自宅から直近の撮影地です。自転車で10分弱。自動車なら信号が引っかからなければ5分もかからず現場に到着します。ここも30数年の月日は周囲の環境を劇的に変化させています。機関車の手前の畑は現在は線路際まで住宅地となって、ここでは撮影が出来なくなっています。(実はこの場所、元住友電工大船工場専用線の貨車留置線だった様です。)また右後ろのTATSUNOの建物は今は更地になっています。 90,11,13 大船―戸塚 試9062レ
国鉄解体・新会社設立が郵政民営化と対比され成功と評価されていのは(私にとっては政府・自民党が国鉄労働者を国賊扱として、世論を新会社設立やむなしと世論操作をしたと思うと、どんな成果があったとしても新会社設立を認められませんが…)その時期がバブル全盛期で世の中が比較的余裕があった時期だったという事が大きな要因だったと言われています。
新会社設立直後、JR貨物には荷主からの問い合わせが殺到し、時間帯の良いコンテナ列車の予約は当日はおろか、翌日の予約さえままならなかったと聞いています。それはJR貨物が描いたモーダルシフトが現実のものになったのではなく、好景気でトラック運転手確保もままならない情勢から、消去法的に物流を鉄道貨物に依頼せざるおえなかっただけでした。にもかかわらずJR貨物では、早々に民営化効果が出たと諸手を上げて歓迎しました。その直後バブル崩壊が待ち受けているにも事もしらず荷主からの要望が応えられないために列車増発を計る計画を立て、その一環として国鉄時代の設計であるEF66やEF81のマイナーチェンジ車を場当たり的に増備しました。しかし、所詮は抵抗制御の機関車で第2種鉄道免許(車両は所有するものの線路は他会社所有を借り受ける経営形態)では増発もままならない事が問題となり既存パワーの機関車を増備しても車両更新はされても初期の目的である輸送改善にはなりませんでした。そこで列車単位の輸送量を上げるために新たな機関車の開発が急務とり、そのような環境で生まれたのがEF500とこのEF200でありました。
開発では国鉄では構想はあったものの現実実の薄かったのVVVFインバータ制御の採用など各種の新技術を盛り込み、国鉄・JRの機関車では最強となる 6,000 kW の出力で 1,600t 牽引を可能としました。またスタイルもヨーロッパの機関車を彷彿させる形になり、車両だけの写真を見せられたら日本の車両とは思えない斬新さがありました。
試作機の901号機で1600t試験を重ねると列車単位の輸送力増強には沿線の変電所増強が条件である事がクローズアップされてきたのです。実際、中京地区では1600t試験中に変電所が過負荷となり停電が発生し、運転阻害が発生する事態になった事もありました。
この問題解消には第一種鉄道免許(車両はもとより、線路及び付帯設備を所有し管理をする経営形態の鉄道会社)を持つ各旅客鉄道会社の協力が必要でした。これにたいして旅客列車にとっても安定給電につながるとして変電所の増設・増強に協力的(貨物列車の列車単位輸送量向上に好意的)であったJR2社に対してしてこの2社に両側を挟まれたJR1社は非協力的で、結局は有効長の延伸工事の難しさもあって1,600t牽引は見送られ1,300t牽引に抑えられたたと聞いております。
そのために結果的にはEF200は出力過剰でノッチ制限をして使用する羽目になり、6,000 kW の出力は無駄となってEF200は21両の製造にとどまり、その使命をパワーダウンした後継形式となるEF210に譲り現在に至っています。
通勤途中でもEF210を見慣れてしまっているので、少数派のEF200を見かけるとついつい目が追いかけてしまいます。
写真はその901号機の牽引試験列車で、長期耐久試験のために1,600t牽引でしばらく走る姿を良く見かけた事を思い出します。この時も運転報で調べたのではなく、過去の目撃した経験からだいたいの時刻を割り出して゛来るだろう!゛と撮影に出掛けました。シャドー部分なので判り辛いですが試験らしく先頭の機関士側には計測機器がくくり付けられています。
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DT200A@CF-Y7
熊壱
DT200A@P905i
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