DT200Aの庫 (goo-blg)

20年前の2月 No2 最後に訪れた野上電鉄


 この写真をみれば当日、何を撮りに来たかはご察しいただけると思います。ホーム上には更換のためのコンクリートポールが置かれているところを見ると、廃止決定が急だった事がうかがい知れます。乗務員にも、駅員にも見つからないように建物の影から当時所有していたレンズで一番長い200ミリレンズで撮影しています。   93,02,19 野上電鉄重根  TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

 20年前の2月は、前年3月に登場した”のぞみ”号で廃止直前の野上電鉄を半日だけ訪れています。
 当時の”のぞみ”号は早朝、深夜に上下1往復。日に2往復だけするだけでまだまだ”ひかり”主体のダイヤでした。その中で東京を早朝に6時に発車する”のぞみ301”はその速達性をアピールするために途中停車駅は新横浜だけで名古屋と京都は通過と言う東海道新幹線の歴史上極めて異例の列車でした。
 輸送自体よりも話題性で設定したと勘ぐられても致し方ない列車であったために、乗車率は極めて悪く東京の空気を大阪に運ぶ様なものでした。しかし、列車を走らせているからには少しでも乗ってもらわないといけません。そんな経緯から”のぞみ301号”を利用した片道だけの団体募集がありました(なんと現地突放)。立場上半ば強制的に団体参加を強いられた当時の上司から”金は出してあるので、大阪で遊んで来い!”と団体参加をするように言われました。団体代金は上司が出すが忙しいので参加は出来ない。とはいえ不参加では顔が立たない。だから代役で団体に参加してくれと言うことらしい事はのみ込めました。さすがに出張にはならず自分の年休でしたが当時は珍しかった”のぞみ”にタダで乗れるので、二つ返事で行く事にしました。
 今なら”遊んで来い!”といわれればみなみ辺りの朝からお姉さんが薄着で対応してくれるお店に出没するのでしょうが当時はまだ修行も足りず、当日は天気が悪かったら交通科学館へ、天気が良かったら何処かへ撮影に行くつもりでした。期待もせずに前日の天気予報を確認すると大阪の天気は晴予報でした。そうなるとまぁ~コントラストがつく程度の晴で充分と言うノリで良いからと撮影したくなるのは鉄ちゃんの性と言うものです。そこでバカな私は止せば良いのに鉄ちゃんには悪評高い野上電鉄に行く事にしました。
 前回の撮影で鉄道労働者から眼の届かない場所であれば嫌な思いせずに撮影出来ると言うコツを得たので、目立たぬように三脚などは持参せず普通のカバンにカメラ1台と交換レンズ2本を持って新大阪駅から阪和線経由で海南駅へ向かいました。


 運転士の視線からは完全に死角の場所から撮影しています。帰りがけには、もうバレても構わないので正々堂々とホームから撮影していたら意外にも何も言われませんでした。   93,02,19 野上電鉄重根  TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

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