DT200Aの庫 (goo-blg)

40年前の12月 須磨海岸で撮ったEF5829号機


 前日。下関運転区当直で30号機と情報を貰ったにもかかわらずやって来たのは鋳鋼先台車・大窓・庇の29号機でした。これは情報とは違っても大喜びでした。私にとっては一生の想い出に残る1枚です。    78,12,30 須磨 8026レ EF5829号機

 今年還暦の私にとって40年前は当然ながら二十歳でした。当時の国鉄は年末年始には乗る乗らないは別として年末年始の多客期には多くの臨時列車が運転されていました。当然、波動輸送用に待機している12系や14系の本領が発揮される訳です。本領発揮は客車だけではなく、機関車もその出番を待っていました。当時、下関運転区に所属していたEF58は定期運用はなく普段は創臨や団臨牽引が主な役目ですが多客期になると波動輸送のために活躍しました。
 この写真の8026レは下関運転区の運用なのは事前に大阪鉄道管理局から送ってもらった年末年始多客臨の局報(号外)で把握していました。
 当時、下関運転区にはEF5829・30・31・38号機の4両が配置されていましたが38号機はHゴムなのでこれが充当となれば出撃する必要がありません。そこで前日に確認した訳ですが当直助役は”30号機を予定しています”との事でした。この頃、30号機はブルーが色あせていて見栄えが良くなかったのですがそれでも撮影をやめてしまうほどではなく、前日の新幹線で大阪に向かいました。今なら大阪あたりに多くのリーズナブルなホテルがありますが(最近は訪日観光客のおかげで予約しずらくなっていますが?)当時は高級ホテルか逆に低価格の旅館の二極化していました。そのために大阪から徒歩圏内にあった国鉄大阪弥生会館をよく利用しました。国鉄の厚生施設であるために職場から鉄電で予約が出来て、更に当時でシングル素泊まりで3000円代で国鉄の低賃金にとっては大変にありがたかった事を覚えています。
 前日に弥生会館に宿泊し、この日は夜明けと同時に須磨駅に向かいました。今では信じられないでしょうが、あの頃は山側の国道から左右の安全を確認して線路横断をして撮影地に立ちました。撮影地も防波堤と線路との僅かな空き地ですがどう見ても鉄道用地です。でもお咎めもなく撮影出来たのは時代だと思います。
 そして、やって来た8026レはEF5830号機ではなく30号機より人気だった29号機でその場で雄叫びを上げたのは言うまでもありませんでした。あれから40年。最近は雄叫びを上げる列車もほとんどなくなってしまいました。それだけに40年前のあの日の雄叫びか懐かしくもあります。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「鉄ちゃん」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事