DT200Aの庫 (goo-blg)

東海道・山陽ブルトレ全廃

 いよいよXデーが現実のものになってきました。東海道・山陽線で君臨していた寝台客車特急(通称ブルートレイン=略称:ブルトレ)の最後の1往復となった”富士・はやぶさ”が来年3月14日(土)改正をもって廃止となる事が19日に発表されたJR各社のプレスリリースで正式に公表されました。


 藤沢駅の北側約2キロの撮影地です。その後、この場所は有名撮影地となり毎日、毎日撮影者でにぎわったようですがこの当時、ここで撮影しているのは私だけで誰とも逢う事もありませんでした。夏は正面光となるので秋の後半から春先限定の撮影地です。 77,01,03 藤沢 10レ

 小学校5年生から東海道線沿線に住んでいた私にとってブルトレは身近なクイーンでした。小学校の教室から線路が見え、午前中は上京するブルトレが窓越しに毎日見れました。小学校の教室には壁時計がなく、ブルトレのいつ来るかわかりません。そのため時間がわかるようにと禁止されていた祖父からもらった腕時計を鞄に忍ばせて時を見計らっては窓の外に注視したものでした。そんな事をするものだから授業についていけなくなりテストは平均点以下の常連となって行きました。
 中学時代だと思いますが、自転車を持っていなかった私は近所のクラスメイトの家に早朝に訪ね、自転車を借り信濃町(現在の東戸塚駅周辺を当時はこう読んでいました。当時は駅どころか民家も無く雑木林の山々の真ん中にバス停がありました。)まで約45分走って自前のカメラだったオリンパスペンで撮影したものでした。
 その頃、戸塚駅東口から信濃町まで1時間に一往復の神奈中バスが走っていましたが休日は8:30頃の発だったので現地に到着するとブルトレの一番手の”あさかぜ6”が行ってしまう為、自転車を借りる事が多くありました。当時は”あさかぜ6”から”さくら”まで5本のブルトレとEF58の急行”銀河”と荷物列車が撮影でき、最後に12時前に通過する新製されて間もないEF66の上り特急貨物を撮って引き上げるのが行動パターンでした。


 ブルトレ全盛期の東京駅ホームです。見送りの人も多く長距離列車の雰囲気をよく出しています。ブルトレが2列車在線しているとその風格がいっそう引き立ちます。 73,03,05 東京駅

 中学生時代だと思いますが夏休みに北九州と山陰線下関口の蒸機を撮りに行った時でした。さすがの中学生の体力でも真夏に数日も撮影していると、もう体力も限界となってきました。「とにかく冷房にあたりたい。」そう思った私は夕方の下関駅に降り立ちました。
 私は駅の出札に直行し「今晩の東京行の寝台に空きありますか?」と聞きました。お盆輸送の真っ最中ですが、帰省客とは逆の上りの列車です。少しは期待をしていました。窓口の職員が「満席なはずだけど…エッ?」と言う顔をすると奥に引っ込むと一枚の硬券を手にしてきました。「”みずほ”なら今キャンセルが出て席を返していないから、これでどう?中段だけど?」と聞くのです。「どう?」と聞かれても「嫌!」とは到底いえない状況です。その寝台券をありがたく売ってもらう事にしました。
 そう、この下関駅で冷房の効いている所と言えば高級な飲食店かブルトレと臨時12系車内程度でした。12系は大阪止の列車しか設定がなく、冷房の効いた列車で東京までと言うとブルトレしか選択肢はありませんでした。
 喜び勇んでホームに上がります。当時の下関ホームは九州からやって来る長距離列車に山陽線の普通列車は3窓初期先頭車を含む80系電車がほとんど、山陰線乗り入れ列車の半分はD51牽引でホームの大阪方に居ると、そこはパラダイスそのものでした。
 一通り撮影をし、そろそろ”みずほ”の時刻だなと思っていると、下関から東京まで牽引するEF65Pが機廻し線に出区してきません。どうしたんだろう?と思っているとアナウンスで”みずほ”は関門トンネル内で機関車が故障し動けなくなり、救援機関車の手配をしていると放送しています。”一刻でも早く冷房の効いた車内に入りたいのに…”とは思うのですが、定刻だと”みずほ”後に発車する山陰線のD51客レが入線してきて撮影が出来てちょっと嬉しかったり…と複雑な思いだったのを思い出します。結局”みずは”はEF30の三重連で2時間ほど遅れて下関駅に到着し、やっとの思いで車内に入り冷房の効いた環境に生き返った事を思い出します。


 当時の小学生の憧れと言えばスーパーカーとブルトレでした。親から借りてきたカメラを持って小学生が東京駅に集まるのも当時は当たり前の風景でしたが、今のように殺気だったものは一切ありませんでした。 75,03,26 東京駅 1レ

 私の世代にとって東海道・山陽ブルトレは=EF65Pでした。当時からEF66との交代説は何度も出ましたが、現実になったのはかなり後の事でした。それだけに現代のEF66の牽引するブルトレに燃えないも事実です。私にとっては間違いなくブルトレ=EF65Pです。
 私が高校生の頃東京機関区の主席助役が”東京口のブルトレは絶対に無くならない。それは歴史を重んじる国鉄だからだ”と言ったことを思い出しました。そう国鉄は消滅した今、ブルトレもゴミの様に捨てられていきます。そのうちブルトレは死語になるのでしょう。

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