10年後に震災を振り返る時、なにも被災地に眼を向けるだけでなく各地で行われていた催しの中で被災を振り返る事も出来ます。02月26~27日に茅ヶ崎市市民文化会館開催された被災地福島を振り返る企画展が開催され訪れてみました。日本近代史の中で阪神大震災と東日本大震災、それに今の新型コロナウイルス感染、それに少し趣旨が異なるけどオウムテロはいつまでも語り継がれる災いだと思っています。 21,02,26 11:06頃 茅ヶ崎市立文化会館 iphone7カメラ機能で撮影
あっという間と言うか、やっとと表現するべきなのか10年目の03,11がやって来ました。
10年前の震災当日は仕事中で静岡県下にいました。休み時間で職場近くのスーパーで夕飯の買い物をしているときに揺れを感じました。揺れ出した瞬間は東南海地震が発生したのかと思い巨大津波が来るのでは?と感じて慌てて職場に戻りました。なぜなら当時の職場は日本一高い防潮堤がある箇所ではありますがそれは人間が考えた数値で巨大地震が起きれば想像を絶する津波が来るのでは?と恐怖を感じたからでした。職場に戻り震源地を聞くと東北との事。とりあえず震源地画遠く、巨大津波は来ないとの事で肩を撫でおろした記憶があります。
しかしその後の報道を見て只事ではないことが起きたと一晩、身を凍らせて惨状を食い入る様にみていました。
近代日本では関東大震災が大きな災害として語られて来ましたが、これは東京と言う都市部を襲ったために人的被害が大きくなったためで火事や建物の倒壊と共にデマによる朝鮮人大虐殺が起きたのが特徴でした。
東日本大震災は仙台などなど都市部も襲いましたが三陸の街々を津波が襲った事がとても悲惨で印象に残っています。
震災から半年くらい過ぎたある日、北上線で早朝に走る迂回〝あけぼの〝を撮影していました。その後は時間があり当時、盛岡在住だったマチさんのご好意でマチさんの車を一日貸してもらい被災地を廻り、その惨状を目にしたのは自分のために大変勉強になったと思ってます。特にどんなにテレビ報道を見てもあの生臭さは現地に行かないと判りません。震災直後はもっと凄い臭いがしたと言うから、そのなおだけで気持ち悪くなりそうです。
福島原発の地元では震災後に駅前にあった原発賛美のアーケードボードがはがされました。そのコメントを作者である方が”騙された”と言う怒りの中で抗議のボードを出して自分の気持ちを表したとの事です。 21,02,26 11:31頃 茅ヶ崎市立文化会館 iphone7カメラ機能で撮影
先日、岩手開発鉄道への往復で三陸道を経由したのでそれなりに今の被災地の復興状況を見る事が出来ました。特に行きは三陸道未開通部分を国道へ迂回するのですが出来るだけ短い距離を走ろうとしたら道に迷い気仙沼港をぐるっと回る羽目になりましたが深夜にかつて住宅街があっただろう場所には家が全く立っておらずコンビニだけがあり、その非日常の光景に目を見張ってしまいました。また、帰路は帰路で三陸道から見える光景は山間に移転した多くの住宅街に違和感を感じました。防災のために致し方ないとは思うからものの、海をベースに生活している人が多い地域でこんな山に住宅街があって、これで良いのかなぁ?住民の方は納得してるのかなぁ?住民感情と行政にギャップは無いのかなぁ?と正直、疑問を持ちました。
陸前高田も津波の大きな被害が遭った地域です。右上の写真は地震15分後の写真だそうです。この時点で津波警報が出ているにも関わらず高台に逃げずに自宅や職場でとどまった人が一気にやって来た津波に飲み込まれたそうでこの写真に写っている人の中で生き残ったのは数人だったと言う事を伺い、避難の大切さを再認識しました。そう言えば02月13日の地震の際は津波の情報が発せられる前に多くの人が高台に避難したそうで、その防災意識の高さはを思うと犠牲になった方々の命は無駄にならなかったのではないかと思った次第です。 21,02,26 11:23頃 茅ヶ崎市立文化会館 iphone7カメラ機能で撮影
〝あの日から10年かぁ〝なんて漠然と考えていたら02月13日深夜の地震に〝災害は忘れた頃にやって来る〝と言う言葉を身に染みて思い知らされました。しかし、10年前の惨状がまだ記憶に真新しいので東北の被災地の方々は津波がある無しに関わらず山に避難したそうでその意識の高さには頭が下がる思いです。しかし震度6強で人的被害は1人(後に自宅が倒壊し下敷きになった方が発見されました)だけと言うのはハード面、ソフト面でも日本人の防災意識の高さを物語っていると思われます。
津波被害を受けた地域を少しでも見れば判りますが復興はまだ道半ばです。いつも行く盛でもやっと津波で被害を受けた防潮堤が復旧した程度です。まだマンパワーを東北へ注ぎ込むべきでオリンピックなんぞ開催するなんてまた早すぎると言うのが私の持論です。
高田の松並木は高田の人の自慢だったと言う事です。その松並木は津波で壊滅的被害をうけたものの1本だけ残った俗称奇跡の一本松は最後は枯れてしまい、最後はモニュメントとして残す事になり当時の場所にあるそうです。 13,05,23 05:04頃 陸前高田の奇跡の一本松 Canon EOS7D
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