繁忙期には輸送力を確保するためにSE車を2編成併結(俗称=重連)として運転されていました。当初はこの重連情報を得るには苦労しましたが、晩年はダイヤ情報誌で重連の施行日が掲載されるようになり、撮影に大変助かりました。この場所は今も撮影出来ますが画面の左側に246号バイパスが写ってしまいます。 90,11,14 山北-谷峨 404M
20年前の11月は何を追い撮影していたかと言うと91年3月ダイヤ改正で引退が決定していた小田急SE車(3000型)を使用した”あさぎり”を主に撮影をしていました。
SE車の事は今さら説明するまでもなく、日本の高速鉄道車両のパイオニアであり、SEの成功なくして、後に続く新幹線や在来線の高速車両の出現はなく、歴史的にも貴重な車両であり、またスタイル的にも鉄道車両の頂点をいく造形美を誇っていると感じ、写欲をそそる被写体でした。
80年代のSE車は小田急線内では”えのしま”にも使用していましたが、80年代末期は”あさぎり”専用に充当されていました。
国鉄が解体され新会社に移行され、JR東海から持ちかけた協議により、「あさぎり」の沼津駅までの乗り入れ延長と相互乗り入れ化、あわせて老朽化が取りざたされていたSE車置換のため両社で共通性を持たせた特急車両(20000形RSE2編成・JR東海371系1編成)を新造することが決定し、この車両の新製より沼津乗り入れが開始され、SE車は定期運用離脱となりました。
定期運用離脱後は予備車扱いとなり、経堂検車区で余生を過ごしていましたが、SE車の第一編成は後世にその活躍を伝えるために大野工場で新宿より半分をデビュー当初のスタイルに復元し(小田原よりは引退当時の姿)海老名検車区に専用の保存スペース(建物)を確保し手厚く保存され現在に至っていますが、このSE車がいかに手厚く保存されている事を感じるのが毎年、恒例開催されている小田急ファミリー鉄道展で、毎年と行きませんが数年に一度、本線から遮断された保存線路をわざわざ繋げて電留線に移動させ、展示すると言う粋な計らいには小田急がいかにSE車に誇りを持ち、大切に保存されているいる事を感じるひとコマだと思っています。そして、それは現役引退から20年たった今も数年に一度、本線とつながった線路上で太陽を浴びたSEが撮れる事は、私にとっても至極の幸せな一瞬でもあるのです。
御殿場線の撮影といえば「ここ!」と言うほどの撮影地ですが、意外と御殿場駅から徒歩で向かうと時間がかかります。ここもSE車の重連の方が様になりました。 90,11,14 御殿場-足柄 403M
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