
海岸線に立っている唐丹小学校です。津波の3階部分まで直撃を受けています。 11,08,12 唐丹町唐丹小学校 Canon EOS7D
12日に迂回”あけぼの”を撮影を終えた後、青年部長は昼過ぎには帰宅したいと言うことで新幹線に乗るとの事。一方、マチさんはこれから出勤の予定との事。さて私はと言うと天気も悪いので青年部長と新幹線に乗って帰るかな?と思っては見たものの、わざわざ盛岡まで来て午前中で帰路に着くのはあまりにももったいないと思っていたところ、私の気持ちを察してかマチさんが「天気も悪いから鉄ちゃんに見切りをつけて、被災地へ行って自分の眼で惨状を見てきたらどうですか?けして被災地は観光地ではないけど、だからこそ現地で美味しい物を食べて現地にお金を落とすのも支援のひとつですヨ!我々を北上駅で降ろしてくれれば、車は一日お貸しします。」と言ってくれました。そう言われてみればその通りで、被災直後は野次馬根性で現地に乗り込めば救援活動の妨げにもなったでしょうが、さすがに5ヶ月も経過して現地も少しは落ち着いてきているようなので思い切ってマチさんのご好意に甘えさせてもらう事にしました。

↑↓列車が動いていないので雑草が生え出していましたが、けして廃線の様な朽ち落ちていく雰囲気は全くなく、軌道もこまめに手入れをしている様子が手に取るようにわかりました。いつかこの線路が蘇る日を願ってこの場を離れました。 11,08,12 岩手開発鉄道岩手石橋駅構内 Canon EOS7D

北上駅で青年部長とマチさんを降ろしてとりあえず直近の海岸線に出る事にしてナビをお任せでセットしましたが、走り出してしばらくすると見覚えのある光景に何度も出くわしました。はて?とナビを見返すとその道は国道107号線で釜石線や山田線へ撮影に向かう時に何度か通った道でした。更に進むとそこは正に私が岩手開発鉄道を撮影するために良く通る集落が見えてきました。また岩手開発鉄道撮影の際はいつも寄るコンビニも見えてきました。少し走ると岩手石橋駅の入口に出ます。岩手石橋駅の現状を見に行こうと細い道を進むと岩手石橋駅は昔と変わらない姿で残っていました。この辺りも地震の揺れも凄かっただろと察しられますが、崖崩れ等は見当たりませんでした。岩手石橋駅で様子を伺っていると他にも鉄ちゃんが現れて運休がわかっていても心配で様子を見に来る鉄ちゃんは私だけではないと言う事に更にビックリしてしまいました。
その後は盛駅や赤崎駅を廻って来ましたが盛の町は海から少し奥に入った位置関係になっているので顕著な被害はなかったように見えますが、大船渡の街に入ると光景は一変していました。住宅と漁業関係の工場が建ち並んでいた街は全て流されていて、生活の営みが一切失われた街となり、思わず息をするのを忘れそうな光景でした。

岩手開発鉄道盛機関区ではDLが既に整備され今にも出区していくみたいになっていました。 11,08,12 岩手開発盛機関区(敷地外から撮影) Canon EOS7D

↑↓一部赤崎駅構内に居て被災したと聞いていたホッパー車は全て盛駅構内に集結していました。三陸鉄道の車両も数年間も動かないでいるとコンディション維持も大変だと思います。また盛駅には当日被災を間逃れた333Dと338Dのキハ100が留置されたままになっていました。なおJRの駅員は常駐しているようでした。 11,08,12 岩手開発盛駅構内 Canon EOS7D

岩手開発鉄道の現状を見てからは海岸線を宮古へと向かいました。まさか被災地を訪れるなど想定していなかったので事前に下調べ等はしていなかったものの、大船渡から宮古へのルートは大槌町等を通る事はわかりましたので走る事にしました。石巻では未だに魚が腐った悪臭に悩まされていると報道されていますが、私が通った区間に限って言えばそのような悪臭もなく、また瓦礫もほとんど撤去され悲惨な光景ではなかったものの、かつて通ったときの見覚えのある光景が、全くの更地になってしまっているのには何とも言葉が出て来ませんでした。

以前、ここを通ったときにこの防波堤を見て、こんな凄い防波堤を造ったというのはかつての災害から学んだ証なんだろうなぁ~と思ったのですが、今回の大震災による津波ではこの強固な防波堤さえも崩していたのらはビックリです。画面の中心部やや右上に一番上の写真の唐丹小学校が写っています。 11,08,12 唐丹町唐丹町中心部 Canon EOS7D

山田線鵜住居-大槌間の峠です。私の立っている後ろは線路は跡形もないか、あるいは崩壊寸前状態です。 11,08,12 釜石市片岸町 Canon EOS7D

↑↓この辺りは瓦礫の撤去は手付かずでした。ひっくり返った民家は改めて津波と言うより水の力の強さを感じます。また被害にあった民家にはシャワーのカランがそのままの姿を残していて、ここに幸せな生活があったのに、一瞬にして生活そのものが流されたと言う事実を語っている様です。 11,08,12 釜石市片岸町 Canon EOS7D


↑↓大槌町はバイパスがあり街中を通る必要はないのですが、大槌町でも吉里吉里地区は国道が街中を通っているのでその惨状がどうしても眼に入ってしまいます。この日の海は静かで、この海が牙を剥いたのを信じられません。 11,08,12 大槌町吉里吉里 Canon EOS7D


何もかもが流されたこの被災地でコンビニがプレハブで営業しているのには驚くと言うより感動しました。他にお店がないので店内は大混雑でした。更にお盆を前に香典袋を大量に買い込んでいるおばあさんを見て、ここは被災地なんだと再認識した次第です。ローソン本部の全面支援はあったでしょうがプレハブの店舗でも電子マネーが使えるなんて日本って凄い!と感動してしまいました。 11,08,12 大槌町吉里吉里 FUJIFILM FinePix AX250

今回、いろいろ歩いてみて印象的だったのが山に沿って出来た街並みの高低差で明暗を別けてしまった事です。手前の住宅は無傷なのに下の建物(病院)は津波の被害を受けて壊滅状態でした。 11,08,12 大槌町吉里吉里 FUJIFILM FinePix AX250