DML61-ZB様
ヒマの極地の弊ブログをご覧いただいた上に、さらにはご投稿までいただき、本当にありがとうございます。

 40年前は国鉄も世の中もまだのんびりしていました。国鉄もまだ分割民営化の話もまだ具体化しておらず職場も荒んだ雰囲気はなく職員も優しかった時代でした。次号の〝国鉄時代〝に書きましたが天下の東海道線の犬走りを歩いていても警笛を鳴らされるでもなく鉄道公安が来るでもなく黙認されていました。もう、あんな時代は来ないと思うとやはり国鉄が良かったと思うばかりです。
DML61-ZB
40年くらい前、まだ学生だった頃、春採の機関区を訪れて撮影許可をもらおうと思って詰め所に入ったら、思いのほか歓迎されました。自由に構内で1時間ほど撮影していたら、「これから列車が出るけど乗ってくか?」と石炭埠頭まで往復DE601に添乗させてくれました。まだ東芝製のナローの凸形電機が石炭列車を引いてバンバン走っていました。このときの北海道では夜行の「大雪」で旭川から上川までDD51のキャブに添乗させてもらっていますし、深名線では名寄から朱鞠内までキハ20の運転席に乗せてもらっています。おおらかな時代でした。
DT200A@CF-F9
ワム8様
忙しい!が口癖の癖にちゃんとゲのゲの弊ブログを覗いているところを見ると全然、忙しくない事がバラバラですネぇ~f^_^;

 鉄道の衰退と言うより日本の衰退が進んでいるように思えてなりません。掃除機だって今や日立や東芝ではなくダイソンでしょ!?もし、日本に活気があれば多少の赤字やリスクをカバー出来る余裕がある様に思えます。
ワム8
三月末日にて廃止される夕張支線も石炭輸送の使命を終え消えようとしています。時代の流れといえばそれまでですが、今までこの鉄道がどれだけ地域発展に関わってきたかという大きな功績だけは忘れてはいけないと思います。
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